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罪と罰の天秤  作者: 一布
第三章 罪の重さを計るものは
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第八話① かつて失い、今感じていること(前編)


「秀人、おかえり!」


 帰宅して玄関に入った途端、秀人は、華に抱きつかれた。


 三月上旬。暦の上では春でも、雪はまだまだ残っていた。自宅の玄関前はロードヒーティングになっているが、歩道は雪で覆われている。


「ただいま、華」


 秀人も華を抱き締めた。


 午後七時。家の中は明りが点いている。


 開けっぱなしのリビングのドアから、五匹の猫が次々と出てきた。秀人の足に擦り寄ってくる。


 この二週間ほど、秀人は海外に飛んでいた。マフィアの上層と会合をし、彼等の依頼で何人か殺してきた。


 秀人は、マフィアの依頼を遂行する。ときには敵対勢力の重要人物を殺し、ときにはボディーガードの役割を担う。


 見返りとして、彼等は、秀人が望むことをする。銃の密輸。この国の情報を、自国の政府に流す。


 大きな組織の上に立つ人間は、損得勘定抜きでは動かない。その点を、秀人は上手く突いていた。


 最近は、外国人の入国が増えている。観光や就労に来る者が多数。しかし、マフィアの手引きにより、人身売買や薬物売買をする者も多数いる。


 貧富の差が大きくなったこの国では、貧困に悩む者が多くなっていた。とはいえ、食べる物にも困る、というほどの貧困層はまだ多くない。だが、貧困層は、富裕層の豊かな生活を見て、贅沢な暮らしに憧れる。憧れが、金に対する強い執着を生む。強い執着が、安易な儲け話に飛びつかせる。


 その結果、簡単に大金を稼げる犯罪に走る。ネットに儲け話を載せれば、食いつく者が多くいる。「闇バイト」と呼ばれる犯罪行為。そこに、国内の犯罪者だけではなく、海外の犯罪者も絡んでいるとは知らずに。


 マフィアが絡んでいる、一部の闇バイト。安易に食いつく愚か者。


 国内の情勢は、秀人の思惑通りに動いていた。少しずつ、しかし確実に歪んできている。治安の悪化。銃を使った事件の多発。秀人が起こした事件を模倣した事件の多発。マフィアの資金源ともなる、一部の闇バイト。


 それらは、防犯対策にも歪みをもたらしている。警察や公安調査庁では対処しきれない部分について、防衛省にまで仕事が回ってきている。


 国防を担う防衛省が、国内の事件に介入している。つまりは、諸外国の動きへの対応が、現時点ではほんの少しではあるものの、手薄になってきている。


 すべて、秀人の思惑通りだった。


「華。俺がいない間、困ったことはなかった? 生活費は足りた?」


 不在にしている間、秀人は、華に生活費を与えた。「ちゃんと計画的に使うんだよ」と念を押して。


 秀人から体を離して、華は、誇らしげな顔を見せた。


「うん! 華ね、ちゃんと計算して、使いすぎないようにしたよ! 全部使い切らないで、まだお金残ってるよ!」

「そうか。じゃあ、俺がいない間、ちゃんとご飯食べてた? お菓子ばっかり食べてなかった?」

「うん! 華ね、秀人の本見ながら、料理作ってたの!」


 秀人の本――料理のレシピ本だ。


「全部、ちゃんと作れたんだよ! 材料も、値段を見ながらスーパーで買って、美味しく作れたんだよ!」

「そうか。偉いな、華は」


 頭を撫でてやると、華は嬉しそうに微笑んだ。上目遣いで秀人を見ている。


「ねえ、秀人。もう晩ご飯食べた?」

「いや。まだだよ。今日は俺がご飯作るよ」

「大丈夫! 華ね、今日も晩ご飯用意したの! レンジでチンすれば、もう食べれるよ!」


 華は、歯を見せてニッっと笑った。自分の作った料理を、秀人に食べさせたかったのだろう。


「じゃあ、すぐに食べようかな。お腹空いたし、せっかく華が作ってくれたんだし」

「でもね、秀人。ご飯食べる前に、ちゃんと手を洗って、うがいもしてね」


 華の知能は、一定の上昇後に停滞している。おそらく、今以上には伸びないだろう。知能の発達を妨げられたまま大人になり、脳の成長期が過ぎてしまった。


 もっとも、知能の発達が停滞しても、知識はゆるやかに増えてゆく。増えた知識の分だけ、意見も多くなる。


 かつて性病に対して無防備だった華が、手洗いやうがいをするように指示してきた。風邪に対する注意喚起。


 なんだか可笑しくなって、秀人はクスリと笑ってしまった。


「そうだね。風邪ひかないようにしないとね」

「うん。秀人が風邪ひいたら、華、心配だから」

「華は、出掛けた後に、ちゃんと手洗いとうがいはしてる?」

「もちろん!」


 当然だというように、華は胸を張った。仕草がいちいち可愛らしい。


 洗面所で手を洗い、うがいをし、部屋着に着替えた。


 リビングには、華が作った夕食の匂いが漂っていた。ハンバーグにデミグラスソース。炊きたての米の匂いもする。


「秀人はお仕事で疲れてるから、座っててね。全部、華が用意するから」

「うん、ありがとう」


 言われるがまま、秀人は、食卓テーブルの椅子に座った。


 対面型のキッチン。秀人の位置からでも、テキパキと動く華が見える。


「ハンバーグ、ちょっと冷えてる。温め直さなきゃ」


 独り言を口にしながら、ハンバーグを皿にのせ、電子レンジに入れる。電子レンジが動いている間に、付け合わせのサラダを用意した。茶碗にご飯をよそい、トレイに乗せる。電子レンジがピーッと音を立てて止まると、ハンバーグの温まり具合を確かめていた。問題なかったようで、ハンバーグもトレイに乗せた。


