シーズン1 第三章 翌日 6-7
6
「それで?その後は?」
「ええ。次に、4階の掃除に向かったんですけど、いやあ、ひどいもんでした……」
それから、数時間後のことである。
僕ら――僕と橋江さん、漣に加呂さん、そして丸手さんは、ようやく帰ってきた林田さん、平さんに、「管理棟大掃除」について、報告していた。
橋江さんが話したそうにうずうずしてたので、任せていたのだけれど、
「まず僕らが直面したのは、管理棟から逃げ出してきた男でした。この男が、怪我をしているからということで事務室で手当てしたのですが、あ、手当てしたのは僕らではなく、ドライバーの中のどなたかで、その人が丸手さんに報告したところ、丸手さんが私たちに相談を持ちかけられて……」
という具合で、一から十まで、ありとあらゆることをクソ丁寧に、思いつくまま説明しようとするので、わかりにくいことこの上ない。
皆の顔が大いにうんざりしてきたところで、これはいけない、と気づき、あれこれ補足説明する振りをしながら、なんとか説明の主導権を乗っ取り、ようやく「5階トイレの傲慢おばさん」までの下りを話し終えたところなのである。
「5階にそれだけしか人いなかった、ってことは、立てこもった奴らの大半は、4階にいやがったんだろ?奴ら、どうしてた?みんなゾンビ化してやがったとか?」
難しい顔で的確な質問を投げかける林田さんの言葉で、僕は、4階での騒動をつい思い出してしまい、思わず大きくため息をついていた。
「その方が幾分マシだったかも知れません」
「そうなのか?」
「なんていうか、あそこに立てこもった人たちって、自分は助かって当たり前、周りが自分に便宜を図って当たり前って、本気で信じ込んでいたんだなって、つくづく思い知らされて……」
よほど浮かない顔をしていたのか、林田さんは、ふと表情を緩めると、僕の二の腕を軽く、ぽんぽんと叩いてくれたのだった。
「……となると、残るは医務室ですね」
なにかの拍子で閉まった鍵を開けられなかったのか、男子トイレの中でうろうろしていたゾンビを一体、食堂で、什器に挟まり身動きとれなくなっていたゾンビを一体、それぞれとっ捕まえ――みんないい加減慣れてきたのか、どちらのゾンビさんもあっという間、安全確実にひっ捕まえられた――スマキにしたところで、僕らは「最後の秘境」である医務室の前に集結した。
「じゃあ……」
両横に立った漣、加呂さんとうなずき合い、準備が整っているのを確認したところで、僕は、ドアを激しくノックした。
「皆さん、ここにおられるんですね?助けに来ました!開けますよ!」
ノブに手をかけて、ぐい、と思いきり押す。
が……からだがドアに弾き飛ばされるばかりで、ドアはびくともしない。
鍵がかかっているのだ。
「ちょっと、どうしたんです?中にいらっしゃるんですよね!?助けに来ました!ここ、開けてください!」
再び、ドアをドンドンと激しく叩く。
と。
「……我々のことは、放っておいてくれ!」
中から、明らかにいらついている声が聞こえてきた。
「はああ!?放っておいてくれって、でも!」
「この中にはゾンビはいない!皆、けが人ばかりだ!我々は、適切は治療を必要としている。それには、ここが一番都合がいいんだ!」
「ちょっ!それじゃ、俺たちの方にけが人が出たら、どうしろってんだよ!」
漣が険のある顔で怒鳴る。すると、
「それは大変気の毒だが、そちらでなんとかしてほしい。我々は、我々の安全を守る当然の権利があるんだ!」
昨日の連訪愛そのままの言葉が、変に自分に酔ったような口調で返ってきた。
(その言葉を吐いた女はどうなったか、覚えてないのか?ひょっとすると、ゾンビに襲われ怪我はしたものの、噛まれずに済んだ人だって、いるかも知れないんだぞ!なのに、そんな狭い部屋で一緒に寝てたら、また明日襲われて……!)
