第三話② 亜紀斗対咲花~違和感の中での戦い~(後編)
亜紀斗は、咲花の強さを知っている。何度も何度も負け続けて、彼女の強さが身に染みている。
だからこそ、ヘルメットが防がれることも、あらかじめ想定していた。頭で考えての行動ではない。本能が、亜紀斗に教えていた。咲花は間違いなくヘルメットを防ぐ、と。次の一手が必要だ、と。
天井にヘルメットがぶつかった時点で、亜紀斗は動いていた。
咲花は、左足を前にして斜に構えている。彼女から見て左側――亜紀斗から見た右側――が、死角になりやすい。
亜紀斗は、咲花の左側に回り込むように接近した。
ヘルメットが、天井から落下を始めた。
亜紀斗の動きに、咲花は素早く対応してきた。体の向きを変え、亜紀斗を撃ってくる。狙いは、亜紀斗の足元。
咲花のこの戦法を、亜紀斗は知っている。破裂型の弾丸で、接近してくる相手を転倒させる。仮に転倒しなくても、破裂型の弾丸が生み出す爆風で、体が宙に浮く。接近が止められてしまう。
亜紀斗のエネルギーの残りは多くない。咲花を仕留められるだけの残量は確保したい。これ以上動き回って、エネルギーを消費したくない。
咲花の弾丸を足に受けて転倒するなど、論外中の論外。転倒を堪えて宙に浮き、咲花に距離を取られるのも論外。動き回って避けると、エネルギーを消費する。
では、どうするか。
天井にぶつかったヘルメットが、一メートルほど落下した。
亜紀斗の中で、過去の記憶が呼び起こされた。足元を狙ってくる弾丸の、対処方法。
亜紀斗は、前方に向って跳んだ。自ら跳ぶことで弾丸を避け、さらに、弾丸の爆風を推進力にした。
一気に、咲花に接近できた。彼女との距離は、約七十センチメートル。
咲花には近距離砲がある。外部型の常識を打ち破る武器。あの秀人を仕留めた、奥の手。
咲花の左手が、攻撃のモーションに入った。この距離で攻撃を仕掛けてくるということは、近距離砲だ。
耐久力を上げて近距離砲を耐える、という選択はしない。亜紀斗は、左にステップした。咲花の左手から遠ざかるように。
ステップしたことにより、亜紀斗は、咲花の射程圏外に出た。彼女との距離は、約一メートル。互いの立ち位置の関係で、咲花の左手は亜紀斗に届かない。
天井にぶつかったヘルメットが、一・五メートルほど落下した。
亜紀斗は左拳を突き出した。真っ直ぐ、咲花に向って。左のジャブ。筋力強化を最低限に抑えているため、それほど威力はない。
亜紀斗の左拳は、咲花の防御膜によって防がれた。亜紀斗の拳に、柔らかい感触が伝わってきた。柔軟性と衝撃吸収性のある、防御膜の感触。
この攻撃は防がれても構わない。防がれることを想定していた。亜紀斗は一歩踏み込み、追撃を掛けた。右フックを、咲花の脇腹にめがけて撃つ。
咲花は、全身に防御膜を張っているわけではない。そんなエネルギー効率の悪い戦い方はしない。必要な場面で必要な場所に、必要なだけ防御膜を張る。
追撃で放った右フックにも、咲花は的確に対応した。左脇腹付近に防御膜を張り、亜紀斗の攻撃を防いだ。
天井にぶつかったヘルメットが、二メートルほど落下した。
亜紀斗は、この右フックも防がれると想定していた。こんな単純な攻撃で仕留められるほど、咲花は甘くない。
この右フックは、攻撃のために打ったのではない。咲花のバランスを崩すために打った。
防御膜で防がれた右フックを、亜紀斗は、無理矢理ねじ込んだ。筋力を強化し、咲花を押すようにして。
防御膜で防いでいるといっても、押される力を完全に殺せるものではない。亜紀斗の右拳に押された咲花は、少しだけバランスを崩した。彼女の右足に、体重が乗っている。
右拳を引っ込めると同時に、亜紀斗は、左足を動かした。咲花の右足を、横払いに引っ掛ける。
体重が乗った右足を引っ掛けられ、咲花はさらにバランスを崩した。そのまま、転倒してゆく。
