ひとえに人へ見惚れる
「咲人さんの言葉の意味、よく分かりました」
香乃が美水の家を出て、すぐに出た言葉がそれだった。
あの後も、香乃と美水との間の会話は、沈黙の方が印象深いほど静かだった。美水もトラウマの先にある男の話題が出て不愉快であったし、香乃も彼女で最悪レベルに察しが悪く、かと言ってある程度の発言の良し悪しに目星がついているので、何も言わず沈黙してしまった。
「結局のところ、私がやった復讐劇って、凄くどうでもよかったことなのでしょうか」
「香乃さんの行動で、上杉氏がこれ以上に女性に乱暴をしなくなった。それは確かだと思うよ」
「などほど、考え方によりますよね」
「でも、逆を言えば、上杉氏が更生の余地も無く、ただ廃人になったとも言える」
「なるほど、考え方ですね」
「暴力は何も生みませんね」と、香乃は使い古されたような言葉を付け加える。
あまりに心にも思ってない言葉を言うんだな、と咲人は思いつつも黙っている。
「でも、私は彼女のためにどうすれば良かったのでしょうか。
こういう事、あまり詳しくなくて。上杉さんって方をただ殺しちゃうだけなら、全然簡単ですが、わざわざ生きながらえさせてまで捻じ曲げてきたのに。上手くいかないものですね」
「世の中には、復讐してもらえることで一抹の愉快を感じる人もいるだろうけどね。
ただ、世の中にはやられたからやり返して気分が良い、もしくはやり返して貰って気分が良いって物ではないんだろう。
そもそも、そう言うのは香乃さんが一番わかってると思うけど」
「ええ。よくわかんないです。
でも、それが普通で良かったですね。私、変なのかと思ってました」
「香乃さんは普通に女子高生をしていると思うけれど。
まぁ、普通だとか変だとかを考えていると、身の振り方を忘れてしまうから気を付けた方が良い」
「ご忠告、心にとどめておきます」
慇懃に返答する香乃。
「では、咲人さんは今回の件を解決しようとしたら、どんな行動をしたのでしょうか」
「今回した行動が全てだよ」
「何をしたのですか?」
「何もしなかった」
……。と香乃はその言葉の意図を考える。
しかし、まるで意図が読み切れず、少しばかりの沈黙の後に真意を尋ねる。
「どういう事でしょうか」
「俺も、香乃さんにしても、上杉氏を単純に勧善懲悪よろしく成敗するのは簡単だよ。
殴って蹴って、これ以上悪さをしたら許さないぞー。って。
でも、結果的には今回のように、被害者に頼まれたわけでもない。美水さんにとって、加害者の上杉氏の身の上にあったことなんて、些末なことに過ぎなかったんだ」
「でも、先ほどは被害者をこれ以上に増やさない予防にいいと」
「うん。だから香乃さんがやる分には正しかったと思うよ。香乃さんはファインプレイだね」
真に賞賛をしているのか怪しい口ぶりで咲人が言う。
「では、言い方を変えると、『美水さんが報われる方法』をする為に、私はどうするべきだったのでしょうか」
香乃の問いに、咲人は沈黙する。
思案する様子もなく、鉄仮面の表情がしばらく続いた後、やっと口を開いた言葉が、
「香乃さんには無理だと思うよ」
「なるほど」
無慈悲であったが、香乃は曖昧な回答をされるには納得がいったようだった。
「でも、咲人さんならきっとできたのでしょうね」
「……」
香乃の言葉に、咲人は答えない。
その沈黙によって、香乃はそれが図星であったことを示すことを悟る。もし勘違いであれば、彼はすぐにでも「買いかぶりすぎだ」とか「そんな神様みたいな扱いはしないでくれ」と、普段の彼なら言うであろう。
むしろ、沈黙をすることで、本来はしていたかもしれないが、敢えてしなかった行動なのだろう、とも香乃は察することができる。
「なぜ、しなかったのでしょうか」
「お節介にしても、逸脱するからだよ」
「逸脱、ですか。線引きみたいなものがあるのですか」
「例えば、マインドコントロールに近い方法で、他人の人格を操る。そんなことはできるけれど」
「まるで神様みたいですね」
と、香乃が言う。
咲人はあまり愉快に感じなかったが、まぁ咎めたところで何になるのだろうかと、思いを胸にしまう。
「それをしたら、もうその人を人間と扱っていないのと同じなんだ。例えば、ペットの躾で、『アレをするな』、『コレをしろ』と、調教する。感覚としては、それと同じなんだ。
何より、物理的に脳を弄るんだ。これじゃあ、支配と従属の関係だ。
たぶん、これは俺が人間である為にやるべきではない境界線だと思ってる」
「咲人さんも、普通の人になりたいのですね」
香乃の率直な感想を聞いて、咲人は思わず眉をひそめた。
「私と違ってるような、似ているような、わかりませんけど。
咲人さんにとって、普通の人とは対等に生きていきたくて、でも、貴方みたいに超常的な力を持っていると、それが難しい。いえ、できるのですが、他の人が困っている問題を見過ごさなければならない。乱暴されて困っている方、裏路地で暴漢に襲われている方、それらを全部見逃さないといけないのですね」
「自分の保身が守れる程度には、行動はするよ。だから、後者の例は……」
「自分の保身を守らないといけない」
咲人の言葉を、香乃が遮る。
「自分の力を他人に披露すれば、きっとそれは対等な関係は難しくなるでしょう。普通の人になりたい咲人さんにとって、それはしたくない。
そして、今回みたいに自分の力を行使して、心に決めた一線を越えることも、自分が人を超えた存在になってしまうようで、納得しない。ということなのですね」
香乃は「似たもの同士ですね。私たち」と、最後に付け加える。
「見透かされているみたいで、気恥しいね」
「それはお互い様じゃないですか」
「……見ないようにはしているよ」
香乃にしてみれば皮肉のつもりはなかったが、咲人は申し訳なさそうに顔を沈めつつ、謝罪を口にする。香乃からも、「別に構わないですよ」と告げられ、咲人はそれが本音だという事を分かっていたが、やはり気分の問題があるらしい。
「難しいですね。普通に人を救うのは」
街灯と月の光の下。
人ならざる2人の影が静かに消えていった。