第五章 朝廷の暗躍
文化祭に向けたわたしたちの研究、『土地神の変遷――八叉彦命から白火主命へ――』は着実に進歩を遂げていた。
二人で思いついた仮説を裏づける史料や伝説を探し、それに基づいて仮説を立証していく。今のところこの試みは順調に進んでいる。なかなか新しい発見は見つからないけれど、わたしたちの仮説が補強されていく作業は純粋にやりがいが感じられる。
例えば、郷土の昔話にあった冬の湖に現れる『御神渡り』の話。特定の条件でしか現れない蛇行するように凍った湖面は白蛇の神様が湖から降り立った跡だと伝えられ、それが現れた際は社に新鮮な供物を捧げるのが習わしとされていたという。
ここで重要なのは、話の内容ではない。注目すべきは『湖』と白蛇の神様……つまりは八叉様に深い関わりがあるということ、そして八叉様を祀る『社』があったということだ。これはそのまま、破邪湖が本来は八叉様の土地であり、そして彼の社があったことにつながる。
他には、龍田神社の昔の供え物の目録に、鉄製農具が多く登場するのも注目ポイントだ。白火主命による鉄器文化伝来の説の根拠となることだろう。
こうしてさまざまな史料を読んでいくと、それぞれに特徴となるものが見えてくる。
たとえば、日本書紀では奥木の伝説はあまりにも端的だ。『白火主命は天照大御神に土地を譲ると、奥木の地へと赴いた。その地の民を悩ませる祟り神を打ち破った彼は、この三方の山に囲われた地より外へは出ないことを天照大御神に約束し、天照大御神もこれを了承した――』
これが、いわゆる『公式な』神様の記録だ。国を譲ったとはあるものの、その後の天照大御神との約束を見るにそれが穏便なものでなかったことは明らかだろう。白火主命はこの寂れた土地に幽閉されたといっても過言ではないのだから。
また、こんな辺鄙な場所の祟り神の名など記す必要もないということか、八叉様については名前すら登場することがない。
一方、龍田神社の由緒はちとせが話してくれた通りだ。
天照大御神を始めとする『朝廷』の命により、この地を訪れた白火主命。彼が八叉彦命と戦い、人々の信仰を獲得する流れが克明に記されている。実際にその文献に当たり、『稲妻』や『鉄輪』の文言を確認することもできた。
地方の歴史書となる奥木国風土記も、基本的にこの話に倣っているようだ。
――そして、肝心の奥木神社の由緒は。
驚くべきことに、朝廷の文言もなければ白火主命が現れたときの話も残っていないのである。初めて白火主命の名前が現れるのは、白神大祭の発祥の伝説だ。
『蝗の大量発生や日照り、疫病などの災いが続き疲弊した村の人々は大きな祭を行い、神へと祈った。この現状に心痛めた八叉彦命は白火主命と協力し、白火主命の援護を得て災いの根源をうち滅ぼした。これが、白神大祭の始まりである』
――白火主命との関係性についても言及されていなければ、祭の内容についても残されていない。
……これが、先週までの研究の流れである。そこから、前回は白神大祭の話へとテーマが移行したのだった。
というのも、このウチで伝えられている『八叉彦命は白火主命と協力し……』の部分が、龍田神社ではまったくの別の内容だったのだ。
「もちろん、どちらの話が正しいかなんてわからないことだけどさ」
そう前置きして、ちとせは説明する。
彼の神社に伝わる話いわく、八叉彦命は災禍が続いた際に白火主命によって呼び戻されたというのだ。そして八叉彦命は白火主命の要請に従い、災いを祓ったのだと。
「呼び戻す? 一体何処から?」
わたしの問いに、ちとせは少し答えるのを躊躇する。
「僕が思うに……その間八叉様は封印されていたんじゃないかな。白火主命によって」
「それが災いを祓うために封印を解いたの? 八叉彦命自身が災いじゃなくて?」
今までにない新しい話だ。
「それよりも不思議なのは……」
ちとせが言いかけた言葉に、わたしは勢い込んで頷く。
「どうしてわざわざ八叉彦命が災いを祓わなければならないのか、ということでしょう?」
そう、この話はそもそもがおかしいのだ。
「白火主命だけでは対処できなかった災禍を八叉様がなんとかできる理由がわからない。だって、八叉彦命は白火主命に敗れた神様なのに」
わたしの指摘に、ちとせは首を振る。
「そう考えると本当に不思議だ。でも、実のところ八叉彦命は勝利の神とも言われている」
「勝利の、神……」
そういえば本人がそんなことを言っていたような。一瞬記憶に引っ掛かったものの、それよりも重要なことにハッと気がつく。
