第四話① 希望という名の不可能(前編)
ここの広さは、六畳くらいだろうか。そんな狭い部屋に、洗面台やトイレまである。体を自由に動かせるスペースは、せいぜい四畳程度。
外部型クロマチンの能力者が戦いにくい設計。たぶん、内部型クロマチン用の部屋は、かなり広いのだろう。
九月。
札幌高等裁判所の敷地内にある、クロマチン能力者専用の留置所。
咲花がここに留置されてから、三ヶ月ほどが経っていた。
今の時刻は、たぶん午前十時頃。
部屋の中央で、咲花は、ゆっくりとクロマチンを発動させていた。ここで出される食事の量は少ない。強力な力を使うと、体のエネルギーが枯渇して餓死する。だから、エネルギーの量を抑え、小さな弾丸を生成する。
エネルギーの量を抑えながら威力を出すには、どうしたらいいか。弾丸を弾状ではなく、針のような形にする。細く、鋭く。高速で発射した際に、的に突き刺さるように。
生成した弾の数は、六発。咲花が同時に生成可能な、最大数。その全てを、針状にした。
壁に向かって撃つ。
高速で撃ち出された弾丸は、狙い通りの場所に突き刺さった。
この留置所の壁やドアは、非常に頑丈に造られている。クロマチンという超人的な能力を持つ者を留置するのだから、当然と言えば当然だ。
咲花が撃った針状の弾丸は、頑丈な壁に見事に突き刺さった。それほど大きなエネルギーを使っていないのに。
全身に、薄らと汗が浮かんでいる。咲花は小さく息をつき、自分の手を見た。弾丸を針状にして撃つ。この留置所に入れられてから、初めて行った試みだ。これなら、少ないエネルギーでも強い貫通力を生み出せる。破裂型で撃ち出した場合は、エネルギーが少ないだけに破裂する威力も小さいのだが。
留置された当初、咲花は、すぐに殺されると思っていた。クロマチンを使用して罪を犯した者は、秘密裏に殺処分される。犯罪者となることもなく、裁判にかけられることもなく。冤罪ではないことが確実なら、ほぼ即日で殺処分される。殺害方法は、毒殺。冤罪ではないと断定されたその日のうちに、食事に毒を盛られ、殺される。
咲花は、現行犯で亜紀斗に捕えられた。冤罪の可能性はゼロ。当然のように、すぐに殺されると思っていた。咲花自身も、それを受け入れていた。だから、留置された日の食事を迷わず口にした。
しかし、食事をしてから何時間経っても、死ななかった。苦痛を伴わない類の、遅効性の毒なのだろうか。それなら、眠ったまま目を覚まさずに死ぬのかも知れない。死を拒絶しない咲花は、いつものように眠りについた。二度と目が覚めることはないだろう、と思いながら。
だが、翌朝、当たり前に目が覚めた。出された朝食を食べたが、やはり死なない。
意味が分からなかった。意味が分からないまま、生かされ続けた。
留置所には、本もテレビもない。ただ、食べて寝るだけ。退屈だった。退屈だから、訓練を始めた。
クロマチンで大量のエネルギーを消費して、餓死する。そんな死に方もいいかも知れない。ふと思い立った考えを、咲花はあっさりと捨てた。どうして自分は殺されないのか。死ぬなら、疑問を解消してから死にたい。
留置所の食事の量は、一般的な成人男性の必要摂取量程度。クロマチン能力者にとっては、あまりに少ない。訓練をするにしても、大きなエネルギーは使えない。とはいえ、暇な時間が多すぎるので、できるだけ長く訓練をしたい。
可能な限り少ないエネルギー量で、長い時間訓練をする。では、少ないエネルギー量で可能な訓練とは、どのようなものか。
考えた末の結論が、針状の弾丸だった。
弾丸を細くするのは、なかなか難しかった。どうしても弾状になってしまう。
小さなエネルギーの小さな弾丸を作り出し、徹底的に意識を集中した。
細く、鋭く。細く、鋭く。細く、鋭く……。
なかなか上手くいかない作業の中で、ふと考えた。秀人なら、これくらいのことは簡単にできてしまいそうだ。彼なら、外部型クロマチンを、それこそ糸状にすることもできるかもしれない。
秀人は天才で、しかも努力家だ。
咲花が出会った頃の秀人は、理想の先輩と言える人物だった。強く、優しく、賢く、勤勉で努力家。どこか飄々としたところはあったものの、先輩後輩問わず慕われる人だった。だが、藤山に対する態度だけは、どこかよそよそしかった。
理想の人が、今では、国家の反逆者となっている。それも、この現代において、国家転覆を実現できるほどの。
姉の仇を討とうとした咲花には、秀人の気持ちが痛いほどよく分かる。
秀人は、下劣な犯罪者に家族を惨殺された。国の重要人物が薄汚い犯罪者を庇うために、秀人の家族を批難の的にした。偽りの情報に踊らされた国民の一部が、秀人の家に火を点けた。
秀人は家族を奪われ、家族の魂を汚され、家族との思い出すら焼き払われた。
