第十九話① 入れ替わる立場(前編)
指定暴力団、当麻會。その傘下である檜山組。
六年前に秀人が襲撃し、強引に協力関係を結んだ暴力団。その事務所の一つ。
周囲の家々とは明らかに異なる、大きな一戸建て。建物の外壁にいくつも設置された、物々しい監視カメラ。
建物内の様子は、六年前と変わっていない。二階の奥に、この事務所を取り仕切っている岡田の部屋がある。
岡田の部屋の内装も、あまり変わっていない。人が通ることさえ困難な、小さな窓。壁際の大きな棚。ただし、机やソファーは、六年前とは別の物になっていた。
部屋の中には、秀人と岡田。六人の構成員。
そして、十一人の中学生がいた。
――いじめの被害者である中学生に、秀人が手を差し伸べた後。
秀人は、彼等とともに、公園の休憩スペース区画に足を運んだ。
いじめの加害者である五人を、有無を言わさず殴り倒した。マウンテンパーカーのポケットに入れていた手錠で、後ろ手に拘束した。いじめの加害者の一人が、文句を言ってきた。顔面に蹴りを入れて黙らせた。顎が砕けて、激痛で喋れなくなっただけだが。
すぐに岡田に連絡をし、スモークガラスのワゴン車で迎えに来させた。二台。一方に、いじめの加害者五人を乗せた。秀人は、被害者六人と同じ車に乗った。
事務所に着くと、中学生達を岡田の部屋に連れ込んだ。
加害者五人には正座をさせ、構成員六人と岡田で取り囲んでいる。
いじめの加害者達は、恐怖で体を震わせていた。顔を伏せ、周囲の暴力団員達と目が合わないようにしている。先程まで被害者を嘲笑っていた姿が、嘘のようだ。
「あの、秀人さん? これ、どういうことなんですか?」
岡田が、わけがわからない、という顔で聞いてきた。彼等には、詳しい事情を説明していない。秀人に言われるがまま、中学生達を運んだだけだった。
いじめの被害者六人は、加害者達と同様に怯えていた。岡田達がどういった人間か、雰囲気などで察しているのだろう。
「あの……」
おどおどした様子で、被害者の一人が聞いてきた。
「どういうことなんですか? 元刑事さんなんですよね? それが、どうして――」
どうして、元刑事が暴力団と繋がっているのか。
質問をしてきた被害者に、秀人は、皮肉げな顔を見せた。
「世の中には、正義を謳うばかりじゃ解決できないことだってあるんだよ。例えば、だけど――犯罪者が逮捕されて、裁判で判決が出て、罰を受けたとする。でも、罰を受けた後に再犯を犯す奴がたくさんいる。そんな奴等は、法の裁き以外のところで罰を与えないと駄目だろ?」
秀人は加害者の一人に近付いた。無言で、彼の顔に蹴りを入れた。鈍い音が響き、いじめの加害者が倒れ込んだ。
「こいつらが、ただ注意しただけで、いじめを止めると思う?」
被害者は首を横に振った。
「だろ? 結局、自分より弱い人を狙う薄汚い奴は、より強い力で黙らせるしかないんだよ。学校の先生や警察じゃ、そんなことはできない。だから、ここに連れて来たんだ」
この話は、一部本当で一部は嘘だ。
弱い者を虐げる奴は、より強い者が制圧しない限り大人しくならない。これは事実だろう。それならば、秀人が叩きのめすだけで十分だった。
ここに連れて来たのは、加害者達を嬲り殺すため――被害者達に、殺させるため。
「……すみません……もう……許して下さい……」
泣きながら、加害者の一人が懇願してきた。顔は、涙と鼻水でグシャグシャになっている。ガタガタと震えて、言葉が上手く出せていない。すべての発音に濁音が付くような喋り方になっていた。
「もう……こいつらを……いじめたりしませんから……」
涙が、ポタポタと床に落ちた。
「もう……家に帰らせて……」
懇願する加害者の顔に、秀人は、足の裏を叩き付けた。「うぶっ」という声を上げて、加害者は仰向けに倒れた。彼の腹の辺りで、足の裏についた涙と鼻水を拭く。
