第十三話① 最後の復讐。その一歩手前(前編)
月明かりが、周囲を照らしている。
空は、雲などほとんどない晴天。
六月七日。午前一時。
深夜の一本道で、咲花は車を走らせていた。街灯すらない暗い夜道を、車のライトが照らしている。
市街地や住宅地から大きく離れた、郊外。市内にある山に向う道。
周囲には雑木林があり、熊が出てくる可能性もある。もっとも、熊が出てきても、咲花なら撃退できるが。
後ろの座席から、呻くような声が聞こえた。どうやら目を覚ましたらしい。
「……う……ん……」
バックミラーに映る、後部座席の人物。後ろで両手を拘束され、両足も拘束されている。さらに、全身をガムテープで簀巻きにされている。普通の人間では、まともに身動きできない状態。
「……え……あ?」
後ろの男は、意識がはっきりしてきたようだ。唯一自由に動く首で、左右を見回している。
「何だ? どこだ、ここ」
不快な存在が、不快な声を出した。咲花は今すぐ、後ろにいる男を殺してやりたくなった。高野祐二。昔の名前は、宮本祐二。咲花の姉を惨殺した、主犯格。
苛立ちを抑え、車を走らせる。速度は概ね、時速六十キロメートル。あと十分弱で目的地に着くだろう。秀人が山の麓に用意した、プレハブ小屋。
磯部と南を惨殺した場所。
高野の行動範囲は、数日前に秀人から聞いていた。特殊詐欺を生業とし、仕事が終わったらしろがねよし野に繰り出す。立ちんぼをしている女性を捕まえ、ホテルに行く。金に余裕があるときは薬物を購入し、買春相手に強制的に打つ。薬物依存になった女性の体を、オモチャのように扱う。
一時間ほど前に、咲花は高野の後をつけ、弾丸を撃って気絶させた。全身を拘束して、車に詰め込んだ。
そして、今に至る。
「おい! どこだって聞いてんだろ!」
高野は大声を上げ、体を前方に乗り出した。どうやら、目覚めたばかりで自分の状況を把握していなかったらしい。簀巻きにされた彼は、前の座席に顔面をぶつけた。そのまま、後部座席の足元に転げ落ちた。
「何だ!? 何なんだ、これ!?」
後部座席の足元は、咲花からは死角になっている。高野の姿を見ることはできないが、ミミズのように動き回っていることはわかった。バタバタと動き回る音がする。
「うるさい。少し黙ったら?」
カーブでハンドルを切りながら、咲花は冷たく言い放った。
咲花の口調が、高野をさらに苛立たせた。
「いいから質問に答えろや! ぶっ殺すぞ!」
「うるさい。黙って」
「いいか! 俺はな、人を殺したことだってあるんだ! お前も殺されてぇのか!?」
「……へぇ。そう」
咲花の全身が、スッと冷たくなった。許容量を越えた怒りが、体中に巡り巡った。
目的地に着く前に、こいつを恐怖のどん底に叩き落としてやる。
咲花は急ブレーキを掛けた。キーッという音と、急停止による衝撃。後ろから、ガンッという音が聞こえた。高野の体が、前の座席に叩き付けられたのだ。
停止した車の中で、咲花は、車内のライトを点けた。淡い光。人の顔が判別できる程度の光。
咲花はシートベルトを外し、後ろへ身を乗り出した。痛みで呻いている高野の耳を引っ張り、顔をこちらに向けさせた。
咲花と高野の顔が、向かい合った。
「ねえ?」
冷たく高野を見下ろす。昔、姉に似ていると言われた顔で。
「私の顔に、見覚えない?」
「……は……?」
痛みに顔を歪めながら、高野は、まじまじと咲花を見つめた。黒いウィンドブレーカーに身を包んだ咲花を。
数秒間、沈黙が流れた。
「……え……?」
沈黙の後で、高野は目を見開いた。覚えていたのだろう。もう二十年近く前の出来事でも。二十年近く前に見た顔でも。
二十年近く前に殺した、女性の顔を。
「なん……で……?」
