相談
人型の黒い影、そうとしか形容できない。
私は咄嗟に部屋に戻りドアの鍵を閉めた、影がこちらを振り向いたような気がしたからだ。
なんだあれは、見間違いだろうか。
黒い服を着た人をぼんやり見たらああ見えるとか、いや違う、間違いなくそういう類の物ではない。
私は居てもたっても居られず管理人さんへと電話した、管理人さんはシェアハウスに常在していないがたまに顔を見せに来て色んな業務をしている。
「はい、横田ですが」
初老のお爺さん、気さくでいい人そうだが、どこか能天気そうなのが苦手でもある。
以前シェアハウスのネット環境について聞いた時も話が通じず少し揉めたことがある。
「606の住人ですが、あの…ここって不審者が出たりしたことありますか…?」
「え?不審者ー?」
素っ頓狂な声を出された、まあ仕方ないだろう。
私は先ほどの経緯を簡単に説明した、黒い影については「怪しい人影を観た」と言った。
「いや~そんな話聞かないですよ!第一あそこはセキュリティがちゃんとしてますから、住人以外は入れないでしょう」
いや、ちゃんとしてない。なぜならエントランスの鍵は暗証番号さえ知っていれば誰でも開けられるのだ。
だから以前の住人だろうが赤の他人だろうが、共用区域まではいくらでも出入り可能なのだ。
「一応心配なので管理会社に問い合わせてはもらえませんか…?監視カメラとかありますよね」
「いやありますけど…入口だけですし…プライバシーの問題がねえ…」
やはり監視カメラはエントランスにしかないようだ。
そうなるとこれは住人間のトラブルとして処理される可能性が高い。
「ちなみになんですけど…心霊現象とかもないですよね?」
「…なにかあったんですか」
先ほどまでの声色とは違う、低いトーンでの返事が返ってきた。
「さっき不審者って言いましたが、実は黒い人型の影?のような物だったんですよ」
「影…」
ここで何か心霊話が出てくれば即退去してやる、そう身構えていたら予想外の返答が返ってきた。
「前にもそんなこと言っていた住人がいたんですけど…」
「え、前に同じことを言った人がいたんですか?」
なんということだ、やっぱりあれは見間違いではなかったのだ。
他にも目撃情報があるとなると信憑性が一気に高まってくる。
「その住人の方ね、変になっちゃったんですよ」
「変…とは?」
沈黙、話し辛い内容なのだろう。しかし少しして語り出した。
「いやね、あんまりこういう事言うのはよくないと思うんですがね、
1年くらい前にそういうことをよく言っていた男性がいたんですわ、
私どもも困っちゃいましてね…疲れておかしくなってるんじゃないかって」
「それでどうなったんですか」
「退去されましたよ、なんか仕事の都合とかで
でもね、その後なんか駅前で暴力沙汰を起こしちゃったみたいなんですよ」
「暴力沙汰…ですか」
「ええ、まあもう退去されてたし関係ないんですけど、ちょっと気味悪いでしょう?
あんまり面白い話じゃないしどうかと思ったんですけど…」
私があんまりにも聞くから話しちゃったじゃないか、とでも言いたげな口調だった。
「わかりました、その話が関係するかどうかはわかりませんね、
とりあえず私も様子を見てみますね、また連絡します」
電話を切る、変になった…か。
以前住んでいた人のことなんてどうでもいいことだが、黒い影を観ており、それを管理人さんに相談していたことが気になるな。
私はサスペンス劇場に足を踏み入れた気分だった、さながら土曜の昼下がりにやってる船越のやつみたく。
しかし私は探偵でも警察でもないので捜査はしない。
とりあえずこのシェアハウスで問題なく過ごせればそれでいいのだ。
私は今日の不可解な出来事のことは一旦忘れて仕事に没頭した。
そして数週間が経ったある日、601の住人が退去することになるの知った。
私はそこで酷く後悔した、どうしてあの時601の住人にコンタクトを取らなかったのか。
601の住人は三十代の会社員風の男だった、一度も会ったことがない顔だった。
だから元々どんな顔をしていたのかは知らない。
だけどそんな私でも彼が豹変してしまったのは分かる。
廊下ですれ違った彼は青ざめた顔でこう呟いていた。
かげがくる