第二十七話 それでも信念は貫く
校内に侵入してから、咲花と別行動を取った。
玄関側の階段から、二階に上がった。
そこで亜紀斗が見たのは、地獄絵図と化した廊下だった。
血を流した遺体が、いくつも転がっている。逃げようとしたところを、背後から撃たれた遺体。撃たれた瞬間に絶命せず、這うようにしばらく進み、力尽きた遺体。帯のような血痕や、流れ広がった血。壁に付着した血。
パアンッと、爆竹のような音が聞こえた。サイレンサーを付けた銃の、発砲音。
二年三組からだった。教室のドアは、閉まっている。
亜紀斗は足音を立てず、二年三組に接近した。ドアの前に張り付き、聞き耳を立てる。
教室内から、震える声が聞こえてきた。
「……許して下さい……助けて下さい……」
泣きながら許しを請う声。直後、笑い声が聞こえてきた。
「なっさけねぇ。泣いちゃってるよ」
「あんまり動くなよ。当たらないように撃ってやってるんだから。動くと当たるぞ?」
また銃声。
直後に悲鳴。
「あ。悪い。少し当たったわ。手元が狂った」
泣き声が響いた。
「そんなに泣くなよ。擦っただけだろ? 大した怪我じゃないって」
聞こえてくる声から、容易に理解できた。犯人達は、このクラスの生徒を痛めつけ、楽しんでいるのだ。銃声や声の反響具合から、教室内での位置関係も概ね推測できた。教壇の前にいる生徒を、犯人達が狙い撃ちにしている。
居ても立ってもいられず、亜紀斗は、思い切り教室のドアを開けた。
教室内にいる人達の視線が、亜紀斗に集まった。
二年三組。教室の中の様子は、概ね、亜紀斗が推測した通りだった。
教壇に追い詰められた生徒が、足から血を流している。その場で縮こまり、体を震わせていた。足の怪我は、犯人達の言う通り、それほど深くない。銃弾が擦っただけだろう。とはいえ、彼が感じている恐怖は相当なもののはずだ。
教壇から少し離れた位置――教室の中心あたりに、銃を持った少年が三人。彼等が、この事件の犯人だろう。
窓際には、このクラスの生徒達が集められている。全員が震え、目を伏せ、あるいは抱き合い、泣いていた。教師と思われる男性は、頭を抱えながら蹲っている。
「何だお前!?」
犯人達が、亜紀斗に向って発砲してきた。躊躇う様子など微塵もなかった。
銃弾は、割と的確に亜紀斗に当たった。ある程度の射撃訓練を受けている、と分かる。あくまで「ある程度」というくらいの正確さ。
もっとも、内部型クロマチンを展開している亜紀斗には効かないが。
亜紀斗は犯人達に向っていった。彼等が反応できない速度で接近すると、力尽くで銃を奪い取った。
銃が効かず、しかもあっさりと奪い取られた。自分達の状況が理解できないのか、犯人達は、目を見開いて呆然とした。
彼等の目の前で、亜紀斗は銃を破壊した。銃身を強引にひん曲げた。
「え……は……え?」
三人の犯人は、口々に、間抜けな声を漏らしていた。目をパチパチとさせて、自分の手と亜紀斗に破壊された銃を、交互に見ている。一瞬前まで自分達の手にあった銃が、今は、亜紀斗の手にある。しかも、壊されている。その事実に、明かに困惑している。
亜紀斗は、破壊した銃を適当に放り投げた。ガチャンという金属音が、三つ鳴った。
ようやく状況を理解できたのか、犯人達は、少しだけ後退りした。亜紀斗から逃げるように。彼等の足が、震え始めた。自分達の状況がわかって、恐くなったのだ。
「あ……あ……」
震える足で、一歩、一歩、後退する犯人達。しかし、震える足がもつれ、一人がバランスを崩した。バランスを崩した犯人は、転倒する際、他の二人に手を伸ばした。反射的な行動だろう。転びそうになったから、掴まろうとした。
掴まれた二人の足も、震えている。そんな状態で、転倒する者を支えられるはずがない。結局、三人とも、その場に転倒した。
倒れた三人を、亜紀斗はじっと見下ろした。
三人は、見開いた目に涙を浮かべている。強い力で弱者を虐げていた者達が、さらに強い力に怯えている。
「……」
亜紀斗は、これから口にすべき言葉を考えた。いつもは――江別署にいた頃は、考えるよりも先に、言葉が口を突いて出たのに。犯人を説得し、あるいは更生させようとする言葉。
それなのに、今日は言葉が出なかった。