「『こいつら』とかさぁ。この期に及んで、ずいぶん偉そうだね。この子達は、お前達よりも遙かに成績がいい。将来に向けて、努力してる子達だ。お前達より、ずっと優秀なんだよ。分かってる?」
「……すみません……すみません……」
泣きながら謝る加害者を無視して、秀人は、被害者達に顔を向けた。
「絶対に馬鹿にしないから、正直に教えて。こいつらに、どんなふうにいじめられてたの?」
「……」
被害者達は、全員、俯いて黙り込んだ。
被害者達のおどおどした様子に、岡田や構成員達は不快感を覚えたようだ。舌打ちでもしそうな顔をしている。
秀人は、岡田や構成員達を睨んだ。彼等を脅す視線。途端に、彼等は下を向いた。理解しているのだろう。下手な発言や行動をすれば、秀人に殺される――と。
秀人は、被害者達の言葉を気長に待った。特に催促もせず、声もかけず。
やがて、被害者の一人が、ポツリと話し始めた。
「便器を……舐めて掃除しろって言われました……」
言いながら、泣き出した。
「髪の毛を引っ張られて……便器に顔を押し付けられて……舌で舐めるまで、何度も殴られました……」
グスッ、グスッとしゃくり上げている。当時の屈辱が、脳裏に蘇っているのだろう。
一人が話すと、重荷が取れたように、他の被害者も話し始めた。
「俺は……バイトをさせられて、そのお金を巻き上げられました……毎月、こいつらにバイト代を渡してます……」
「俺は、虫の死骸を給食に入れられました……好き嫌いするなって怒鳴られて、無理矢理口に押し込まれました……」
「毎日、こいつらに囲まれて殴られてました。『六十分一本勝負』とか言って。名目上は一対一なんですけど、囲まれた奴等に蹴られて、一対一の相手には殴られて……」
「俺も、金を取られました……でも、バイトは、親が許してくれなくて……だから、親の財布から金を盗って……」
「……俺は……」
被害者の一人が、口を開きかけて、また閉じた。話し始める前から、涙をボロボロと流し始めた。肩が震えているのは、暴力団事務所にいる恐怖からではないだろう。
「俺、クラスに、好きな子がいて……それが誰なのか、こいつらに白状させられて……告白しろ、って言われました……」
言葉の合間合間に、「うっ、うっ」という泣き声が混じっている。
「『オナニーしながら告白しろ』って!」
泣きながらでも、最後の声は強かった。
「断ったら、滅茶苦茶に殴られて! 教科書とかノートとか、破られて! だから……言われた通りに告白しました……」
いじめの内容を告白した被害者達が、次々と泣き始めた。思い出すだけでも辛く、悔しく、悲しい記憶。
秀人は、彼等の頭を優しく撫でた。
「ありがとう。よく正直に言ってくれたね」
頭を撫でられて――優しくされて、被害者達の心がさらに乱れたようだ。彼等は号泣していた。流れる涙と、漏れ出す嗚咽。
加害者達は無言だった。無言のまま、震えていた。罪悪感からの震えではない。どれほど非道なことをしても、こういった輩は反省などしない。いじめの事実を咎められて、後悔することがあっても。
一通り泣くと、被害者達は落ち着いてきたようだ。嗚咽が小さくなり、涙が止まってきた。
彼等の様子を確認しながら、秀人は、ゆっくりと、優しい口調で話し始めた。
「じゃあ、これから証明してみようか」
「……証明?」
鼻をすすりながら、被害者の一人が疑問形で復唱した。
「そう。証明」
秀人は、加害者達に視線を移した。被害者達に向けていた優しい視線ではない。ひと睨みだけで人を殺せそうな、殺意と鋭さに満ちた視線。
加害者五人のうち、二人は目を伏せた。一人は蹲りながら泣き、一人は仰向けに倒れて泣いている。
加害者の一人だけ、秀人と目線が合った。殺意と鋭さに満ちた、秀人の目と。
目が合った直後、その加害者は失禁した。スラックスに一気に染みができた。床に、小便が広がっている。体はより大きく震え、歯がガチガチと音を立てていた。
失禁した加害者を見て、秀人は、最初の生け贄を彼に決めた。




