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死んだ僕らは心を探す  作者: 外川虎
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 僕は今日も生きている。

 昨日も、今日も、きっと明日も僕は生きている。

 そして僕は生きる意味を知りたかった。

 なぜ生きるのか。なにを想い、どこに向かって生きていくのか。

 だけど、どれだけ考えても答えは見つからない。

『生きる意味なんて存在しない』

 いつもここに辿り着く。もしかしたら本当に生きるのに意味なんて無いのかもしれない。

 哲学者は『人間は皆、幸福を求めて生きている』なんて言うけれど、いつか死んでしまうのだから結局無意味だと思ってしまう。

 生きるのに意味は必要なのか、と思う人もいるかもしれないけど少なくとも僕には必要だ。

 毎日毎日、同じような代わり映えのしない生活。苦しいかと問われれば、そんなことはない。楽しいとも思わないけれど。

 ただただ、あてもなく、無意味に、存在しているだけだ。

 僕は思う。今までの人生で自分に価値があったのかを。今までの人生に意味があったのかを。

 言われるままに勉強をして、機械のように同じ日々を繰り返して来た僕に価値なんて無い。価値の無い人間に生きる意味はない。

 もう高校三年になったというのに進路もなにも見据えず、こんなどうしようもない思想が蔓延って僕の胸の奥を黒く染め上げる。

 それでも僕は、今日も生きている。


  起き上がった僕は、頭の中で渦巻く思考を振り払うように頭を左右に振ってベッドから抜け出した。

 リビングに行くと珍しく父さんが朝食を食べていた。

 今日は仕事が遅いみたいだ。いつもなら僕が起きた時にはいない。

「おはよう」

 僕が声をかけると、母さんも父さんも僕と同じ言葉を返した。

僕も椅子に座り、用意された朝食を食べ始める。

「最近調子はどうだ」

 父さんは食事の手を止めて口を開いた。

「普通に元気だよ」

「そんなことは聞いてない。受験勉強の話しに決まってるだろ」

 父さんは、それくらいわかれと言うように眉間にしわを寄せて言い直す。

 またそれか。それしか喋れないのか。口から出そうになるのをなんとか我慢して、なにげない表情を保つ。

「勉強ならしてるよ」

 それを聞いて満足したのか、父さんは「ならいい」と言って食事を進め、僕より一足先に家を出た。

「勉強ばっかりで疲れてない? 大丈夫?」

 母さんが聞いて来た。

 内心大丈夫なことは一つもなかったが、僕は大丈夫とだけ答えて卵焼きをかじる。

 そのあとはお互いに喋らなかった。

 朝ごはんを食べた終えた僕は、歯磨きと洗顔を済ませて家を出る。

 四月の半ば、曇天がより一層気分を重くする肌寒い朝だった。

 教室のドアを開けると、机と椅子が綺麗に並んでいた。最後尾、窓際の席に鞄を下ろす。

 授業中周囲の目を気にする必要がない、最高のポジションだ。

 そしてSHRの一時間も前に登校するのには理由がある。

 鞄から課題と教科書を出し、引き出しへ。そして鞄を片付けたら席につき、朝日を浴びながら読書をする。いつからか始めたこの流れが、僕は気に入っていた。

 小説が僕のすべてだった。僕がどんなにつまらない生活をしていても、主人公の眼を通して、たくさんの出来事を僕に与えてくれる。

 どんな物語の主人公でも役割を持っている。魔王を倒しにいく勇者、名推理で犯人を暴く探偵、ヒロインを救うため運命に抗う青年。

 でも僕には役割がない。自分にしかできないこと、自分じゃなければいけないこと。そういうものが僕にはない。社会を回すための、ただの歯車にすぎないんだ。きっと僕がいなくても、僕の代わりは山ほどいる。

