第二話 彷徨う心
市内にある繁華街――しろがねよし野。
立ち並ぶビル。夜になると、ネオンが眩しいくらいに点灯する。昼間の明るさとは違う、人工的な光。
週末の夜には、多くの人々が行き来する。仕事を終えた会社員。遊び歩く学生。仲睦まじい雰囲気のカップル。それぞれが、それぞれの目的に添った場所に消えてゆく。
五月下旬。ゴールデンウィークも過ぎて、世間は日常を取り戻していた。
もっとも、現在のしろがねよし野は、日常とはかけ離れた状態になっていたが。
通報があったのは、午後八時半だった。しろがねよし野にあるビルで、銃の乱射事件が発生した。
八階建てのビル。五階から七階では、ワンフロアを占有したキャバクラが、各階で一店舗ずつ営業している。
事件が発生したのは、六階にあるキャバクラ――ミナミという店だった。
銃声を聞きつけた七階と五階のスタッフ計三名が、様子を見に行った。銃声が、爆発音に聞こえたのだという。ガス爆発でも起ったのか。火事の危険性は。そんな心配をしての行動だった。
スタッフが目にしたのは、予想外の光景だった。中年の男が三人、銃を発砲していた。目を血走らせ、怒鳴っていたらしい。
「サナを出せ! ぶっ殺してやる!」
恐らく、店のキャスト――いわゆるキャバ嬢――に、本気で恋心を抱いた客だろう。
様子を見た五階と七階のスタッフは、急いでその場から逃げ出そうとした。警察に通報し、同時に、自分達の店のキャストや客を避難させるために。
しかし、運悪く、犯人の一人に見つかってしまった。
「誰だお前等!?」
犯人は銃を発砲してきた。
様子を見に来たスタッフ三人のうち、二人に銃弾が当たった。一人は、胸のあたりを撃ち抜かれた。もう一人は腕を撃たれた。
胸を打たれたスタッフは、その場に倒れ、動かなくなった。
残る二人は自分達の店に逃げ帰り、ミナミの状況を伝え、避難するように促した。
五階と七階にいる人達が、エレベーターや非常階段で避難した。並行して、スタッフが警察に通報。
状況はすぐに特別課に共有され、緊急で出動となった。
現在の時刻は、午後十時十八分。
現場のビル付近には大勢の警察関係者が集まり、周囲にバリケードを張った。
道路上に所狭しと並ぶ、パトカーや救急車、警備車。
バリケードの外には大勢の人々がいて、事件が発生したビルを見上げている。中には、スマートフォンで撮影している者もいた。
野次馬達に、警察関係者が離れるように指示している。
そんな外野を尻目に、咲花は、藤山の指示を待っていた。現場のビルの近くに停めた、警備車の中で。
事件現場に来た隊員は、藤山を除いて八名。夜勤の隊員だ。その中には、亜紀斗もいる。
咲花と亜紀斗のシフトは、重なることが多い。当然、同じ事件現場に駆けつける頻度も多く、パトロールなど他の業務も共に行うことが多い。
業務シフトを作成するのは、藤山の仕事だ。
咲花は、なんとなく感付いていた。藤山は、意図的に自分と亜紀斗の接触を増やしている、と。実戦訓練での組み合わせも含めて。どうしてそんなことをするのかは、分からなかったが。
「じゃあ、とりあえず、避難した人達から得た情報を共有するねぇ」
当の藤山は、いつも通りの間延びした口調で説明を始めた。
「スタッフが見た犯人の数は、三人。店内は暗くて顔とかは見えなかったみたいだけど、声は中年っぽかったみたいだねぇ」
怒鳴った犯人は、「サナ」というキャストの名を口にしていた。サナはミナミのキャストで、店のホームページにも顔が出ている。写真はある程度加工しているだろうが、まだ若い女性に見えた。二十代前半くらいか。
「犯人が口にしていたサナさん――本名は、本田沙那美さんっていうんだけど。年齢は二十三歳。三歳の息子さんがいるシングルマザーみたいだねぇ。仕事中は、二階にある託児所に息子さんを預けてたらしいよ」
藤山の話を聞いて、咲花の頭に、最近の社会問題が浮かび上がった。
現在、この国の経済状況は大きく変化している。政令指定都市などの大都市から離れる人々が増えた。経営が傾く企業や、倒産する企業も目立つ。反面、富のある者は、人の移動に合わせて地方都市に事業を展開し、さらなる富を得ている。つまり、貧富の差が極端に大きくなってきている。