淡い光の中でも、高野の顔が青ざめるのが分かった。幽霊だとでも思っているのだろうか。
「私はね、姉を殺された妹。姉の仇を打つ妹。三島香澄の仇を討つ、元三島咲花」
三島は、咲花の父方の姓。香澄は、姉の名前。三島香澄。美人女性監禁虐殺事件の、被害者。
咲花は高野を離すと、シートベルトを着け直した。再び、車を発進させる。制限速度を守りながら、目的地へ向う。磯部や南を惨殺した場所。これから高野を惨殺する場所へ。
「あんたはね、これから処刑場に向うの。着いたら、たっぷりと痛めつけてあげる。磯部や南と同じようにね」
「は? 磯部と南? あいつらがどうしたんだ?」
どうやら高野は、磯部や南が殺されたことを知らないらしい。少年時代のチンピラ仲間の絆など、その程度のものなのだろう。
「ニュース、見てないの? 磯部と南は殺されたの。私にね」
高野と同じように弾丸で気絶させ、全身を拘束し、秀人が用意したプレハブに運んだ。目を覚まさせ、拷問の限りを尽くした。二人とも、最後は「殺してください」と懇願していた。
「身動きを取れなくして、色んな方法で痛めつけたんだ。尿道や肛門で爆竹を破裂させたり、煙草の火を押し付けたり。少しだけガソリンを垂らして、体に火を点けてみたり。ナイフで切り刻んだり。あと、銃で手足を撃ち抜いたの」
意図的に、咲花は小さく笑った。拷問が楽しかったという印象を出すために。
「お姉ちゃんは、あんた達に散々犯された。でも、残念だけど、私はあんた達を犯せない。だから、尿道で爆竹を破裂させた後に、木の枝を突っ込んでみたの。そうしたら、二人とも大泣きしてた」
ガタガタという振動が、咲花の座席に伝わってきた。高野が震えている。
「でも、突っ込んだだけじゃ犯したことにならないでしょ? だから、木の枝を何回も抜き差ししたんだ。血が吹き出て凄く痛かったみたいで、二人とも気絶しちゃって。だから、引っ叩いて目を覚まさせて、拷問の繰り返し――」
咲花は一旦、言葉を切った。意図的に、声をワントーン低くする。
「――あんた達が、お姉ちゃんにしたみたいにね」
ガタッと、後部座席から音が聞こえた。高野が体を起こそうとして、失敗したのだ。全身を簀巻きにされた状態で、起き上がれるはずがない。後部座席の足元にいる彼は、呼吸を荒くしている。
「……な……はっ……」
「何? 何か言いたいことでもあるの?」
「もっ……もっ、も、も、も、もももも、もう、もう、もう」
「牛の真似でもしたいの?」
言葉に詰まり、高野は咳き込んだ。唾液が気管に入って、むせたのだろうか。席が止まって深く息を吸い込むと、彼は大声を上げた。
「もう二十年近くも前のことだろうが! 今さら何なんだよ!?」
「何年前だろうが、お姉ちゃんが殺された事実は変わらない」
「それに、俺はもう償ったんだ! ちゃんと模範囚だったし、仮釈放中も規則は守った! 罪は償ったんだ!」
こいつは何を言っているのか。高野の主張に、咲花は唾を吐きかけたくなった。たかが十数年の懲役で、香澄を惨殺した罪が償えたというのか。香澄の命や、彼女が味わった苦痛は、この男の十数年と同等だとでも言うのか。
――ふざけるな!!
咲花はアクセルを踏み込んだ。今すぐこいつを痛めつけてやりたい。主犯のこいつには、可能な限りの地獄を見せてやる。香澄が味わった以上の恐怖と苦痛を見舞ってやる。
こいつを殺せば全て終わりだ。高野達を殺す協力をするからと、秀人が持ちかけてきた約束がある。だが、そんなものは無視しても構わない。
高野を殺したら、もう人生が終わってもいい。どうせ、クロマチンを使って罪を犯した者は、秘密裏に殺処分されるのだから。
この世に何の未練もない。少しだけあった未練も、三日前に断ち切ってきた。




