第三章 白火主命(1)
「はっ、愚かな神主と未熟な土地神とは。似合いの組み合わせではないか」
嘲笑う声が、この告白の出来損ないの空気をぶち破った。その声に、わたしと八叉様は一斉に振り返る。
「シロ! お前は……シロだろう!」
後ろの人物に目をやった八叉様が、嬉しそうな声を上げた。
「そんな犬のような名で呼ぶのはやめろと、余は何度も告げたはずだが……そのスカスカの頭では、何ひとつ覚えてはいないようだな」
辛辣な言葉とともに、ふわりと着物の裾が翻った。夕日で逆光になっているにも関わらず、彼の姿は翳ることなくむしろ一際光彩を放つ。
羽衣のような光沢を放つ髪が、夕日に照らされて茜色に翻る。無造作に投げかけた彼の一瞥が、わたしの視線を絡めとった。
反射的にバッと顔を下げる。その目を見た瞬間に、今朝の出来事が一気に蘇った。
「あ……貴方は……」
あんなに強烈な出会いを、どうして忘れていたのだろう。そんな疑問は、自分の中ですぐに答えを得る。
――こんな圧倒的な存在を前に、記憶を正しく保てるわけがない。
「余の名を呼びたければ、せめてハク様と言うんだな」
音読みでハク様ならオッケーなのか。逆にシロ様ではダメなのだろうか。というか、その呼び名。
もしかして、このヒトは。
「白火主命、だ」
ぼそっと八叉様が呟いた。
思わず息を呑む。まさかと思いつつも予想していた神の名前。
しかし、何故だろう。同じ神様であるはずなのに、横に居る八叉様よりも白火主命は圧倒的な絶対感と息苦しいほどの神々しさがあった。
何も考えずひれ伏し、崇敬してしまいそうになるほどの超越した存在。ただ目の前にいる、それだけで息苦しさすら覚えてしまう。
ちらりと八叉様に目を向けた。彼が浮かべているのは、思いがけないところで旧友に会えたような懐かしさのこもった笑み。流石は神様、わたしと違って目の前の存在に気圧されている様子はない。
そして、その表情から察するに、八叉様と白火主命との間にはわたしが考えていた確執というのは無いらしい。……だからといって、白火主命の反応が友好的であるとも感じられないけれど。
嬉しそうな八叉様とは対照的に、どちらかというと冷淡な視線で白火主命はじろりと八叉様を睨めつける。
「どうやら貴様は……本当に、何もわかっていないようだな」
わたしたちの会話を、何処から聞いていたのだろう。呆れたと言わんばかりにため息をつき、白火主命は額に手を当てる。
何かに怖気づいたように、八叉様の足が半歩後ろに下がった。やれやれと、その姿を見て白火主命は首を振る。
「まぁその姿、能天気な様子から予想はしていたが……やはり気は進まぬものだな……」
八叉様に、というよりは自分に向けて独白する。
「ハクは我と違って、ここにいる理由を知っているのか?」
深刻な表情を浮かべる白火主命と対照的に、八叉様の声は呑気というか何処となく間延びして響く。
「ああ、そうだな。お前よりはずぅっとよく、わかっている」
すぅっと息を吸った白火主命。その声は先ほどよりも固く、芯が通っていた。
平たく言うと、覚悟を決めたような、というのか。
「まぁ端的に言うと、余は貴様を殺すために来たのだ」
「……へ?」
あまりにもあっさりとした言葉に、しばらくの間それの意味するところがわからなかった。
隣の八叉様も呆然とした様子で、ただその場に立ち尽くしている。
話の通じていないわたしたちを前に、それだけ告げた白火主命は無造作に右手を掲げた。
そうして何もない虚空から彼が掴みだしてきたのは、長身の彼の肩まではあろうかという巨大な鉄の輪。
――先日ちとせから聞いた話が、耳の奥で蘇った。
『白火主命は鉄輪を投げつけてその身を捕らえ……』
それと同時に、ようやく事の重大性に気がつく。事情は分からないが、少なくとも彼は本気だ。
八叉様、と立ちすくむ彼の右手を掴んだ。
しかし、足から根が生えてしまったように彼はその場から動かない。
「我を……殺すのか?」
ただ相手の言葉をオウム返しに聞き返す彼は、確実にわたしよりも状況が理解できていないだろう。
鉄輪を構えたまま、そんな反応の鈍い八叉様に向かって白火主命は鷹揚に頷く。まるで、聞き分けの悪い子供に道理を言って聞かせるように。
「ああ。貴様のような出来損ないが此処に居ると、災いが起きるのだ。貴様も神ならば、わかるだろう?」
「災、い……」
「それは、八叉様が祟り神だって言いたいの?」
ギン、と突き刺すような視線が会話に割り込んだわたしを貫いた。その痛みを錯覚するほどの鋭い視線に籠められているのは、紛れもない侮蔑だ。
「人間の野蛮な二元論に、付き合うつもりなどないわ」
吐き捨てるような口調で言うと、白火主命は鉄輪を構えなおす。
その拍子に、しゃらん、と鉄輪についた小さな飾りが鳴った。この場にそぐわない、涼やかで清廉な音色。




