2 結婚初夜
食べすぎて動けなくなったミストは、自室の椅子にかけて食休みをしている。
「まだでしょう、奥様!まだいけるでしょうっ。もっと!もっと!もっとです!」
鬼気迫るベン・カンテンの叫びがまだ耳に残っている。
乙女の意地で決して限界を超えてまでは食べなかった。
「奥様、湯浴みへと参りましょう」
侍女長のエルゼが部屋に来て声をかける。
支度をしてエルゼとともに自室から浴室へ向かう。
「ベン・カンテン様から聞きましたわ。まるでお食べにならないと」
ひどく咎めるような口調でエルゼが歩きながら言う。
ベリトン辺境伯領では食べることがどれだけ重要なのか。今でも腹が膨らんでいるぐらいなのだが。
「魔力をお持ちならともかく。無い以上は、せめてたくさん食べて、身体を大きくしていただかないと。旦那様がおかわいそうですわ」
またまた疑問のいくらも残る発言だが、ミストにとっては朗報だった。なぜ太らないと旦那様がかわいそうなのか意味不明である。
浴室へと着いた。服を脱がそうとするエルゼに言うべきことがある。
「ありますよ」
ミストはされるがままになりつつ告げた。
「は?」
手を止めてエルゼが訝しげな顔をする。
「ですから。私、魔力持ちでございます」
肌着姿のまま、ミストは胸を張って告げた。
魔力持ちは少ない。だからミストのことも魔力なし、と決めつけたのだろう。
だが、実際はミストは奨学金で魔法学校に通っていた才媛である。水、風、雷属性には自信あった。
(これであの、大量の食事から逃れられるわ)
喜ぶミストと裏腹に、エルゼが止まった。キリッと眼尻が上がる。
「な、ん、で!それを先におっしゃらないのですかっ!」
ものすごく怒り出した。
(ひ、ひえええ)
更に怒りのせいか、ものすごい勢いで脱がされ、ミストはスッポンポンにされた。
「アイシャ、キャリー、ハンナ!」
エルゼの怒号で空気が震えた。
すぐに、三人が浴室に姿をあらわす。
「ベン・カンテン様に伝令っ!ミスト様は魔力持ち!明日からの食事は通常で!」
キャリーとアイシャがシュタタッと駆けていく。
取り残されたハンナが気まずそうに立っている。
「ハンナッ!あなた、奥様が魔力持ちなのをなぜ黙っていたのっ!?」
エルゼがミストの面前でハンナを叱りつけ始めた。
「て、てっきりご存知なのかと」
うつむき恐る恐るという風に言い訳するハンナ。
「立って歩いていることすら知らなかったのよ!?なぜ魔力持ちと知っていると思うのよっ」
確かにそれはそうだろうが、エルゼの発言はなかなかに理不尽であった。なまじ筋が通っている分、恐ろしい。
(それにしても、立って歩けないって。私と、何だと思われていたのよ)
すっかり混乱してしまうミスト。
叱責を終えて満足したエルゼにされるがまま、ミストは身を清められていく。
「本当におきれいな方ですわ、奥様は」
全身を磨き抜かれたミストを見て、エルゼがうっとりとした顔をする。
どうやらすっかり機嫌も治ったようだ。
そのまま自室とは別に夫婦の寝室へと連れて行かれた。
(私、このまま。まだ旦那様と顔も合わせてないけど)
薄い青色のナイトドレスと肌着だけを身に着けて、ミストはベッドサイドに腰掛けていた。
男女のことはあらかじめ嫁入りするにあたって実家で聞かされている。
嫁ぐとなった以上、ミストも相応の覚悟は決めてきていた。
「間もなく旦那様も参ります。寛いでお待ち下さい」
しずしずとエルゼが言う。
感情の起伏は理解できないものの、やはり悪い人物ではないようだ。ただ普通、旦那様が来る前に退出するものではないかとミストは思う。
「あの、エルゼ。旦那様はどんな方なの?」
きまりの悪い一方、ミストは、エルゼの機嫌の良いうちに、と質問を投げかけた。
「それはもう、凛々しくて美しい方ですわ」
エルゼが恍惚とした顔で答えた。
更にミストの身体を頭の先から爪先までを見分するかのように眺める。
