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罪と罰の天秤  作者: 一布
第四章 この冷たく残酷な世界でも
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第十七話 罪に対する罰


 世間を震撼させるニュースが流れたのは、年明けすぐだった。


 三十年近く前に発生した、警察官一家惨殺事件。


 誤認逮捕されて人生を狂わされた少年四人が、誤認逮捕をした警察官の家を襲撃し、一家三人を惨殺した事件。事件後に逮捕された少年四人は、人生を狂わされたことに絶望し、かつ、復讐を果たしたことで満足し、自ら命を断った。


 ――というのが、当時公表された事件の内容だった。


 しかし、三十年近く経って、事実が明らかになった。


 道警本部にあった、当時の捜査資料。公表された内容が記された資料。それとは違う資料が――事実が記された資料が、公開された。あらゆる週刊誌編集部に送付され、ネット上にも原本のコピーが公開され、新聞社にも郵送された。


 事実が記載された資料には、道警本部に残すべきとした内容や、虚偽を公表するうえで辻褄を合わせる部分まで記載されていた。あまりに信憑性があり、事実としか思えない内容だった。


 事実なのだから、当然だが。


 資料には、当時内閣総理大臣だった五味浩一の指示も記載されていた。政界の五味派が手を回した内容も記載されていた。


 五味親子は、一気に、国中の批難の的となった。五味親子だけではなく、政界にいる五味派の人間も批難に晒された。


 それから二ヶ月少々。


 三月になり、暦の上では春になった。北海道にはまだ雪が残っているし、気温がマイナスの日も少なくないが。


 金曜の、午後十時半。


 自宅マンションのリビングで、藤山はテレビを点けた。夜のニュースが放送されていた。


 風呂上がり。冷蔵庫からチョコレートを取り出し、棚に入ったウィスキー――ジェムソンに手を伸ばした。食卓テーブルに置く。食器棚に入ったグラスを手にして、冷凍庫に常備している氷を入れる。ジェムソンを注ぐ。


 このマンションは分譲だ。藤山が十一年前に購入した、二LDKのマンション。女手一つで育ててくれた母に感謝の気持ちを込めて、彼女にプレゼントした。八年前に彼女が亡くなるまで、一緒に住んでいた。


 母が亡くなって、藤山は天涯孤独になった。


 もし天涯孤独にならなければ、三十年前の事件資料を盗み出して公開するなどという真似は、できなかっただろう。権力者による報復は恐ろしい。自分が狙われるならともかく、家族が狙われるのは耐えられない。


 今日のテレビでは、どのチャンネルも同じニュースを放送していた。


 東京郊外で、五味浩一と五味秀一の親子が、死体となって発見された事件。死体の損傷は二人とも激しく、ひどい暴行の末に殺されたと推測されている。


 彼等が殺されたことを知っても、悲しむ者は誰もいないだろう。今日、この事件が公開されてから、いたるところで「因果応報」という言葉を聞いた。誰もが、五味親子が殺されたことを、当然の報いと思っているのだ。秀人一家の事件の事実が、公開されたから。


 食卓テーブルの椅子に座り、藤山は、ジェムソンを口にした。十二年物のジェムソン。深い香りとやや甘い味が、口の中に広がった。


「勝手なものだねぇ」


 つい、愚痴が漏れた。


 三十年近く前。警察官一家惨殺事件の内容が公開されたとき。この国の人々は、殺された秀人の父親を批難した。犯人達を、ろくでもない警察官に人生を狂わされた、可哀相な少年として扱った。秀人の家に火を点ける者まで出る始末だった。


 五味親子の末路を、「因果応報」と言う人達。その中には、三十年前に、秀人の家族を批難した者もいるはずだ。正義を気取って人を批難する。貶める。正義だと信じていたものが間違いだと知っても、気にも留めない。間違いのせいで人を傷付けても、何とも思わない。


