第二十三話 こんなものは本当の地獄じゃない
秀人は、かきつばた中学校の屋上にいた。
十二月三日の、午前十一半時。緩く吹く風が冷たい。
この中学校を襲撃したのは、今から約一時間前だった。
午前十時半頃。秀人は、学校内に足を踏み入れた。いじめの元被害者である、六人を引き連れて。
学校の玄関口には、事務室がある。そこにいた事務員を、全員、銃で撃ち殺した。クロマチンで殺すこともできたが、あえて銃を使った。元被害者達に、無言で伝えるために。
『こんな強力な武器を、お前達は持ってるんだ。こんな強力な武器を使えるお前達は、無敵なんだ』
元被害者達は、いじめの加害者を銃殺している。人殺しに対する抵抗が、すっかり薄くなっている。その証拠に、彼等は、事務員達が殺されても平然としていた。
秀人は、元被害者達に、銃を一丁ずつ持たせた。銃弾は、それぞれ一〇〇発ずつ。通学鞄に入れて持たせている。
彼等に、計画の内容を改めて指示した。
『三人ずつ、二組に別れて行動するよ。一組は二年三組、もう一組は三年三組――お前達のクラス。それぞれ、襲撃する』
この中学校は、一年の教室が一階、二年の教室が二階、三年の教室が三階にある。各学年に、五クラスずつ。
『お前達が襲撃している間に、俺は、他の教室の生徒や教師を追い詰めるから』
指示をしつつ、元被害者達の心を煽った。
『犯行声明文は、もう出してある。お前達の力を、存分に見せて付けてやるんだ』
元被害者達は、乗り気だった。学校や世間に、自分の力を知らしめることができる。口元には笑みを浮かべ、目は血走っていた。明かな興奮状態。まるで、現場に戻る放火犯のようだった。
『ただ、万が一に備えて言っておくよ』
興奮し、いきり立っている元被害者達に、秀人は優しい笑顔を向けた。これから凶悪な犯罪を行うとは思えない、温かく包み込むような笑顔。
『絶対にないと思うけど――もし、警察の部隊が乗り込んできて、お前達が捕まってしまったら。そのときは、ひどいことをされる前に、俺の情報を提供するんだ。そうやって降参の意思を示せば、多少は扱いが優しくなるだろうから』
SCPT隊員が突入してきたら、銃を持っただけの中学生に勝ち目などない。勘違いでしかない自信を得た彼等は、瞬く間に制圧されるだろう。そして、秀人の居場所と情報を吐く。
『俺はね、お前達の価値をよく分かってるんだ。お前達なら、こんな襲撃だけじゃなく、もっと大きなことができる。そんなお前達を、失いたくないんだよ。だから、無理はしないって約束して』
元被害者達は、すでに秀人を盲信している。彼等は、秀人の言葉に感激していた。目に涙を浮かべる者さえいた。
元被害者達をあまりに上手くコントロールできているので、秀人は、つい笑いそうになった。
『俺は屋上に行って、外の様子を観察してるから。何かあったら、俺の携帯に連絡して』
元被害者達は口々に返事をし、校内に乗り込んだ。
彼等に遅れること一分ほど。
秀人はまず、一階の、一番奥にある教室に乗り込んだ。一年五組。教室の前後に、一つずつドアがある。校舎奥側のドアを開けた。すでに授業が始まっていた。
突然ドアを開けた秀人を見て、教師も生徒も、唖然としていた。
適当に銃を撃った。適当に殺した。
飛び散る血。撃たれ、死体となって倒れる、教師や生徒。机や壁には血痕ができ、倒れた死体からは血が広がった。
一瞬の静寂。
直後、混乱が発生した。
沸き起こる悲鳴。ガタガタと音を鳴らし、椅子から立ち上がる音。皆が、玄関側のドアから、次々と逃げ出した。蜘蛛の子を散らすように。
混乱の様子は、隣りの教室にも伝わったようだ。隣りの教室で授業をしていた教師が、様子を見に来た。
銃を撃った。命中。教師が倒れ、血を流して動かなくなった。
他の教室から、顔を出して様子を見る生徒がいる。こちらに向ってくる教師がいる。
秀人はさらに銃を発砲し、殺した。
十五発撃つと、弾が尽きた。