 目標に向かって全力を尽くす、役割を持った主人公たちに僕は魅了された。

 小説とは、僕にとって大切な存在なんだ。

 今日も、無意味な現実から逃げるように物語の世界に浸っていく。

 刻々と時は流れ、次第に騒がしくなる教室。会話が飛び交う中に、僕に対する言葉は一つとしてなかった。社交辞令で挨拶してくる人が何人かいる程度だ。

 誰も話しかけて来ないのが当たり前になってしまったからなんとも思わない。

「おはよう中澤。今日も一人で読書かい?」

 嘲笑うような言い方で近づいて来くる相葉を視界の隅に捉える。

 中学から一緒のクラスメイト。間違っても僕は返事をしない。

「根暗にはお似合いだな」

 無視を決め込んでいると、横を通りすぎる時舌打ちをし肩を殴って、明るい口調でグループに入っていった。

 きっと相葉は顔の使い分けが上手いんだろうな。こんな奴がクラスの人気者だなんて、あり得るはずがない。

 微妙に痛む肩も無視して手元に視線を戻すと、またしても妨害される。

「おっはよー!」

 やたらと大声で入って来たのは高橋希望。毎日毎日、ひたすら何かを喋り続け、なにかあれば大笑いしているうるさいやつだ。

 正直言って相葉以上に苦手かもしれない。

 僕の気も知らない高橋は、クラス内にできた各グループに「おはよう!」と挨拶して回っている。

「おはよう中澤くん!」

 グループから孤立しているせいか、僕だけなぜか単体で声をかけに来る。

「おはよう」

 相葉以外を無視するのはあまり気が進まないから仕方なく挨拶を返す。

 明るく活発な高橋はクラスのアイドル的存在に毎朝単独で挨拶される僕はクラスの男子たちに舌打ちされたり、睨まれたりする。

 いったい僕が何をしたというんだ。文句があるなら高橋に言ってくれ。

「なんでいちいち僕にまで言いに来るの? 鬱陶しいんだけど」

 つい口に出してしまった。僕にとってこれはかなりの失態だ。誰に嫌われようと気にならないが、相手を傷つけるような発言はしないと決めていた。

 だが、さっきの相葉のこともあってか僕は少し機嫌が悪かったようだ。

「なんでって、挨拶はいいことでしょ? 新しい一日が昨日より良い日になるようにって挨拶するんだよ」

 高橋は嫌な顔一つせずに答える。むしろさっきよりもテンションが高くなっている気がする。よくわからない人だ。

 昨日より良い日、か。僕にとっては毎日が同じだ。せいぜい授業の科目と、読む本が変わるくらい。

「僕は昨日より良い日にならないから、やめてくれる? そうだな、高橋さんが声をかけて来なかったら『昨日より良い日』になるかもね」

 これで男たちに睨まれることもなくなるはずだと、罪悪感を胸に押し込めて皮肉を言った。

 そんな僕とは裏腹に高橋は笑顔のまま少し考えるように腕を組む。

「……だったら、私が昨日よりも良い日にしてあげる!」

 僕の話を聞いていたのか? 本当になんなんだろうこの人。自分に対する悪い言葉は聞こえない能力でも持っているんだろうか。

「じゃ、また後でねー!」

 そういうと高橋は後ろ向きに手を振って席まで歩いて行った。

 男子の視線に加え、女子にも変な目で見られている気がする。

 昨日より悪い日になることが確定した。

 高橋が来たことにより、教室の喧騒はより一層大きなものとなった。

「昨日のドッキリのやつ見たー? めっちゃ面白かったよね!」

 一際大きな声で会話をする高橋の声は、僕の音を遮断するほどの集中を貫通して聞こえてくる。

 読書なんてしてられないので本をしまうが、することもないので窓の外を眺めていた。

「中澤くんは見たー?」

 何を? と思ったが、話していた番組のことだとすぐ気が付いた。

 まさか教室の前の方から話を振ってくるとは思わなかった。その声量で僕に話かけるのは本当にやめてほしい。

「見てなーい」

 声を張り上げるのは久しぶりだったので、思ったより出なかった。

 答えた直後、僕は気づく。「見た?」としか聞かれていないのに何の話かわかるのは、彼女たちの会話を聞いていたことの証明となってしまうことに。

 盗み聞きをしていた、とか変な噂を撒かれたところで、僕にはあまり関係ないことだけど。

 だって僕は、人間関係を辞めたんだから。

「なんで見てないのー。面白いよー」

 自分を曝け出して笑える彼女が、ほんの少しだけ、羨ましかった。

 大声で番組名を言う彼女を無視して視線を窓の外に戻す。相変わらず鈍色の雲が空を埋めていた。

「おい透、また遅刻寸前だぞ」

