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罪と罰の天秤  作者: 一布
第二章 金井秀人と四谷華
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第十九話① 幸せな彼女を知っている人(前編)


 八月も下旬に差し掛かった。


 気温はまだ下がる気配もなく、蝉の声が聞こえる。


 晴天の空から降り注ぐ日差しは、肌を焼くほど熱い。歩いているだけで、汗が止まることなく流れてくる。


 今の気温は三十五度、といったところか。時刻は午後一時半。一日の中で、一番暑い時間帯。


 亜紀斗は、覆面パトカーの中にいた。車の中はクーラーが効いている。車内の温度は下がっているだろうが、日差しの強さは嫌というほど感じる。


 車の中には、亜紀斗の他に刑事が一人いた。捜査一課の川井亮哉。年齢は三十九歳だという。職位は警部補。現在の捜査チームのリーダーを任されている。


 ことの始りは、今月中旬。市内の中でも富裕層が暮らす地域で、一家全員が殺される事件が発生した。被害者の体には、銃で何発も撃たれた痕があった。家の中には、カラースプレーで書かれた文字が残っていた。


『天誅』


 その事件からわずか三日後。また、一家銃殺事件が発生した。最初の事件と同じく、家の中には『天誅』の文字が残されていた。


 同一犯による連続殺人事件として、すぐに捜査本部が設置された。さらに、犯人が銃を所持していることから、特別課に救援要請が入った。捜査チームの刑事を守るため、捜査各班に一人、SCPT隊員を護衛につけることになった。


 亜紀斗は、川井が率いているチームに加わっている。亜紀斗を含めて五人のチーム。残りの四人は、亜紀斗達より前に昼食を済ませ、近隣で聞き込みを行っていた。


 咲花も、捜査チームに加わっていた。亜紀斗とは違うチームで、まったく別の場所で捜査をしている。


 亜紀斗は、後部座席に座って昼食を食べている。クロマチン能力者は、例外なく力士並みの大食漢だ。クロマチンは大量にエネルギーを消費するため、当然と言える。後部座席には、亜紀斗が食べる食料が大量に置かれていた。


 川井は運転席に座り、コンビニで購入した弁当を食べていた。ハンドルの隣りにあるドリンクホルダーには、ペットボトルのお茶が差し込まれている。


「佐川君」


 弁当を食べ終えた川井が、亜紀斗に声を掛けてきた。


「あとどれくらいで食べ終わる?」


 一・五リットルのペットボトルを手に持ち、亜紀斗は答えた。


「五分くらいですね。俺達、食べる量は異常でも、時間をかけて食えるのは非番のときくらいなんで。早食いは得意なんです」


 武装犯罪の現場に向う際、警備車の中で非常食を()る。現場に着く頃には食べ終えている必要があるため、のんびりと食事はできない。


「そうか。でも、そんなに急がなくてもいいぞ。他の四人には、万が一犯人と接触するようなことがあっても、深追いしないように指示してるからな」


 亜紀斗は、ペットボトルに口をつけた。スポーツドリンク。カロリーが高く、水分補給も効率的に行える飲み物。


 喉を潤しながら、亜紀斗は、川井の発言に違和感を覚えた。


 これまで何度か、危険な事件の捜査に加わったことがある。大抵の刑事は、捜査を早く終わらせようとする。正義感や仕事に対する誇りから、そう思っている刑事も多い。反面、多忙な業務から開放されたいから早く犯人を逮捕したい、という者も少なくない。


 そんな刑事達の姿を見てきた亜紀斗にとって、川井の発言は異質と言えた。


「急ぎますよ。できるだけ早く犯人を特定して、接触したいんで」

「犯人を説得して、償わせるためにか?」


 川井の発言に、亜紀斗は食事の手を止めた。


「そうですね。連続殺人ですから、また事件が起こる可能性は高いです。次の被害者が出る前に、犯人に接触したいですね」


 弁当を三つ食べ終えると、亜紀斗は、用意していた栄養補助食品を取り出した。ブロック状の食品が、一箱に四本入っている。それが六箱。一つ目を開けて、一本目を口に入れた。