今の秀人の服装は、黒いカーゴパンツに黒いダウンパーカー。ダウンパーカーの中には、ややゆったりとしたトレーナー。
ダウンパーカーのポケットから、銃弾を取り出した。
改造銃のマガジンを抜いて、銃弾を装填する。
銃弾が尽きた隙を見て、ジャージを着た中年の男が、秀人に向ってきた。体育教師だろうか。外部型クロマチンで撃ち殺した。
突然の、銃を持った男の襲撃。一階はパニック状態になった。悲鳴や泣き声が、そこら中で響いている。教師も生徒も、我先にと、玄関に向って逃げてゆく。
逃亡した誰かが、警察に通報するだろう。すぐに、SCPT部隊に出動要請が出るはずだ。
咲花は、道警本部でも屈指の隊員だ。武装犯罪の鎮圧となれば、必ず参加することになる。彼女を仲間に引き込めば、もっと行動しやすくなる。
咲花以外に突入してくる隊員がいたら、殺せばいい。小耳に挟んだ、佐川亜紀斗という隊員も。
秀人は、自分の実力に絶対の自信があった。一億人に一人とも言われる、内部と外部双方の資質を持ったクロマチン能力者。道警本部の特別課に所属していたときも、一人を除いて、秀人と渡り合える者はいなかった。その一人も、今はもう隊員ではない。
「さて、と」
小さく呟いて、秀人は、校内の構造を頭に浮かべた。
この校内には、二つの階段がある。一つは玄関側の階段。もう一つは、校舎の奥にある階段。
秀人は、現在地から近い校舎奥の階段に足を運んだ。二階に昇る。廊下に出て、二年五組の近くから、二階全体の様子を伺った。
二年三組に襲撃した元被害者達は、すでに行動を開始しているようだ。教室のドアが開いていて、その前で、二人の教師が倒れている。二人とも、動く様子はない。流れ出ている血。すでに死んでいるか、瀕死の状態なのか。
二年三組の前では、数人の生徒と教師が、教室内に向って訴えていた。元被害者達を説得する言葉。
秀人は銃を発砲した。三組の教室付近にいる教師が、一人倒れた。飛び散る血が、秀人の位置からでも見えた。ゴンッと、床に頭が叩き付けられる音。しばしの静寂の後、廊下に悲鳴が響いた。
秀人は、すぐ近くの二年五組に入った。混乱状態の教室。二年三組が襲撃されたことで、パニックになっている。怯えた表情の面々。突如教室に入ってきた秀人を、目を見開いて凝視していた。
教室内の人間に向って、秀人は銃を構えた。
「ほら。逃げないと死ぬよ」
言いつつ、一発発砲。男子生徒の一人に当たった。
生徒達は、秀人が入ってきたドアとは別のドアから、一斉に逃げ出した。
秀人に、彼等を追うつもりはない。狭いドアから一気に逃げ出そうとし、詰まり、何人かが転倒しても、秀人は何もしなかった。ただ、全員が逃げるのを待った。
二年五組の教室が無人になると、窓際に足を運んだ。
この学校の教室は、校舎玄関から見て側面にある。つまり、玄関から侵入してくる者を、教室から発見することはできない。
――犯人が教室に籠城してるいと知れば、SCPT隊員は、玄関から侵入してくるだろうな。
教室の窓からは、近くの商業施設が見える。
秀人は二年五組から出て、二つ隣りの二年三組に行った。
元被害者三人が、すでに、教室内にいる全員を大人しくさせていた。生徒も教師も窓際に集まり、教室の中央にいる元被害者達を、震えながら見ている。撃たれた生徒が二人、机に突っ伏すように死んでいた。
「や。お疲れ様」
元被害者達に声をかけた。彼等は表情を明るくして、秀人に視線を向けた。
「どう? 上手くいってる?」
「はい! 狙いも外さないでちゃんと撃てました!」
「そっかそっか。流石だね」
秀人が褒めてやると、元被害者達は嬉しそうに笑った。
「俺です! 俺! 俺が殺したんですよ!」
「俺もです! 一発で当てました!」
三人のうちの二人が誇らしげに言うと、残りの一人は、少し悔しそうに俯いた。
秀人は、俯いた元被害者の頭に、優しく手を置いた。
彼が顔を上げて、秀人を見た。
