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第一章

 城壁の向こうから日が昇り、街に光を差し込んでいく。


 ある屋敷の上で白尾鳥しらおどりが身震いし、大きな一声を上げた。


 一日の始まりを告げた鳥は、朝焼け空へと飛び立っていく。彼にとって一晩の宿となった屋敷、その庭園には木造の小屋が軒を連ねていた。春先の冷たい風が、木の板の隙間から中へ吹き込んでいく。


 そこには、いたずらな風に撫でられ、布の中で身じろぎをする小さな人影があった。ぱちりと開いた瞳の色は、ルビーのような真紅。


 数回目を瞬くと、すっくと上体を起こした。長い銀髪がはらりと垂れる。赤眼の持ち主は何気なく、辺りを見回した。


 小屋の広さは六畳間ほど。仕切りや窓などはなく、家具も簡素なクローゼットが一つあるのみ。


 そして、視線を落とし隣を見れば、一人の少女が寝息を立てていた。寝具をピッタリと付け、寄り添うように寝ている。


 小屋にいるのはその二人だけだった。寝泊まりするには、やや空間を持て余している。実際、寝具は六人分あった。だが残りの四つは畳まれ、部屋の隅に寂しげに置かれている。


「…………」


 小さな若者は瞑目すると、傍にあった桶から水を掬い口に含んだ。朝の空気に冷やされた水が、ごくりと喉を通り過ぎていく。満足げに息をつくと、水桶を覗き込んだ。


 幼いながら整った顔立ちが、水面に映り込む。きりりとした精悍な顔つきだが、大きな瞳や長い睫毛、背中まで伸びる銀髪も相まって少女のようにも見える。桜色の唇が、色白の肌によく映えた。


 若者は軽く顔を洗うと、立ち上がった。そして枕元に置いてある画材を脇に抱え、ルームメイトを起こさないよう慎重に片足を上げた時、もう片方の足首を掴まれた。


「テト、行っちゃやだよ……」


 テトと呼ばれた若者は声の主へとゆっくり振り返る。同い年くらいか、ベージュの髪を肩上で切り、紫の花の髪飾りを付けている少女が、ぼんやりとしたまなこでテトを見上げていた。


「また寝ぼけてる。……大丈夫だよ、シオ」


 声を掛けると、少女は掴んでいた手を解き静かに上体を起こした。衣擦れの音が小さく響く。


 それから、シオと呼ばれた少女はぱちくりと目を開き、大きなあくびをした。


「ふああ……んぇ?」

「起きた?」

「うん……あれ? テト、もう行くの? まだ寝てたらいいのに」

「……あと、仕上げるだけだからさ」

「そっか……楽しみ」


 テトは俯き、布を被せてあるキャンバスに視線を落とした。それから、今度こそ行こうとした時、


「あ、寝癖付いてる。梳かしてあげるから、背中向けて」

「え、いいよ。どうせ訓練でくちゃくちゃになるし……」


 少し恥ずかしそうにそっぽを向くテト。シオは逃がすまいと素早く背中に回り、がしっと両肩を掴んだ。


「だーめ。そんなにきれいな髪してるんだから、大事にお手入れしなきゃ」

「もう切っちゃおうかな……女の子みたいで変じゃない?」

「ダメよもったいない!」


 それからシオは髪の手入れについてお説教しながら、丁寧にブラッシングして差し上げた。その間にテトは「もう終わり?」と三回聞き、その度に「まーだ」と返された。


「はい、完成。こっちの方が動きやすいでしょ?」


 寝起きでくるくるしていたテトの髪は、匠の手によって癖のない艶々な姿を取り戻した。ついでにポニーテールにも結ばれた。


「うん、涼しい」

「さいですか……」

「ありがとう。行ってくる」

「行ってらっしゃい。夢中になって訓練に遅れないようにね」

「分かってるよ」


 テトは小屋から踏み出し、


「あ、あと」


 という言葉に振り向いた。少女は大げさに眉根を寄せると、目いっぱい低い声を出して言った。


「人攫いには気を付けるように」


 その言葉にテトがくすくす笑うと、少女もしかめっ面を保てなくなって一緒に笑った。


「行って来るね、シオ」


 今度こそ、シオと呼んだ奴隷の少女を置いて、テトは小屋から出て行った。




            ☆




 筆先が紺色を塗り付け、さっと離れる。


 テトはキャンバスの向こうへと筆先をかざした。東の空が、紺色の夜空から鮮烈な紫へとグラデーションを描き、その狭間で星々が輝いている。


 遠くの山並みは逆光の中に輪郭を刻み、影の中で揺れる木々たちはスポットライトが当たるのを待ち侘びているかのようだ。


「……あれから、半年か」


 果たしてキャンバスには、夜空の絶妙な色合い、木々の形と影、絵全体の遠近感などが鮮やかな色使いで見事に表現されていた。


 そして、画の最も手前には四人の人物が描かれている。十代半ばから後半くらいだろうか。男が三人と、少女が一人。皆、暁を背に屈託のない笑顔を浮かべていた。


 テトが今来ているここは、城塞都市ガリアから東に位置する名もなき丘。


 再び、もう余白のないキャンバスへと筆が入る。最早ほとんど完成しているように見えるが、本人なりのこだわりがあるのだろう。細かな色を丁寧に入れていく。一筆一筆は小さな物だが、色を入れる度、確かに絵全体の息使いとも言うべきものが増していった。