「その災いって……白神大祭で八叉様が祓うんだよね? それじゃ……」
ざわざわと拡がる悪い予感。ちとせが固い表情で頷く。
「うん。今の状態で白神大祭を行なっても、八叉彦命は正しく迎えられていない。もし八叉様が本来の八叉彦命でないのなら、災いを打ち払う存在は何処にもいないことになる」
「まさか、白火主命が思わせぶりに『目覚める』と言っていたのが、その災いのこと……?」
徐々にパズルのピースが嵌まり、ひとつの神話を創り上げていく。
「災いか……一体、何が起きたんだろう……」
「じゃあ、次はそれをテーマにまとめようか」
わたしの呟きにちとせがそう締めくくったのが、一週間前のこと。
「さて、じゃあ前回からわかったことを報告するね」
ちとせの穏やかな声が、部活の始まりを告げた。
「まずは、僕たちが存在していないと考えている八叉様が起こした災いについて。いろいろと史料を当たってみたけど、やっぱり具体的な出来事を記したものは見つからなかった。ただ……」
そう言って、ちとせは眉間に皺を寄せる。
「『ない』ことの証明は難しい。八叉様の祟りは後から付け足されたもの、という僕たちの説をどう立証したら良いのかはまだ思いつかないんだ」
どうしようか、と嘆息してからちとせは表情を切り替える。
「まぁ、これについてはまた考えていこう。次に、白神大祭の起源となる災い……つまり八叉様が祓う災いについてだね。これについては、面白い話がある」
ずい、とちとせは興奮した面持ちで身を乗り出す。
「白神神社の史料と奥木国風土記では、災いについてほぼ同じ内容が記されている。すなわち蝗の大量発生と流行り病、そして地震」
地震という単語に、わたしは例の眩暈じみた地揺れを思い起こす。
「ただひとつ違うのは……」
ひとつひとつ区切るように、ちとせは重要なポイントをゆっくりと口にする。
「神社の史料では、この病を運んできた蝗は都から飛来したという記述があるんだ。風土記には一切書かれていない、文言がね」
「………………」
少し待つが、ちとせはそこで一旦言葉を切ってしまう。ゆっくりと今の言葉を振り返ってから、わたしは肩を竦めた。
「ごめん、それがどう面白いのか全然わからないよ。それってそんな重要なこと? 別に情報が食い違ってるわけでもないし、神社の史料の方が詳しいってだけじゃない?」
わたしの反応を見て肩透かしを食らったような顔をしたちとせは、気を取り直すようにもう一度口を開く。
「ああ、そうか。そこから説明すべきだったね。前提として、風土記というのは天皇の勅令によって作られた地方の歴史書だ、というのがある。つまり神社が独自に残した記録書とは違って、朝廷の圧力や検閲に晒される可能性が高いんだ。言い換えれば、朝廷にとって不都合な事実は残されない」
「だから、災いが都からやってきた、という部分は削除された……ってこと?」
ちとせの言いたかったことがようやく呑み込める。
「それで考えたんだけれどさ……」
身を乗り出して説明していたちとせは、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「白火主命は元の国を追われはしたけれど、朝廷に滅ぼされることはなかった。それは、当時貧しい土地であった奥木に籠もることを約束したから。でも、やがて白火主命の力で土地が潤いはじめたとき……果たして朝廷はそれをどう受け止めるだろう?」
「やっぱり脅威だと思うんじゃない? 自分たちが追い出したわけだし」
わたしの答えに、ちとせはわが意を得たとばかりに深く頷く。
「だからこそ奥木の、そして白火主命の力を削ぐためにこの地を呪った……ということが考えられると思うんだ」
「災いは、朝廷の妨害が発端……? だから、神社の史料には都からという記述が残されていた……」
ちとせの発想についていけている自信がない。耳にした単語をつなぎ合わせて、必死に思考の整理を試みる。
「確かに今回の土地神の変遷の発端というのは、この朝廷による『国譲り』だよね。そうして考えると、朝廷という存在も今回の研究で考えた方が良いとは思う」
毒にも薬にもならない感想。でも、ちとせは満足そうに笑ってくれる。
「ちとせの説はすごく面白いよ。ただ、そこまで話を拡げて研究がまとめられるかは不安だなー」
「ひとまず、そこまでレポートまとめてもらえる?」
もちろん、と胸を叩いて引き受ける。
――楽しい時間が過ぎるのは、早い。
その日の部活も、下校時刻ぎりぎりまでわたしとちとせは熱く議論を交わしたのだった。