「ほらほら。そんな顔しない。お前だって凄いんだから」
そう言うと秀人は、窓際に集まっている生徒や教師を指差した。
「ねえ。あの中で、誰が一番ムカつく面してる?」
元被害者は、じっと窓際を見た。集まっている教師や生徒。眼球を動かし、じっくりと観察している。
「あいつですね。あの、茶髪の奴」
「そっか」
秀人は、元被害者の肩に手を置いた。
「じゃあ、あいつを撃ってみようか」
こちらの話が聞こえたのだろう。茶髪の生徒の顔が、目に見えて青ざめた。周囲にいた人達は、彼から少し離れた。
「大丈夫。お前なら、一発で当てられる」
促されて、元被害者は銃を構えた。
茶髪の生徒は、腰を抜かしてその場に尻餅をついた。「やめて、やめて」と、泣きながら訴えている。
元被害者が、引き金を引いた。
銃弾は、茶髪の生徒の眉間辺りを撃ち抜いた。撃たれた衝撃で、窓際の壁に後頭部を打ち付けた。ゴンッという音の直後に、ビクンビクンッと痙攣した。間もなく死ぬだろう。
秀人は、銃を撃った元被害者の頭を撫でた。
「さすがだね。俺が見込んだだけのことはあるよ」
パッと、元被害者の顔が明るくなった。
秀人は唇の端を上げながら、たった今撃たれた生徒を顎で指した。
「じゃあ、お前達の存在を誇示してやらないとね」
「?」
元被害者全員が、首を傾げる。
秀人は、窓際にいる教師や生徒に指示を出した。
「その茶髪、窓から投げ捨ててよ。外の人の目につくように」
窓際の生徒や教師は、涙を流しながら目を見開いた。そんなことできない、と言いたそうな顔。でも、恐くて言えない顔。
「ほら、早くしてよ。じゃないと、もう二、三人死ぬことになるよ?」
窓際にいる者達の、苦痛に満ちた表情。恐怖。悲しみ。苦しみ。あらゆる絶望を抱えながら、数名が、ゆっくりと動き出した。すでに死にかけている茶髪の生徒を、抱え上げた。窓を開けて、二階から落とした。
彼等の姿を見ながら、秀人は嘲笑を浮かべた。
――お前達が感じてる絶望なんて、生温いんだよ。
思い出す、二十五年前の出来事。両親と姉が、惨殺された。彼等の苦悶の声を、ずっと、狭くて暗い洗濯槽の中で聞いていた。
あの残酷な事件。国は、事件の要因が、父の誤認逮捕にあるという情報を流した。根も葉もない嘘。
しかし国民は、国が流した情報を信じた。何の落ち度もなく惨殺された秀人の家族を、まるで加害者のように責め立てた。
『あんな奴は殺されて当然だ』
『家族も同罪だ』
『ざまぁ』
今も秀人の耳に残る、心ない他人の声。
どいつもこいつも死ねばいい。この国の奴等は、皆、死ねばいい。
胸中で毒突きながらも、秀人は、元被害者達に優しく語りかけた。
「じゃあ、ここはお前達に任せるよ。俺は、当初の予定通り、屋上に行ってるから。何かあったら連絡して」
「はい!」
力強く、元被害者達が返事をした。
秀人はその後、職員室を襲撃し、残っていた教師や事務員を皆殺しにした。職員室に保管してある屋上の鍵を盗った。
三階でも同じように、残っていた生徒や教師を数名殺し、元被害者達に声をかけた。何かあったら連絡してと伝え、屋上に足を運んだ。
そして、今に至る。
犯行声明文は、道警本部に届いただろうか。
逃げた生徒や教師は、通報しただろうか。
屋上にある柵に寄り掛かり、秀人は大きく深呼吸をした。
父さん。母さん。姉さん。
みんなを貶めたこの国の奴等を、俺は、ひたすら殺すから。
そのための仲間が、もうすぐできるよ。
※次回更新は9/1を予定しています。
大切な人達を奪われ、貶められた恨みから、復讐を続ける秀人。
自らの復讐のためなら――大切な家族を奪われ、大切な家族を貶められた憎しみを果たすためなら、どれだけの犠牲を払うことも厭わない。
むしろ、その「犠牲」も、恨みを晴らす対象でもある。
しかし、咲花に対してだけは、考えが異なっている。痛みを共有し合える仲間になれる、と。
では、そんな秀人に対して、咲花はどのように対峙するのか。




