第十二話⑤ 地下遊歩道銃乱射事件(後編①)
デパートから出て左側の方向に、休憩スペース。テーブルが四台。それぞれのテーブルに、椅子が四脚。
テーブルの奥の壁際に、人質が集められていた。全員、両手を後ろに拘束され、座らされている。
人質の近くに、犯人が四人。人質を見張るように立っている。全員、銃を手にしていた。
咲花の髪を掴んだ犯人は、デパート入口と人質の中間あたりにいた。亜紀斗から十五メートルほどの距離。そこに、犯人がもう一人来ている。咲花に、金品受け渡しの指示をする奴か。おそらく彼が、犯人グループの主犯なのだろう。
亜紀斗が気絶させた奴を除けば、犯人は六人。咲花から人質付近の犯人の距離は、おそらく十五メートルほど。つまり、犯人全員が、咲花の射程距離内にいる。
――でも、まだ撃てないはずだ。
犯人の二人は、咲花から一メートル以内の距離にいる。あの距離では、外部型クロマチンの弾丸は威力を発揮できない。
咲花には、亜紀斗の肋骨を骨折させた近距離砲がある。近くにいる犯人二人を殺すのは、可能なはずだ。だが、そうすると、抵抗したことが他の犯人に分かってしまう。人質の命を危険に晒すことになる。
ここに来るまで、咲花は、人質の無事を第一に考えていた。人質を危険に晒してまで無茶な行動はしないだろう。
反面、咲花は、虎視眈々と狙っているはずだ。犯人全員を殺すチャンスを。
亜紀斗は様子を伺いながら、咲花がどのように動き出すか、観察していた。
咲花が、主犯と思われる男と何かを話している。声は聞こえるが、会話の内容までは分からない。
今の亜紀斗から人質までの距離は、約三十メートル。亜紀斗の走る最大速度は、時速にして約一四〇キロメートル。最大速度であれば、人質に――人質付近の犯人達に、二秒と掛らず接近できる。しかしそれは、あくまで最大速度であれば、だ。
走り出してから最大速度に達するまで、どうしても、ある程度の距離が必要となる。結果として、犯人達に接近するまで一・五秒ほどかかるだろう。
警備車の中で、咲花が言っていた。亜紀斗が強引に接近したら、神経質になっている犯人達は何からの行動をするだろう、と。その行動が亜紀斗への攻撃ならいい。しかし、人質への攻撃だったら、取り返しのつかないことになる。
――どうする?
亜紀斗は自問した。どうやって人質を危険な目に遭わせず、咲花の犯人殺害を防ぐか。
咲花自身も、今、必死に頭を回転させているはずだ。人質の命を確実に守りつつ、どうやって犯人達を殺すか。
――どうしたらいい?
何度自問を繰り返しても、何も思い浮ばない。人質の命を確実に守りつつ、咲花の凶行を止める手段。
主犯が、突如、ビクッと体を震わせた。ポケットに手を入れる。取り出したのは、スマートフォンだった。どこかから電話が架かってきたのだろう。彼は通話を始めた。
もう一人の犯人は、未だに咲花の髪を掴んでいる。
少し会話をした直後、主犯の声が大きくなった。
「そういうの、もういいですから! 俺等、早く終わらせたいんです!」
悲痛さすら感じさせる声だった。亜紀斗のところまで、はっきりと聞こえる声。
「いや、そうですけど! でも――……」
主犯の声が小さくなった。スマートフォンで通話しながら、彼は、銃を持った手で額を押さえた。大きな体を丸め、コクコクと頷いている。
対話が終わったのだろう。主犯は、スマートフォンをポケットに入れた。
通話中の、主犯の様子と口調。先ほど亜紀斗が目にした、神経質になっている犯人達。これらの情報から、一つの可能性が亜紀斗の脳裏に浮かんだ。確実とも言える可能性。
この犯人達は、誰かに命令されて、この凶行に及んだのではないか。自ら望んだわけではなく。
現場の様子を伝えてきた警察官も、犯人達について述べていた。
『彼等の表情は緊張感に満ちている。まるで、失敗したら殺されるとでも言うような』
彼等は、誰かに脅されてこんなことをしている。それなら、なおさら、咲花に殺させるわけにはいかない。
――いや。でも。
今の会話を聞いて、咲花も気付いたはずだ。この犯人達が、誰かに脅されているだけだと。脅されて、こんなことをしているのだと。それなのに殺すのだろうか。この、同情の余地しかない犯人達を。
――いくら何でも、そこまではしないんじゃないか?
