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罪と罰の天秤  作者: 一布
第一章 佐川亜紀斗と笹島咲花
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第三十四話 ごめんな


 亜紀斗の実力に対して、秀人が思ったこと。


 想像通りだ。想像以上ではない。


 確かに、しっかりと鍛え上げられている。これほど強い者は、本当にごく一部だ。全国にいるクロマチン能力者の中でも、屈指の実力者だろう。


 ――でも、俺とはレベルが違うね。


 亜紀斗と戦いながら、秀人は、体の一部だけにクロマチン能力を発動させていた。内部型クロマチン。耐久力を上げているのは、左足のみ。身体能力を上げているのは、左足で蹴りを出すのに必要な部分のみ。


 エネルギーの無駄使いはしない。非常食は用意しているが、念には念を入れる。ここから逃亡することも考えなければならないのだから。


 亜紀斗と戦う秀人を、咲花はじっと見ている。彼女と秀人の距離は、概ね十メートルほどか。


 咲花は、秀人の仲間にはならないと言った。それが、亜紀斗がいるから口にした嘘なのか、それとも本心なのか。


 たぶん、本心だろう。咲花は、秀人の仲間にはならない。


『私にも、守りたいものがある』


 咲花が言った言葉。口にしたときの表情。そのときの様子が、彼女の本気を物語っていた気がする。


 亜紀斗が戦い方を変えた。エネルギーの消費量を度外視して、全力で全身を強化した。耐久力も、身体能力も。


 秀人との実力差を、エネルギー消費量で埋めようというのだろう。知能が高いとは思えないが、判断としては正しい。頭で計算した選択ではなく、動物的な本能による選択だろう。


 亜紀斗は、秀人を幻惑するように周囲を動き回った。咲花が、彼に指示した作戦だ。


 ――俺の注意をこいつに引き付けて、その隙を狙う気か。


 咲花の戦略を、秀人は推測した。


 ――だとすれば、俺が背後を向けた瞬間を、狙い撃ちするんだろうな。


 動き回る亜紀斗に対応し、秀人が体の向きを変え、咲花に背を向けた瞬間に。


 秀人は、自分の実力に絶対の自信がある。絶対の自信を持てるほど、徹底的に自分を鍛え上げた。


 亜紀斗も咲花も、他の隊員とは比べものにならないほど過酷な訓練を積んでいるだろう。


 しかし、自分は、彼等以上の訓練を積んでいる。そう断言できる。


 エネルギー消費を度外視した亜紀斗は、確かに、身体能力で秀人を上回った。恐ろしく速い。攻撃の威力が尋常ではない。


 だが、速く強いだけだ。


 秀人は、亜紀斗の能力の特徴をすでに読み切っていた。いわゆる感覚派。動物的本能で判断し、心の奥底にある暴力性で攻撃を仕掛け、生存本能で身を守る。


 特徴が読めれば、一手先の動きも読める。


 秀人は、亜紀斗の攻撃を先読みして捌き、防御の隙を突いて攻撃を当てた。


 亜紀斗が全力でエネルギーを使い始めてから、一分ほど経過した頃。彼の動きが、少し強引になった。


 秀人はすぐに察知した。


 ――咲花に、俺の背後を取らせる気だね。


 いくら身体能力が高くても、先読みできる亜紀斗の動きを封じるのは、簡単だった。


 秀人は亜紀斗の足を払い、転倒させた。彼の体が、横倒しになった。


 秀人は足を振り上げた。踵落としの体勢。倒れている亜紀斗になら、それなりのダメージを与えられるはずだ。


 振り上げた足を、叩き落とそうとした瞬間。


 視界の端で、咲花が動いた。外部型クロマチンの弾丸。


 秀人は左手を咲花の方に突き出し、防御膜を張った。振り上げた足を地面に戻し、体勢を整えた。


 咲花の放った弾丸は秀人の防御膜に当たり、霧散した。


「佐川! すぐに立て! 動け!」


 咲花の声と同時に、亜紀斗は、弾け飛ぶように立ち上がった。すぐにまた動き始める。


 亜紀斗が全力でエネルギーを使い始めてから、約七十秒が経過した。


 亜紀斗の顔が、青白くなってきた。酸欠症状が始まっている。あまりに激しい動きに、体内の酸素供給が間に合っていないのだ。それでも彼は、全力で動き続けている。秀人に幾度となく蹴られながらも。


