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第一章 ちとせ(3)


 思いがけないちとせの笑みについ目が奪われていたことに気づき、ぎこちなく彼から肩を離して話を引き戻した。

「そうやって考えると、わたしの普段目にしているものは実際の神様とは言えないのかも? お狐さんも、狛犬も……他には三本足のカラスなんかも見たことあるけど、どれも神様そのものってわけじゃないよね」


 ――そう。だからこそ、今朝の八叉様との出会いは特異的なのだ。

 ちとせだったらどう考えるのだろうと、さりげなく話題をシフトさせていく。


「つぅちゃんが見ているものは、多分精霊と言った方が近いんじゃないかな」

 なんてことないように、ちとせは答えた。

「精霊?」

「もともと、日本の神様は姿のないもの。本殿にある御神体ごしんたいも神様が宿る依代よりしろでしかない。……僕達は、神様の宿るモノを通じて神に祈っているんだ」

 ちとせは、車窓の外の景色をすっと指差した。その先にあるのは、彼の実家がある龍田神社だ。


「神は人智を超えた存在。故に、認識するのは不可能。……でもその一方で、日本の神様は森羅万象しんらばんしょう、すべてのものに宿っている」

 ちとせの言葉を聞き洩らさないように必死に耳を傾けながら、うんうんと頷く。彼の述べる宗教観は確かにわたしにも理解できるものだ。

 「米粒には、七人の神様が宿っている」――なんて言葉は、幼稚園の頃から親に口うるさく言われていた。『トイレの神様』なんて歌が流行ったこともある。これも一種の森羅万象に宿る神様だろう。

 それなのに、神社にお参りするときにお祈りする神様の名前を知っている人がどれだけ居ることか。彼らの多くは、『神様』という概念に手を合わせているだけなのだ。


「名前があって、神社にまつられている神様。僕達が古来より漠然と感じている個としての存在を超えた象徴的な神様――いわゆる、『神様、仏様――』とお願いするときにイメージする存在だね。そして、生活の細部、森羅万象に宿る神様。これらに基本的な違いはない。ただ……」

 一瞬だけ考えを巡らせるように、ちとせは素早くまばたきをした。


 自分の考えを次々に言葉につむぎ上げていくときの彼の目は、宙を見据えたまま何も見ていない。不安になるほどの、透明な眼差し。

 一種の「神がかり的(・・・・・)」とでも言うのだろうか。


「僕達が普段一番感じる『神聖な存在』というのは、実は一番力の弱まった……と言っては語弊ごへいがあるけれど、森羅万象に宿る神様なんじゃないかな。力が弱まっているというのは、言い換えれば一番人間に近しい。神様の欠片かけら。……それだけでひとつにもなるし、同時にもっと大きな存在の一部にもなりえる。それが、僕が言った精霊という存在。自然崇拝、アニミズム、霊魂信仰――言い方は色々あるけれど。つぅちゃんが見ているのはそれじゃないかというのが、僕の説」




「認識可能な身近な神様は、力が弱まってる……」

 ちとせの言葉を咀嚼そしゃくしようと、ゆっくり考えながら呟いた。

 確かに彼の言うとおり、言葉が交わせる、意思疎通ができるというのは神様のイメージではない。

 不敬かもしれないけれどストレートに言うなら、意思疎通できる相手は一段ランクが下がる、という感覚。


 神様というのはわたしたちよりも高位な存在で、言葉を交わすことも姿を見ることもできないというのが日本人の一般の感覚だ。だからこそ、神使のような両者を繋ぐ役割も必要となってくる。

 その神使を「力が弱まっている」とちとせが言ったような表現をするのが適切なのかはわからないけれど……でも、確かにそういった存在の方がぐっと身近に感じられるというのはあると思う。


 ――じゃあ、八叉様は?


 そこまで考えて、思考が立ち止まった。

 彼自体は気さくで、親しみやすい近しさを感じられた。……でもその能力ちからは。

 先程の瞬間移動を思い出し、ぶるりと身震いに襲われる。――あれは、間違いなく神の領域だった。

 あの存在を、何と呼べば良いのだろう。

 



「何だっけ……その反対で、人の手に及ばないどうしようもない強大な存在、みたいな単語。前に古文で習ったような気が……」

 今のちとせの話にぴったりくるような表現が確かにあったはず……、と続けようとして、バスの勢いにつんのめって言葉を切った。

 バスが幾分乱暴に私鉄の駅の前で止まる。


 タイムオーバー。

 この駅で通学の生徒たちが多く乗ってくるようになるとバスの中は途端に騒がしくなり、おしゃべりに興じられる環境ではなくなってしまう。


 ――まぁそれにしても、今日の話題は当たりだった。これまでの中で一番のハイスコアが出たんじゃないだろうか。

 そんなことを考えて、わたしはこっそり唇を吊り上げる。

 乗り物に弱いわたしは、バスに揺られている間こうして話すこと以外何もできない。そのため、ちとせとの会話は唯一の大切な暇つぶしなのだ。


 本来ちとせはあまり口数が多い方ではない。提供する話題を誤ると、目的地までわたしたちの間には気まずい沈黙が訪れることになってしまう。……まぁ気まずいと感じているのは、わたしだけなのだけど。

 そのため、わたしは毎朝『ちとせが釣れる話題を掘り当てようゲーム』をひとりで開催しているのである。


 ――何て言うんだっけ……。

 会話が終わって手持ち無沙汰になり、結局ちとせに訊くことのできなかった最後の会話の答えを自問する。


 人智を超えた存在。畏怖いふの根源にして崇拝の対象。


 人が増えてきた車内をぼんやりと眺め、エンジン音と談笑の混ざり合ったざわめきに身をゆだねながら何するともなく考える。


 ――ああ、そうだ。


 いよいよ学校に到着しようという頃合いになって、ようやく思い当たった。

 意外と単純な単語。


 ――かしこし、だ。



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