 もし世間が、秀人の家族に対して、もう少し思慮深くなれていたなら。殺された彼の家族に対して、心を痛める者がいたなら。家に火を点ける者などいなければ。


 秀人の怒りが、この国そのものに向くことはなかっただろう。五味親子が死ぬだけで、全ては片付いていただろう。


 秀人の家族を批難した者達は、今も平気な顔をして生きている。彼の家に火を点けた者も、死刑にはならなかった。もうとっくに釈放され、普通に生きている。


 秀人の復讐は果たされなかった。彼は最終的に、復讐よりも愛する人の幸せを選択した。しかし、だからといって、悔いがないわけではないだろう。復讐を果たせなかったことに、心残りはあったはずだ。


 だからせめて、五味親子の所業だけは明るみにしたかった。秀人の家族を批難した人達に、胸を痛めて欲しかった。


 でも、たぶん――と思う。たぶん、この目的は果たせていない。秀人の家族を批難した人達は、反省も後悔もしていない。それどころか、秀人の家族を批難したことすら忘れている。

 

「ごめんねぇ、秀人君」


 チョコレートを口に入れる。口の中の温度で、チョコレートが溶け始める。弱い苦みと強い甘みが、口の中に広がり出す。そのまま藤山は、ジェムソンを流し込んだ。口の中で、チョコレートの味とジェムソンの香りが混じり合う。


 昔――秀人と親しかった頃。藤山は、しばしば彼と飲みに行っていた。秀人は、その容貌に似合わず酒豪だった。ウィスキーの中でも、ジャック・ダニエルを好んでいた。


 普段の、愛情深くも飄々とした様子とは異なり、酒を飲んだときの秀人は陽気だった。二人で酔って、馬鹿な話もよくした。下ネタで笑い合うこともあった。けれど、一通り笑い合って雰囲気が落ち着くと、将来の夢などを語り合ったりもした。


「秀人君」


 ニュースが放送されているテレビに向けて、藤山はグラスを掲げた。グラスを掲げながら、失敗した、と思った。どうせなら、ジャック・ダニエルを用意すればよかった。秀人が好きなテネシーウィスキー。


 五味親子が殺されたニュース。秀人にとって、一番の仇。


「とりあえずあの親子には、罪に相応しい罰が与えられたよ」


 警察官一家惨殺事件。ただ一人生き残った少年は、不世出の天才と言っても過言ではなかった。もし、あんな凄惨な事件に巻き込まれていなければ。もし、世間が、殺された一家に対して思いやりを持てていれば。もし少年が、家族を失いながらも、深い愛情に満たされて育っていたなら。


 少年は、どれほどの人間になっていただろうか。どれほどの恩恵を、この国にもたらしただろうか。


 同時に、どれほど多くの人に愛される人物になっていただろうか。


 あまりに凄惨な過去が、少年を復讐鬼に変えた。人類史上最高傑作とも言えるほどの才能が、復讐を容易なものとした。事実として、この国は、少年の復讐により破滅へ進んでいた。


 それでも、少年の心には、一欠片の愛情が残っていた。復讐の炎の中でも、決して灰にならなかった愛情。


 愛情は、一人の弱い少女に注がれた。弱く、でも優しく慈愛に満ちた、天使のような少女。


 少年と少女の間には、子供ができた。


 もし、五味親子がいなかったなら。

 五味親子が、少年の家族を奪わなければ。

 五味親子が、少年の家族を貶めなければ。

 国民が、少年の家族を批難しなければ。


 少年と少女は、多くの人に祝福され、誰もが羨むような家庭を築いていただろう。幸せの象徴のような家庭を。


 秀人は、復讐よりも愛情を選択した。

 けれど、心残りはあったはずだ。


 だから、せめて。

 五味親子の行為が、公表されたことが。

 彼等が、相応しい末路を辿ったことが。

 

 秀人への鎮魂歌になればいい。


 藤山は、掲げたグラスを口にもっていった。ジェムソンを流し込んだ。


 甘やかな口当たりのジェムソンが、少し苦く感じた。


※次回更新は明日(6/1)を予定してします。


果たされなかった復讐と、復讐者が残した遺産。

その結果、どのような未来が訪れたのか。


次回はエピローグです。

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