目の前にいる犯人達。彼等は、いじめられていた。その内容がどんなものだったのか、詳細までは分からない。ただ、学校から逃走した生徒達から、明確にいじめられていたという証言を得ている。つまり、明確な証言を得られるくらい、ひどいいじめられ方をしていたのだろう。
同情の余地は、十分にある。同情の余地がある境遇なのだから、更生させるべきだ。ここで突き放すのではなく、罵るのでもなく、じっくりと言い聞かせるべきだ。
『いじめられて、辛かっただろう?』
『苦しかったよな』
『それでも、人の命を奪うことは許されない』
『正当な理由なく人を傷付けることは、許されない』
『だから、これから、償って生きなければならない』
『お前達が奪ってしまったもの以上のものを、作り上げなければならない』
犯人達に言い聞かせるべき内容は、はっきりと、頭の中にある。
けれど、言葉が出なかった。亜紀斗の心に浮かぶのは、以前の――チユホでの、咲花の言葉だった。
『女の子達の人生は、こいつらが変わるための踏み台なの?』
『この面がこの世にあるだけで、被害者は救われない。こいつがこの世から消えることで、ほんの少し――ほんの少しだけど、被害者の傷が癒されるの』
凄惨な事件の被害者。その遺族である咲花。そんな彼女だからこそ、実感を伴って吐き出された言葉。
目の前の、怯えている犯人達。彼等は、いじめの被害者だ。
いじめの加害者達は、行方不明になっている。つまり、今日殺された人達には、何の落ち度もない。少なくとも、この犯人達に対しては。
それなのに殺された。大勢殺された。
殺された人達には、それぞれの人生があったのに。殺された人達には、その死を悲しむ家族がいるのに。
無関係な人達を殺めた、犯人達。自分より弱い者を虐げた犯人達。いじめられていたなら、強者に虐げられる辛さを分かっているはずだ。誰よりも、痛みや恐怖を理解しているはずだ。
それなのに、自分達が強力な力を手に入れた途端、弱者を踏み潰した。下劣な笑い声を上げながら。
この犯人達が、更生などするのか。償いなどするのか。
再び、咲花の言葉が頭に浮かんだ。
『こんな奴が、反省なんてすると思う? 償いなんてすると思う?』
チユホの事件のとき、亜紀斗は、咲花に、何の反論もできなかった。ただ、自分の目標が薄れてゆくのを感じていた。自分の理想が、崩れてゆくのを感じていた。
自分を更生させ、目標をくれた先生。
理想に向う自分を支え、最後まで励ましてくれた彼女。
亡くなってしまった大切な人達に報いたくて、必死だった。一生孤独のまま、ただ理想を追い続けて生きるつもりだった。彼女達に報いるために。そう決意していた。
そんな決意すら、チユホの事件の日に、崩れかけた。
亜紀斗は、隊服のポケットから手錠を取り出した。三つ。尻餅をついた犯人達に、手錠を架けた。抵抗などできないよう、後ろ手に。
両手を拘束された犯人達は、泣いていた。
彼等の涙は、罪悪感から流れたものか。それとも、恐怖からか。あるいは、後悔か。
以前の亜紀斗は、先生のようになりたくて必死だった。だから、ひたすら理想に向って前進していた。犯人の特性など――その犯人が更生可能かなど、考えたこともなかった。考えることもなく、ただ、理想を口にしていた。
だから今は、何を言えばいいか分からない。咲花の言葉のせいで、犯人達の人物像を考えてしまうから。
犯人を目の前にして。
ただ沈黙を続けて。
考えて、考えて。
言葉が出なくなっている、亜紀斗の頭の中で。
『佐川さん』
声が響いた。自分を呼ぶ声。
先生の声ではなかった。亡くなった彼女の声でもない。もちろん、咲花の声でもない。
麻衣の声だった。
『佐川さんを訪ねてきた人、元犯罪者の人だったんですね。佐川さんに会って、何度もお礼を言って。でも、「被害者の方には許してもらえてない」って俯いて。佐川さんは、「償いは、許されることを期待するものじゃない。自分が壊してしまったもの以上のものを作り上げることだ」って諭してて』
麻衣が、亜紀斗のことを好きになってくれたきっかけ。
気持ちが沈んでいた亜紀斗を、抱き締めてくれた麻衣。
亜紀斗は、大きく息を吸い込んだ。肺に目一杯溜めた空気を、大きく吐き出した。
気持ちを引き締めるように、亜紀斗は、自分の両手で頬を叩いた。パンッと、乾いた音が響いた。
教室にいる生徒や教師は、涙が止った目を丸くしている。
