第一章 九節
黒鎧が一斉に飛び掛かったその時。
あるはずのない天から流星が落ちた。
瞬きよりも刹那、大地に牙を突き立てる稲妻のように――
地下へと降り注いだ星は着弾とともに大爆発を起こし、空間ごと灼き尽くすが如き蒼炎を打ち放った。
「――ッ!?」
音が、光が、衝撃が、テトのあらゆる感覚を塗りつぶす。
咄嗟に腕で顔を覆い、俯いた。不思議と、痛くも熱くもない。むしろ温かな陽だまりに身を包まれているようだ。
明滅する視界の隙間から、誰かの背中が見えた。
「――闘神拳奥義、天彗」
片腕、片膝をついた姿勢から、その者は立ち上がる。
豪奢な金髪を縦ロールに結び、その陰には隠し切れない僧帽筋が山のように隆起している。山からは大木のような三角筋が生え、広背筋は深い谷を生み出していた。
上体の衣服は弾け飛んだのだろう。胸部を隠すさらしのみが残っている。
「……よくもテトきゅんに、こんな酷い事を」
女は振り返る。サファイアブルーの瞳が、深い憐れみを以てテトを見据えた。
「なんで……」
テトの幼い顔が、くしゃりと歪む。
「言ったでしょう? 放ってはおけないと」
テトを優しく抱き、その場に横たえると、闘神拳の使い手は黒鎧に向き直った。
「このまま逃がしては……くれそうにありませんわね」
拳を構え、辺りを見やる。
先ほどの爆発で栄養粘液は根こそぎ吹き飛び、貯蔵庫はただのクレーターと化した。二人がいるのはその中心。勾配を駆け上がった先、つまりクレーターの縁の部分には鎧蟻たちが続々現れ、二人を見下ろす形で包囲網が完成しつつある。
さらに、その上にある岩棚にも兵隊蟻が赤眼を滾らせていた。せっかく貯めた栄養粘液を吹き飛ばされたからか、さらに怒っているようだ。
通路を数頭の黒鎧が固め、絶対に生かして帰さんという意志が見て取れる。
「殲滅するしかない……か」
正中線に構えた拳を、両腰へ。肘を曲げ、軽く広げた手のひらを身体の正面に向ける。
多勢を相手にする際、闘神拳の使い手が用いる最も基本の構え――『柔円』。
僅かな瞑目の後、開いた瞳に迷いはなかった。ただ身体の闘気を操り、十ある指先の気孔へと流していく。基節骨から末節骨までを通し、指先へ。敵を破壊するために最適化された闘気の流れを作る。
「お願い……逃げて……」
テトの声が背にかかった。
「オレの事はいいから……自分のために誰かが死ぬのは、もう嫌だ……」
「…………」
「この傷だ……どのみち……オレは助からない」
脇腹に当てた手を、テトは見やる。手は鮮血に濡れ、爪の間まで真っ赤に染まっていた。
テトの言っている事は至極正しい。目に見えるだけでも数十頭、こうしている今も臭い袋につられて巣中の鎧蟻が集まって来ているのだ。どう見てもエスティア一人で相手に出来る物量ではない。
よしんば切り抜けたとて、テトの命は風前の灯火。医療教会があるガリアまで保つ可能性は薄いだろう。
「それに……さっきの技…………もう、貴女の気は、半分も残っていないんだろ……?」
「…………」
沈黙は肯定だろう。
実際、闘気は魔気と違って身体を循環する性質には優れているが、身体から切り離して放出するのには適していない。『天彗』は威力も範囲も凄まじいが、闘気の消耗もまた激しい。それをテトは見抜いていた。
「貴女まで死ぬ事はない……ないんだよ……」
テトが提言している合間に、鎧蟻の包囲網が完成していた。もはや三百六十度から完全に囲まれ、見下ろされている。
「お願いがあるんだ……オレをこんな目に遭わせて、大切な人を殺した奴が、まだ生きてる……総督の付き人だ……リカとロゼ……頼むからっ……生きてあいつらに……あいつらに裁きを……ッ!!」
腹底から怨嗟を吐き出すように、テトは上体を持ち上げながら懇願した。言い切ると、力を失ったように仰向けに倒れ込んだ。
そして、エスティアの両拳が人知れず強く握り込まれた、その時。
一頭の黒鎧が飛び掛かった。同時に、エスティアの身体が反応する。大地を蹴り飛ばし、迎え撃つように宙へ。アギトに切り裂かれるより速く、その拳が鎧を叩き付けた。強烈なノックバックが生じ、両者離れる。
着地は同時。黒鎧が吼え、間髪入れずに突進して来る。動かないエスティアに向かってアギトを振りかざした時、その頭部が破裂した。
「……それでは、誰が貴方を救うんですの?」
振り返る事なく、エスティアは問うた。断末魔を上げる間もなく、巨体が地に臥す。
真紅の瞳を丸くし、テトはエスティアと鋼の骸を見比べていた。何度見ても、やはり黒鎧の頭部は破裂し、内から外へ金属がひしゃげている。
「それに、他人の復讐など受けかねますわ。私がやった所で、そこに意味はない」
「そんな……」
「貴方自身の手で成し遂げるのです」
「え……?」
続いて三頭もの黒鎧が右、左、背後から同時に襲い掛かる。
「ハアッ!!」
エスティアはその場で後方宙返りを決めると、勢いの乗った踵で背後から来る黒鎧を蹴り上げた。右、左から来る鎧蟻のアギトを紙一重で躱した事で、彼らは空中で激突。すかさず両肘を突き込み、地面に叩き付ける。
一瞬のうちにはたき落とされた黒鎧たちは、ふらついたもののすぐに体勢を立て直した。
一方エスティアは、彼らのことなど気にも留めずテトへと歩み寄る。
黒鎧たちはその兜をもたげると、彼女に向かってアギトを振り下ろした。
エスティアはテトを真っ直ぐに見据え、問う。
「テト、私の奴隷となる覚悟はありますか?」
しかし、アギトがエスティアに届くことは無かった。鋼鉄の兜は内側から蒼炎によって食いちぎられ、爆散。
逆光の中、爆風に金髪をたなびかせるエスティアに、テトはただ見入っていた。
そして、彼女の言葉が冗談の類でない事は、伝わったらしい。
テトの紅い瞳と、エスティアの蒼い瞳が交差する。そのまま、上体を両腕で必死に支え、彼女を見上げたまま、テトは答えた。
「それでシオの仇が取れるなら」
「悪魔に魂を売る事になるとしても?」
「なんだって構わない……この手であいつらに裁きを下す……それが叶うのなら、命だろうが魂だろうがくれてやる……ッ!!」
僅かの迷いもなく、そう言い切った。
その答えを聞いたエスティアの目が、一瞬伏せられる。しかしすぐに向き直ると、持っていたずた袋から書物を取り出した。
悪魔の書は洞窟に入る前よりさらに強く輝いており、それは広間の岩棚まで照らす程だった。
すると鎧蟻たちの様子が一変した。先程まで怒りに満ち、興奮していた彼らが一様に怯え始めたのだ。
エスティアが、書の封印に手を掛ける。黒革のベルトを解こうとして、躊躇う指先は微かに震えていた。
喉を鳴らし、それでも覚悟を決めたように金具を弾く。
「……汝、悪魔の憑代となり、私の奴隷となる事を誓いますか」
「契約の神の名の下に、誓う」
エスティアの腕が振り抜かれ、三本のベルトの内、一本が解き放たれた。
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