シュレーディンガーの猫を救え!
「猫って可愛いよなー」
「うん」
「そういやこないだ猫で色々検索してたらさ、シュレーディンガーの猫とかいうのが出て来てさ……」
「あーあれね」
「おっ山崎! 知ってるのか?」
「知ってるぜ」
「ウィキペ見てもよくわかんなかったんだ! 教えてくれ!」
「……えーっと。……鋼鉄の箱があってだな。その中に猫が入ってるのを想像してみろ。この時、猫が二分の一の確率で死ぬとする……」
「おい! ふざけるな! 猫を二分の一の確率で殺すんじゃねえ!」
「いや、実際に殺してる訳じゃないぞ。ただの思考実験だよ」
「思考実験とて許せん! 脳内潜行!!」
「――う゛ぶっ!」
山崎の天穴を全て突き、八識遮断。自らは七識遮断。
阿頼耶識制御で相互幽体交換を行う。
そして脳内潜行を山崎の脳髄へと開始。
待っていてくれ……! 二分の一の確率で命を奪われそうになっている可哀そうな猫よ……私は絶対にダイスは振らない! 神にも振らせない! 確実に君を救って魅せる!
そして私の精神がグニャっと渦巻いて、すぐにパッとなる。
山崎の脳内は、主にピザで構成されていた。
無理からぬことである。あいつはピザが大好物だからな。
たっぷりのチーズが時空遍在に垂れさがっている様は、サルバドール・ダリの絵画みたいな感じだ。
八千咫烏型の俺の脳内憑代も脳内法権によりピザにされかけるが、何とか抵抗する。
「おーい! 猫ちゃんいるかー?」
返事はない。山崎の話によると、猫は鋼鉄の箱に入っているらしい。
猫の声を待つよりも、眼で視た方が迅速いであろう。
時空までピザと化したピザ世界を改めて見渡す。
大地はピザ生地。チーズの底なし沼や、ラフレシアみたいな巨大輪切りウィンナーや、ドデカコーン粒が散らばる。そんな有様が地平線まで続いているではないか。
「あの黒は……!」
スライスド・ブラックオリーブ……にしては角張っている。
間違いない! 鋼鉄の箱だ! あの中に猫がいる!
私は飛び駆ける。
チーズ共が、私をピザの具材にせんと時空超越に垂れ落ちてくるのを躱し飛び、躱し飛び、雨後の燕の如く低空飛行していく!
彼方の黒へと!
猫が生きているかは、分からない。
なれば、箱破壊の直前に、局所的に猫が死なない様に時空操作して、生存を確定させるのみ!
――現刻だ!
「神黒烏羽激!」
「やめるニャアアアアア!!!!!!!!!!!!!」
「――!」
神黒烏羽激は急には止まれない。
仕方ないので時を戻してなかった事にした。
そして改めて、黒へと、その中に佇んでいるであろう、シュレーディンガーの猫へと事情を聞いてみる事に。
「シュレーディンガーの猫、と言ったかな。ひとまずは無事をお祝いしておこう」
「私が無事かどうかは、まだ分からないニャ」
「どういう事だい?」
「私は50%の確率で死んだ後、箱の内部で記憶消去手術と、生き死にに関係なく話せるようになる特殊な手術を受けたんだニャ」
「では質問しよう。猫ちゃんよ……君は死んでいるのかい?」
「もし死んでいても、その質問に意味はないニャ。疑似クオリア誘発ナノマシンの働きで生きていると勘違いするようになっているからニャ」
「つまり……どういう事だ?」
「山崎ちゃんが脳内に私を想起した時点で、私はゼロタイムで『死んでいる状態と生きている状態が重なり合っている状態』になったんだニャ。それも、箱の外側からも、箱の内側からもだニャ」
死んでいる状態と生きている状態が重なり合っている……だと!!??
「もう一つ質問をさせてくれ。私は君が二分の一の確率で命を絶たれようとしているのが心配で、こうして助けに来たんだ。私なら、因果律を捻じ曲げて君の状態を生存状態で確定させる事も容易だ! 私は君にとっての騎士な筈なんだよ。なのにどうして、君を助けようとした私の行為に対し、『やめるニャアアアアア!!!!!!!!!!!!!』とか言うんだい??」
「私は、死んでいる状態と生きている状態が重なり合っている状態になっている、と言ったニャ。でもこの箱を壊されて、臥龍院ちゃんに私の生死を認識されてしまったら……具体的には、青酸ガス発生装置の作動状態を観測されてしまったら……『死んでいるか生きているか』のどちらかで私の状態が確定してしまうんだニャ。そうなると、『生死が重なり合った状態』で存在している今の私は、私ではなくなってしまうんだニャ……」
「私が観測すると状態が確定する。……という事か……。人間原理に近い事を君は言っている訳だ」
「違うけど大体そんな感じだニャ」
「すまなかったな。とんだ有難迷惑をするところだった」
「でも助けようとしてくれたのは嬉しかったニャ」
「フッ……ではさらばだ……存在自体がフワフワの猫よ」
「毛並みもフワフワだニャ」
それは失敬、と苦笑交じりに、憑依解除。
精神がグニュゥとなって、シュビッとなった。
現実世界に戻って来た。
山崎の天穴を解除モードで突くと、黒目が降りて来る。
奴はすぐに気絶から回復した。
「……あ、今さっき居眠りしてたかも。なんかピッツァの夢見てた」
「山崎」
「何だよ臥龍院」
「シュレーディンガーの猫を、大切に飼うんだぞ」
「飼うって言っても、脳内でだけどな」
「とにかく大切にしろ」
「はいはい」
今回の脳内冒険も、非常に有意義な体験であった。
それにしても、少し疲れたな。
やれやれ……シュレーディンガーの猫か……。
あ……溜息をついたりしていると、私もシュレーディンガーの猫を脳内に発生させてしまったではないか。
これは果たして罪悪なのか……それとも徳行なのか……。
私には分からない。
願わくば……私のシュレーディンガーの猫に幸多からん事を。