天井にぶつかったヘルメットが、三メートルほど落下した。
亜紀斗と咲花の距離は、約三十センチメートル。
転倒してゆく咲花に対し、亜紀斗は、打ち下ろしの右を放とうとした。少しだけ弧を描く軌道のパンチ。
目眩ましのパンチに続いてバランスを崩させるパンチを放ち、そこから、足を払って抵抗できない状態にする。その後に、一気に仕留めにかかる。亜紀斗の生存本能と闘争本能が組み立てた攻撃。幼い頃から暴力の中で生き、磨かれてきた感覚。
しかし。
咲花の技術は、亜紀斗の感覚を上回っていた。倒れながらも、右手を亜紀斗に突き出してきた。
彼女の右手には、近距離砲。
秀人と戦ったときと同じ決め手。転倒しながらも繰り出された、咲花の奥の手。
亜紀斗の拳は、咲花に届かなかった。拳が届くより先に、腹に近距離砲を食らった。
ズドンと、亜紀斗の腹を衝撃が貫いた。腹部を撃ち抜かれたような感覚。エネルギー消費を最小限に抑えるため、耐久力強化も最小限にしていた。
ゴボッという咳のような呻き声が、亜紀斗の口から漏れた。防護アーマーを着けていなければ、本当に腹に穴が空いていたかも知れない。ダメージは、先ほどの比ではなかった。
完全な呼吸困難に陥り、亜紀斗は床に両膝をついた。
ほとんど同時に、咲花も転倒した。
天井にぶつかった亜紀斗のヘルメットが、床に落下した。ガコンッと大きな音が響いた。
転倒した咲花は素早く立ち上がり、後方に跳んで亜紀斗から距離を置いた。
亜紀斗のエネルギーは残り少ない。ダメージは、開始直後よりも遙かに大きい。咲花の攻撃に耐え切ることは不可能。攻撃することも不可能。当然、ここから形勢を逆転することも不可能だ。
戦況を察したのだろう、訓練室に藤山の声が響いた。
『はい、ストーップ』
咲花は追撃を仕掛けてこなかった。ストップがかかったから。
もしストップがかからなければ、亜紀斗は、集中砲火されていたはずだ。避けることもできず、彼女が放った弾丸を全て食らっていただろう。
実戦訓練は、勝敗をつけるものではない。
とはいえ、倒されたという事実は、亜紀斗に敗北感を味合わせた。初めて咲花と戦って以来の、途中でのストップ。明確な敗北。
込み上げる悔しさに、亜紀斗は、床に拳を叩き付けた。呼吸困難で立ち上がることもできず、声さえ出せないのに。胸中の中で、何度も「クソが!」と繰り返した。声の代わりに、拳で悔しさを吐き出した。
待機室のドアが開く音が聞こえた。足音が、倒れている亜紀斗に近付いて来る。
「亜紀斗君、大丈夫?」
足音がすぐ側で止まって、声を掛けられて。来たのが藤山だと気付いた。立ち上がれない亜紀斗を心配して来たのだろう。
「だい、じょぶ、です」
ようやく声が出せるようになって、亜紀斗は、なんとか立ち上がった。まだ呼吸が苦しい。
「骨とか折れてないかい?」
苦痛に耐えながら、腹の辺りをさすってみた。骨折している感覚はない。
「おれ、て、ない、です」
「そっかぁ。まあ、よかったよ」
咲花はまだ訓練室にいた。立ち上がった亜紀斗を一瞥し、待機室に戻って行った。いつものような挑発的な言葉も、口にしなかった。
耐久力をあまり強化できない状態で、咲花の近距離砲を食らった。いくら防護アーマーを着けているとはいえ、肋骨にヒビくらいは入っていたはずだ――咲花が本気で撃っていたならば。
間違いなく、咲花は手加減していた。亜紀斗を相手に。さらに、憎まれ口ひとつ叩かず、この場を去って行った。
亜紀斗の中には、堪えようのない悔しさがあった。ダメージがなければ、暴れ出してしまいたいほどの悔しさ。
それなのに。
それ以上に。
咲花への違和感を、強く感じていた。
※次回更新は4/2の夜を予定しています。
12月から続く、咲花の違和感。
12月は、秀人が咲花を訪ねた時期。秀人が、咲花に復讐を持ちかけた時期。
咲花の心は、復讐に揺れ動いているのか――




