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罪と罰の天秤  作者: 一布
第一章 佐川亜紀斗と笹島咲花
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第二十九話① 思いを馳せる(前編)


 チラチラと、雪が降ってきた。


 かきつばた中学校の屋上。


 落下防止の柵に寄り掛かりながら、秀人は空を見上げた。雪が一片(ひとひら)、顔に落ちて溶けた。冷たい。


 ――父さん。母さん。姉さん。


 愛する者達に、呼び掛ける。尊厳を奪われて、命を奪われて、それでも秀人を守ってくれた家族。


 ――この国は、これからどんどん変わってゆくよ。


 秀人は全国を回り、人を唆し、ときには脅し、銃を使わせて事件を起こさせた。


 事件が起きた、様々な場所。その多くが、閉店や閉鎖に追い込まれた。犯行現場の近隣にも影響が出た。安全を求めて去った人が多数出た。


 銃を持たずとも、犯行を模倣する者も出てきた。店舗や銀行の強盗。人が集まる場所での、無差別殺人。


 この国の治安は、確実に悪化してきている。


 治安の悪化は、社会情勢に歪みをもたらす。


 もっと歪ませ、壊していこう。


 歪み、揺らいだこの国の情報を、周辺の国々に流そう。


 国が沈没に向い始めたら、事実を公開してやろう。この国が、どれだけ腐っていたのかを。腐ったこの国に、復讐する人間がいることを。


 秀人は視線を動かした。空を見上げていた目を、真正面に向けた。屋上の扉がある。


 扉のある塔屋(とうや)は、縦、横、高さともに五メートルほどで、コンクリートで出来ている。秀人の位置から塔屋まで、約二十メートルといったところか。


 最初にあの扉から屋上に来るのは、誰だろうか。咲花だろうか。それとも、佐川亜紀斗だろうか。あるいは、SCPT隊員が複数で来るのだろうか。


 咲花以外は、全員殺そう。彼女以外は不要だ。


 ゆっくりと息を吸い込んで、秀人は歌を口ずさんだ。


 秀人には絶対音感がある。さらに、声の音域も広く、声帯模写もできる。男女問わず、様々な声色で歌える。


 昔、家族の前で歌ったとき、皆が褒めてくれた。姉は「将来はミュージャンだね」と言ってくれた。


 口ずさむ歌は、姉が好きだったバンドの曲。悲しげな歌い出し。サビの部分で、大きく盛り上がる。サビが過ぎると、また、悲しげな曲調。どこか痛みを感じさせる歌詞。二番目のサビも過ぎて、長い間奏。最後のサビに入る前の、激しくも悲しい曲調。