「主人公は遅れて登場するもんだろ?」

「お前いつから主人公になったんだよ」

「最初から俺の人生の主人公だよ」

 そんなやりとりが耳に入り、チラッと視線を向けると楽しそうに話す男子たちが目に映る。

「もう一本早い電車乗れよな」

「じゃあ明日はもうちょっと急ぐわ」

 爽やかな笑顔で答える透も、僕とは違う世界の人間だった。

 それから数分後、始業のチャイムが鳴る。SHRを終えて、一時間目はLHRだった。小学校でいうところの総合の時間みたいなものだ。

「……授業を始める前に席替えでもしましょうか」

 唐突に始まったくじ引きにより、僕の席は一つ隣の列へと変わった。一番後ろの列からズレなかったことに胸を撫で下ろした。

 隣になったメガネ女子は結構静かな人なので、あまり話しかけて来なそうだし、ちょうどよかった。

「先生、黒板が遠いので席交換してもらっていいですか」

 僕の安心をぶち壊すように隣の彼女は手を挙げた。

「誰か変わってくれる人いますか?」

 彼女の代わりに先生がクラス全体に聞く。

「はいはーい! 私変わるよー」

 最後列なのに人気の無い僕の隣に名乗り出たのは、高橋だった。

 今日はとんだ厄日だ。いや、この席のままどれくらい続くかわからないから厄年と呼んでいいかもしれない。

 高橋は隣の机に荷物を置き席に着く。

「今日からよろしくね、中澤くん!」

 明るい声で言い、愛らしく首を傾けぱっちりとした目を細めて微笑んだ。

「よろしく」

「あ、返事してくれたし」

「まあ、ね」

 無視する理由もなかったので事務的に返しただけなのに、やけに嬉しそうに彼女は頬を緩めた。

「一応言っておくけど、僕は騒がしいのが好きじゃない。だから騒ぐようなら無視するからね。あと、意味も無く話しかけて来ないで」

「りょーかいですっ!」

 僕は出来るだけ嫌な言い方をしたつもりだったのに、彼女は嫌な顔どころか、笑顔で答えるのだった。

 まったくもって不思議な人だ。

 席替えも終わったということで、この時間の本題、進路についての授業が始まった。

「ミカちゃん! 白紙だよ!」

 まるで無邪気な子供のように、回ってきた印刷ミスのプリントを掲げて騒いでいた。

 それにしても、先生をちゃん呼びなのはいかがなものかと思う。先生がそれでいいなら、問題ないのかもしれないけど。

「あら、ごめんなさいねー。確認したはずだったんだけど」

 呼び方はあまり気にしていないようで、ちゃんと印刷されているプリントを持ってきてくれた。

「ありがとうございまーす」

「希望ちゃん、元気なのはいいけど他のクラスは授業中だから、もう少しトーン下げましょうか」

「はーい」

 そんなやりとりを横目に、筆箱を取り出してプリントに目を通す。

 卒業後の進路パターンがいくつも書かれていた。高校を出てそのまま就職、大学に進学、専門学校に進学、などなど。

 そしてプリントの一番には将来なりたい職業を書く欄が設けられていた。

 それを見た瞬間、くだらないと思った。

 中学の時も似たような授業があった。その時は、消し跡が微かに残った白紙を提出したのを覚えている。

 小説家になる夢はもう捨てた。望んだって、なれないのを僕は理解していた。もの凄く努力したって、夢を掴めるのは一部の人間だけなのも理解していた。そしてそれはどんな分野でもそうだ。小説家も例外じゃない。

 現実は甘くない。

 将来の夢をなんて、みんな叶わないことを知っているはずなのに。こんな授業は小学生までで十分だ。

 将来の夢なんて、意味の無いものなんだ。

「ねえねえ、中澤くんは将来何になりたいの?」

 隣から声がかかる。ボリュームはさっきよりかなり控えめになった。

 みんな隣や後ろの人と話していたので、喋っても問題なさそうだ。

「……僕は、夢とかそんなの無いよ。仮にあったとしても、なれないのなんて、目に見えてるし」

 それを聞いた彼女は意外そうな表情を浮かべた。

「小説家になりたいんじゃないの?」

 ドキッとした。なんで高橋が知っているんだろう。誰にも教えた覚えはないのに。

「なんで、知ってるの?」

 知っているのに、わざわざ聞いてくるのも疑問だったが、高橋ならあり得そうだと頭の中だけで解決させた。

「さっき、中澤くんが筆箱出す時に引き出しの一番上のノート見えちゃったの」

 まさかと思い引き出しを開ける。一番上はノートだった。だが、板書用ではなく、表紙の国語の文字は横線で消され、その下に『小説ノート』と控えめに書かれているものだった。