一人でも多くの人を助けるためならば、多少強引な手段も仕方ない、と僕は腹を決めた。
「丸手さん!ここの鍵ってありますか?あるなら……」
「ありますよ!ちょっと待ってください!」
じゃらじゃらと鍵束をならして、丸手さんがドアに近づいた、その時。
「残念ながら、ドアは開かない。中にバリケードを作らせてもらった。数人がかりで押したところで、びくともしないぐらい、頑丈なのをね」
人を小馬鹿にしたような口調で、中から言葉が投げかけられる。それとほぼ同時に、
「……だめですね、開きません」
鍵を開け、ノブを回すと同時に、全身を打ち付けるようにして扉を開けようとした丸手さんが、困った顔で僕を注視する。
「全く……」
思わずつぶやいたところで、再び中から、勝ち誇った声が響いた。
「もう一度言う!我々のことは放っておいてくれ!我々は、ここから出て行くつもりはない!外部の安全が確保され、秩序が回復するまで、当分の間、我々はここで生活を営むつもりだ!ついでに言うと、食糧を確保し、衛生状態を良好に保つため、隣の食堂と、トイレも我々に提供していただきたい!」
「なにを図々しいこと、言ってやがる!」
ますます険しい顔になった漣が、今にも殴り込みをかけそうな顔で怒鳴りつける。が、それは、中の人間をますます上機嫌にさせただけだった。
「いいかね。今、この中には十人以上の人間がいる。たとえ、君らが私たちを見張っていたとしても、もし、我々がこっそりバリケードを撤去した後、全員で、一度に外に出て襲いかかったら……どうなるかわかるだろう?」
「う……」
漣が言葉に詰まる。
確かに、中の人間の言うとおりだった。
医務室に入れない以上、中の人間を取り押さえることはできない。見張りを立てるにしても、「一斉に襲いかかる」と宣言している剣呑な人間達を取り押さえるのに十分な人数を、ずっと扉に貼り付けておくのは、どう考えても非効率的だ(正直言って、こんなわがままな人間達の幾人かを救うために、なぜ大勢の人間を確保し、危険を覚悟で取り押さえるなきゃいけないのか、という思いも少し――多分にあった)。
「ここは、我々の言うとおりにした方が、お互いに得だと思うがね!医務室と食堂とトイレ、つまりはこの管理棟4階の全てを我々に明け渡し、一切の干渉をやめたまえ!そうすれば、我々はおとなしく、この階で過ごすことを約束する!」
「……分かりました。とりあえず、センターの責任者に相談してみます!」
「うむ、早急に決断を下すようにしてくれたまえ!我々としても、おまるで用を足したり、それを窓から投げ捨てたりするのは願い下げだからね!うはははは……」
自分たちの横暴な要求を押し通すことに成功し、すっかり気分をよくしたのか、相手はいかにも上機嫌な笑い声を立てた。
その声の背中に聞きながら――もちろん、幾人かの見張りは残して――僕たちは、すごすごと医務室の前を後にしたのだった。
「なるほどなあ。そりゃあ、さぞムカついただろうな」
話の途中から口をへの字にひん曲げていた林田さんは、この上なく不機嫌な声で、ぼそりとつぶやいた。
「すいません、お役に立てなくて」
ぺこりと頭を下げると、林田さんはぶんぶんと片手を左右に振り、
「いやいや、陸君はオレが留守してる間、精一杯やってくれたって!むしろ、感謝しかないって!ありがとうな、いろいろと」
と、ねぎらってくれる。
「いえ、とんでもない。あの、それで、どうしましょう?力ずくで医務室解放するとなるとおおごとですし、そうかといって、このままヤツらのいうこと聞くのもなんだか悔しい気がしますし……」
そう訴えかけると、林田さんは、しばし考えこんだ。
「……ヤツらは、まだ医務室の中に潜んでるのか?」
「だと思います。見張りに残ってもらった方から、何の連絡もありませんし」
「こっちが手薄になるまで待つつもりか……じゃあ、手を打つなら今のうちだな」
「え、でも、手を打つって、どうするんです?ヤツらがいってたとおり、ずっと見張りを続けるわけにもいかないし、でも、明日になったら多分、中の人たちほぼ全員ゾンビ化してるでしょうから、このまま放っておくわけにもいかないでしょうし……」
「仕方がないから、ヤツらの要求通り、4階を明け渡すさ。ただし、永久にな」
そう言うと、林田さんは、にやり、と凄みのある笑顔を浮かべ、
「おーい、丸さん!ちょっと聞きたいんだけど、倉庫にポータブル溶接機、まだあったよな?」