 秀人は頭の中で、間奏を流した。姉が好きだった曲。姉が好きなものは、秀人も好きだった。だから、この曲はよく覚えている。あれから二十五年経った今でも。


 頭の中の間奏が終わり、最後のサビを歌い出そうとした。


 その直前。


 ギイッと音が鳴って、屋上の扉が開かれた。


 歌い出そうとした口を閉じ、秀人は、開かれた扉をじっと見た。


 久し振りに見る顔が、そこにはあった。綺麗な顔立ち。六年前まで、秀人の後輩だった女性。


 笹島咲花。


 秀人を見て、咲花は、少しだけ驚いた顔をした。すぐに真顔に戻って、屋上に足を踏み入れた。秀人に対して警戒の色を見せながら、扉を閉めた。


 咲花は、じっと秀人を見ている。いきなり仕掛けてくる様子はない。もっとも、距離があり過ぎて仕掛けられないだけかも知れないが。


 寄り掛かっていた柵から、秀人は背中を離した。


 しばし、沈黙が流れた。


 二人とも、その場から動かなかった。ただ、視線だけ交わしている。


 このままじっとお見合いをしていても、意味がない。まずは、こちらから声を掛けよう。静かに、秀人は切り出した。


「久し振りだね、咲花」


 少しだけ、咲花はこちらに近付いてきた。外部型の弾丸が届く距離になったら、いきなり仕掛けてくるのだろうか。


 五メートルほど近付いてきて、咲花は足を止めた。仕掛けてくる様子はない。


「久し振り、秀人さん」

「うん。六年振り」


「ずいぶんのんびりしてるんだね。歌なんて歌って」

「これから最後のサビに入るところだったんだけどね。咲花が来たから中断しちゃった」


 秀人は肩をすくめて見せた。咲花に笑顔を向けながら。


「で、俺を捕まえに来たの? それとも、殺しに来たの?」

「捕まえに、ね。色々と聞くことがあるから」


「何を聞きたいの? 何なら、ここで話そうか?」

「話してくれるなら、録音するよ。後々の手間が省けるし」


 咲花は、隊服のポケットからスマートフォンを取り出した。秀人から警戒を解かず、操作している。


 秀人は再度、柵に寄り掛かった。


「もし俺が全ての質問に答えたら、殺すの?」


 一瞬だけ、咲花の手が止った。

 構わずに、秀人は続けた。


「俺がいなくなってから、六年か。咲花は二年くらい前から、色んな奴を殺してるみたいだね。俺が銃を渡した奴等も、ずいぶん咲花に殺されたみたいだし」

「……どこまで知ってるの?」


 咲花は、スマートフォンをポケットに戻した。会話は録音しているのだろうか。


「色々と調べたからね。咲花が、現行犯の凶悪犯を殺してることも。咲花の、昔の――お姉さんが殺された事件も」


 咲花の目線が強くなった。殺意を感じる。しかし、やはり仕掛けてくる様子はない。


「美人女性監禁虐殺事件。全国的にも有名な事件だよね。少し調べれば、咲花が被害者遺族だってことはすぐに分かったよ」


「……それがどうしたの? 秀人さんと、何の関係が?」


 突き刺さるような、咲花の殺意。この殺意だけで、人を殺せそうだ。


「そんなに恐い顔しないでよ。俺は、咲花の味方のつもりだよ」

「味方? 失踪して犯罪者になった人が、何を言ってるの?」

「まあ、そう言わずに聞いてよ」


 殺気を隠そうともしない咲花に、秀人は、両手の(てのひら)を向けた。落ち着いて、という意思表示。


「俺は、この国の在り方に疑問を持ってるんだ。咲花もそうだろう? この国はおかしい。死ぬべき者が殺し、生きるべき者が殺される。でも、国は、死ぬべき者に甘い。咲花もそう感じてるんじゃないのか?」

「……」


 咲花は無言だった。秀人の言葉を、肯定も否定もしない。しかし、心の中では肯定しているはずだ。


「咲花のお姉さんが殺された事件は、犯罪者予備軍にとっては、悪い意味でのモデルケースになった。あの事件後に凶悪な犯罪を起こした未成年は、その多くが口にした。『あの事件の犯人ですら死刑にならないんだから、俺が死刑になるはずがない』って」


 咲花はやはり、無言だった。言いたいことも感じていることも、山ほどあるはずなのに。


「凶悪な犯罪者でも、人権がある者として扱われる。正当な裁判を受ける権利を与えられる。人権派を名乗る弁護士が、詭弁を口にして犯罪者を守る。過去の判例に縛られる裁判官が、現在の状況を見ずに判決を下す」


 咲花は、二年前から凶悪犯を殺し始めた。その事実から、秀人が推測したこと。彼女が姉の事件を知ったのは、そのタイミングなのだ。


「裁判員制度によって、一般の意見も判決に反映されるようになった。でも、裁判員といっても、所詮は法律の素人だ。制度としても、裁判官の意見がより強く通る。大切な人を失う痛みも、大切な人を助けられなかった罪悪感も知らない、裁判官の意見が」


 身内が事件に巻き込まれ、命を失ったとき。当然だが、被害者遺族は、理不尽な犯罪と身勝手な犯人を憎む。憎しみを糧に、犯人の死刑を望む。


 しかし、その望みは、大抵のケースで叶わない。犯人には、犯行に見合わない判決が下る。判決が出たことで、仇を討つことも許されず、事件は終結する。


 でも、被害者遺族にとっては、何も終わらない。弔いとも言える裁判を終えた後、遺族を待つのは、罪悪感だ。


『愛する人が殺されたのに、自分は幸せになっていいのか』


 笑ってしまったら、笑った自分に罪悪感を覚えて、涙が出る。

 好きな人ができても、殺された家族が頭に浮かんで、自分の気持ちを押し殺してしまう。

 楽しいことを見つけても、楽しんではいけないと思ってしまう。


 だから咲花は――姉を殺された妹は、凶悪な犯罪者を殺しているのだろう。ほんの少しでも、被害者遺族の傷や罪悪感を、和らげたくて。犯人の死という結果によって、被害者遺族にとっても事件を終わらせたくて。


「犯罪者の再犯率って、実は、一般人が思ってるよりも高いんだよね」


 ふう、と秀人は、小さく息を吐いた。冷たく白い息が、空中に消えていった。


「凶悪犯に相応しい罰を与えず、たった数年でシャバに解き放つ判決。でも、その凶悪犯は、シャバに出たらまた罪を犯す。被害者を生み出す。でも、判決を下した人間は、何の責任も負わない。自分達の行為が――自分達の判断が新たな被害者を生み出したって、気付きもしない」


「どの口が言うの?」


 咲花が沈黙を破った。殺気に満ちた表情は変わらない。


「秀人さんだって、犯罪者でしょ? クソみたいな奴等に銃を渡して、多くの人を殺させた。裁判になったら、どんな裁判官でも――」


 一瞬だけ、咲花は言葉を切った。何かを思い出した様子だった。すぐに、何もなかったように言葉を繋いだ。


「――どんな裁判官でも、絶対に死刑判決を下すくらいに」


 今の咲花の反応で、秀人は悟った。彼女は知っているのだ。SCPT隊員は――クロマチン能力者は、死刑にはならないことを。死刑どころか、裁判を受けることもないと。


「うん、まあ、そうだね」


 秀人は、咲花の言葉を肯定した。世間一般の目で見たら、自分は、これ以上ないくらいの凶悪犯だろう。国中の誰もが死刑を望むくらいの。それこそ、咲花の姉を殺した犯人達のように。


 しかし――


「でもね、俺には俺の事情があるんだよ」

「事情?」

「そう。俺は――」


 言いかけて、秀人は軽く息をついた。


「――いや。俺のことはどうでもいいや」


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