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第四章 御坐祭


 ――ああ、かったるい……。

 田倉慎吾は胸の内で、最早今日だけでも数え切れぬ程繰り返した台詞をまた呟いた。


 肩にどっしりと食い込む神輿みこしは持ちにくいうえ、ありがたみがまるで分からない。骨までみる春先のまだ冷たい水は足元にまとわりつき、ますます足取りを重くする。

 見渡す限り山ばかりのこの景色は子供の頃から少しも変わらず見飽きたもので、うんざりする程田舎で、泥臭い。


 ――ダセェっつぅの。

 この言い回しも実は既に何度か口にされているのだが、哀しいかな、彼はそれ以上の語彙力ごいりょくを持ちあわせてはいない。


 ちぃん、と金属製のかねを先頭の神官が打つ。その音を聞いて、神輿の隊列がざっと一歩前進する。

 彼もまたそれに合わせ、言葉にならない苛立ちを紛らわせるかのようにバシャンッと大きな波しぶきを立てて勢い良く足を蹴りだした。


 ――あっ、ヤバっ!

 そこではっと気づき、上げたときとは一転、彼はそろそろと足を下ろす。そうしてから、さりげなく片手を神輿から離し、着物のあわせに手を差し込んだ。

 ひんやりと無機質な冷たいいつもの感触がする。それを確かめ、田倉慎吾はほぅっと安堵の息をついた。




 彼の手の中で大事そうに握り篭められているのは、彼のアイ・フォーン。しかも、この春出たばかりの最新機種だ。水には滅法めっぽう弱いこの繊細な電子機器を壊さぬよう、彼は儀式の間ずっとそればかりに注意を払っていた。


 このアイ・フォーンは、不本意ながら田舎への出戻りを強いられた彼の、都会との繋がりを示す唯一無二の大切なアイデンティティであった。正直なところ、彼はその最先端の機能をちゃんと把握できているわけではなく、せっかくの高性能端末はもっぱらスマホゲームとメッセージにしかその性能を発揮されていない。

 それでも彼は、このアイ・フォーンをポケットから出す度に、ちっぽけな自尊心を満足させていたのだった。

 俺はお前ら田舎者とは違う、最先端の東京人なんだぞ、と。


 ――それが、こんなくだらない儀式の最中に壊れでもしたら……っ!

 事前に持ち込み禁止とお達しがあったにも関わらずスマホを手放せなかった彼は、確かにスマホ依存症という流行りの最先端に乗っているといえなくもない。

 だが、それだけだ。その持ち物によって彼の価値が高まるなんてことは、当然ながらあり得なかった。


 冷たい水は彼の腰辺りまで来ており、体温を無慈悲に奪う。

 その容赦無い水の侵略に、冷え切って強張った身体からアイ・フォーンが零れ落ちそうで気が気でない。

 ――まぁでも、後少しのガマンだ……。

 徐々に近づく岸を見つめ、彼はそう自分を鼓舞こぶする。


 鉦の音と共に小さく一歩。そんな芋虫のような歩みを根気強く続け、小島の社まで。

 そこで十分ほどワケの分からない儀式が行なわれるのを傍観した後、何やら神輿の中に運び入れて岸へ向けて出発。

 再びのろのろとうんざりするような前進――そんな苦行も、あの岸辺に着けば取り敢えずはひと段落だ。


 ……そんな気の緩みが、いけなかったのだろうか。否、そんなことを言ったら、そもそも彼は最初から気を張ることすらしていなかった。

 つまり、これは起こるべくして起こった事態で。それが、いつになるのかの違いだっただけで。


 合図の音を耳にし、何気なく足を出す。そこで踏んづけた石がごろん、と呆気無く転がった。

 土台を失った足が釣られて前へ滑る。

 両手が神輿の担ぎ棒で塞がっている彼の身体は、容易くバランスを崩す。

 ――あ……?

 身体が、空を泳ぐ。


 神輿の右後ろを担ぐ田倉慎吾の様子は、他の担ぎ手達にすぐ伝わった。しかし、彼らは事態をさほど深刻に捉えてはいなかった。

 新入りが水に足を取られて転ぶことは珍しいことではなかったし、ひとりが抜けたところで致命的な事態にはなるまい、そうタカを括っていたのだ。

 ……その考えは、基本的には間違っていない。だが、彼らは一つ重大な思い違いをしていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに、気がついていなかったのだ。




 ――俺の、アイ・フォーン……っ!

 そのときの彼の頭を占めていたのは、そのひと言に尽きた。

 転ばぬようにと、彼は支えを求めて咄嗟とっさに手近の神輿の担ぎ棒に必死でしがみつく。その行為が他三人の担ぎ手の多大な負担になるなど、ちらりとも思わない。

 担ぎ手達は事態を把握しきれぬまま、突如重みを増した神輿を懸命に踏み支える。

 ……無言の格闘。

 と、そこへトドメとばかりに、神輿を見限った田倉慎吾が水に落ちまいと前の男に体当たりをぶちかます……!

