生まれ故郷は特別な場所!堺の街をご紹介
私は機会があるごとに大阪府堺市の昔のいわゆる環濠都市内で包丁鍛冶屋の息子として生まれたとお話をしております
そして自己紹介で私は包丁鍛冶屋の息子ではありますが、私が包丁を研ぐと見事に切れなくなりますとも言います
今は大阪市内に住んでいて生家はもうありませんので、私が先祖から受け継いだものは遺伝子と職人気質のみということでしょうか
ただ、面白いことに堺市の中心地に行くとやはり何故か気分が晴れ晴れとして元気になれるのが不思議だなぁと感じています
生まれ故郷は遺伝子が騒ぐ最強のパワースポットだといつも思っています
私はその生家の近所の産婦人科で生まれたと聞いています
今その医院は場所を少し変えて内科として開院されておられます
私を取り上げてくださった先生の子供さんか、お孫さんでしょうか?名前はそのまま残っていてその医院の移転先での外観はおしゃれな洋風の建物です
確かいつかどこかであの建物を建てたのは私だという大工さんと会ったことを思い出しました
すごいご縁を感じたものです
さて、堺は歴史のある町として有名ですが、千利休が暮らしていた庵の跡地が残っています
あの歌人・作家の与謝野晶子もこの堺の有名な老舗菓匠「駿河屋」の娘でありました
さらに堺には有名なお店も多くあります
「小島屋のけし餅」
これは千利休がお茶を広めていくにあたって、いっしょに広まっていったお菓子というから凄い歴史のあるお菓子です
まんじゅうの外側をけしの実で覆った名物です
「かん袋のくるみ餅」
これも歴史は古く鎌倉末期創業のお店でやはりお茶菓子として広まっていったようです
白玉団子に緑の餡をかけて食べるのですが、この緑の餡は青大豆からつくったものでくるみは使用されていないそうです
そう考えると不思議な名前のお菓子ですね
このようにお茶文化発祥の街ですので和菓子屋さんも共に発展されてきたと思われます
次に食事でも有名な所があります
「美々卯」
「うどんすき」という料理をご存知でしょうか?
寄せ鍋にうどんを入れるものですね
その「うどんすき」発祥のお店「美々卯」はこの堺にあります
実は「うどんすき」という名称はこの美々卯の登録商標なんです
なので通常なら美々卯以外ではその名称を使用してはいけないのですが、裁判で普通名称化していると判決が出されており使用できることになっているそうです
美々卯の創業は昭和3年ということなので、もうすぐ100周年となりますね
「銀シャリ屋 ゲコ亭」
知る人ぞ知る食堂で路面電車「通称ちんちん電車」である阪堺電車の線路沿いにあり、人通りが多い場所でもないのに朝10時過ぎには満席になるというお店のようです
何が有名なのか?
お店の名前にもありますように、米を炊いて50年という米炊き仙人と言われる方がおられるお店です
セルフで好きなおかずを取るという昔ながらのめし屋スタイルです
そして創業元禄八年という老舗の蕎麦屋「ちく満」や、元々堺港で働く方々を対象にしていた堺魚卸売市場内で夜から早朝まで営業するという絶品の「天麩羅屋」と「寿司屋」は夜中に大盛況です
これ以外にも歴史に事欠かない堺の街は、鉄砲、包丁、線香、鉄道、堺昆布、自転車と有名なものが目白押しです
さて、最後に環濠都市の南のほぼ端に南宗寺というお寺がありここに言い伝えが残されています
大阪夏の陣の時に徳川家康は真田信繁に破れ駕籠で逃げる途中に後藤又兵衛に見つかり槍で突かれ息絶えたため遺体をひとまずこの寺に隠し後に改葬したというものです
せっかく戦乱の世から世の中が少しずつ落ち着きを取り戻してきた時期にまたしても騒動の火種となるのを避けるため、このことは厳重に隠匿されたとのことです
徳川家康の墓と言われている塔もあるようです
確かにこの寺には三葉葵の紋があちらこちらにあり、徳川秀忠も家光もこの寺に参ったことがあるとの伝承もあるようです
実際はどうなのか?今となっては解りませんが、これが真実で当時公になっていれば歴史は大きく変わっていたかもしれませんね
堺の街を本当に誇りに思っています
この街の雰囲気が肌にあっているんでしょうね
私は単なる堺生まれの一般人でその他大勢以外の何者でもありませんのでたいしたことはありません
ただそんな私でも堺の街で気分良く過ごせる幸せを感じられることが最高です
飛鳥応援大使に就任させていただいておりますが、私がこの堺と飛鳥でどういう繋がりを創っていけるのかがとても楽しみな生涯なのです