咲花は、人質の命を案じていた。決して命を軽んじているわけではない。
それならば、どうして咲花は、これまで犯人を殺してきたのか。
答えは簡単だ。我欲に溺れて人の尊厳や命を奪う者には、重い罰を与えるべきだと考えているから。
初めて咲花と仕事をした日のことを、亜紀斗は思い出した。犯人を殺したときに、彼女が吐き捨てた言葉。
『こいつらが殺した人数は一人。かなり高い可能性で、裁判になっても死刑にはならない。だったら、殺しておくべきじゃない? こんな奴等がシャバに出てきたら、何するか分からないし。生きてても他人に害しか与えないゴミなんだから』
『こんなゴミにも人権があるとでも言いたいの? 他人の人権と尊厳を踏み躙った奴等に? 人の命を簡単に奪った奴等に?』
『こんな奴等が罪の大きさを自覚? 償わせる? もしかしてアンタ、性善説とか信じてるタイプ?』
『凶悪犯罪者の再犯率って知ってる? あいつらは後悔も反省もしない。罪の重さなんて、永遠に気付かない。新しい被害者を生むだけ。被害者に傷を残すだけ』
亜紀斗とは相容れない思想。けれど、彼女の言葉を信じるのであれば。
咲花は、今回は犯人を殺さないはずだ。脅されて凶行に走った彼等の罪は、決して重くない。
この状況で、咲花はどう動くのか。犯人達は脅されているだけだが、かといって、人質の命が危険なことに変わりはない。
いかにして人質を救出するか。考え込む亜紀斗の視界の中で、突然、思いもよらないことが起きた。
咲花の髪を掴んだ犯人が、彼女の手錠を外したのだ。
主犯が、咲花に銃を突き付けながら、何かを指示した。
直後、咲花は制服を脱ぎ始めた。最初にジャケットを脱ぎ、床に投げ捨てた。次にネクタイを取って、同じく床に投げ捨てた。
さらに、Yシャツのボタンを外し始めた。ボタンを全て外すと、Yシャツも床に投げた。ベルトに手を掛けて外し、スラックスも脱いだ。
亜紀斗の頭の中で、先ほどの主犯の言葉が蘇った。
『そういうの、もういいですから! 俺等、早く終わらせたいんです!』
主犯は、彼等を脅している者――事件の黒幕――に、指示されたのだろう。咲花の服を脱がせろ、と。
咲花は下着姿になった。
犯人達の視線が――おそらくは人質達の視線も、咲花に釘付けになった。銃を突き付けられ、脅され、下着姿にされた美女。
咲花の体に集中している彼等は、気付かない。咲花の両手付近の空間が、歪んでいることに。燃え盛る炎の周辺のように、揺らめく景色。
下着姿のままで、咲花は動いた。亜紀斗から見て左側に踏み出す。付近の犯人二人から距離をおいた。その距離は、亜紀斗の目測では、約一・五メートル。外部型クロマチンの弾丸が、威力を発揮できる距離。
外部型クロマチンの弾丸の速度は、平均で時速約二〇〇キロメートル。銃弾に比べると遙かに遅い。しかし、通常の人間を攻撃するには十分な速度だ。十五メートル離れた犯人達に到達するまで、約〇・二七秒。咲花の周囲の犯人達に到達するまで、約〇・〇二七秒。
咲花の両手から、外部型クロマチンの弾丸が放たれた。同時に六発。
瞬きするほどの一瞬。
咲花の放った弾丸は、驚くほど正確に的を撃ち抜いた。
主犯の男の、銃を持った右手首を打ち抜いた。
そして。
他の犯人五人の、肺を打ち抜いた。
「――!?」
亜紀斗は目を見開いた。主犯以外の犯人は、肺を打ち抜かれた。出血量が少ない。クロマチンの弾丸で撃たれた傷の特徴だ。
右手首を打ち抜かれた犯人は銃を落とし、その場に倒れ込んだ。傷を押さえ、呻いている。
他の五人は、その場に崩れ落ちた。目を見開き、口を大きく開け、必死に酸素を求めている。苦悶の表情。呼吸困難になっている者の、典型的な姿。すぐに意識が消失し、命を失うだろう。
咲花は、主犯を除いて、犯人を皆殺しにした。以前と同じように。
――あいつらは、脅されていただけなのに!
「笹島ぁ!!」
怒声を上げ、亜紀斗は飛び出した。一瞬で咲花に接近する。怒りに突き動かされて、拳を振り上げた。遠慮も手加減もせず、咲花に向かって打ち出した。
咲花の反応は早かった。外部型クロマチンの防御膜を張り、亜紀斗の拳を受け流した。そのまますかさず、近距離砲を放ってきた。狙いは、亜紀斗の右脇腹。
亜紀斗は反射的に、右脇腹の強化具合を上げた。ズドンッ、という音が聞こえてきそうな衝撃。それでも、今回は防げた。痛みはあるが、肋骨を骨折するほどではない。
亜紀斗は、咲花のブラジャーの肩紐を掴み上げた。下着姿なので、襟首がない。掴める部分が、ここしかなかった。
ブラジャーが引っ張られて、咲花の乳房が少し見えた。だが、そんなものなど気にならなかった。どうでもよかった。
「どういうつもりだ!? どうして殺した!?」




