第一章 七節
アラベルの剣が、アギトを斬り飛ばす。一本、返す手で二本。武器を失ってたじろぐ鎧蟻の首元を、すかさずテトが刈り取った。
「動きにキレが戻って来たな」
直剣を構え、洞窟の先を警戒しながらアラベルが言った。
少し俯きがちのテトに、篝火が影を落とす。宙に浮いている炎は、アラベルの気によって生み出されたものだ。
「ご主人……オレも、話したい事があります」
「そうか……なら、手早く片付けて引き上げるとしよう」
そんな主人と奴隷のやり取りを、槍使いは相変わらず歯軋りしながら見ていた。一瞬テトと目が合い、あろうことかちろりと舌を出される始末。文字通り地団駄を踏み、振り返ったアラベルの前で表情を取り繕った。
先頭をテトとアラベルが、後方をリカとロゼが警戒しながら、一行は鎧蟻の巣を進む。時折、魔獣狩人の遺品と思われる道具や装備品が落ちており、その度にロゼが喉を鳴らした。
「本当に広いですねぇ……迷路みたいですぅ」
「『ダンジョン』とも呼ばれているくらいだからな、ここは。迷ったら終わりだと思った方がいい」
ちょうど、壁にもたれかかって事切れた骸骨を眺めながら、アラベルは真顔で言った。
恐らく、鎧蟻のアギトの餌食になったのだろう。骸骨は骨盤から下がなかった。
「…………」
するとテトは、そんな最早彼とも彼女とも分からない物に近寄ると、その手の内に抱えている鞄を漁り出した。
「やめなさいよ、気色が悪い」
リカが軽蔑の眼差しを向ける。
「何か、この人だと分かる物がないかと思って」
「ふん、下らない。弱いから死ぬ、それだけでしょう」
吐き捨てられたリカの言葉に、テトの体がこわばる。
「生きたかったろうにな……」
だが感情を抑え、中にナイフや包帯などの遺品があるのを認めると、それをアラベルに見せた。
「好きにすればいい」
主人から許可を得たテトは、骸骨から鞄ごと受け取るとそれを腰に巻き付けた。結び目がほどけぬよう、しっかりと。
「しかし、気掛かりではあるな」
「どうされたのですか? アラベル様」
「いや……見たところ亡くなってから数か月だが、巣穴の遺品回収依頼には、誰の名前も無かった」
「それはまあ……魔獣狩人の中にも様々な者がいますから。死んでも誰にも気に掛けられない……いや、死んだ事すら誰も知らない人間だっていますよ」
「そうだが……少なくともこいつは一人でこの鎧蟻の巣に潜り込んだ可能性が高い。それ程の実力があったという事だ。それがこんな、深層でもない場所でやられるとは」
いくらガリア周辺にまで鎧蟻が巣穴を拡大しているとはいえ──アラベルの言葉に、一同は無言で骸骨を見つめる。唯一真実を知る遺骨は、何も答えない。
「最も、ただの命知らず……だったのかもしれないが」
アラベルが口にした憶測を最後に、一行は再び進み始めた。
そして、すぐにその答えを知る事になる。
やがてアラベルたちは、二股の分かれ道へと差し掛かった。いつものように目印を付けようと、壁に近付いた時だった。
「ご主人」
「ああ」
アラベルが足を止めたと同時に、テトが声を掛けた。
篝火が照らした向こうに、ぬらりと光る巨影が二つ。
「こんな所に親衛隊が……さっきの奴も、そうか……事は思ったより深刻らしい」
分かれ道の両側から現れた鎧蟻は、今までのそれとは雰囲気が違った。
まず鉛のような鈍色ではなく、黒曜石を思わせる漆黒の鎧を身に纏っている。
口先から伸びるアギトも、通常個体より分厚く太い。顔つきも刃物のように鋭く尖っており、より凶悪さを増していた。
「アラベル様! こっちにも!」
ロゼが叫ぶと同時に、背後に矢を放った。虚空で魔弾が弾け、暗闇の中を蒼く照らす。一瞬の光に、黒く骨張った輪郭が照らし出される。
「囲まれたか」
前方の分かれ道から二体、隊列の最後にいるロゼの背後からも一体。逃げ道はない。
