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第五章 御坐祭をもう一度


「おぅ、司紗。帰ったか」

 部活を終え家に戻ると、手に持った本から目を上げずに八叉様が迎えてくれた。

 納戸はやはり居心地が良くないらしい。寛ぐときはわたしの部屋で、というのが彼のスタイル。わたしも彼を納戸に追いやった負い目があるので、寝るとき以外はそれを許容している。

 ちらりと目を走らせれば、また新しく借りてきたらしい少女漫画が数冊、ベッドの上に無造作に転がっていた。どうやら彼は、少女漫画というジャンルをいたく気に入ったようだ。う~ん、神様のくせにミーハー!


 ちょうど一冊読み終えたらしい八叉様は、本をぱたんと閉じて顔を上げる。

「今日はやはり部活か?」

「うん。奥木地区の神話の研究、結構進んできているんだ。たとえば……」

 そちらから訊いてきたくせに、いや良い、とわたしの話を遮って八叉様は右手を振る。

「内容を聞きたいわけではないんだ。それより、オレの頼みを聞いてくれないか」

 せっかく伝えたい発見がいろいろとあったのに、と彼の反応にいささか肩透かしを覚える。


「頼みって?」

「司紗、これがわかるか?」

 謎の質問と共に、ひょい、と八叉様は何かを掲げて見せた。

 どういうわけか一瞬、焦点が合わずくらりと眩暈を覚えた。くっと眉間に力を入れてそれに目をやる。


「鏡、かな……?」

 光を反射して強く輝く、円形の何か。まるでそれ自体が光を発しているかのようなそれは、先日の祭祀場で穢れを祓おうとした八叉様の姿を思い起こさせる。

 普通の鏡よりやや色味がかっている鏡面。ということは銅鏡なのかもしれない。でも眩しいほど輝くその姿は教科書でよく見る錆びついた姿とはあまりにかけ離れていて、自信が持てない。

 じっくり観察しようと目を凝らすと却って形が崩れていくその感覚は、まるで夢の中で文字を読もうとしているときのようだった。


「そう、鏡だ。それで、これが何かわかるか?」

「…………?」

 重ねて同じ問いを投げられる。何を言いたいのかと首を傾げたわたしは、やがて鏡という単語が結びつけるものにハッと気がついて顔を上げた。

「まさか、コレ……」


 ――父さんの言葉が甦る。


「あのときは本当に、鏡は割れたものだと思った……」

 少し後退し始めた額に手をやり、今でも信じられないと父親は御坐祭のことを振り返る。

「何せ音が完全に割れたときのものだったし、その瞬間破片が飛び散るのも目に入ったし……思い込みによる目の錯覚ってのはすごいもんだ。本当はなんともなかったんだから。しかし実際拾い上げたときは、その無事な姿を喜ぶより先に不気味な気がしたものだよ」

 苦笑交じりの父親の言葉。そのとき確か、「不気味に思うなんて、罰当たりー」なんてわたしは混ぜ返した気がする。


 ――そして、今。わたしの目の前にあるのは、もしやその。


「流石は司紗。もう正解がわかったか?」

 八叉様の声を聞きながらも、わたしはその鏡から目を離すことができない。

 鏡の裏側には中央に丸い球が埋め込まれ、その周囲にぐるりと文字や複雑な文様が描かれている。……そこまではわかるのに、それ以上はいくら凝視してもその詳細を捉えられない。

 曖昧な輪郭に縁取られ、鏡は揺らめきながら静かにそこに在る。その揺らぎに、わたしの瞳が抗うも余地なく吸い込まれる。


 あの鏡を表に返したとき、果たしてその鏡面にわたしの姿は映るのだろうか。

 手に取ってそれを確かめる――ただそれだけのことすら、現実離れした夢想めいて感じられる。




「ああ。これは御坐祭で失われた、真の依代。現実の上に重ね合わされた実態を持たぬ神籬ひもろぎ

 八叉様の声は遠ざかったり近づいたりして、頭の中で洞窟の中のように反響する。

「わたしに……何をしてほしいの?」

 掠れた声が、わたしの喉から洩れる。


「司紗にはもう一度、御坐祭を再現してほしい。八叉彦命を、ちゃんとした形で迎えるために」

 お告げのように、彼の声は荘厳に響く。

「そんな……」

 わたしに言われても無理だ、と言うよりも先に八叉様が首を振った。

「司紗にしか、できないんだ。それこそ三百年にひとりの逸材といっても過言でないほどの素質を持った、司紗にしか」

「素質って、一体何のこと……?」


 わたしの目をしっかりと見据えて、八叉様は力強く告げる。

「司紗に自覚はなくとも、本来であれば神の世界の住人を見るなど人間に許される芸当ではない。確かに、天生の一族はこの地に認められた正当な住人。我らとの親和性が高いことは不思議ではないが……司紗の素質は、それを遥かに凌ぐ水準だ」