その結果、国内では、就職難民の増加が社会問題の一つとなっていた。
その社会問題は、さらにもう一つの問題も生み出していた。幼い子を持つ一人親の就職、および就業継続が著しく困難になっているのだ。
一人親の場合、子供に何か――病気や怪我など――があった場合、仕事を欠勤、もしくは遅刻や早退をする必要がある。以前は従業員同士で支え合っていたのだが、経営が悪化し人員に余裕がない企業は、一人でも欠勤が出ると、仕事が回らなくなる。
必然的に、一人親の就職は困難になる。人員削減をする場合は、一人親から退職を促されることになる。
行政は、この問題に対する対策を、未だ打ち出せていない。
幼い子を持つ一人親は、子供と過ごす時間をできるだけ多く確保する必要がある。つまり、できるだけ短時間で生活に必要な賃金を得なければならない。
短時間でできるだけ多くの稼ぎを得るには、どうしたらいいか。安易に出される回答は、水商売や風俗業だ。
実際に、水商売や風俗業に足を踏み入れるシングルマザーが、最近増えていた。
犯人が口にしていたキャスト――本田沙那美も、そのケースかも知れない。
咲花は、自分が幼かった頃のことを思い出した。まだ姉が生きていた頃。
両親を失い、姉は、高校卒業と同時に働き始めた。どんな仕事をしていたのかは分からない。ただ、昼だけではなく、夜も仕事をしていた。咲花を育てるために。自分の人生を犠牲にして、働き詰めだった。
「咲花君、大丈夫?」
藤山に声を掛けられて、咲花は意識を彼に戻した。
「なんだか、ボーッとしてるみたいだけど」
「大丈夫です」
亜紀斗の過去を聞いてから、咲花は、考え込むことが多くなった。姉が殺されたこと。凶悪な犯罪に走る者のこと。大切な人を失った遺族のこと。
亜紀斗のように、自分の狂気を抑え込める者もいる。でも、そんな者ばかりではない。では、罪と罰の重さは、何をもって量るべきなのか。
――余計なことは考えるな。今は仕事中だ。
胸中で自分に言い聞かせて、咲花は、藤山の話に集中した。
「本田沙那美さんは、本日は休み――休日らしいね。だから、犯人達がどんなに暴れても、彼女の身が危険に晒されることはないんだけど。でも、まだ店から避難できてないスタッフやキャストさんもいてねぇ。もちろんだけど、最優先は、そのスタッフやキャストさんの命だから」
人命優先。当然だ。こういった事件の際には、必ず指示される最重要事項。
「で、その人命救出の手段なんだけどね。まずは、この辺りの地図を見ようか」
藤山は、警備車の床に近隣の地図を広げた。
市内の道路は、概ね碁盤の目状に整備されている。繁華街であるしろがねよし野も、例外ではない。地図には、綺麗な長方形がいくつも表示されていた。道路に囲まれた区画。区画の中に、立ち並ぶビル。
「僕達の現在地は、ここ。で、事件が発生したビルはここね」
藤山が、地図を指先で叩いた。
「この区画には、ビルが四つも建っててねぇ。当然だけど、ビルとビルの間には、人が通れる程度の隙間があるんだ」
ビルとビルの隙間を指でなぞりながら、彼は続けた。
「この、ビルとビルが向かい合った場所にも、それぞれのビルに窓がある。まあ、陽当りは最悪だろうけどねぇ」
ここまで説明を受けて、咲花は、藤山の考えていることが概ね分かった。
藤山は、次に、事件が発生したビルの見取り図を開いた。一階から七階までの見取り図。
「このビルには、地下一階から七階まで、キャバクラだったり居酒屋だったり、託児所が入ってるんだよ。営業する店の種類によって内装とかは変わってくるけど、幸いなことに、五階から七階までの造りは、概ね同じなんだよねぇ」
確かに。ビル内の見取り図を見て、咲花は頷いた。廊下や店舗内の造り、トイレや更衣室の場所まで、概ね完全に一致していた。
「で、キャストが着替える更衣室は、ここ。しろがねよし野の地図では、ここになるんだよ」
藤山は、五階から七階までの更衣室を指で差した後、しろがねよし野の地図の一点を指差した。ビルとビルが向かい合う場所。つまり、周囲の野次馬からも死角になっている場所。
