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第一章 三節

 シオは、生まれた時から奴隷だった。


 父と母の顔も名前も知らない。物心付いた頃には奴隷小屋にいた。奴隷を育てて出荷する為の施設だ。


 臭くて汚くて、息をするのも苦しいような狭い仕切りの中に、ぼろ布を着せられた奴隷の子どもが何人もいた。


 主人である人間たちは、いつも身勝手で恐ろしかった。気に入らない事があればすぐに暴力を振るい、毎日のように奴隷を怒鳴り付けていた。


 食事は人間の残飯か、穀物をどろどろに溶かした味のしないスープのようなものばかり。

 

 不衛生で、十分な食事も取れない環境ゆえ、身体の弱い子どもはばたばたと倒れていく。畜舎から運び出された彼らを、二度と見た事はなかった。


 当然、自由など片時もない。幼い子どもといえど、奴隷は奴隷。早朝から日没まで働かされる。


 そんな彼らは皆、生まれついての奴隷だ。


 奴隷の母から生まれた子は、奴隷紋を持って生まれる。この世界で最も不幸な存在。その掃き溜めでシオは育ち、そこにテトもいた。


 同じ仕切りにいた二人は運良く生き残り、自然と助け合うようになっていった。ともに働き食事を分け与え、互いを励まし合った。


 初めこそ、それはあくまで生きながらえる為の行為でしかなかっただろう。奴隷小屋には他者への思いやりを教えてくれる大人などいなかったし、学ぶ機会もなかった。


 だがそんな環境にあっても、一年も経たぬ内に二人の間には確かな友情が芽生えていた。奴隷としての仲間意識、互いを思いやる絆とも言うべきものが。


 実際シオは、何度テトに守られたか分からない。理不尽な暴力を受けそうになった時、テトは必ず彼女を庇った。代わりに自分が殴られようとも、不当な暴力に屈する事はなかった。


 それからさらに数年。


 ある日からぱたりと暴力が止んだ。二人が、十歳になる直前くらいの時期であった。


 奴隷小屋に比べれば随分清潔な部屋に移され、食事も真っ当な物を与えられるようになった。労働時間も半分になり、残りの時間は自由に過ごしていい事になった。


 さらにおもちゃや食べ物など、欲しいものを言えばある程度与えられた。それを持ってくる人間は、日が経つ毎に哀れむような目をしていたが。


 もうなにかと協力する必要も無くなったが、二人はいつも一緒だった。働く時も遊ぶ時も、毎日のお風呂も寝る時も。二人にとっては天国のような日々が続いた。


 そうして三ヶ月が過ぎた時。


 二人は手錠に目隠しをかけられ、荷車に乗せられた。さらに肌が透けるような薄布を着させられ、連れ出されたのは市場だった。


 それも、奴隷の市場だ。


 ついにこの時が来たかと、とうとうシオは観念した。同時に大きな疑問がよぎる。


 自分達は一体誰に買われるのだろうか? 


 誰に買われて、何をさせられるのだろう? 畑仕事? 家事育児? まさか女の私が奴隷騎士はあるまい。

 

「……お前たちもかわいそうにな」


 ぼそりと聞こえた誰かの言葉が、嫌なくらいシオの耳に残った。


 どこかに立たされ、目隠しを外される。まず隣を見て、テトがいる事に安心した。美しい銀髪が、照明を受けて煌めいている。


「え……なにこれ……?」


 そして正面を見て、シオは恐怖した。無数の仮面──いや、仮面を被った人間が、目の前に大勢いる。五十人は下らない。


 仮面の奥のぎょろりとした目が、一様に自分とテトに向けられているのを感じ、シオはこれまでにない不快感を覚えた。


 見せ物にされている。そう思った時、主人の男が話し始めた。やれ二人の肌がきれいだの、やれ髪の艶が美しいだの、何十年に一度の逸材だの、まるで商品の良さでもアピールするように。いや実際にその通りだったのだ。男は所有物であるテトとシオを、性奴隷として売り捌こうとしていたのだから。