犯人達は、相変わらず泣いている。
「おい」
亜紀斗は、犯人達に声を掛けた。諭すような優しい声ではない。十年前の自分のような、低い声。
「お前達、いじめられてたんだろ?」
亜紀斗が聞くと、彼等は、体を大きく震わせた。それは、先ほどまでの恐怖の震えではない。免罪符を手に入れた――そんな顔になった。
「そうだよ! 滅茶苦茶いじめられてたんだ!」
「毎日殴られた! 金も取られた! 恥ずかしいことだってさせられたんだ!」
「仕返ししたかったんだよ! だから、仕方ないだろ!?」
犯人達は、口々に、自分達がどれだけひどい目に遭っていたかを語った。陰湿ないじめの内容。彼等の言葉が本当かどうかは、亜紀斗には判断できない。同情を誘うために、大袈裟に語っているのかも知れない。
でも、ただ一つ、言えることがある。
「あのな、お前等――」
亜紀斗はしゃがみ込み、犯人達を睨んだ。十年前に、喧嘩の相手を睨み付けていたときのように。
「――お前等が殺した人達は、お前等をいじめてたのか?」
「!」
途端に、犯人達は黙った。気まずそうに、亜紀斗から目を逸らした。
「百歩譲って、いじめてた奴等を殺したなら、仕方がないかも知れない。けどな――」
今日殺された人達は、犯人達に危害を加えていない。いじめを黙認していた教師はいたようだが。少なくとも、殺された生徒には何の罪もない。
「――自分の力を見せつけて、自分より弱い奴を標的にして、痛めつけて楽しむ。お前達がやったことと、お前達をいじめてた奴等がやってたことって、同じじゃねぇか?」
――亜紀斗は知らない。ほんの数分前に、すぐ上の教室で、咲花が同じような言葉を口にしたことを。
亜紀斗から目を逸らしたまま、犯人達は、口を少しだけ動かした。声は出ない。何かを言いたいが、言えない。そんな様子だった。
彼等が言いたいのは、謝罪の言葉か。それとも、こんな犯行に走った言い訳か。
犯人達の心情は、亜紀斗には分からない。分からないから、ただ告げた。
何人殺しても死刑にならない年齢の彼等が、これから、どう生きるべきか。
「お前達は大勢の人を殺した。どれだけ償っても償い切れないし、殺された人の命は戻らない。殺された人達の家族の傷も、癒えることはない」
一呼吸だけ、亜紀斗は間を置いた。頭に浮かぶのは、自分の人生を変えた言葉。
「ただ、それでも。償いは、許されることを期待するものじゃない。自分が壊してしまったもの以上のものを、作り上げることだ」
この言葉のおかけで、自分は変われた。暴力の中で生き、手負いの獣のように暴れていた自分が。そんな自分なのに、好きだと言ってくれる人すら現れた。全部、この言葉がきっかけで。
犯人達は、再び泣き出した。
彼等の涙の理由は、やはり、亜紀斗には分からない。後悔なのか。反省なのか。罪悪感なのか。あるいは、人を殺してもなお、自分だけが可哀相で泣いているのか。
亜紀斗は立ち上がった。最後に一言だけ、彼等に伝えた。
「一生、償い続けて生きろ」
亜紀斗は、ポケットからスマートフォンを取り出した。犯人を拘束したことを、藤山に報告しなければならない。
スマートフォンの画面を開くと、特別課で使用しているアプリに、数字のバッジが表示されていた。このバッジは、メッセージや着信があった数だ。「7」とある。
亜紀斗はアプリを開いた。藤山から、七回も電話がきていた。何かあったのだろうか。アプリを操作して、藤山に電話を架けた。
一コールと待たずに、すぐに藤山が出た。
「隊長。犯人を拘束――」
『亜紀斗君! すぐに屋上に向って!』
藤山は、彼らしくない声を上げていた。語気が強い。その声から、いつもの胡散臭い笑顔など思い浮ばない。
驚いて、亜紀斗は言葉に詰まった。
「あの、隊長、どうし――」
『いいから早く屋上に行け! 咲花が殺される! 早く!』
「!?」
藤山の言葉に、亜紀斗は目を見開いた。
――咲花が殺される――
咲花は強い。彼女の強さは、亜紀斗が一番よく分かっているつもりだ。
彼女が殺されるところなど、まったく想像もつかない。
だが、藤山の様子から、彼がいい加減なことを言っているとは思えなかった。咲花に「君」すら付けず、彼女の危機を伝えている。
「すぐに行きます。犯人は拘束したので、後は頼みます」
電話を切って、亜紀斗は教室から駆け出した。