 最早復元できぬ程体勢を崩した彼らの肩の上で、神輿がぐらりと大きく傾いた。それを立て直すことなど、もう誰にもできはしない。

 先頭の神官がようやく異状に気がついて振り向く。


 一瞬、時が止まったように静寂が辺りを包み込んだ。

 今しがたまで吹いていた強い風も、そのときだけぴたりと歩みを止める。


 ちぃん……。


 進む人のいない鉦の音が、虚しく空気を震わせる。


 その音を合図に、再び時が動き出した。

 神輿が暴れるように大きく跳ねる。その落下の勢いで、中から何かが飛び出す……!


 カシャーンッ!


 何かが砕け散ったような甲高い音が、彼らの心臓を凍りつかせた。

 いくら宗教に疎い田倉慎吾にも、事の重大性を知らしめるには十分過ぎる程の致命的な音。


 たっぷり十秒はその場に立ち尽くしてから、ゆっくりと神官が歩み寄った。

「天生さん……」

 神輿の先導役だった男が何かを言いかけ、そして言葉を飲み込んで辛そうに首を振る。

 田倉慎吾は地面に縫いつけられたようにその場に硬直したまま、死刑宣告を待つ囚人のような絶望的な気持ちでその神官の動きを見つめる。




 黙りこくったまま神官は腰を屈め、水底からそっと何かを拾い上げた。太陽の光を受けて、拾い上げたソレは鈍い光を放つ。

 手の中に握られた金属製の丸く平べったい何か。それは歴史の教科書に載っている銅鏡とよく似ていた。

 難しい顔で神官はソレを丹念に検分する。やがて顔を上げた彼は、信じ難いと言うように大きく首を振って呻いた。

「傷ひとつ、ついていない……」


 ――そんな馬鹿な。

 田倉慎吾は心の中で思わず叫んだ。

 誰もが聞いたはずだ。今の、耳をつんざくような破壊的な音を。そして、見たはずだ。何かの破片がぱっと青空に散ったあの刹那の光を。

 ……それを、幻だったとでも言うのだろうか?


 しかしそれ以上言葉を継ぐこともなく、神官は彼らに向かって重々しく頷く。

 そして懐から出した白い布に銅鏡をそっと包むと、神輿へ納め柏手かしわでを打った。


 腑に落ちない顔をしていたのは田倉慎吾だけではない。

 その場に居た全員が、不審そうな納得のいかない顔をしている。――当の、神官本人も含めて。

 それでも、誰も何も言い出そうとはしなかった。


 ぎくしゃくした空気の中、神官は寡黙かもくに列の先頭へと直る。そして出発を告げる代わりに鉦を鳴らした。

 それを聞いて男達は神輿をまた担ぎ直す。目で促され、田倉慎吾もまた担ぎ棒を肩へと乗せた。


 ――何も起きなかったんだ。

 うつむいてゆっくりと足を進めながら、努めて彼は楽観的に自分にそう言い聞かせる。

 大事にならなくて良かった。これなら自分のミスを怒られることも、弁償する必要もないだろう。

 じわじわと安堵の思いが胸に広がり始める。


 そう。本当に助かった。


 ――それなのに、何だというのだろう。

 ――この、喪失感は。




○   ○   ○   ○   ○   ○   ○




「と……、そんなことがあったそうでして」

 父親から聞いた話を、かいつまんでざっと話し終えた。

 しかし、しばらく待ったもののちとせからの反応が返ってこない。

「もしもーし、ちとせさーん?」

「…………」

 訪れた沈黙は、周囲の音を際立たせる。湖面に立つ静かな水のさざ波が、そんな沈黙をそっと浮き上がらせた。


「確認なんだけど……」

 たっぷり時間をかけて考え込んでから、いつもより力の籠もった瞳でちとせはわたしの顔を見上げる。

御坐祭みくらまつりは、ここで八叉彦命の御神体を運ぶんだよね?」

「うん、さっき説明したとおりだよ」

「つまり、ここにある御神体はあくまで依代よりしろとなるだけで、八叉彦命をお迎えする祭祀は奥木神社で行なう……この理解で間違いない?」

 あらためての念押しに戸惑いを覚えながらも、わたしはちとせの言葉にうなずく。

 それを見て、ちとせは興奮を抑えきれない様子でずいとわたしに詰め寄った。彼の瞳が、何かに憑りつかれたようにぎらぎらと光る。どうしてそんな表情をしているのだろう。少し恐怖を覚えたわたしは、腰を下ろしたまま彼と距離をとろうとじりじりと後退あとじさる。


「僕が……何が言いたいか、わかる?」

 熱を帯びた彼の声。逃がすまいとわたしの肩を掴んで、彼は至近距離で囁く。

「どうしちゃったの、ちとせ……」

 わたしの反応を気にも留めず、ちとせは早口で言葉を続ける。

「今回のアクシデントによって、八叉彦命をお迎えする前に彼が宿るための御神体が損なわれてしまったのだとする。そんな依代を失った不完全な状態で、八叉様が現れたのだとしたら……」


「ちとせ!」

 彼の背後に近寄る影に気がつき、わたしはちとせの言葉を遮ろうとした。

 しかし、自分の考えに没頭してしまっているちとせに、わたしの声は届かない。

「だとしたら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ――ちとせの後ろで、茫然と八叉様がその声を聞いていた。




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