と、声をかけたのだった。
林田さんは、ゾンビを取り押さえるのに怪我を負い、医務室で寝てたセンター長たちを「危険だから」と追い出し、その後、自分たちが怪我を負ったとたん、今度はちゃっかり「自分の権利だから」と医務室を占拠したヤツらに、この上なく腹を立てていたのだった。
ドロップアウト寸前だった自分を理解し、救い上げてくれた恩人のセンター長がゾンビ化してしまった、そのことは自体は、仕方のないことなのかもしれない。
だが、林田さんをはじめとするセンターの人々は、仲間を助けるため、ゾンビに噛まれ大けがを負った彼らに対し、できるだけの手当をし、怪我が治るまでの間――あるいは、残念ながらゾンビ化してしまうまでの間――可能な限り安静に、心地よく過ごしてもらうことで、精一杯の感謝を伝えようとしていたのである。「立てこもり組」のヤツらは、そんな林田さん達の気持ち――人間として当たり前の気持ちを、ただ自分たちの欲望を押し通したいがためだけに、無情にも踏みにじった。そして、しゃあしゃあと、可能な限り安楽で安全な立場に居座ろうとしているのである。
林田さんは、そんなヤツらに激しい怒りを燃やし、できることなら自らの手でくびり殺してやりたい、とまで思い詰めていたのだ。
そんな彼女が打ち出した「占拠者対策」は、当然ながら、背筋が凍りつくほど徹底したものになった。
「食堂を使いたいというなら、使わせてやるさ。ただし、厨房に残ってる食材まで、ヤツらに渡してやる義理はねえ。どうせ明日にはみんなゾンビ化してるヤツらに、栄養たっぷりのメシを食わせたって、仕方ねえし」
ということで、台車と段ボール箱を携えた一隊を食堂に派遣し、厨房の冷蔵庫に残っていた食材を一つ残らず運び出し、その代わり、「明日まで食いつなぐのなら、これで十分だろ」と、倉庫棟に残っていた、期限切れの弁当を――しかも、みんなからもっとも人気のないものを選りすぐって――運び込んだのだ。
さらに。
「ヤツら、こっちが油断した頃を見計らってバリケードを取っ払い、外に出てくるつもりだろ。それはいいさ。困るのは、明日、ヤツらがゾンビ化した後、ぞろぞろと他の階やら管理棟の外やらにお出かけされちまうことだ。中に十数体もゾンビがいる状態で、またワナしかけてとっ捕まえて、っていうのも面倒だしな。それならいっそ……」
彼女、丸手さんに頼んで持ってこさせたポータブルのアーク溶接機でもって、4階の防火扉を――階段側のも、エレベーター側のも、そしてもちろん、扉に備え付けてあるくぐり戸まで――慣れた手つきで、がっちがちに溶接してしまったのだ。
もともと施錠してあるうえに、これだけ頑丈に扉を固定すれば、いかにゾンビさんが大勢で押し寄せてきたとしても、まず扉が開く心配はない。ただ一つ問題があるとすれば、立てこもり組の中で、明日になってもゾンビ化しない人間が出た場合、そいつらの逃げ道が全くなくなってしまうことだが……そのことについて林田さんにそっと尋ねると、
「え?医務室のヤツらは、みんなゾンビに襲われた怪我人なんだろ?だったら、明日にはみんな、必ず、ゾンビ化するって!」
という言葉が――目だけが全く笑っていない笑顔とともに――返ってきた。
僕自身、立てこもり組のわがまま放題は、いい加減、腹を据えかねていた。なので、
「あ、そうですよね!みんなゾンビ化するに決まってますよね!」
と、僕自身も、彼女と同じ「目だけが全く笑っていない笑顔」で答えたのだった。
そんなこんなで、昼前には4階の封鎖が完了。その上で、
「さあ、これでよし。後は……そうだな、中の人間がうっかり火事でも出すと危ないからな。火種になりそうなガスは、切っておこうか!」
最後の仕上げとばかり、ガスの元栓を閉めてしまったのである。
林田さんが、本当に本気で立てこもり組を憎んでいると分かったのは、この時だった。
「あ、電気は切らなくていいんですか?」
封鎖作業を徹底して行い、ガスまで切ってしまったのに、どうして電気は生かしたままなのか――配電盤のブレーカーを落とせば、すぐ止められるのに――と不思議に思い、僕は、何の気なしに、そう聞いてしまったのである。
と。
「それをするのは明日だよ。本当は、太陽光パネルだけでここの電気全てカバーできねえし、早いとこ電源落としちまいたいんだけどな。電気が消えたり、エアコンが止まったりして居心地が悪くなったら、中の奴ら、外に出ようとするかもしんないじゃねえか」
