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第二章 君は神様(3)


 ――そんなこんなで別の意味でヒヤリとする場面はあったものの、八叉様にとっての初めての学校訪問は順調に始まった。


 最初に出会ったちとせ、梓の反応からも予想できた通り、八叉様は自然に周囲に溶け込んでいく。まるでそれが、いつもの風景であるかのように。

 彼が学校に来たのは授業が目的ではなかったらしい。最初の時間こそ教室に居たものの、それ以降は自由にあちこち顔を出していた。

 家庭科室でつまみ食いをしていたかと思えば、次の時間にはグラウンドでサッカーに加わっていたり、気がつけば理科準備室で教師とコーヒーを飲んでいたり……。そんな自由気ままで決まりに縛られない姿こそあったが、とはいえ特に心配していたような問題を起こす様子はなかった。


 この調子なら大丈夫だろうと判断して、わたしは箒を片手にひとりで掃除当番へと向かう。

 遠くの教室から聞こえる、弾けるような笑い声。その明るい声に、思考が今日の出来事へと誘導されていった。


 ――あの笑顔はズルい。

 脳内に蘇った八叉様の姿に、つい苦笑いが浮かんだ。


 あんな天真爛漫な笑顔でぽんと懐に飛び込んでこられたら、大抵の人間は陥落してしまう。警戒心を抱く暇すら与えない、一瞬の早業だ。

 実際、朝は『違和感のない存在』程度で紛れ込んでいた八叉様があれよあれよという間に友人を作り上げ、放課後にはもうクラスの中心人物の座まで上り詰めていたのだからその手腕は凄まじい。


 カリスマ、とはまさにこのこと。信仰というものはこうして生まれるのか、と目の当たりにした気分だった。

 流石は、胡散うさんくさくても神様だけのことはある。


 ――まぁだからといって、それで八叉様を見る目が変わるわけでもなく。その「神様」をどう扱ったら良いのか、わたしはまだ判断ができずにいたのだけれど。

 アヤシイ、とは思っている。といっても、八叉様が神様、もしくはそれに近い存在だということ自体は疑っているわけではない。

 気になるのは、何故彼がわざわざ人間の子供の姿で現れたのかということだ。「司紗の願いを叶えてやる」なんて言ってたけど、あれは明らかに嘘っぽいし。


 ……でも。

「悪いヤツには思えないんだよねぇ……」

 思わずため息をついた。自分より年下の少年という見た目の所為か、ついつい彼に対して判断が甘くなってしまう。

 面倒を見るつもりはない、と朝は彼に言ったものの、実のところすでにほだされそうになっている自分が居た。頼りなさげで不安そうな面持ちを隠しきれていない八叉様の姿は、演技には到底思えなかったからだ。

 ――八叉様が素直に助けを求めてきたときは、ちゃんと応えてあげよう。

 そんなふうに考えてから、八叉様の生意気な言動を思い返して苦笑いを浮かべた。あの彼が素直に助けを求めるなんて、よっぽどのピンチでなければなさそうだ。




 掃除を終えて教室に戻ると、もう生徒の姿はなかった。ちとせも八叉様ももう帰ったのだろうか。なんだアイツ、わたしが居なくても別に平気じゃん。

 ちょっと面白くない気分になったのは、彼に頼られてると思っていたのが勘違いだとわかったからかもしれない。可愛げのない神様だけど、それでも朝の心細そうな姿に助けてあげなきゃと、こっちは使命感に燃えていたというのに。


 そんなことを思いながら、ふと校門の外に目を向ける。

「……?」

 何故か、そこには人だかりができていた。

 学生だけではない。通りすがりの主婦や老人まで足を止め、ある一点を見つめて囁きを交わし合っている。何が起きているかはわからないが、なにやら不穏な雰囲気。

 彼らの視線の先にあるのは……橋の下、今朝荒れ狂っていたあの河の流れ。


 ――まさか……誰か河に落ちたの?

 そう思った途端、どくんと心臓を鷲掴みにされた気がした。


 脳裏をよぎったのは、無防備に橋から身を乗り出した今朝の八叉様の姿。わたしが止めなかったら、彼はあの小さな身体で橋をよじ登ることすらしかねなかった。


 ――いや、神様なんだから川に落ちたところでどうってことないでしょ。

 自分の心配に、自分でツッコミを入れる。それでも、心臓はどんどん鼓動を速めていって。悪い予感は理性と反対に膨れ上がる。


 気がつけばわたしはカバンを引っ掴んで、川へと走りだしていた。




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