「……!」


 ふと、仕上げをする筆が止まる。


 そして何かに気付いたように、テトは勢いよく振り返った。


 辺りには誰もいない。しかし数秒後……足音が聞こえ、


「朝から早いね〜、クソ奴隷」

「奴隷が絵描いてる。ウケるぅ」


 女が二人、姿を現した。


 強い警戒心を浮かべた目で、テトは彼女らを見据える。


「何よ、その目は?」


 と、言った女は口元こそ笑っているが、目が据わっていた。年齢は二十代前半ほどか。長髪をポニーテールに結び、背中に槍を背負っている。


「そーだそーだぁ。生意気だぞぉ」


 もう一人の女は十代後半くらいか。髪をツインテールに結んだ彼女は、短弓を装備している。槍使いの女はスレンダーな体型だが、弓使いは背が低く、女性的な丸みを帯びていた。


 とはいえ、どちらも十代前半のテトよりは背丈も体格も大きいが。


「何の用だ」


 そんな彼女らから一瞬も目を離さず、テトはキャンバスを守るように抱えようとした――瞬間。


 槍使いの女が凄まじい勢いで踏み込んだ。そして、避ける間も与えずテトの胸ぐらを掴み上げた。


「ぐっ……かはっ……」


 女よりずっと小さいテトは、容易に地面から持ち上げられてしまう。


「は、離せっ……!」


 テトが両腕で抵抗するが、全く敵わない。それも当然だ。槍使いは闘気を使ってテトを持ち上げているのだから。


 その証拠に、彼女の右腕は黄金こがね色の輝きを放っていた。人間ならば誰しもが持つオーラの一種、闘気。それは身体しんたいを循環し、人の運動能力を大きく伸ばす。


「なに反抗しようとしてんだ? オーラも持たない落ちこぼれが!」


 ぐぐっ……と、槍使いの腕にさらに力が籠る。それに応じて、闘気の輝きも増す。苦痛に歪むテトの顔に、濃い陰影を刻み付ける。


「ここに描いてあるのはなにぃ? 奴隷のお友達ぃ?」


 今度は弓使いがキャンバスを掴み取ると、鬼の首を取ったようにテトに見せつけた。弄ぶように左右に揺らす度、まだ乾ききっていない絵の具が滲んでいく。


「やめ、ろ……っ!」


 テトは息を詰まらせながらも手を伸ばし、弓使いはひょいっとそれを躱す。にやにやと下卑た笑みを浮かべ、テトを嘲笑うばかりだった。


「“やめろ”? クソ奴隷が何命令してんだよ!!」

「がはっ……!」


 語気を荒げた槍使いはテトを地面に叩きつけた。テトの口から、肺の中に僅かに残っていた空気が血と混じって全て吐き出される。


 槍使いは間髪入れずに銀髪を引っ掴むと、乱暴に持ち上げた。結んだ髪が解け、ばさりと落ちる。


「ちょっとアラベル様に気に掛けられてるからって調子に乗ってんじゃねえぞ、アバズレ奴隷がよ〜」

「あは、リカ姉こわーい」


 リカと呼ばれた槍使いはぱっと銀髪から手を離すと、


「謝罪しろよてめぇ、奴隷如きが絵を描いた挙句、反抗して申し訳ございませんって」


 テトの顔を踏みつけながら命じた。


 ぎりぎりと女の足が、テトの頬を踏みにじる。幼い顔が苦痛と屈辱に歪む。


 しかし、


「イヤだ……っ!!」


 はっきりと、そう言った。そして踏みつける足に抵抗し、踏みにじられまいと耐えている。僅かに槍使いの足が押し返され、持ち上がった。


「なんだって……?」


 リカの右足が闘気を纏う。一気にテトを押し潰す力が増し、なす術なく地面と挟み込まれた。


「奴隷の癖に盾ついてんじゃねえ!」

「オレは何もっ……罰を受ける事はしていないっ……! この絵を描いているのだって……ご主人に許しを得てやっていることだっ……!!」


 それでもテトは折れず、堂々とした言葉で反論した。リカはさらに激昂したが、怒り混じりの笑みを浮かべると弓使いに目配せした。


 弓使いは待ってましたとばかりににやりと笑うと、テトの眼前にキャンパスを投げ捨てた。


 テトの口から声にならない悲鳴が上がる。


「ごちゃごちゃうるせえよ。いいか? てめえは奴隷だ。ただ私たちの為に肉の盾になりゃそれでいいんだよ! それがだらだらと生き残りやがって……絵を描く暇があったら、便所掃除でもしろ!」