 二人分の食事。


 トレイに乗せて運び、テーブルの上に並べた。


 華の動きは、驚くほど手際がよくなっていた。少し前にキッチンを滅茶苦茶にしたとは思えない。一人で料理をしようとして、電子レンジでアルミホイルを発火させていたのが嘘のようだ。


「華はまだ、晩ご飯食べてなかったの?」

「うん。秀人と一緒に食べたかったの。今日帰って来るって言ってたから、待ってたんだ」

「それじゃあ、お腹空いただろ?」

「もうペコペコ」


 食事をテーブルに並べると、華も椅子に腰を下ろした。秀人と向かい合う位置。彼女は両手を合せた。


「いただきます」

「うん。いただきます」


 二人で食事を始める。


「ねえ、秀人」


 食べながら、華が聞いてきた。


「外国で、どんなお仕事してきたの?」

「偉い人を、悪い人から守ってきたんだ。あと、その偉い人に頼まれて、悪い人と戦ったきた」


 華は、人を殺すことに拒否反応を示す。自分を弄んだ男ですら、殺すことを嫌がった。彼女には、本当のことなど言えない。


「そっかぁ。外国の偉い人を、守ってきたんだ。秀人、強いもんね」

「うん。俺、たぶん世界一強いから」


 これは本心だ。内部型と外部型のクロマチン素養を持ち、両方の能力を高め続けている秀人は、おそらく誰よりも強い。ミサイルでも使用しなければ自分は殺せない、とすら思っている。


「凄いなぁ、秀人は」


 一点の曇りもない瞳で、華は秀人を見つめていた。尊敬と、憧れと、愛情が詰まった眼差し。華はいつも、秀人に「大好き」と言ってくる。けれど、そんな言葉がなくても、彼女の気持ちが伝わってくる。


 秀人は、この国を憎んでいる。この国の人間を憎んでいる。秀人の家族を惨殺した奴等。家族が惨殺された事実を、隠蔽した権力者。権力者が流した偽りの情報に踊らされ、秀人の家族を批難した国民。


 華はこの国の人間だ。本来なら、憎むべき女。それなのに秀人は、華に憎しみを抱けなかった。利用する気にもなれず、かつ、利用することもできない。


 利用価値がないのに、こうして面倒を見ている。家に住まわせて、一緒に暮らしている。


 華に初めて出会った日に、秀人は、姉のことを思い出した。自分の身すら犠牲し、秀人を守ってくれた姉。愛情に満ちていた姉。


 姉と同じように、華も愛情に満ちていた。人を憎むことを知らず、滅多に怒らず、ひたすら優しい。


 華と一緒にいると、秀人は、昔に戻ったような気分になる。家族が生きていた頃。家族の愛情に包まれていた、幸せな記憶。両親や姉がしてくれたように、秀人も、華を大切にしたくなる。


 もっとも、華を大切にしているといっても、秀人の思惑は変わらない。この国を沈没させる。憎むべき者達を地獄に落とし、この国から去ろう。


「……秀人、美味しくない?」


 心配そうに、華が聞いてきた。


 秀人は我に返った。いつの間にか、箸が止まっていた。


「そんなことないよ。考え事をしてただけ」


 嘘ではない。秀人は箸でハンバーグを切り分け、口に運んだ。


 華の料理は、少しずつ上達している。レシピに書いている内容を理解し、失敗せずに作れるようになってきた。


「美味しいよ。華、料理が上手になったね」


 褒めてやると、華は目尻を下げた。


「華がもっと料理できるようになったら、秀人、嬉しい?」

「嬉しいよ。帰ってきたら美味しいご飯があるって、幸せなことだから」

「華もね、秀人が喜んでくれると嬉しい。それに、ね」

「何?」


 聞くと、華は少しだけ言い淀んだ。恥ずかしそうに、照れ臭そうにはにかんでいる。


「あのね、秀人」

「うん」

「華ね、秀人といっぱいエッチして、秀人の赤ちゃんが欲しいの」

「……」


 秀人は頭の中で、現在と過去を混同していた。華を前に、昔の生活を思い出していた。だが、今の華のセリフを聞いて、完全に現実に引き戻された。


 秀人の赤ちゃんが欲しい。華は何度も、そのセリフを口にしていた。今年の元旦に、初めて秀人とセックスをしてから。


 あれから何度、華とセックスをしただろうか。正確な回数は数えていない。おそらく、両手両足の指の数よりは多い。


 華とのセックスで、秀人は、一度も避妊をしなかった。華に「秀人の赤ちゃんが欲しい」と言われると、拒めなかった。彼女の望みを叶えてやりたいと、強く思ってしまった。セックスが終わって華が眠りについた後、いつも後悔するのに。後悔するのに、華にせがまれると断れない。


 いや。


 ()()()()のではない。()()()()()()のだ。


 華は今まで、何度も泣いてきた。心ない人達に、何度も泣かされてきた。初対面の日は、秀人も彼女を泣かせてしまった。だから、彼女には、いつでも笑顔でいてほしかった。


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