怖いぐらいに生真面目な顔で、彼女、そうつぶやいたのである。
(あ……この人、立てこもり組の人たちを一人残らずゾンビ化させて……破滅させるつもりなんだ)
どこにも見落としやゆるみのない、完璧な復讐計画。それを淡々と実行していく林田さんの「怖さ」に触れてしまったような気がして、僕は顔をこわばらせ、
「あ、ああ……そうですね」
ただ一言、そう言い残して、彼女に背を向けるのが精一杯だった。
これは後のことになるが……「立てこもり組」は、食事こそ貧しいものになったものの、首尾よく僕らを4階から追い出し、エアコンが効いて居心地のいい空間を占拠できたことに十分満足したようだった。4階以外の場所には出ようとせず、窓すらも開けず、その日一日を静かに過ごし……そして、次の日の朝、林田さんがエアコンその他の電源を落とした時も、外に出てくることはなかった。
その後、彼らがどうなったのかは、よく分からない。
電源を落とすと同時に、林田さんは、エレベーターのコントロールパネルを操作して、4階に停止しないようにしてしまったのだ。
この後も数日、僕らは管理棟を生活拠点として使っていたのだけれど、朝、張り切って出かける時や、夕方、一日の作業でくたびれ果てているとき、階段を下り、4階の防火扉に耳を押し当てて、中の様子をうかがい、わざわざ気持ちを萎えさせるような酔狂な人間は、誰一人としていなかった。部屋で雑魚寝している時とか、シャワーを浴びたりしてる時、時折雄叫びらしきものが聞こえることはあるが、それ以外は全く意識することもなく……そのうち、シャワー室自体を使うこともなくなったこともあり、いつしか「立てこもり組」は、僕らの脳裏からほとんど消え去っていったのである。
彼らを再び思い出すのは、これより数ヶ月後、僕らが新たに壮大なプロジェクトを立ち上げた頃のことになる。彼らはある意味で、そのプロジェクトの中心をになう立場となるのだが……それはまた、後の話。ただ、管理棟4階を再び解放した時居合わせた人の話によると、「立てこもり組」は皆すっかりゾンビ化し、皆揃って、薄暗い部屋の中でぼんやりとたたずんでいた、ということで……その報告を耳にした林田さんが、ひそかににやっと笑みをもらしていたことだけ、この場に記しておきたい。
彼女の復讐は、完全に成就したのだ。
7
「これでここはすんだとして……さしあたって対処しなきゃならないことって、まだなんかあんの?」
管理棟4階の封鎖を終え、皆でぞろぞろと階段を下りている途中のことだ。今日はもう精神的に限界、できることならなにもしたくない、残り時間は寝て過ごそうぜ……という内心がありありと伝わってくる口調で、林田さんが、独り言とも呼びかけともつかない言葉を発した。
が、そんな彼女の内心に配慮してくれるほど、丸手さんは甘くなかった(というか、単に空気読めないだけかもしれない)。
「後決めなきゃいけないのは、逃げ出してきた男の方と、救出した方々の処遇ですね」
林田さんの言葉を耳にするやいなや、すかさず、打てば響くように次の「処理待ち問題」を持ち出し、ボールを投げてもらうのを待っている犬のような表情で、じっと林田さんの顔をのぞき込む。
「ああ……そうか。まだそれが残ってたか……」
林田さんは、もうたくさん、うんざりだといわんばかりの声を出すが、丸手さんは、彼女のそんな態度を――仕事に感情を持ち込まないタイプなのか、それとも、とてつもなく鈍感なのか――一切気にかけない。
「ええ、早く決めてしまいませんと。特に、逃げてきた男性と、助け出した親子連れの母親は、ゾンビに噛まれてしまったらしく、あちこちから出血しています。ですから、対処を間違うと、またひどいことに……」
「ああ、クソ!面倒くせえな……いっそ、今のうちから放り出しちまえば楽なんだけど……」
林田さんがガリガリと頭をかいているところへ、橋江さんが口を挟んだ。
「それなら、はじめからトラックの荷台に閉じ込めておけばいいんじゃないですか?そうすれば、ゾンビ化しても、そのまま運ぶ出すことができますし」
「いやいや、それはまずいって。昨日も言ったが、この陽気の中、閉じた荷台の中にいたんじゃ、ゾンビ化する前に熱中症で死んじまうよ」
平さんが眉をしかめて首を振るのを遮るように、橋江さんは、くい、と眼鏡を中指で押し上げた。