「ねえ奴隷クン、早く謝った方がいいんじゃないかなぁ?」


 弓使いの女はそう言うと矢を取り出し、火炎結晶を矢じりに叩きつけた。炎のオーラが弾け、火の付いた矢をつがえる。テトの顔が絶望に染まる。


「…………てくれ」

「なに? 聞こえない」

「やめ……てくれ……それは……その絵は、皆との約束なんだ……!」

「知らねえよ、人間様に物を頼むときはどうすんだ? あぁ?」


 噛み砕きそうな程の力で奥歯を噛み締めるテト。ぎゅっと瞑った目尻から涙が伝い、地面に零れ落ちた。


「あーあ、泣いちゃった。かーわいい」

「はあ、もういいよお前。ロゼ、燃やしちゃって」


 そう言われた途端、テトの体が強張った。機を見計らったように、リカは踏みつけていた足をどける。その唇には歪んだ笑みが浮かんでいた。


「なに? なんか言いたい事でもあんの?」

「ッ……!」


 あまりの悔しさゆえか。テトはぶるぶると身を震わせながらも、それでも土下座の姿勢を取った。両手をつき、額を地面に擦り付ける。背中まで伸びる美しい銀髪が、土の上に垂れた。


「やめて下さい……お願いします……」


 涙混じりの懇願。自分を踏みしだいた女にこうべを垂れ、ただ許しを請う事がどれだけ悔しいか。


 そして、それが女にとってどれほどの愉悦か。にんまり、という表現がこれ以上ないほどぴったりな、邪悪な笑みを浮かべるとリカは言い放った。


「やなこった。ブァーーーカ!!」


 ばっと顔を上げたテトの前で、リカがロゼに合図した。弓使いはくすくすと嘲笑を堪えながら、


「リカ姉ほんとひどぉ~いぃ。そういう事だから、ごめんねぇ~奴隷クぅン」


 投げ捨てたキャンバスに対し、何の躊躇いもなく火矢を打ち込んだ。


「あ、あああっ……!」


 絵画の表面から火が立ち昇る。あっという間に、夜明けのキャンバスが燃えていく。テトはすぐに起き上がると、手が火傷するのも厭わず燃えるキャンバスをはたいた。


「消えろっ! 消えてよっ!!」


 テトの願いも虚しく、火はあっという間に大きくなるとキャンバスを覆い尽くした。たまらず手を引っ込めたテトの前で、四人の笑顔が静かに、残酷に燃えていく。


 膝から崩れ落ち、両手をつくテト。その心に鞭を打つが如く、甲高い嘲笑が辺りに響く。


「あはははは!! あー気分いいわァ! ちょっとは鬱憤も晴れるってものねぇ!」

「なんで……」

「はぁ?」


 テトはくしゃりと顔を歪ませ、ぼろぼろの泣き顔でリカを見上げた。


「なんで……こんな事をするんだ……? お前たちは人間で、なんだって出来る自由があるじゃないか……! オレに出来るのはこの絵を……皆との約束を果たす事だけだったのに……!」


 槍使いの顔から笑みが消え、


「うぜえんだよ」


 稲妻のような蹴りが迸り、テトの幼い顔を蹴り飛ばした。


「ちょっとリカ姉!? 蹴るのはさすがにやりすぎぃ」

「こいつはこの程度で死なねーよ。てめぇ、アラベル様に言い付けてみろ? あのシオとかいう雌奴隷、娼館に払い下げるからな」


 倒れ伏すテトの身体が、ピクリと動いた。


 リカは勝ち誇ったように唇の端を持ち上げている。


 ゆっくりと、だが固く、テトの拳が握り込められているのに気付いていない。


「もし……」


 ゆらり、と幽鬼の如くテトは立ち上がった。


 燃えるような赤い瞳で、リカたちを正面から睨み付ける。


 二人を無意識に後退らせるほどの殺気が、その奥から放たれていた。


「もし、シオに手を出してみろ……お前らを殺す」


 常識で考えれば、気を持たないテトがリカたちに勝てる道理はない。


 だが、必ずそうするという意志が、高慢な魔獣狩人である二人を怯えさせる程の気迫が、その言葉にはあった。


「は、はあ……?」


 ようやく、リカはたかが奴隷に怯えているという自分の姿に気付いたらしい。


「お、お前如きに出来るわけないでしょ? 馬鹿じゃないの? 身の程が分かったら、アラベル様からさっさと離れなさいよ! このクソ奴隷が!」


 震える声でそう吐き捨てると、二人は足早に去っていった。


 テトの身体から一気に力が抜け、燃えるキャンバスの下に両手両膝をつく。


 もう何も、跡形もない。


 夜空の星々も暁の空も、四人の屈託のない笑顔も、何も。


 頬を伝う涙に、揺らめく炎が映り込む。


「ごめんっ……皆っ……約束したのにっ……ごめんっ……」


 涙は後から後から溢れて、零れ落ち炎へと消えていく。


 しばらくの間、キャンバスの繊維が燃える音と、テトの嗚咽だけが早朝の丘に流れた。

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