アラベルの前方にいる親衛隊が動く。彼らは口を開くと、無色透明の液体を吐き出した。
それに対し、青年は右手を突き出す。風の気を放出すると凄まじい突風が巻き起こり、液体を霧散させた。
「こっちの二体は受け持つ! 背後は任せるぞ!」
「「了解!」」
リカロゼが返し、テトも頷く。アラベルが洞窟の壁を駆け、親衛隊の一頭に肉薄した時だった。
大地が割れるような轟音が、辺りに響き渡った。
その場にいる全員が背後を振り返り、八つある目が全て見開かれる。
洞窟の天井に亀裂が入った──次の瞬間には、地盤が崩落していた。
「アラベル様っ!」
リカが叫んだ時には、もうアラベルの姿は見えなかった。岩塊の向こう側か、運が悪ければ下敷きだろう。
当然、返事などない。唯一残されたのは、気で生み出された篝火のみ。
退路を断たれた三人に、黒鎧が迫る。
「く、来るなぁ!」
ロゼが魔弓を放つが、漆黒の鎧には傷一つ付かない。リカも果敢に槍撃を叩き込もうとするが、アギトの一振りであしらわれ、命中すらしなかった。
まるで相手にされていない。
外敵を両断せんと、アギトをがちがちと鳴らす黒鎧を前にして、二人は顔を見合わせた。それからテトへと振り返り、
「お、おいクソ奴隷! さっきみたいにさっさと倒しなさいよ!」
「そ、そうよ! 早く倒してよ!」
上擦った金切り声で叫んだ。動揺を隠せない様子で、縋るようにテトを見ている。
「…………」
テトは返事どころか、彼女らの事を一瞥もしない。無言で一歩を踏み出すと、正面から黒鎧に駆け迫った。
暗闇の中に火花が散る。差し迫るアギトを手斧で受け流し、顔面に肉薄。跳躍とともに、黒鎧の眼球に向かって手斧を打ち下ろす。
一連の動作は一瞬。しかし黒鎧はテトの動きに合わせて、既に頭突きを放っていた。
手斧を振り切る前に突き飛ばされるテト。叩きつけた隙を見逃さず、黒鎧がトドメを刺さんと飛び掛かる。それを尻目に、
「今のうちよ!」「逃げましょう!」
リカとロゼは逃げ出していた。
「ッ!」
遮二無二地面を転がり、すんでのところで致命傷を回避するテト。しかし僅かに遅かった。アギトの刃先が脇腹を掠め、浅くはない傷を抉り付ける。
「ぐゥッ!? ──おおおッ!!」
裂帛の雄叫びを上げ、身体を奮い立たせたテトは、血を噴き出しながらも黒鎧に飛び付いた。
「キシャアアアッ!!」
狭い洞窟内を、滅茶苦茶に暴れる黒鎧。
岩壁と鎧の間で挟み潰される直前、テトは空中へと踊り出し、すれ違いざまに黒鎧の片目を叩き斬った。
「ぐふっ……これであいこだ……」
おぞましい悲鳴が洞窟内に響き渡る中、テトは苦痛に顔を歪ませながらも、強気に笑った。自分を鼓舞するように。
狂ったようにアギトを振り回しながら黒鎧は後退し、テトと距離を取る。斬り結びの一合目は、両者ともに深手を与える結果となった。
テトと黒鎧は再び相対し、肩で息をしながらも叫ぶ。
「こんな所で……死んでたまるかっ……!」
口からは血を吐き、左手で押さえた脇腹からは血が滴る。命の刻限を示す砂時計が、零れていくように。
黒鎧が恐怖と憤怒にまみれた絶叫を上げ、テトへと突っ込んでいく。
潰した目の方へと回り込み、それでも追い迫ってくる前脚の一薙ぎを、回転をつけた跳躍で躱す。その勢いを乗せた手斧で、そのまま前脚を斬り飛ばした。
「守らなくちゃいけないんだ……オレが」
痛みに上体をのけぞらせた黒鎧に再び飛び付くと、一気に首元まで駆け上がる。
「シオだけは……絶対に!!」
両手で振り上げた斧を、その頚椎に叩き込んだ。
断末魔すら上げる事なく、黒鎧は身体を硬直させると、やがて静かに地に臥した。
「だからさ……皆見ててくれよ。力を貸してくれ……」
見えない天に向かって呟くと、テトは洞窟の奥へと進み始めた。
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