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罪と罰の天秤  作者: 一布
第三章 罪の重さを計るものは
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第七話① 信じることしかできない。信じていると言うことしかできない(前編)


「正直なところ、僕は、咲花君が犯人である可能性は高いと思うんだよねぇ。亜紀斗君はどう思う?」


 藤山の第一声に、亜紀斗は言葉を詰まらせた。


 道警本部の十六階。小会議室。


 捜査一課とともに行動した後、亜紀斗は、道警本部に戻ってきた。帰庁したのが、定時直前の午後五時五十分。


 戻ってきてすぐに、藤山に呼び出された。誰も使用していない小会議室に連れられ、座るように促された。


 藤山と向かい合うように座り、直後に言われたセリフが、それだった。


 亜紀斗と藤山の間には、長机。


 亜紀斗は、組んだ両手を机の上に置いた。


「それは、笹島が、あの事件の被害者遺族だからですか?」


 藤山の質問に、質問で返す。組み合わせた亜紀斗の両手には、自然と力が入っていた。


「もちろんそれもあるよ。これは僕の個人的な意見だけど――復讐は一つの正義だから。咲花君には、その正義を執行しても不思議じゃない理由があるからねぇ」


 藤山の言うことは正論だと思う。


 亜紀斗は今でも、罪を犯した者には償いをさせたいと思っている。それは、先生から教わった、決して譲ることのできない信念。亜紀斗にとって、何より大事にしたいもの。


 だが、全ての犯罪者が、償いに殉じるわけではない。どんなに諭しても罪の重さを自覚せず、被害者や被害者遺族に唾を吐きかける犯罪者がいる。


 麻衣も言っていた。


『償うどころか、反省も後悔もしない人がいる。出所した後に罪を犯したら、どうやったら捕まらないかを経験から考えるだけ。捕まったら、どうやったら重い罪にならないかを経験から考えるだけ』


 神坂は――咲花の姉を殺した一人は、まさにその典型だろう。


 咲花が抱えている恨みや憎しみ。神坂の再犯から伺い知れる、罪の意識の薄さ。これらから考えると、咲花が犯人達を殺しても不思議ではない。むしろ、当たり前の行動に思える。


 それでも亜紀斗は、咲花を信じたかった。彼女は犯人ではない、と。彼女は復讐なんかに走らない。姉のような人が二度と現れないように、尽力する。被害者遺族に寄り添おうとする。姉に報いるために。


 そう、信じたい。


「俺は……」


 机の上で両手を組んだまま、亜紀斗は、強い視線を藤山に向けた。


「俺は、笹島が犯人だとは思えません。というより、笹島が犯人なら、もっと前に姉の仇を殺しているはずです。それこそ、姉を殺した奴等が出所した時点で」


 言って、亜紀斗は気付いた。そうだ。咲花が姉の仇を殺すなら、もっと前にやっているはずだ。今回殺された磯部は、出所してから何年も経っている。今さら仇討ちに走るのは、おかしい。


「まあ、普通に考えればそうだねぇ」

「普通に考えれば、とは?」

「その質問に答える前に、少し前提があるんだけどね」

「前提?」

「そう」


 頷くと、藤山は続けた。


「亜紀斗君、覚えてる? 去年の十一月に起こった、しろがねよし野のホストクラブの事件」

「ええ。俺も出動しましたから。ホスト三人が、自分が働いてる店を襲撃した事件ですよね? 笹島も一緒に出動して――」


 一旦、亜紀斗は言葉を切った。不快なことを口にする前に、息を飲む。


「――笹島が、犯人全員を殺した事件です」

「うん。そう」


 三人のホストが、働いているホストクラブで銃を乱射した事件。死者は二名。こういった事件の中では、犠牲者は少ない方だった。もっとも、犠牲者が出ている時点で痛ましいのだが。


「あの事件の後、咲花君は三ヶ月の減給になったんだよねぇ。知ってるかい?」

「!?」


 亜紀斗は目を見開いた。知らなかった。犯人を殺しても、咲花には何のペナルティーもないと思っていた。今までと同じように。


「これまで、咲花君が犯人を何人殺しても、何の懲戒処分もなかった。それなのに、あの事件に関しては処分があった。どうしてだと思う?」


 目を伏せ、亜紀斗は考え込んだ。しかし、何も思い浮ばない。あの事件以降は武装犯罪が発生していないから、事例を比較して考えることもできない。


「分かりません」


 亜紀斗が素直に返答すると、藤山は質問を変えた。


「じゃあ、去年の十一月に、当時の警察庁長官が辞職したのは知ってるかい?」

「ええ、それは」


 元警察庁長官が、児童買春に手を染めていた事件。罰金刑のみで済んだそうだが、当然ながら、そのまま仕事を続けられるはずもない。元警察庁長官は辞職し、警察の世界から消えていった。


「親子揃って児童買春をしていた事件ですよね。あの事件を知ったときは、本当に呆れて――」


 話している途中で、亜紀斗は口を止めた。気付いてしまった。どうして咲花が、犯人を殺したのに何の懲戒処分も受けなかったのか。十一月の事件で、なぜ、唐突に減給処分を言い渡されたのか。


「……警察庁長官が、笹島を擁護していたからですか?」

「うん。そう」


 藤山の様子は、いつもと違っていた。以前も見たことがある、真剣な様子。いつもの胡散臭さが消えた彼。


「それで、だ。亜紀斗君。ここからが、僕の考えと推測なんだけど」


 藤山は両手を組み、机に肘をついた。組んだ両手を、口の近くに置く。鋭い目で、亜紀斗を見ている。


「咲花君を擁護していた長官が、辞職した。だから、咲花君は凶悪犯を殺せなくなった。いや、まあ、殺すことはできるんだろうけど、そんなことを続けてたら、間違いなく懲戒免職になる」


 そりゃそうだ。胸中で、亜紀斗は藤山に同意した。


「咲花君が犯人を殺していた理由は、明確には説明できない。少なくとも、僕には」


 亜紀斗には説明できる。咲花の気持ちが分かる。亜紀斗も、彼女と同じように、大切な人を亡くしたから。彼女と同じように、大切な人に報いたいと思っているから。


「ただ、咲花君には咲花君の考えがあって、犯人を殺していた。これは間違いないと思うよ。何の考えもなしに人を殺すようなサイコキラーじゃないからね」


 当然だ。再び、亜紀斗は胸中で同意した。


「咲花君には咲花君の考えがあって殺していた。警察庁長官を抱え込んで。そんな大物を抱え込んでまで殺すほど、咲花君にとって、犯人殺しは意味のあることだった」


 咲花が、どうやって警察庁長官などという大物を抱え込んだのか。その方法は分からない。案外、児童買春という弱みを握り、コントロールしていたのかも。亜紀斗は、ふと、そんなことを考えた。まさかな、と思いつつ。


「でも、咲花君は殺せなくなった。彼女にとって重要な意味があったであろうことが、できなくなった」


 藤山の目が、さらに鋭くなった。亜紀斗をじっと見つめる、彼の目。


「じゃあ、重要な意味があることをできなくなって、咲花君は、何を考えると思う? どんな人でもそうだけど――自分にとって大事なものを失ったら、自暴自棄になったり、自分の感情に任せて動いちゃうんじゃない?」

「……だから、笹島が磯部を殺した、と?」

「うん、そう」

「……」


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