第二十七話② 無垢な優しさは下衆にも向けられるのか(中編)
胸ぐらを掴まれたまま、秀人は、ショルダーバックのファスナーを開けた。札束を鷲掴みにし、取り出した。三束。
金髪の男の、目の色が変った。大金を前にして興奮しているのだろう。
秀人は、掴んだ札束を床に落とした。ドサドサという音。
落ちた札束に釘付けになりながら、金髪の男は、秀人の胸ぐらから手を離した。
「何落としてんだよ。ビビって手でも震えたか?」
言いながら、金髪の男はしゃがみ込んだ。札束に手を伸ばす。
次の瞬間、秀人は、内部型クロマチンを発動させた。全力ではないが、全身にエネルギーを行き渡らせる。こいつらを、死なない程度に痛めつけるために。
秀人の目の前でしゃがみ込んだ、金髪の男。まずは、彼の腹に蹴りを入れた。
金髪の男の口から「うっ!」という声が漏れた。
秀人の足に、グニャリという柔らかい感触と、固い物が折れる感触が伝わってきた。蹴りが腹にめり込み、男の肋骨をへし折った。
金に目が眩んだ金髪の男は、一瞬にして、苦痛の沼に引き釣り込まれた。腹を押さえて苦悶の声を漏らしている。呼吸困難になっているのだろう。
秀人は、男の金髪を掴み上げた。彼の顎に向って、ビンタを放つ。ただのビンタでも、内部型クロマチンで強化して放てば、十分な凶器になる。
金髪の男の顎が砕けた。
「――――――――――――!?」
言葉にならない悲鳴が、部屋中に響いた。金髪の男は、顎が砕けて口を動かせなくなっている。もう、正常に発声することは困難だろう。
微笑はそのままに、秀人は、他の二人に顔を向けた。彼等はまだ、目の前で起こったことが理解できないようだ。小柄な秀人が、大柄な金髪の男に、一瞬で重傷を負わせた。
秀人は、ゆっくりと二人に近付いた。彼等に手が届く位置まで歩いて、足を止めた。
秀人の後ろでは、金髪の男が、呻きながらのたうち回っている。
まず秀人は、茶髪の男に問いかけた。
「お前、さっき、俺の胸ぐらを掴み上げたよね?」
茶髪の男の額に、汗が浮き出てきた。ようやく、目の前で起こったことを理解できたらしい。恐怖で体を震わせている。
秀人は、茶髪の男の手首を掴んだ。右手首。先ほど、秀人の胸ぐらを掴んだ手。
「質問に答えてよ」
「あ……は……はい……」
掴んだ男の手から、震えが伝わってくる。
「俺のこと、ずいぶん乱暴に扱ってくれたよね?」
「いや……あの……」
秀人と茶髪の男を見ながら、テンマが一歩後退った。
「乱暴な上にクセの悪い手には、おしおきが必要だよね?」
「……は……え?」
茶髪の男の手首を掴んだ、秀人の手。秀人は、握る手に力を込めた。割り箸をへし折るような感触が伝わってきた。
茶髪の男は大口を開け、目を見開いた。声は出ていない。強過ぎる痛みは、声すら奪う。息も詰まるような痛みに悶え、数秒後に、ようやく苦痛の声が出る。
秀人が手を離すと、茶髪の男は両膝を付いた。折れた右手首に触れ、目に涙を浮かべている。先ほどまでの余裕など、とうに消え去っていた。
秀人は、テンマに視線を向けた。当然、微笑は浮かべたまま。
ガクガクと震えながら、テンマは、さらに一歩後退った。
「何なんだよ、お前……」
テンマは怯えている。だが、秀人に問いかける程度の平常心はあるようだ。
「さあ。何なんだろうね。とりあえず、華は返してもらう。あと、華を利用して搾取したわけだから、それなりの報復もするかな」
テンマの口から「ひっ」と声が漏れた。周囲をキョロキョロと見回す。秀人に対抗する武器でも探しているのだろうか。その視線を、一点に止めた。華のところで。
テンマは、倒れている華の髪の毛を掴み上げた。彼女の後ろから、首を鷲掴みにした。
「来んな! 来んな!」
テンマはすでに、涙目になっていた。
「それ以上近付いたら、こいつを殺すからな!」
「……」
テンマを見つめながら、秀人は呆れてしまった。一瞬で殺せる武器もないのに、人質を取るなんて。
――華を馬鹿って言ってたけど、自分の方がよっぽど馬鹿だね。
