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第一章 出会い(1)


 どぉん、と鼓膜を震わせる目覚めの音。

 身体の奥にずんと響くその音は、わたしの身体を眠りの淵から容赦なく追いやっていく。

 その音が何であるかを思い出すよりも早く、反射的に半身が起き上がった。


 父さんが鳴らす、朝五時の太鼓の音。

 その音の余韻が消えるのと同時に布団をはがし、立ち上がりながら大きく伸びをした。身体にまとわりつく眠気がたちまち霧散むさんしていく。


 勢いよく頭を振れば、肩までしかないショートカットの黒髪は素直にストンと下に落ちる。

 ……寝癖の気配、なし。うん、今朝の身支度も楽ができそうだ。

 寝起きが良いのは、わたしの自慢の一つ。今朝もいつも通りすっきりと目を覚ました。


 ――それなのに。

 変な夢を見たせいだろうか。内容は覚えていない夢の余韻がまとわりつき、鈍い頭の痛みを訴える。

 もう一度勢い良く頭を振り、無理矢理にその感覚を追い出そうとする。

 何故だろう。理由もないのに、何故か締めつけられるような胸の痛みを感じた。




 食堂へ向かう途中で、朝のお勤めを終えた父さんと擦れ違った。

 初夏とはいえ、もうそろそろ暑くなり始める季節。太鼓を力いっぱい鳴らしてきた父の額には、うっすらと汗が光っている。


「おぅ、司紗つかさおはよう。いつも早いな」

「ん。父さんこそ、毎朝お疲れー」

「ああ。朝拝ちょうはいの方は頼んだぞ」

「はいはい、わかってるって」

 すれ違いざまにいつもの挨拶を交わす。



 実際、父さんの頑張りには素直に頭が下がる。

 こんな存続させるのだけで精一杯な小さな神社の跡継ぎに生まれ、神主の資格をとった上で普通の企業にも勤めているのだから。


 神社というのは祭礼だけでなく、存外雑務や体力仕事が多い。

 そんな細かいことを一つ一つ馬鹿正直にこなす父をうとましく思う時期もあったのだが、今思えばあれが反抗期というやつだったのだろう。

 そんな時代もすぐに去り、今では雑務の補助や毎日の礼拝などを少しずつ手伝うようにまでなっていた。我ながら、良い娘である。


 ――まぁ、神事の手伝いをするからといって、それに信仰心が伴っているかどうかは甚だ別問題なのだけれど。



 食堂に用意された神様のご飯、神饌しんせんを手に、いつも通り参拝へと向かった。


 毎朝、神前に神饌をそなえる儀式、朝拝。

 といっても、それを供えるわたしの姿はいつもの制服だし、時間がないので普段は祝詞のりとをあげることもない。

 朝拝なんて儀式を名乗るのもおこがましい単純な習慣。

 神主の子といっても、所詮はそんなものだ。



 まぁ、確かに。

 少しは他と異なった経験(・・・・・・・・)をすることも、あるのだけれども。



 そんなことをちらりと考えながら鳥居へと足を向ける。

 そこで奇妙な違和感に気づいて、わたしはふと足を止めた。

 何気なく通り過ぎようとしていた鳥居の両脇の狛犬こまいぬ像を、改めて眺める。


 ――何の動物かも定かでない二体の石像が、睨みを利かせて参拝客を迎えるその姿。

 日本に住んでいて、この狛犬達を見たことがないという人はなかなか少ないだろう。


 実は狛「犬」と総称されているものの、うち片方の正体は犬ではなく獅子ししである。

 彼らは獅子と狛犬で一対なのだ。

 その見分け方は簡単で、角がなく口を大きく開いた阿形あぎょうが獅子、キッと口を閉じた吽形うんぎょうが一角の狛犬。


 ――の、ハズなのだけれど……。


「うーん……、気の所為じゃないよね」

 今わたしの目に入っているのは、何故か両方共口を「あ」のカタチに大きく開けた獅子と狛犬。


 ……いや、もう一歩、踏み込んで説明しよう。

 この狛犬、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 ついつい見入ってしまっているわたしの視線にはまったく気づかずに、堂々と大きな欠伸あくびをゆっくり終えた狛犬。あろうことか今度は、石でできた後ろ足でばりばりと首の辺りを掻き始めた。

 多少硬そうな質感さえ除けば、その姿は正に犬そのもの。

 キメラのような見た目だけど、やはり狛犬は「犬」の一種なんだなぁ、と呑気な感想が頭に浮かぶ。



 可愛い、と思わず洩れた笑いが聞こえてしまったらしい。

 すっかりリラックス状態だった狛犬がばっと顔を上げた。その視線が、わたしとばっちり合う。


 ふぎゃっ、と尻尾を踏まれた猫のような悲鳴を上げ、彼の重たげな石の身体が驚きのあまり地面から浮き上がった。

 見開かれた狛犬の目が、しまった! という声を、言葉にはならずとも、雄弁に叫ぶ。


 ひと呼吸置いて、その身体が再び地面に戻る。

 その衝撃で我に返ったらしい。彼は慌ててぴしっと背筋を伸ばし正しい姿勢に直る。

 その顔に浮かべるのは、如何いかにも神社の守護者ですよ、と言わんばかりの澄ましたした表情。


「お勤め、ごくろーさま」

 少し笑いを含みながらも通りすがりにそう挨拶をして、わたしは特にそれ以上追求せずに背を向けた。


 確かに、狛犬達は普段キリッとしていて、寛いだ姿を見せることは珍しい。彼らにそんな可愛らしい一面があることを知っているのは、わたしくらいのものだろう。

 しかし他の人にとっていくら珍しくとも、わたしにとってこの光景はあまり騒ぎ立てるような話ではない。

 時折出くわす心霊、ならぬ「神霊・・」体験。それは、最早わたしにとっては日常茶飯事だった。


 ――神社の日常なんて、こんなもんである。



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