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罪と罰の天秤  作者: 一布
第二章 金井秀人と四谷華
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第三話① しろがねよし野キャバクラ襲撃事件(前編)


 事件現場のビル付近で、警備車から出た後。


 亜紀斗達は、野次馬の目に映らないようにビルの裏路地に回った。ビル同士が向い合う通路。一階の窓を割り、ビル内に侵入。そのまま、エレベーター付近まで足を運んだ。


 エレベーターは、一階の廊下の突き当たりにあった。すぐ近くには階段。


 現場に突入して犯人を確保するのは、亜紀斗と咲花、他二名。犯人の逃走に備えて、一階の階段やエレベーター付近に四名が残る。


 エレベーターは一階で停止していた。ビル内にいた人達が避難するのに使ったのだろう。


 亜紀斗は、エレベーターの上向きボタンを押した。扉が開き、すぐに乗り込んだ。


 それほど大きくないエレベーター。定員数は十名と記載されていた。


 すぐ隣りにいる咲花を見た。警備車の中にいるときから、彼女の様子は、いつもと違っていた。どこがどう違うのか、明確には説明できない。今の彼女の様子を言語化できるほど、亜紀斗の語彙力は豊かではない。


 ただ、何か思い詰めているように感じた。


 エレベーターの中で、亜紀斗は何も喋らなかった。咲花も口を開かない。


 亜紀斗と咲花の仲の悪さは、今ではすっかり有名だ。他の二人は気まずそうにしていて、やはり何も喋らない。


 沈黙のエレベーターは、すぐに五階に着いた。


 エレベーターから出た。五階にあるキャバクラの扉が、開いている。店内にいた人達が、開けっぱなしで避難したのだろう。


 店内に入った。薄暗い店内。客とキャストが座るソファーが、いくつも並んでいる。


 テーブルの上には、酒の入ったグラス。氷が大量に入ったアイスペール。つまみが乗った皿。


 氷の入ったグラスに、水滴が付いていた。店内の淡い明りを反射している。


 店内の奥に、「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた部分がった。更衣室に続く廊下。


 亜紀斗達は、更衣室に足を運んだ。


 更衣室の扉を開けると、左右にロッカーが並んでいた。この店のキャストが利用しているのだろう。


 部屋の奥には、窓がある。


 亜紀斗は部屋の奥に足を運び、窓を開けた。窓から顔を出して、上を見た。六階の更衣室の窓が見える。


 ここから上に昇り、六階の窓を割り、更衣室に侵入する。


 六階の窓までは、約三メートル、といったところか。内部型クロマチンで筋力と指先を強化すれば、外壁に指をめり込ませて登ることができる。


 亜紀斗と他二人は内部型。しかし、咲花は外部型だ。彼女の運動能力なら、どうにか昇ることもできるだろう。とはいえ、落下のリスクは避けるべきだ。


「笹島」


 窓際まで来ていた咲花に、亜紀斗は声をかけた。


「何?」

「ここから六階の更衣室まで、俺がお前を運ぶ。背中に乗れ」

「別に、あんたに背負われなくても、これくらいは昇れるけど」


 咲花の言うことは正しい。亜紀斗も、同じことを思っている。しかし亜紀斗は、今の咲花に、どこか危うさを感じていた。亜紀斗自身も、言葉にできない感覚。亜紀斗の本能が、自分自身に指示を出していた。


「いいから、俺の背中に乗れ。その方が確実だ」

「……」


 正直なところ、咲花に拒否され続けると思っていた。いざとなれば、強引にでも彼女を担ぐつもりだった。しかし咲花は、意外なほど素直に、亜紀斗の指示に従った。亜紀斗の後ろに回り、肩に手を添えてきた。


 亜紀斗は咲花を背負った。隊服を着た彼女。それでも、体の感触は伝わってくる。背中に、彼女の胸の感触。


 自分から指示したことだが、亜紀斗は、咲花を背負ったことを少し後悔した。事件現場だというのに、変な気分になってしまう。


 昔の――八年前に亡くなった、元恋人の言葉を思い出した。


『亜紀斗って、戦っても強いけど性欲も強いよね』


 ――自覚してるよ。でも、こんなときにまで、こんな気分になることはないだろ。


 背負った咲花から、彼女の匂いがする。


 咲花は美人だ。スタイルもいい。そんな彼女が、今、自分と身体を密着させている。


 雑念を振り払うため、亜紀斗は、麻衣のことを思い浮かべた。今の恋人。一年ほど前から付き合っている、亜紀斗の心を救ってくれた女性(ひと)


 大切な人に、不誠実なことはしたくない。だから今は、犯人確保に集中するんだ。


 深呼吸をして、亜紀斗は雑念を振り払った。ただし、心の中で、一言呟いて。


 ――ごめん、麻衣ちゃん。今日、帰ったら、滅茶苦茶にするかも。


 咲花を背負って、亜紀斗は窓から外に出た。指先を強化。同時に、肩と腕の筋力も強化。外壁に指をめり込ませた。そのまま、六階の窓までよじ登った。


 亜紀斗の下から、他の二人もついて来ている。


 六階の更衣室付近まで登ると、亜紀斗は窓を割ろうとした。


「待って、佐川」


 亜紀斗の背中から、咲花が止めてきた。


「何だ?」

「できるだけ音を立てたくないから、私が窓を割る」

「?」


 亜紀斗の背中で、咲花が、外部型クロマチンを発動させた。指先に弾丸。彼女の指先周辺の、景色が歪んでいる。


「破裂型の弾丸を、できるだけ弱い力で撃つ。その方が、普通に割るより音が小さいはずだから」

「わかった」

「細かく割れたガラスが落ちてくるはずだから、気を付けて」


 意外な咲花の言葉に、亜紀斗は、返事をすることを忘れた。咲花が、亜紀斗に注意喚起をした。普段の彼女なら、そんなことは絶対にしない。


 咲花は弾丸を放った。パンッという小さな音を立てて、窓ガラスの一部が割れた。窓の鍵の周辺。細かく割れたガラスが落ちてくる。暗いビルの隙間で、ガラスは、少ない光を反射してキラキラと光っていた。