 この栄養補助食品はクッキーのような乾き物なので、水分がないと食べにくい。口に入れたものを流し込むように、スポーツドリンクを飲んだ。


 ペットボトルから口を離すと、亜紀斗は川井に聞いてみた。


「俺のこと、知ってるんですか? もしかして、話したこととかありましたっけ?」


 犯罪者には、厳罰を与えるよりも償いをさせる。自分の信念を、亜紀斗は一切隠していない。誰かに聞かれたら、正直に話す。


 亜紀斗と川井は、ほとんど初対面のはずだ。道警本部で、何度か顔を見たことくらいはあるかも知れない。とはいえ、亜紀斗には、彼と話した記憶がない。それなのに川井は、数十秒前に「償わせる」と口にした。亜紀斗の信念を。


 川井は少しだけ苦笑した。


「佐川君は有名なんだよ。刑事部だけじゃなく、道警本部全体でね。お偉いさんでもないのにこんなに有名なのは、君と咲花くらいだよ」

「……」


 川井が口にした名前に、亜紀斗の手は再び止まった。すぐに食事を再開する。


 川井は今、咲花、と口にした。笹島、ではなく。


 亜紀斗の頭の中で、二年ほど前の記憶が蘇った。藤山に聞いた話。


『咲花君には婚約者がいたんだよ』

『相手は刑事課の人なんだけど、それはもう仲が良くてねぇ。幸せそうだったよ』


 もしかして、川井が咲花の元婚約者なのだろうか。単純な呼び名だけで、そんなことを考えた。


「それに、君と咲花の関係も有名だ。犬猿の仲、という言葉がピッタリ当てはまるほど仲が悪い。実戦訓練では、殺し合いとも言えるレベルでやり合う。君達が初めて戦ったとき、咲花は、君に大怪我をさせたらしいね」


 咲花の近距離砲を食らったときのことだ。もう二年も前だが、亜紀斗は、今でもはっきりと覚えている。あのときの痛みも、悔しさも。


「事件現場に行ったときも、君達の仲の悪さは表に出ていたらしいね。事件現場で言い争った話も聞いた」


 地下遊歩道での事件のことだろう。あれも二年ほど前だが、亜紀斗はよく覚えていた。


 亜紀斗自身が一番印象に残っているのは、秀人と戦ったときのことだ。咲花と共闘したこと。だが、川井の口から、あの事件について語られることはなかった。秀人については、箝口令(かんこうれい)が敷かれている。警察内部でも極秘の事項とされていた。だから、かきつばた中学校で直接彼に接触した者以外には、事実を知らされていない。


「でも、最近、咲花は変わってきたみたいだな」


 川井の話は、突然、二年前から現在まで時間移動した。


「事件現場で、犯人を殺害したという話を聞かなくなった。君との仲の悪さは今でも有名だし、実戦訓練のときの戦いも変わっていないらしいけど」


 川井の言う通りだ。咲花と戦うとき、亜紀斗は、今でも全力で戦っている。訓練に全力で取り組む、という意味ではない。全力で殺し合いをしている。


 亜紀斗は咲花が嫌いで、咲花も亜紀斗が嫌いなはずだ。戦うときは、互いの感情が剥き出しになっている。


「実はね、咲花に言ったことがあるんだよ。もう二年くらい前だけど」


 また、川井の話は二年前に戻った。


 栄養補助食品も食べ終えた亜紀斗は、川井に聞いてみた。


「笹島に何を言ったんですか?」


 車のバックミラー越しに、川井の顔が見えた。少しだけ嬉しそうで、でも、どこか寂しそうに笑っていた。


「佐川君について、『仲が悪くても、認めてる部分があるんじゃないのか』って。もちろん咲花は、否定してたけどね」

「……」


 亜紀斗も、胸中で、川井の言葉を否定した。咲花と自分は啀み合っている。同じ仕事をしているが、敵と言ってもいい。秀人と戦ったときのような場面でもない限り、協力することなどない。


 とはいえ亜紀斗は、咲花に不幸になってほしいわけではない。彼女のことは嫌いだ。それでも、辛い過去に縛られ、苦しみ続けている彼女には、幸せになってほしい。どれほど嫌いであっても。


 川井はドリンクホルダーのお茶を手に取り、一口飲んだ。バックミラーに映る彼の表情は、変わらない。


「なんとなく思うんだよ。咲花が犯人を殺さなくなったのは君の影響じゃないか、って。もちろん、君と同じ理想を持っているとは思わない。あいつが、そんな理想を持つとも思えない」


 川井の発言を聞いて。


 声に出さずに、亜紀斗は呟いた。


 ――もしかして、この人。


 もしかして、川井は、咲花の過去を知っているのではないか。彼女の姉が殺された事件を。


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