 亜紀斗が全力でエネルギーを使い始めてから、約八十秒が経過した。


 亜紀斗の動きの速さは、落ちていない。しかし、ワンパターンな動きになってきている。疲労のせいで、多彩な動きができないのだ。


 秀人は完全に、亜紀斗の動きを読み切った。


 亜紀斗が全力でエネルギーを使い始めてから、約九十秒が経過した。


 秀人の蹴りが、面白いように亜紀斗に当たる。どんなに速く動いても、動きのパターンが分かれば、攻撃を当てるのは簡単だ。大きなダメージは与えられないが。


 亜紀斗が全力でエネルギーを使い始めてから、約一〇〇秒が経過した。


 亜紀斗の唇が紫色になっている。完全な酸欠状態だ。彼の喉の奥から、ヒューヒューという甲高い呼吸音が聞こえる。


 亜紀斗が全力でエネルギーを使い始めてから、約一一〇秒が経過した。


 亜紀斗の速度は落ちていない。だが、彼の目に宿る意思は薄く、もはや本能のみで動いている。酸欠で、意識を失いかけているのだ。


 ――もうそろそろだな。


 秀人は、亜紀斗の限界を見極めた。


 亜紀斗が全力でエネルギーを使い始めてから、約一二〇秒が経過した。


 ガクンッと、亜紀斗の膝が沈んだ。酸欠が限界に達したのだろう。常識外の動きを続けたことにより、体内の酸素を使い果たしたのだ。全身を強化する内部型クロマチンも、一気に弱まったはずだ。


 ――とどめを刺すか。


 秀人は、かすかに腰を沈めた。渾身の蹴りを放つために。


 その、次の瞬間。


 秀人の視界の左端で、咲花が動いた。


 咲花はなぜか、秀人に背を見せた。すぐ近くの塔屋に手を向けている。彼女の右手周辺の、景色が歪んだ。エネルギーを体外に放出する際の、空間の歪み。


 咲花が、外部型クロマチンの弾丸を放った。弾丸の標的は、塔屋。


 コンクリートでできた塔屋の壁が破壊され、爆散した。咲花が放ったのは、破裂型の弾丸だ。


 ほとんど同時に、予想もしないことが起こった。


 咲花が、信じられない速度でこちらに迫ってきた。


 秀人はすぐに気付いた。咲花は爆風を推進力にして、こちらに向ってきているのだと。


 秀人の高い知能は、一瞬で、咲花の戦略を推察した。


 ――高速で移動して、俺の背後を取る気か。


 秀人は瞬時に対応した。左手の指先を突き出し、咲花に向って弾丸を放った。狙いは、彼女の足元。足を撃って転倒させる。


 咲花は低空で跳び上がった。走り幅跳びのように。


 秀人の弾丸が、咲花の左足に当たった。ブーツが吹き飛んで素足が見え、隊服の裾はボロボロになった。脛やふくらはぎの皮膚が、果物の皮のように剥がれた。肉が見え、血が噴き出している。間違いなく、骨折もしているだろう。折れた骨が皮膚を突き破っている様子はないが、粉砕骨折くらいはしているはずだ。


 しかし、すでに跳び上がっていた咲花は、転倒などしない。それどころか、空中で爆風に押された彼女は、一瞬にして秀人の近くまで接近してきた。


 咲花が着地した。秀人のすぐ近く――距離にして三十センチくらいの位置に。


 あまりに予想外だった、咲花の行動。少なからず驚いた。一瞬とはいえ、戸惑ってしまう程度には。


 だが、咲花が着地した時点で、秀人は冷静さを取り戻していた。


 ――咲花を迎撃する必要はない。


 落ち着いて判断する。彼女は外部型だ。この距離で、秀人に大きなダメージを与えることは出来ない。加えて、右足だけで立っているから、すぐに転倒するだろう。


 おそらく――と、秀人は推測した。


 おそらく咲花は、秀人の背後を取つもりだったのだ。秀人が亜紀斗にとどめを刺そうとする、一瞬の隙を突いて。


 隙を突いて秀人の背後を取り、適切な距離から全力で弾丸を放とうとした。


 しかし、咲花は失敗した。着地した角度は悪くない。秀人の背後に近い。ただ、距離が悪い。少なくとも、あと一メートルは離れた位置に着地すべきだった。


 破裂型の弾丸で爆風を起こし、推進力にする――という発想も見事だと思う。少なくとも秀人には、そんな発想はなかった。


 秀人に接近した状態で、ゆっくりと転倒しながら、それでも咲花は弾丸を撃とうとした。彼女の左手周辺が、歪んで見える。


 この距離では、弾丸は威力を発揮できない。


 外部型クロマチンで放出されたエネルギーには、柔軟性と衝撃吸収性がある。そのエネルギーに攻撃的な威力を持たせるには、一定の飛行距離が必要だ。それが、概ね一メートル。たった三十センチの距離では、弾丸に威力を与えられない。


 ――防ぐ必要もない。このまま咲花の弾丸を受けて、カウンターで仕留めるか。それとも、咲花を無視して亜紀斗を攻撃するか。


 秀人が考えたのは、その二択だった。咲花の攻撃に対する警戒など、微塵もなかった。


 だが、コンマ一秒にも満たない間に、秀人は無数の思考を繰り広げた。


 ――本当に、その二択でいいのか?


