1.ひとえに人へ愛しく
「咲人さん、おはようございます」
朝日はまだ浅い通学路にて、大須香乃は青年の後ろから顔を出す。
彼女は淑やかな雰囲気を欠かさない気質なのか、咲人と呼ばれた青年を覗き込む彼女の表情は柔和な笑みを浮かべ、挨拶の言葉と共に軽い会釈を添えた。その一連の行動だけでも、まるで花を摘みながら育ったようなピュアさを思わせる箱入り娘を思わせた。
「香乃さん、おはよう」
咲人も慣れたことのように彼女に応えた。
彼の場合は香乃ほどの人懐こさはないが、かといって冷酷な男と言う訳でもなく、落ち着いた青年らしい。
2人はそのまま歩を合わせ、通学路を進む。
香乃は少し歩くペースが遅かったが、咲人はいつもの事のようにペースを調整する。2人のスピードはとても速いものでなかったが、お互いに早起きは得意なようで、それでも十分に投稿完了までに余裕があった。
「この通学路にも慣れましたね」
「もう五月、って実感はないなぁ。入学してから、長かった気も、短かった気もする」
「同意しますよ。私はまだクラスメイトの顔と名前が一致してないんです。女子はあらかた覚えたと思うのですが、男子は一度も喋ったことがない方が多くて……」
「無理はしなくて良いんじゃないの。俺は、香乃さん以外の女子の名前を全く覚えてないよ」
「咲人さんは女性にあまり興味ないでしょう」
「誤解のある言い方は止めてよ。そもそも、女性の方が俺の事を興味持つとは思えないから」
香乃は、「ふふっ」とつい笑みを漏らす。
「私は話していて面白いと思いますけど……」
「中学の頃に委員会でよく一緒になった女子がいたんだけど、真面目過ぎて会話が楽しくないって思われてたみたいで」
咲人は自嘲的に笑って見せるも、「ハァ……」とため息が漏れた。
「香乃さんとは付き合いが長いから、砕けて話せるけどね。
いや、男子生徒と話すよりは格式張った喋り方だけど、女子とは何を話していいかわからないな。香乃さんはいつも友達と何を話してるの?」
「色々と話しますよ。
いつも手入れはどうしてるかとか、ええっと、彼氏の話と恋愛の話をする子もいますね。私はあまり話し上手じゃないので、いつも聞き役ですが。咲人さんは友達と普段何を話すのですか?」
「いや、授業の問題を聞かれるとか、小テストのアドバイスしたり位だよ」
「それは流石に冗談でしょう」
香乃がおかしく思って笑っているが、咲人の方は冗談のつもりがないらしく、「うーん」と思案顔をしていた。そんな彼を見た香乃は少しばかり「えっ」と声が出して驚いてしまう。
新緑の葉が落ち、歩いている咲人の顔にぶつかった所で、にも留めないほど咲人は何か思い当たるエピソードが無いかと考えていると。
「ああ、たまに掃除をしてる事務員の方と世間話をするかな」
「咲人さん、昼休みはよく教室を出てますけど、何をしてるのですか?」
「単に散歩だよ」
「咲人さんはお友達が少ないんですね」
「そうだね」
自覚はあまりなかったようだが、咲人は香乃の言葉を否定しなかった。
真面目な性格に思われている、周囲に評価されていることは理解していたが、かと言って交友関係が狭いということを気にしたことがなかったらしい。
「話は少し変わりますけれど、放課後の予定はありますか?」
「いや、特にはないよ」
「じゃあ、少しお茶をしませんか。友達が雰囲気の良い喫茶店を教えてくださったので、咲人さんが良ければ是非。中間テストもありますし、少し勉強を教えていただきたいです。
デートのお誘いのつもりですが……」
「良いよ。退屈させないよう気を付けるよ」
甘酸っぱいやり取りとはとても思えないほど、2人は淡泊な調子で約束の取り決めをする。
「何か気恥しいですね」
「俺も、内心じゃ心臓バクバクだよ」
そんなことを言っている二人であったが、両者ともに表情・声色は平静そのもので、周りに学生がチラホラと見えるようになった道中での会話にも関わらず、誰も『初々しいカップル』と見る物はなかった。