プロローグ
微睡みの中、夢が誰かの記憶と混ざり合っていく。
意識という鎧を脱ぎ去った精神が、異物であるはずの他者の思い出をいとも簡単に受容し、自我と溶け合う。
――剥き出しの感情が味わう、深い、深い水底の追憶。
村人達が楽しそうに話をしながら通り過ぎていった。
その脇を子供が明るい笑い声を上げて駆け抜ける。その歓声が風に乗って僅かの間浮き上がり、耳をくすぐって消えていく。
――彼らが自分を顧みることがなくなってから、一体どれ程の月日が過ぎたのだろう。
目を閉じてしばし考えてみたが、答えは見つからなかった。
しかし、不思議なくらいそれを寂しいとは感じない。暗がりに身を丸め、安寧のときにゆるりと身を委ねる。
往時と比べて、村は随分と豊かになった。
人の子の農耕技術は格段に進歩し、かつて明日の糧を心配していた彼らは、今では蓄えの量に一喜一憂している。
満ち足りた生活。
たとえ彼らに忘れ去られても、それが叶っているのなら構わないと思った。
いつか自分を知る者が居なくなり、名もなき神として森羅万象に還っても幸せだとすら考えていた。
きっとこれが、神としての充足感。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
――不意に景色が、暗転した。
退廃した景色に、自分の愛して已まない土地が沈んでいく。
大切な彼等の生活が、生命が、あっという間に脅かされていく。
不安げな声が、村中で囁き交わされていた。
大きな声を出さないのは誰かに聞かれるのを懼れているのではない。そこに存在するのは、僅かな刺激ですら全てを瓦解させてしまうのではないかという恐怖だ。
翳に身を潜め、村人達はぼそぼそと先の昏い近況を互いに語り合う。
「おらんとこの田んぼはもうダメだ、全部蝗に食われちまって……」
「田んぼだけぢゃねぇ、うちはおっかあが流行病にやられた」
「餓鬼に食わせるもんがもう何も無ぇ。このままじゃ皆、飢え死にすっぞ」
絶望的な状況が次々口にされ、為す術もなく重い沈黙が頭上を支配する。
突然大地が身を震わせ、地鳴りを響かせた。
彼らが集まる集会所もぐらりと歪み、軋んだ不吉な音を立てる。
しかし村人は最早怯えることにすら疲れ切った表情で、揺れから弱々しく身を縮めるしかない。
「祟りでねぇか、」
誰かがぼそりと呟いた。誰もが考え、それでも口にして来なかった言葉。
耐え切れずひとりの口に上ったその憶測は、不安を介して瞬く間に伝播していく。
「祟りだ、俺達を怨んだ八叉彦命が災厄を引き起こしている――」
違う、と叫ぶための喉を、わたしは……「我」は、持ち合わせていない。