 亜紀斗が来る前に、秀人は咲花と戦った。彼女は確かに、自分には遠く及ばなかった。とはいえ、彼女の能力は高い。胆力もある。この重要な場面でミスをするなど、考えられない。


 では、咲花は、わざとこの距離に踏み込んできたのか。


 どんな意図があって?


 秀人は、外部型と内部型の双方の能力を、限界まで鍛え上げた。考え得る技術の全てを習得している。その知識と技量をもってしても、咲花の意図は読めない。理論的に考えるのなら、この距離に着地したのは、彼女のミスだという結論に至る。


 でも、もし。


 もし、秀人の知らない攻撃手段があるとしたら?


 咲花に、秀人ですら予測できない奥の手があるとしたら?


 ほんの一瞬前にも、咲花は、予測できないことをした。爆風を受けて接近するという、秀人にはなかった発想。


 それなら、何かあるはずだ。警戒すべきだ。


 咲花が着地してから、わずか〇・〇五秒。秀人は結論を出した。


 ――一旦は身を守るべきだ。


 結論を出し、秀人は瞬時に行動した。内部型クロマチンの発動。左脚だけではなく、胴体も強化する。耐久力の向上。銃弾すら効かないくらいに高めようとした。


 転倒しそうな咲花。体を傾かせながらも、左手を、秀人に突き出してくる。外部型クロマチンの弾丸を生成した、左手。


 秀人の胴体にエネルギーが回ってゆく。耐久力を上げる、内部型クロマチンのエネルギー。


 後になって、秀人は思うことになる。


 少しだけ遅かった、と。


 ――身を守る判断が、少しだけ遅かった。


 咲花の左手が、秀人の右脇腹に到達した。


「――!?」


 凄まじい衝撃が、秀人の肝臓まで響いた。同時に、ボキボキッという鈍い音が、骨伝導によって頭に響いた。肋骨が折れた音。確実に三本は折れた。


 折れた骨は、ズレてはいない。内臓に突き刺さりはしなかった。もっとも、その痛みは尋常ではない。


 同時に、呼吸を阻害する苦痛が秀人を襲った。肝臓への衝撃。息を吐くことも吸うことも封じる急所。


「……ぁ……っ……」


 声にならない苦悶。息が詰まる。体から力が抜ける。


 秀人は思わず、その場に膝をついた。こんなダメージを受けたのは、初めてだった。


 ――いや。


 初めてではない。児童養護施設でいじめられていた時以来か。


 膝をつき、地面に伏せながら。

 秀人は、弱かった頃の自分を思い出した。何もできなかった、幼い自分。何も守れなかった、弱い自分。


「佐川!」


 秀人のすぐ近くで、転倒した咲花が大声を上げた。


「私はもう動けない! 秀人さんを捕らえて! 早く! 早くして!」


 咲花の声には、必死さが見て取れた。その声が、彼女自身の限界を物語っていた。


 亜紀斗はすぐに動いた。彼自身も、酸欠で余裕などないだろうに。(うずくま)る秀人の両腕を、強引に後ろに回させた。そのまま、手錠を架けてきた。


 呼吸すらままならない秀人に、抵抗する力などなかった。ダメージの大きさから、あと一、二分は動けないだろう。


 信じられなかった。今の自分が負けるなんて。


 今の自分には、絶対的な力があると思っていた。守りたいものを守れる力。壊したいものを壊せる力。


 弱かったあの頃とは違うと、確信していたのに。


 なぜか、姉の言葉が思い浮んだ。彼女が秀人に向けた、最後の言葉。


『秀人までひどい目に遭ったら、私達は、もう生きていけないの。せめて、秀人だけは守りたいの。だから、約束して』


 呼吸ができないから、言葉を発することもできない。ただ、唇だけを動かした。無意識のうちに、唇が動いた。


「ごめんな、姉さん」


 どういう意味での謝罪なのか、自分でも分からないままに。


※次回更新は10/27を予定しています。


圧倒的な力の差があるはずだった。

今の自分なら、何もかもを思い通りにコントロールできると思っていた。

それなのに、負けた。


倒れた秀人は、何を思うのか。これから、どうするのか。

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― 新着の感想 ―
第一章のクライマックス! という感じで、やっと秀人をおさえられたなあと、ホッとすること同時に「いや、ほんとにこの人、このまま大人しく捕らえられるの?」という不安が拭えません。 頭がよくて、さまざまな…
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