「それってたぶん自作だよね? 中澤くんいつも本読んでるからそう思っただけなんだけど」

 高橋の予想は当たっていて、この『小説ノート』は紛れもなく自分で書いたオリジナルの小説だ。

 中学から、授業中など思いついた時に書いていた小説ノート。ちなみに三冊目だ。

 自分でもバカバカしいと思う。こんなものがなんの役に立つというのか。

「ペンネームは決まってるの?」

 僕の表情から予想通りだと察したのか、さらに質問を続けた。

「決まってないし、僕は小説家なんて目指してない」

 僕の口は、なぜか誤魔化すための嘘をついていた。バカにされるのを警戒したのか、はたまた彼女に見透かされていたのが気に入らないのか、気づいた時には誤魔化していた。

「そっか。でも私は良いと思うけどな、小説家。なんか中澤くんって感じがしてさ」

 誰かからそんな風に言われるのは初めてだった。今の彼女の言葉は、褒め言葉なのかいまいち判断しづらかったが、少し気分が良かった。

 まさか高橋がそんなことを言う人間だと思っていなかった。

「……僕は、小説家になりたかった」

 言葉が自然と口からこぼれた。彼女は、黙って僕の話を聞いていた。

「でも、気づいたんだよ。無駄だって、バカバカしいことなんだって。努力しても、簡単になれるようなものじゃないって、僕は学んだから」

 プリントを掴む手に力が入り、シワを作った。不思議な感覚があった。胸の奥で何か大きなものが動いているような、そんな感覚だった。

「そうだったんだね。そのノート、ちょっと見せてよ」

 捨てた夢、誰にも言わなかった夢、それを語ってしまった以上、見せないのは卑怯だと思った。

 ノートを手渡すと、彼女はゆっくりとページをめくる。真横でまじまじと見られるのはどうも気分が落ち着かなかった。

 先生はプリントの説明をしていたが、僕の耳には入ってこなかった。

 彼女の指が紙と擦れる音、ページをめくる音だけが、嫌に耳に付いた。

「表現不足かな」

 先生の話しで静かになった状況を考慮したのか、独り言のように呟いた。

「え?」

「細かいことは後で言うね。見せてくれてありがとう」

 彼女は笑顔でそう言うと、机の下を通してノートを僕の手へ渡した。

 視線を逸らし首筋を軽く掻く。

 誰にも見せたことのないものを、人に見せるというのは、とても恥ずかしかった。

「プリント、どうするの?」

 彼女は薄い笑みを浮かべたまま、空欄を指先でトントンと叩いた。

「言ったでしょ、なりたかったって。既にもう過去形なんだよ。だから、小説家とは書かないよ」

 僕はやや投げやりに言って、公務員と書き込んだ。

 きっと将来の僕は公務員にもなれず、近所のコンビニかスーパーでバイトでもしてるんだろうなと容易く想像が付く。

 勉強できるだけじゃ、何者にもなれない。

「手の届かない夢を持ったって、無駄だから」

 自分に言い聞かせるように言って、窓の外に目を向けた。

「なるほどね」

 高橋は僕の気持ちを汲んだように、静かに答えた。

「……ねえ、今日の放課後、どっか行かない?」

 間をあけて高橋が言った。口調はすでに明るいものへと戻っていた。

「……え?」

 急な誘いに、戸惑いと驚きが隠せなかった。

「だから、放課後一緒にどっか行こうって話し。昨日より良い日にするって約束したでしょ」

「ど、どっかって、どこ」

 窓から視線を外さず答える。

 戸惑いか、恥じらいか、理由はわからないが心臓は早鐘を打っていた。言葉が喉に詰まったみたいで上手く出てこない。

「喫茶店なんてどう?」

「え、まあ、いいんじゃない」

「お、断ると思ってたのに」

 普段の僕なら行かないと即答するだろう。だが、彼女の流れに乗せられたのか、行くと答えてしまっていた。

 数分後、終業のチャイムがなった。

 先生の指示で、僕たち最後列の人は、前の席の人のプリントを重ねて先生に渡した。

「あ、私書いてなかった」

 そう言いながら高橋は自分のやつを抜き取り、席へ戻っていく。

 彼女は将来何になりたいんだろうか。少し興味が湧いた。だからといって聞くことはないだろうけど。

 モデルとか、アイドルとか、そういう類いかもしれないな、なんて思いながら教卓と席を往復する高橋を見ていた。

 その後、授業がなんであれ隣の席から会話が飛んできた。無視するとは言ったものの、実際に無視する気にはなれず、できるだけ小さな声で応じるのだった。

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