「野次馬の中に、犯人達を手引きしてる人がいる可能性もあるからねぇ。堂々とビルの中に侵入したら、犯人に、君達の動きが伝わるかも知れない。だから、まずはビルの影に隠れて、一階の窓から侵入しようか」
ビル内の見取り図。ビルとビルの影になっている場所を、藤山は指し示した。一階の窓がある場所。
「一階に侵入したら、二組に分かれてね。で、一方は、まず、エレベーターで五階まで登る。もう一方は、階段前で待機。犯人が、階段で逃走を図る可能性もあるわけだからねぇ」
現場に向う隊員は八人。ということは、四人一組で行動するのか。
「エレベーターで五階まで行ったら、店の更衣室に入って」
更衣室は、ビルとビルの向かい合う位置にある。つまり、外に集まった野次馬には見えない場所。
「五階の更衣室に入ったら、そこから外に出て、外壁伝いに六階の更衣室に侵入して。あとは、概ね分かるだろうけど。更衣室から出たら、一気に犯人達を制圧してねぇ」
ビル内の――六階の見取り図を、咲花はじっくりと見た。
更衣室から出ると、短い廊下がある。廊下から出ると、店舗フロア――客が出入りする場所。
ということは、六階の更衣室に侵入し、廊下に出て、廊下の影から店舗フロアの様子を確認するのか。犯人達の位置の確認。店舗に残ったキャストやスタッフ、客の状況を把握。犯人制圧と店内の人達の保護を、迅速に行う。
「犯人は、現時点で分かっている限り三人。だから、店内には、四人で行こうか。外部型一人に、内部型が三人。外部型の弾丸で犯人の銃を撃ち落として、すぐに、他の三人が取り押さえる――って考えてるんだけど、どうかなぁ?」
犯人が三人なら問題がない作戦だ。とはいえ、犯人が三人というのは、現場から避難したスタッフの証言だ。パニック状態で、犯人の数を正確に把握できなかったかも知れない。あるいは、スタッフ達の位置から見えない場所に、他の犯人がいたかも知れない。
「もし、犯人が、三人よりも多く――四人や五人もいた場合は?」
「問題ないと思うよぉ」
咲花の質問に、藤山は、真剣さなど微塵も感じられない口調で答えた。
「咲花君には、店舗に向ってもらうから。仮に犯人の人数が想定以上でも、咲花君なら、同時に六発まで撃てるんだし。六人までなら問題ないでしょ?」
藤山の話を聞いて、亜紀斗の表情が変わった。彼の考えていることが、手に取るように分かった。
亜紀斗は、咲花を睨んできた。
「笹島」
「何?」
「狙いが外れた、なんて言うなよ?」
犯人を殺害した際の、咲花の決まり文句。
『狙いが外れて、犯人を殺してしまった』
言葉の外で、亜紀斗は咲花に伝えてきている。
『犯人を殺すな』
亜紀斗の視線が、咲花に向けられている。異常なほど鋭い。
一年半ほど前に、咲花は、亜紀斗と共闘した。一緒に、秀人と戦った。
必要であれば手を組む関係。当然だ。同じSCPT隊員なのだから。だが、手を組んで戦い、少しだけ互いのことを理解しても、心が通じ合ったわけではない。
少し前の咲花なら、ここで、挑発的に笑っていた。亜紀斗を見下すように。
けれど今は、そんな気分になれなかった。
咲花に向けられている、亜紀斗の視線。彼は、周りの隊員が身を引くほどの殺気を放っている。彼の本質である、暴力性と凶暴性。
けれど亜紀斗は、普段は、自分の狂気を完全に抑え込んでいる。自制できている。そんな自分の実例があるからこそ、彼は、自分の信念を主張できるのだ。
咲花は、亜紀斗から目を逸らした。表情をまったく動かさないまま、亜紀斗の質問に素っ気なく答えた。
「さぁね」
咲花の様子がいつもと違ったせいか、亜紀斗は、どこか拍子抜けした顔になった。
「さて、と」
パンッと、藤山が手を叩いた。
「突入の準備してねぇ。僕は、課長に、突入の報告をするから」
午後十時三十八分。
咲花達は、警備車から出た。
※次回更新は明日(11/27)の夜を予定しています。
亜紀斗の過去を知って、自分の行動に迷いが出ている咲花。
今回の事件で、彼女はどんな行動をするのか。
亜紀斗の言葉を、どんなふうに受け止めているのか。