1 嫁入り
「ここがベリトン辺境伯様のお屋敷」
金髪の公爵令嬢ミスト・フォン・ブラウンは、自らの嫁入りする荘厳な宮殿とでも言うべき建造物を前に呟いた。
陽光を照り返す純白の壁、手入れの行き届いた庭園、一点の非の打ち所もないものに見える。
第17代ベリトン辺境伯。
ミストと婚姻を結んだ相手だが、まだ一度も出会ったことはない。結婚式も何もなく、ただ籍を入れられただけの異様な結婚である。
継母と、継母に骨抜きにされた父が無理矢理に決めた縁談だった。
「お前のようなグズを相手に持参金も要らないと。逆に見舞金をくれたのよ」
高笑いする継母が追い出すようにして、侍女のハンナだけをつけて送り出したのだった。
あまり歓迎されていないのかもしれない。侍女一人を連れたミストに対し、迎えの者すらいない。
「お嬢様」
ハンナが不安そうに言う。
「大丈夫よ。さぁ、行きましょう」
何が大丈夫だと言うのか。自分でも分からないまま、ハンナを連れて正門をくぐり、屋敷の玄関へと向かう。
正門のところに門番の詰め所と思える場所があったが無人だった。そのうち見つけて声をかけてくれるだろう。
「うおぃっ」
庭の中ほどでいきなり怒鳴りつけられた。
「てめえっ!どこの女だっ!突き殺されたいのか」
槍を持った大男である。えらく殺気立っていた。
ひっとハンナが息を呑む。
「私はベリトン辺境伯の妻となる、ミスト・フォン・ブラウンです。これが辺境伯様の妻への出迎えだと言うのですかっ!」
あまりに理不尽な対応に腹が立って、思わずミストは怒鳴り返していた。
「なっ、莫迦なっ!奥方様?立って歩いているぞ!」
槍を捨ててあわてた様子で男が平伏する。悪い人間ではないらしい。身なりからして門番だろうか。
(ん?立って歩いている?どういうこと?)
怒鳴り返しておいて、ミストは首を傾げた。
「やっ、こうしちゃいられねぇ。じゃ、さっきの馬車か!まずいっ!」
挙げ句、一人で慌て始めた。
「申し訳ありません。奥方様。とんだ行き違いで。すぐに迎えの者を寄越します。しばしお待ちをっ」
叫び、ミストとハンナを置き去りにして男が駆け去っていく。
ミストはハンナと顔を見合わせた。
言われた以上、この場で立って待つしかない。
「やっ!何奴!」
庭木の陰から今度は高く鋭い声が飛んできた。女性の声である。
「こんなところで何をしているのっ?ベリトン辺境伯様のお屋敷と知っての狼藉ですかっ!」
黒いお仕着せを身につけた女性が片刃の剣を手に睨みつけてくる。
「私はベリトン辺境伯様の妻となるミスト・フォン・ブラウンです。剣を突きつけるのがあなたたちの、新たな主人への出迎えですか?恥を知りなさいっ!」
精一杯の威厳を見せてミストは再度、怒鳴り返してやった。
ミストに限らず、客に武器を突きつけるのがこの屋敷のやり方なのか。妻として定着したなら、この礼儀から叩き直してやろう、とミストは決意した。
「ええっ?嘘っ?そんなっ。立って歩いてる?まさかさっきの馬車!?こうしちゃいられないわ」
女性が一旦平伏してすぐに立ち上がる。
(え?何?この子も私が立って歩いているから女主人だと思わなかったってこと?寝たきりだとでも父は伝えたの?)
すっかりミストは混乱してしまう。
「申し訳ありませんでした、奥様」
女性も完璧な一礼を決めてから駆け去っていく。
本当になんだというのか。
今度はぞろぞろと屋敷の中から10人ほどの男女があらわれた。先程、武器を突きつけてきた2人も含まれている。
一斉にミストの前に跪く。
「奥方様に初めてお目にかかります。私、屋敷の一切を任されております、鍛冶屋のベン・カンテンと申します。ご挨拶が遅れ、迎えすら出さずに申し訳ございませんでした」
筋骨隆々とし、日焼けした肌の大男が恭しく告げる。
(どういうこと?屋敷の一切を任されるのは普通、執事とかじゃないの?)