「二人合わせて一千リルから!」


 リルがこの国の通貨だというのはシオも知っていた。一千リルが決して安くはないという事も。


 男たちが次々と手を上げ、二千、三千と値段がつりあがっていく。二人の傍に立つ主人はこれ以上ないほど満足げな笑みを浮かべていた。


「お前たちは素晴らしい。ここまで美しく育ってくれるとはな。せいぜい、変態どものけ口になってくれよ」


 生まれて初めて、シオが人間に褒められた瞬間だった。だが捌け口になるとは、一体どういうことか。


「五千リル!」


 おお……というどよめきが走る。手を上げたのは、成金じみた禿げで太った男だった。仮面の奥の目をぎらつかせ、舌舐めずりなどしている。一目で変態であろうと分かる風体。


「五千リル出ました! 他にはいらっしゃいませんか?」


 主人の男が高らかに、煽るように問い掛ける。辺りに沈黙が流れ、シオの心を言いようのない不安が塗り潰していく。


「それでは──」


 そんなシオの内心など知るはずもなく――知っていても考慮などしないだろうが――主人が締めようとした時だった。


 男たちの中から、すっと手が上がった。


 小さなどよめきが起こり、手を上げた男に注目が集まる。彼はそれを気にする事なく、人混みからステージの前へと踏み出た。


 男の正体は、長身痩躯の青年だった。やはり仮面を被っているので、表情は伺えない。


 彼の言葉を待つように、辺りを静寂が満たす。


 青年は真っ直ぐにテトだけを見上げると、


「一万リルだ」


 その足元に硬貨が詰まった袋を叩きつけた。


 口をぽかんと開け、唖然とした表情で主人が青年を見つめる。お客たちも顔を見合わせて、次の瞬間には歓声が沸き起こった。


 こうして、シオとテトは今の主人──城塞都市ガリア総督アラベル・カインズに引き取られたのであった。


「テト遅いなぁ……」


 中央に噴水を構え、整えられた芝生と石畳の歩道が壮麗な景色を生み出している庭園。


 アラベル邸の庭先、その水路でシオは洗濯をしていた。冷たい水に手を突っ込み、人間たちの服を慣れた手つきで次々洗っていく。


 彼女の眼前には屋外修練場がある。人型や魔獣型の訓練用ハリボテに向かい、奴隷少年たちが武器を打ち込んでいた。


 本来ならテトも訓練に参加しなければならない時間だが、まだ戻っていない。


「やっぱり夢中になって時間を忘れてるんじゃ……」


 呟き、溜息をつく。そして気配でも感じたのか、シオが何気なく振り返ると、ちょうどテトが門扉をくぐって帰って来た所だった。


 洗濯物を置き、駆け寄る。


「テト、遅かったじゃ……」


 言い掛けた言葉は萎んでいった。どうもテトの様子がおかしい。


「…………」


 目も合わせてくれないし、不自然に左頬を抑えている。結んだ髪もほどけ乱れているし、額からは血が出ているではないか。


「何があったの……?」

「……何もないよ」

「何もないわけないでしょ? 何年一緒にいると思ってるのよ」


 シオはそう言ってテトの手を掴むと、頬からどけさせた。露わになった痛々しい青痣を見て、シオの目が見開かれる。


「ひ、酷い怪我してるじゃない!? 誰にやられたのよ!?」

「……っ」


 テトは拳を握り締めるばかりで、何も答えてくれない。その両手を見て、シオはもう一つのことに気付いた。


「テト……絵は? 皆の絵はどうしたの? まさか……」


 憶測を口にしようとした時だった。


「何をしている? 門限は過ぎているぞ」


 声の主に二人は肩をこわばらせ、振り向く。


 そこにいたのは二人の主人――総督アラベル・カインズだった。


 黒色の短髪に、切れ長の双眸。整った顔立ちだが、無表情もあいまって冷たい印象を抱かせる。


 背は高く、細身でありながら筋肉質。革製防具を身に付け、その上からロングコートを羽織っていた。


「これはお仕置きが必要ねえ」

「遅刻はいけないんだぁ〜」


 遅れて、リカとロゼがタイミングを図ったかのように姿を表した。テトの表情が一気に険しくなり、庇うようにシオの前に出る。


 小さな背中が、悲痛に見えて──シオは今すぐ抱きしめてあげたい衝動を必死に抑えた。


「テトは……その顔はどうした?」


 アラベルは遅刻を叱ろうとして、テトの青痣に気がついたらしい。彼の前に片膝をついて問うた。


 後ろで腕組みをしているリカが小さく舌打ちし、目線でテトに釘を刺す。その様子が、シオからは見えた。


「……転んでしまいまして」

「嘘をつけ。転んだ程度でそうはならないだろう。誰にやられた? 正直に言え」

「……魔獣狩人ハンターの方に、少し」


 アラベルがテトを――その奴隷紋を数秒見つめる。しかし、反応はない。


 テトが嘘を言っていないという事が分かると、アラベルは立ち上がった。


「そうか……実は急報が入ってな。鎧蟻がガリア周辺まで巣穴を広げているらしい──被害が出る前に駆除するぞ」


 踵を返し、テトたちに背を向ける。その背後でリカロゼは勝ち誇ったような笑みをテトに向け、


「しかし、その魔獣狩人ハンターもいい度胸をしているものだな」


 アラベルの言葉に、どういうことかと顔を見合わせた。


「この私――城塞都市ガリア総督、アラベル・カインズの物を傷付けるとは」


 彼の言葉に怒気が含まれているのに、二人は遅まきながら気付いたらしい。宥めようと作り笑いを浮かべた途端、腰を抜かすことになった。


 青年の細身から、凄まじい闘気オーラが立ち昇ったからだ。さながら空へ落ちる滝の如し。小鳥たちは一斉に飛び立ち、巻き起こった突風に吹き飛ばされまいと花壇の花たちが地面にしがみついている。


 屋敷の外、周辺にいた人間や奴隷さえ、皆一様に立ち昇る黄金色の闘気に腰を抜かしたのだ。リカとロゼ、そして庭で仕事をしている奴隷たちがへなへなと地面に倒れこむのは必然だった。


 ただ一人、テトを除いて。


「私の物を傷付ける奴は誰であろうと許さん。その痣の精算はして貰う、必ずな」


 嘘のように闘気が消え去り、周囲に静けさが戻る。


 舞い上がった紫色の花びらが、辺りに降り注いだ。


「行くぞ、テト」


 それだけ言うと、何事もなかったかのように青年は歩き出す。


 彼の言葉に引っ張られるようについていくテトが、一瞬、シオを見た。無言で見つめ、大丈夫だよと語りかけるように、ぎこちない笑みを浮かべる。


 シオはぎゅっと胸が締め付けられ、しかし引き止める事など出来なかった。本当は吐き出したい事が一杯あるだろうに。


 テトは視線を外すと、アラベルとともに屋敷を出て行った。


 騒動が落ち着いたのを見て集まっていた野次馬が散り、それぞれの仕事に戻っていく。


 座り込んだままのリカとロゼが、口を開けたまま小刻みに震えていた。

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