「奥様もとても美しくて、本当に美男美女で、旦那様もお似合いでしょうから。本当に羨ましいわ」
どこか違和感のある言葉だが、褒められ慣れていないミストはただ嬉しかった。
子供ができれば、食事なども一緒にしてくれるだろうか。
「今、旦那様はおいくつなの?私、年齢すら知らないわ」
ミストはここぞとばかりに尋ねてみた。
エルゼが考え込むような顔をした。
「そういえば私も存じませんわ。御本人に聞いてみてはいかがです?」
エルゼも知らないらしい。いかにも古参という雰囲気であったが実は違うのかもしれない。
そもそも自分からして、食事にも同席してもらえず、式もしてもらっていない妻である。
「私、旦那様に愛して頂けるかしら」
不安になってミストは呟いた。
「大丈夫だと思いますわ。とても情の深いお方ですから。もっとも、私達もあまりお話をしたことはないのですけど」
気難しい人なのだろうか。エルゼの言葉を受けてかえって心配になるミスト。
ノックの音が響く。
「旦那様のおなりです」
外から告げられる。数人のやり取りする騒がしい声が漏れ聞こえてきた。
(何をしているのかしら?あ、駄目、集中しないと)
扉が開かれる。
侍女4人がかりで金色の鎧を1式、全身を覆うものを寝室に運び込む。
「え?」
思わずミストは声を上げてしまう。
(え?鎧?旦那様は私をどうするつもり?何をするつもりなの?)
特殊な嗜好でもあるのだろうか。
兜から脛当てまで全身を覆うプレートメイルである。両肩には何に使うのか、筒状の装置が取り付けられていた。
「えーと、エルゼ、その、この鎧は?」
ミストは旦那様であるベリトン辺境伯本人を待ちつつ尋ねる。
「こちらが第17代ベリトン辺境伯様です」
高らかにエルゼが宣言し、鎧の横で整列する侍女の列に加わる。
あまりのことにミストは反応できない。
「え?」
たっぷり間を置いてからミストは訊き返す。
「では奥様、我々はこれにて失礼致します。あとはご夫婦水入らずで、ごゆるりとお過ごしくださいませ」
優雅にお辞儀をして侍女たちが退室した。
こうして、ミストは鎧と2人きりで寝室に置き去りにされる。
「え?どうしたらいいの?」
男女のことと言っても相手が鎧ではどうしようもない。
当然、『実は鎧に命と意思があって動き出す』ということもなかった。
ミストはじっと鎧を見つめる。
(そうよ、いくらなんでも本当に鎧が夫だなんて、貴族なわけないわ。どこかに本物がいるのだわ)
思い至り、段々と腹が立ってきてミストの目には涙が溢れる。
本当に辺境伯が鎧であるわけがない。替え玉か、或いはたちの悪いイタズラだろう。
鎧に一切、触れることなく、ミストは二人分の寝台に横たわり布団を被った。
どこかに本物のベリトン辺境伯がいて、どこぞの女とよろしくやっているのだろう。侍女たちもみんな共犯者なのだ。
しかし、翌朝、ミストの怒りは粉々に打ち砕かれた。
「旦那様っ!」
朝一番、エルゼの絶叫でミストは目を醒ました。
昨日と変わらぬ姿で鎮座している鎧を見て、エルゼがワナワナと震えている。
「奥様っ!昨夜は旦那様に指一本、触れられなかったのですか?」
ミストから布団を剥ぎ取り、咎めるようにエルゼが言う。
「え、だって」
『鎧じゃないの』とミストは最後まで言えなかった。
「初夜から着てみろだなんて、私も申しません。しかし、せめて添い寝ぐらいは。それに旦那様はご自分からは動けないのですよっ?」
エルゼが涙を流して言う。
騒ぎを聞きつけて、他の次女も集まってくる。一様に似たような反応だ。怖いのはミストが連れてきたハンナまで床に膝をついて落涙している。
「あぁ、おいたわしや、旦那様」
「こんなんじゃ、お子を授かることも」
嘆くと咎めるようにミストを睨むことまで同じだ。
ミストは理解した。ベリトン辺境伯は本当にこの鎧であり、自分はこの鎧の妻として嫁入りしたのだと。