ミストはそちらが気になってしまい、相手を咎めることすら出来なかった。
「同じく身の回りをお世話する鍛冶屋のオクトバーです」
ベン・カンテンより一回り体格の劣る筋肉質の男も名乗る。
「侍女頭のエルゼです」
「先程は失礼しました門番のスチューです」
「女中のアンナです」
「油差しのピットンです」
「侍女のキャリーです」
「ハンコ職人のキンタイです」
どうやら自分には、女中や侍女をつけてくれているものの、ベリトン辺境伯には鍛冶屋など職人が使えているらしい。
「とりあえず分かりました。いきなり武器を突きつけられてびっくりはしましたが」
改めて恨めしく思い、ミストは告げる。
ベン・カンテンが恐縮した。他の面々もきまり悪そうだ。
「失礼しました。てっきり旦那様を狙う盗っ人かと。まさか奥様が馬車に乗り、立って歩いていらっしゃるとは夢にも思わず」
ベン・カンテンの説明にミストは首を傾げる。
(盗っ人?刺客とかではなくて?)
疑問点がいくつもあるも、つい新しいものから気にしてしまう。
「では、私がどのように現れると思ったの?」
ツッコミどころが多すぎて、ミスト自身も何から聞いていいか分からなくなる。
「恐れながら、駕籠か最悪、荷車ではないかと。本当に申し訳ございません」
なぜ駕籠と荷車が並列しているのか。
ミストにはベン・カンテンの頭の中がまるで分からない。
「ささ、ここでいつまでも立ち話もなんですから。屋敷の中へお入りください」
ミストはベン・カンテンに言われるまま、屋敷の中へと入る。
実家ですら見たことのない豪勢な部屋に連れて行かれた。
盗っ人と間違われたときとは打って変わって、下にも置かぬ丁重な扱いである。
武器などまったく見せてこない。
(でも、当の旦那様は?まだお目通りもしてないけど)
ミストとしては自分の夫となる男性に会ってみたかった。
(お夕飯のときくらいなら会えるかしら)
呑気に考えていたミストであったが、当の夕飯時に落ち込まされてしまう。
「旦那様は、奥様とお食事をおとりになることは一切ありません」
1人ついた食卓で、「ベリトン辺境伯様は食事にいらっしゃらないの?」と尋ねたところ、極めて硬い口調でベン・カンテンに断言された。
「一切、ですか?」
悲しくなって、ミストは訊き返した。
「はい、一切、絶対にありえません」
残酷にも重ねてベン・カンテンが断言する。
まだ顔も見せないうちからどれだけ疎まれているのか。
次々と食事が運ばれてくる。パンに肉に野菜をこれでもかと盛り付けた皿ばかりだ。
「私の何がいけなかったのですか?まだお会いもしていない内から」
ミストは俯いて尋ねた。汚れ一つないテーブルすら悲しい。夫が来ないと言われるまでは覚えていた空腹感もどこかへ消えた。
更に食事が運ばれてくる。
「落ち度があったということは全くありませんが、旦那様が奥様とお食事をとることは一切ありませんし、万が一があっては大変ですので。食卓へと姿をお見せすることもありません」
ベン・カンテンが容赦ない説明を伝えた。
毒を盛るかもしれない、と疑われているのだとミストは思い至る。
「私、毒なんて絶対に盛りません、ってベン・カンテンさん?このお料理の量は一体何なの?」
卓に相手の顔が見えないほどの料理を山と並べられてミストは尋ねた。
「今の奥様の最大量をお召し上がりください。若干、限界を超えて頂き、万が一があっても構いません」
ベン・カンテンがわけのわからないことを言う。
「以後は現在の最大量に少し加算したものをお召し上がり頂き、少しずつ力を増して頂ければと。失礼ながら奥様はか細すぎますゆえ」
確かにミストは細いほうだろう。実家でもあまり食べさせてもらえていなかった。
「ちょっと、でも」
太れと言われてはい、そうですかとはならない。
「ご安心を」
ベン・カンテンが微笑んだ。
「万が一があっては大変ですので。旦那様が食卓に姿をお見せすることは絶対にありません」