あんな事件がなければ、秀人は、どれほどの人物になっていたのだろう。少なくとも、咲花が苦労して身につけるものを、あっさりと自分のものにできる人物ではあったはずだ。
留置から一ヶ月半ほどで、咲花は、弾丸を針状にできた。壁に撃ってみると、思っていた通り、撃ち抜くのではなく刺さるようになった。
これを使えば、少ないエネルギーでも相手に大きなダメージを与えられる。
自分の訓練の成果を実感して。
咲花は苦笑した。
訓練をしたところで、成果を発揮する場はない。いずれにしろ、自分は殺処分される。仮に殺処分されなかったとしても、この国は終わる。
亜紀斗に捕えられ、藤山に連行された後、咲花は取り調べを受けた。藤山と、二人の公安特別課の職員に。咲花は正直に、全てを話した。秀人に協力してもらったことも、彼の最終的な目論みも、全て。
咲花は復讐に失敗した。秀人の仲間になることは、もうできない。だとすれば、彼は、咲花の希望を叶えることもない。川井や、彼の家族だけは助けて欲しいという願い。
だから、全てを自白することで、一縷の望みを託そうとした。この国の誰かに、秀人を止めてほしい。愛する人を助けてほしい。
でも、無理だろう。
保身にばかり走る者達に、秀人を止めることはできない。
たぶんこの国は、あと十年ももたない。それまで自分が生きていることは、ないかも知れないが。
願わくば――咲花は天井を見つめ、元婚約者の顔を思い浮かべた。願わくば、川井には、海外に逃亡してほしい。この国が戦火に包まれる前に。
ゴン、ゴン。
この部屋の扉がノックされた。どうしたのだろうか。まだ食事の時間ではないはずだ。
ここでの食事は、一日三食。概ね、午前七時、午後十二時、午後六時頃に運ばれてくる。部屋の扉の隣りに小窓があり、そこから支給されるのだ。支給の合図は、扉のノック。ノックの後に、小窓から食事が入れられる。
ガチャリと、扉の鍵が開く音がした。
死刑の通達にでも来たのだろうか。だが、クロマチン能力者を殺処分する際は、普通の死刑囚のような方法は取らないはずだ。
ギィーと蝶番の音が鳴って、扉が開いた。
扉の外には、三人の人物がいた。全員男性。二人は、咲花が一度だけ見たことがある人物。名前は知らない。この場の監視をする人物。一般的な刑務所でいう、刑務官のような人達だ。所属は公安特別課なのだが。
残る一人は――
「やあ、咲花君。元気かい?」
相変わらずの胡散臭い笑顔を浮かべて、藤山が、ヒラヒラと手を振っていた。
「薄着の美女が汗をかいてるって、なかなか煽情的だねぇ」
咲花の格好は、Tシャツにスエット下。Tシャツは白いので、ブラが少し透けている。もっとも、いちいち胸もとを隠すつもりはないが。
「お久し振りです、隊長。三ヶ月ぶりの第一声が、いきなりセクハラですか?」
「ごめんねぇ。久し振りに咲花君に会えて、少しテンションが上がっちゃってねぇ。今の発言は、見逃してくれないかな?」
咲花は呆れつつ、藤山の言葉を聞き流した。
藤山が、刑務官と会話をしている。面会は三十分まで。三十分経ったら迎えに来る。もし三十分経つ前に帰るときは、これを押せ。会話の中で、藤山は、小型の機械を手渡されていた。円形で、ボタンのようなものが付いている。レストランなどにある、店員を呼び出すスイッチに似ていた。同じような物だろう。
「承知しました。ご苦労様です」
藤山が頭を下げた。扉が閉められる。ガチャンという、鍵の音。
刑務官に頭を下げた藤山は、再び咲花に顔を向けた。
「僕がここに来たこと、あんまり驚かないんだねぇ?」
「驚きませんよ。犯罪者になったクロマチン能力者がどうなるかは、以前に、隊長に話しましたし。私をここまで連行したのも、取り調べをしたのも、隊長ですし」
「でも僕は、咲花君が生きてることを知ってたんだよぉ? それについては驚かないの?」
「特には。私を連行した人ですから、隊長には、ある程度の情報は開示される可能性がありましたし」
クロマチン能力者が罪を犯し、捕えられた場合、その事実は隠蔽される。捕えられたクロマチン能力者については、行方不明という扱いになる。
クロマチン能力のある犯罪者を捕えるのは、公安特別課の仕事だ。けれど、今回のような例外の場合は、捕えた者にある程度の情報が提供されるのだろう。国側と口裏を合せるために。
「そっかぁ」
納得したように頷くと、藤山は、咲花の近くまで来た。「よいしょ」と口にして、その場に座り込む。胡座。
「とりあえず、咲花君も座ってよ。少し、話したいことがあるんだ」
「何ですか?」
聞いて、咲花も腰を下ろした。藤山と向かい合う。
藤山と目が合った。彼の、胡散臭い笑みを型取った目元。その目が変化した。鋭い目。これまで何度か見たことがある、人が変わった藤山。
いや。人が変わったのではなく、昔の藤山に戻っているのだろう。以前の彼のことを、咲花は、少しだけ秀人から聞いていた。