とはいえ、思い切り首を絞められたら、華が怪我をするかも知れない。秀人は大人しく、テンマの言うことに従った。
「分かったよ。近付かない。で、近付かずに、俺はどうすればいい?」
「消えろ! 消えろよ! 金だけ置いて、とっとと消えろ!」
「わかったよ。でも、華はどうするの? 俺、華を連れ戻しに来たんだけど」
「うるせぇ! そんなこと知るか! 早く消えねぇと、こいつを殺すぞ!」
テンマに首を掴まれて、人質にされて。
華はただ、悲しそうだった。怖がるのでもなく怒るのでもなく、ただ悲しそうだった。静かに涙を流しながら、何も言わずにテンマの腕を見つめていた。やがて顔を上げると、秀人に視線を向けた。
「ごめんねぇ、秀人ぉ」
華は、助けを求めなかった。自分を騙していた男に人質にされても、恨み言一つ言わなかった。
「華が馬鹿なせいで、迷惑かけて……ごめんねぇ」
「迷惑じゃないよ」
咄嗟に言葉が出た。迷いなく言った自分に驚きながら、秀人は続けた。
「華を助けたかったから、助けに来ただけだよ」
「ありがとう、秀人」
泣きながら、華は笑っていた。
「でも、もう大丈夫だから。秀人に迷惑かけないから」
「黙れや!」
テンマが、華の首を掴む手に力を入れた。
「ベラベラ喋ってないで、とっとと消えろ! こいつを殺すぞ!」
秀人とテンマの距離は、約二メートル。内部型クロマチンの能力を発動させて踏み込めば、テンマが華の首を絞める前に、彼を殴り倒すことができる。だが、万が一ということもある。だから秀人は、安全策に徹した。
テンマは、右手で華の首を絞めている。
秀人は素早く左手を突き出し、外部型クロマチンの弾丸を放った。
秀人の弾丸の速度は、時速にすると約二五〇キロメートル。二メートル離れた位置のテンマに届くまで、約〇・〇二九秒。
秀人の放った弾丸は、テンマの右肩付け根に命中した。肩の関節を繋ぐ部分。打ち抜きはしない。肩を外す程度の威力に止めた。
肩が外れたテンマの右腕は、ダラリと垂れ下がった。当然、華の首から手が離れた。
「……は……?」
テンマは、わけがわからない、という顔を見せた。力が抜け、華の首から手を離してしまった。しかし、どうして手を離してしまったのか、自分でも理解できないのだ。
弾丸命中から二、三秒経過して。テンマの脳に、肩の痛みが伝わったようだ。彼は大口を開けて、息を荒くした。
「……はっ……はぁ?……な……」
外部型クロマチンは、無色透明である。発現した際は周囲の景色が歪んで見えるが、そんなことに気付けないくらいの一瞬で、テンマを撃ち抜いた。
つまりテンマは、自分の肩がどうして外れたのか、理解できていない。
「痛てっ……痛てぇ!? 何だ!? 何なんだよ!?」
息を切らしながら、テンマが喚き始めた。涙目のまま、外れた右肩を押さえている。
金髪の男も茶髪の男も、まだ激痛に呻いていた。
秀人は華に近付くと、彼女の後ろに回った。その場に膝を付く。シースからナイフを取り出し、彼女の親指の結束バンドを切った。ナイフをシースに戻す。
華の指先が紫色になっていたので、軽く揉んで血行を促した。指先に赤みで出て、血液が正常に流れたことを確認できた。
立ち上がり、秀人は華の手を取った。
「華、立てる?」
「あ……うん」
秀人に手を引かれて、華は立ち上がった。下着姿の彼女。怪我をしている様子はない。思った通り、強姦された形跡もない。
秀人は華を抱き締めた。
「よかった。華が無事で」
抱き締めながら、華の頭を撫でた。
「ひで……と……」
直後、華が泣き出した。秀人の背中に手を回し、強く抱きつき、子供のように大泣きした。
「秀人ぉ! ありがどぉ、秀人ぉ!」
泣きながら、ありがとうと繰り返していた。
右肩を外されたテンマが、こちらの様子を伺っていた。隙を見て逃げようとでも思っているのか。
華を抱き締めながらも、秀人は、テンマを睨んでおいた。彼を逃がさないための牽制。
テンマはすぐに、秀人から目を逸らした。右肩を押さえながら、痛みに震えている。
※すぐに続きを更新します
 