 割れた窓から手を入れ、咲花は鍵を開けた。


 更衣室のレイアウトは、五階とほぼ同じだった。左右に、複数のロッカー。窓の正面の位置に、廊下に出るドア。


 更衣室には、店のキャストが二人いた。怯え、震えている女性達。驚いた顔で、亜紀斗達を凝視している。


 咲花は、亜紀斗の背中から跳ぶようにして室内に入った。二人のキャストに接近し、小声で、静かにするように指示した。


 咲花に続いて、亜紀斗も更衣室に入った。後から来た二人の隊員も続いた。


 狭い更衣室に六人。ほとんど鮨詰めのような状態になっている。


 咲花は警察手帳をキャストに提示し、彼女達に状況を聞いた。ただし、声を抑えて。


「あなた達が知っている情報を教えて。犯人の数。犯人の名前。あなた達が、ここに逃げ込むまでの状況」


 キャスト達は、二人揃ってコクコクと頷いた。咲花と同じように声を抑えて、状況を話し始めた。


 犯人は三人。このキャバクラの常連客だという。名前は、中田、鳥取、森。年齢は、恐らく四十台中盤。キャスト達が知る限り、三人の犯人は、友人同士ではないという。


 ただし、彼等に共通する点がある。三人とも、店に来たときは、必ずサナを――本田沙那美を指名していた。それも、かなり入れ込んでいたという。


「たぶんサナは、色営やってたと思う」

「色営?」


 キャストの言葉に、亜紀斗が聞き返した。

 すかさず回答したのは、咲花だった。


「色恋営業の略。簡単に言えば、キャバ嬢が、客を本気で惚れさせてする営業のこと」


 解説した直後、咲花はキャスト達に聞いた。


「そう思う根拠は?」

「だって、サナへの入れ込み方、凄かったもん。三人とも、色んな物貢いでたし。お金もたくさん落としてたし」


 この更衣室にも、先ほどまで犯人達の怒鳴り声が届いていたという。


『サナに貢いで、貯めていた老後資金まで使い切った』

『子供の学資保険も解約した』

『貯金を全て使ったのに、付き合ってもくれなかった』


 その怒鳴り声の内容から察するに、犯人達は既婚者なのだろう。家庭があり、子供がいながら、若いキャバクラの女に入れ上げた。


「絶対、色営やってたって。たぶん、枕だって」


 枕――枕営業。要するに、身体の関係をもって営業を行うこと。


「だよね。じゃなきゃ、あんなすぐにナンバー二になれるはずないし」


 先ほどまで震えていた二人は、事件の責任を押し付けるように、本田沙那美を責めていた。


 亜紀斗は、キャスト達の表情に気味の悪さを覚えた。化粧をして、着飾って、見た目は文句なく綺麗な彼女達。しかし、醜い。外見ではなく、滲み出る雰囲気が。


 もし彼女達の話が本当なら、少しだけだが犯人達にも同情の余地はある。もっとも、家族を裏切り、若い女に貢いで破滅し、その腹いせにこんな凶行に及んだことは、決して許されないが。たとえそれが、騙された結果だと言っても。


 犯人達は、まず、何を置いても家族に償わなければならない。家族の幸せを奪ってしまったことを。重荷でしかない夫いなってしまった。誇れない父親になってしまった。


「笹島」


 キャスト達の話を聞きながら、亜紀斗は、咲花に釘を刺した。


「分かってるな?」


 犯人を殺すな、とは口にしない。ここには、隊員以外の者もいる。亜紀斗は、自分が賢くないと自覚している。それでも、状況を(わきま)えることくらいはできる。


「どうだろうね」


 いつもと違い、咲花は、挑発的な様子を一切見せなかった。


「何にしても、犯人が三人だってことは確定したから。作戦通りにいくよ」

「ああ」


 更衣室のドア。鍵がかかっている。頑丈そうな、鉄製の扉。


 亜紀斗がドアの鍵を開けようとしたとき、咲花が、吐き捨てるように囁いた。キャストの二人に向って。


「人を貶めようとするのは結構だけど、それで何かを得ても、すぐに失うよ。自分の実力じゃないんだから」


 キャスト二人は目を見開いた。直後、顔を真っ赤にして咲花を睨んだ。大声を出して咲花を罵らないのは、ここが危険な場所だと分かっているからだろう。


 咲花の言葉に、亜紀斗は、妙に納得してしまった。自分が先ほど感じた、キャスト二人の醜さ。人の命が奪われる事件を利用してまで、本田沙那美を貶めようとする浅ましさ。


 亜紀斗は、ドアの鍵に触れた。音を立てないように、ゆっくりと開ける。


 ドアを静かに開き、全員、更衣室から出た。


※次回更新は明日(11/28)の夜を予定しています。

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