「そんなこと、言われても」

 戸惑うわたしの右手を、八叉様がそっと握る。

「頼まれてはくれないか。八叉彦命を迎えられるのは、司紗しか居ないんだ」


 ――その、『八叉彦命』という他人事のような呼称にふいに胸騒ぎを覚えた。今まで見逃していたことに、今更になって不安が襲ってくる。

「もし……それで本当に本来の八叉様が降臨したときには」

 相手の些細な表情の変化も見逃すものかと、八叉様を睨むような鋭い視線でわたしは質問をぶつけた。

「八叉様は、どうなるの」


オレか、そうだな……」

 なんてことない調子で、八叉様は軽く応じる。

「不完全なこの状態は、間違いなく正されるだろうな。オレという器に新しい八叉彦命が宿るのか、まったく新しい八叉彦命が生まれるのかは想像がつかないが」

「違う、そうじゃなくて……! わたしが訊いているのは、八叉様のことだよ!」

 叫ぶような声で、彼に詰め寄る。

「そんなことを訊かれても、それはオレにもわからないことさ」

 あまりにもあっさりと八叉様はそう答える。


「どうして……!」

 わたしの焦燥感と噛み合わない彼の反応が歯がゆい。声にならない感情が喉元で爆発しそうで、胸が苦しい。

 ――心配しているのに。ここに居てほしいのに。どれだけ叫んでもわたしの想いは相手に届かない。その無力感に、やるせなさに、視界が暗く閉ざされていく――




 ふわり、と柔らかい体温に包まれた。

 ぽんぽん、と優しくあやすようにわたしの後頭部を撫でる感触がある。耳元で、八叉様の穏やかな声が響く。

「すまん、司紗。お前を泣かせるつもりはなかったんだ」

 困ったように眉を下げ、八叉様が背伸びをしてわたしの肩を抱いていた。

「泣いてないし……!」

 嗚咽交じりの上擦ったわたしの声は、そんな否定をいとも簡単に吹き飛ばしてしまう。しゃっくりに呼吸を途切れさせながら、改めて彼の身体に身を寄せる。

 鼻腔をくすぐる、甘い香り。耳元で聞こえる、わたしと違うリズムの心音。わたしより小さいのに、踵を上げて精一杯わたしを包み込もうとするその身体。


「悪かった、司紗。司紗の気持ちも考えずに、無茶な要求をした」

 言葉が出ずに、黙ってぶんぶんと首を振る。

 八叉様は悪くない。彼の選択を否定する権利なんて、わたしにはない。そんなのはわかっている。

 でも、それでもわたしは八叉様が八叉様を蔑ろにすることを許せなかった。わたしの好きな人を、もっと大切にしてほしかった。……それがワガママだなんて、そんなの百も承知している。


 改めて実感する必要がないほどに、日常にまみれた緩い幸福。目を逸らしてきたけれど、不自然な状態の上に成り立ったこの幸せが長く続かないことくらいわかっていた。

 抗えないチカラによって無理やりに終止符を打たれるか、それとも自分たちの手で変化を起こすのか。……それならその先に悲劇が見えていようと、自分の足で歩いていく方が後悔はないのだろうか……答えはわからない。


 じっとうつむいたわたしの手を、八叉様がそっと握る。

「安心してくれ、司紗。オレのこの感情は使命感ではない。オレはこの地を……そして何よりこの地に住まう司紗たちを守りたいだけなんだ。そのために、オレにはできることがあるんだ」

 そうじゃない、と喉元まで出かかった言葉を呑み込んだ。

 わたしは彼がそう思っていること自体が嫌だったのだ。自分にできることがあるから、守るもののために自分が引き受ける――そんな彼の在り方が、やるせなかった。

「わたしは、今でも八叉様が犠牲になる必要なんてないと思ってる」


 でも……と言いかけて、口を噤んだ。

 本当はそんな決意、抱いてほしくはなかった。カミサマの達観した視点なんて、捨ててほしかった。

 ……嗚呼、どうしてそんなことを口にできるだろう。彼を侮辱する、わたしのワガママを。だってそれは、八叉様に人と同じ存在になってほしいと願うようなものだったから。


 だから。

 わたしはその先を何も言えない。




 ――それでも。納得はできなくても、思考の整理はできてしまったから。

 八叉様はそんなわたしを真っ直ぐに見据えて、背筋を伸ばして居住まいを正す。

「改めて、司紗に頼みたい。……明日。八叉彦命を迎える祭祀を手伝ってくれるか」

「はい、わたしにできることなら」

 もうこれ以上の言葉を呑み込んで、わたしは涙を振り払って覚悟を決める。


 八叉様は満足げに笑むと、唐突にしゅたっと腰に手を当て芝居がかったポーズをとった。

「ふふふ……聞け、司紗。この儀式をもって、オレは完全な存在となるであろう……!」

「ちょっ、突然どうしたの?」

 わたしの反応を黙殺して、八叉様は腕を拡げて演説調で言葉を続ける。

「移ろいゆくは、神も人も同じ。否、人が移ろうからこそ神も共に移ろうのだ。……だが、ゆめ忘れることなかれ。人がこの世にある限り、我らは決して滅びないということを!」

「なんかそれ、悪役側の台詞じゃない?」


 気の抜けたわたしの突っ込みに、八叉様はしてやったりと会心の笑みを浮かべる。そんな彼のどや顔を見ていると、ついくすくすとわたしの口から笑みが洩れる。

 そんなわたしの反応を見て、八叉様は楽しそうな笑い声をあげた。二人の笑い声でわたしの部屋が満たされていく。


 ――ああ、きっと大丈夫。心配することなんて、何もない。

 笑い合いながら、わたしは根拠のない確信に浸かり始める。

 恐らくこれは、確信という名の願い。理屈なんて存在しない。それでも、わたしがそれを信じないでどうする?


 だってわたしは、恐らくこの地上で唯一無二の「八叉様の(・・・・)」信者なのだから。





今週は週末の更新をお休みします。

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