第三十八話 逮捕不可能な犯罪者
秀人が自宅に戻ると、五匹の猫がいつも以上に甘えてきた。
二日以上家を空けると、いつもこうだ。
自宅には、猫用自動給餌器がある。五匹分で、五台。タイマー機能が付いていて、セットした時間になると自動的に餌が出てくる。
自動給餌器だけではなく、自動給水機もある。猫の祖先は砂漠の生き物で、乾きに強いと言われている。だが、「乾きに強い」と「長期間水を与えなくてもいい」とでは、意味合いが違う。
不幸に見舞われた子達だからこそ、できるだけ快適に、できるだけ幸せに生きて欲しい。
こういった機械のお陰で、家を留守にしていても、猫達が飢えることはなかった。乾くこともなかった。
秀人が事件を起こさせているのは、地元だけではない。全国各地に飛んで、色んな者達を唆している。
事件を起こさせるだけではなく、ここ二年くらいは、海外マフィアとの交渉に出ることもある。
数日ほど家を空けることも、珍しくない。
「本当に便利な時代だよなぁ」
しみじみと、秀人は呟いた。猫達にすり寄られながら、リビングのソファーに体を投げ出す。
猫達も次々とソファーに乗り、秀人に体を寄せてきた。
――三日前。かきつばた中学校の屋上で、咲花と亜紀斗に負けた後。
秀人は勾留された。
もっとも、勾留と言っても、留置所に入れられたわけではない。
クロマチン能力者が罪を犯した場合、普通の犯罪者とは異なる扱いを受ける。国内の一部の者しか知らない、罪を犯したクロマチン能力者への対応方法。
クロマチン能力を使用して犯罪を行った者は、秘密裏に処分される。つまり、殺される。その罪状が、どれほど小さなものであっても――窃盗や器物損壊といった程度でも。
クロマチン能力者の犯罪が、世間に公表されることはない。裁判が行われることもない。
国がこのような対処をするようになった発端は、二十八年前。某国で発生した事件にある。
某国のクロマチン能力者が、自らの能力に魅了され、凶悪犯罪に走ったのだ。銀行を襲撃し、大金を手にしての海外逃亡。
銀行員四人が殺され、四人が重軽傷を負った。
犯人は三人。海外逃亡間近のところで、他のクロマチン能力者に捕縛された。
クロマチン能力の使用は、平和維持を目的としている。国連は平和維持のために、クロマチン能力を開花させる注射を、必要に応じて各国に提供している。
国連は、某国の事件を重く見た。某国に対し、クロマチン能力発現のための注射を、提供しなくなった。
クロマチン能力者の部隊を立ち上げるために、某国は、警察組織の改変を行っていた。当然、大いに混乱した。
日本の中枢にいる人間は、国連の対応に慌てた。国内でクロマチン能力者が犯罪を犯したら、同じ対応をされるかも知れない。
クロマチン能力が発見され、特別課が発足してから、武装犯罪鎮圧の効率は遙かに上がった。それだけではなく、クロマチン能力者を災害救助等に派遣することにより、助けられる人の数も格段に多くなった。最近では、市街地に出てくる熊――俗に言うアーバンベア――の対応も、クロマチン能力者が行っている。
そんな状況で、クロマチン能力を発現させる薬品が、提供されなくなったら。
どんなに職務教育を徹底したところで、人を思い通りに動かすのは不可能だ。実際に、犯罪に手を染める警察官も多くいる。
国の中枢にいる者達は、頭を抱えた。
悩み、意見を出し合い。
最終的に、一つの結論を出した。
犯罪者となったクロマチン能力者は、秘密裏に処分しよう。事件を表沙汰にせず、通常の留置所にも勾留せず、秘密裏に。
国の中枢の決定は、間違いなく実行されていた。かきつばた中学校から連行された秀人は、留置所とはまったく別の場所に勾留された。全国に八カ所しかない、クロマチン能力者を勾留する施設。
出された食事には、毒が入っていた。食事だけではなく、水にも。
「目的のために、不都合なことは揉み消す――か」
憎々しげに、秀人は呟いた。自分の家族が殺された事件でもそうだった。国の中枢に関わる人間の目論みで、愛する家族が貶められた。
五匹の猫に囲まれながら、秀人は、スマートフォンを手にした。インターネットでニュースを見る。
思った通りのニュースが記載されていた。
『かきつばた中学校を襲撃し、逮捕された三人の中学生が、留置所内で自殺した』
秀人が唆した中学生六人のうち、三人は咲花に殺された。
三人は生き残り、逮捕された。
秀人の正体を知る三人が。
三人の中学生は、消されたのだ。クロマチン能力者である秀人が黒幕だと、知っているから。
余念のない隠蔽工作。
国は徹底的に、クロマチン能力者の犯罪を隠蔽する。国連の対応を恐れて。
もっとも、国の対応は、秀人にとって不都合なことではない。クロマチン能力者の犯罪を隠蔽することにより、秀人の逮捕を困難に――ほぼ不可能にしているのだから。
クロマチン能力者である秀人を、表立って指名手配することはできない。警察内部でも、徹底した箝口令が敷かれるだろう。もちろん、周辺への聞き込みなどもできないから、捜査一課が動くこともない。
さらに、秀人を捕縛すること自体が非常に困難でもある。今回は、咲花と亜紀斗の二人がかりで、なんとか捕縛することができた。道警本部の中でもトップにいる二人が、それこそ命懸けで。
だが、同じ手は通用しない。咲花の近距離砲も、二度と食らわない。
秀人には自信があった。もう一度あの二人と戦ったら、確実に勝てる自信が。
そもそも、警察が、秀人の居所を掴むことさえ困難だ。この家は秀人の名義ではない。さらに秀人は、度々、様々な場所に足を運ぶ。国内外を問わず。
警察にとって秀人は、捜査対象とすることができず、居所を正確に掴むことも困難で、さらに、実力行使が不可能な犯罪者なのだ。
もし警察が、秀人を捕縛、処分する方法があるとすれば。
秀人にとって命より大切なものを、人質にすることくらいか。
けれど、そんなものは、もうこの世にはない。
父も、母も、姉も、無残に殺された。この国の中枢に関わる者によって。
「皮肉だね」
秀人は口の端を上げた。
権力者の身内を守ったことで、権力の根源である国が、沈没するんだから。
「さて、と」
スマートフォンの画面を閉じた。
「次は、どんなふうに動こうかな」
※次回更新は11/17を予定しています。
秀人は、咲花の奥の手を見た。もう二度と、同じ方法では負けない。
咲花と亜紀斗意外は、秀人にとって烏合の衆。実力行使など不可能。
実質上、国内で秀人と止められる者はいない。
止めるどころか、表立って捜査もできない。
秀人は自身の目的に向って、少しずつ、歩みを進める。