「それなんですがね。たとえば、荷台の上の方に、穴を開けるって、できないんですかね?」
「穴?」
「ええ、穴です。荷台の鉄板も、それほど分厚いわけじゃなさそうですし、ドリルかなんかで小さい穴をたくさん開けておけば、風も通るし、それほど暑くならないんじゃないかと思うんです」
「なるほどな。それなら、扉を閉めておいても大丈夫かもしれねえ」
「そうですそうです。そして、扉さえ閉めておけるのなら、中の怪我人が、どうせゾンビ化するなら他の奴らも巻き添えにしてやるとか考えて、ヤケクソで逃げ出したりしないか、一晩中見張ってなくてもいい。みんな、ぐっすり眠れます」
「うん、面白いな、それ。トラックに閉じ込めておきさえすれば、後から捨てに行くのは簡単だし。ちょっと誰か、資材倉庫にある道具で、トラックの荷台に穴が開けられないかどうか、試してくれねえか?」
それまで黙って橋江さんと平さんのやりとりを聞いていた林田さんが、開口一番そう言うと、
「よっしゃ、任しとけ!DIYは苦手だけど、ぶち壊すのは大得意だし!」
と、安藤さんが、いかにも嬉しそうに、資材倉庫に向かって小走りに向かう。
「ぶっ壊しすぎるなよ!お前、昔からなんでもやり過ぎるんだからな!」
彼の背中に向かって、心底心配そうにそう声をかける。それから、林田さん、僕らの方に向き直ると――階段を下りきった僕らは、1階のロビーにたむろするような形で、話をしていたのだ――今度はちょっと恥ずかしそうな声で、
「や、あの、あいつ、調子に乗りやすくてさ、昔っからなんだよ、張り切りすぎて、なんでもめちゃくちゃにしやがるから……」
と、言い訳がましいことをもごもごと口にする。
漣と真木ちゃんだけでも十分なのに、ここにもリア充カップルがいるとは!ちくしょう、うらやましいぞ、と大声で叫びたくなるのをなんとかこらえ、その場にたたずんでいたのだけれど、その僕を方で軽く押しのけるようにして、橋江さんが、ずい、と林田さんの目の前に体を乗り出してきた。
「林田さん!あなた今、トラックに閉じ込めさえすれば、後で捨てに行くのは簡単、とおっしゃいましたが……」
首をひねり、難しい顔の橋江さんに対し、林田さんは、
「ああ、そう言ったけど、それがどうかしたか?」
と、あくまで冷静に、あっけらかんとした様子。
「いや、でも、センターの外に出て、トラックの扉を開け、ゾンビさんを追い出すのも、結構な手間なんじゃありませんか?現に、林田さんたちも、朝からずっと、その作業でここを留守にしてらっしゃったし……」
「ああ、それね。違うんだ。あれは、この先、ゾンビ化したヤツが出ちまっても、安全確実に外へ放すことができるよう、ちょいと工夫してて、それで遅くなっちまったんだよ」
「ほう!その工夫とは、一体、どんな……」
「ああ、そんじゃ、見に来るかい?」
林田さんはにっかり笑うと、僕ら「管理棟掃除組」に対し、「ついて来いよ」と言わんばかりに大きく右腕を振り、先頭切ってすたすたと歩き始めたのだった。
「おおっ!」
「すごい!まるで砦じゃないですか!」
センターのゲートが開き、外の光景が目に入るなり、僕と橋江さんは同時に、心底感嘆した声を出していた。
センターの目の前は、目と鼻の先で主要幹線道路にぶつかる広い道路になっているのだが、昨日はその広い道を塞ぐように、あちこちで車が停車し、あるいは他の車に突っ込んで、カオスな状態になっていた。それが、綺麗に片付けられ、再び楽々と車が走れるようになっている。
片付けられた車は、センターのゲートからまっすぐ道路の向こう側に向かって綺麗に並べられ、どうやったのか分からないけど、車高の低い乗用車の上には、もう一台車が乗せられて、ゾンビの侵入を防ぐ壁になり……主要幹線道路との交差点まで、ずっと続いているのである。
「出入りすんのに、目の前の道がごしゃごしゃしているまんまじゃ面倒だって思ってさ。片付けて、ついでに、ゾンビが入ってきにくいように積み上げてみたんだ。数時間でやっつけたにしちゃ、なかなかのもんだろ?」
積み上げた車でできた壁をじっくり見学できるよう、ごく低速でトラックをゆっくり運転しながら――出かけるついでに、管理棟でとっ捕まえたゾンビさんたちを外に放してやろうと、ゾンビホイホイトラックを転がしてきたのである――林田さんが、ちょっと自慢げに胸をはる。
「ええ、本当にすごいですね!どうやって、車をあんな風に積み上げたんですか?」
感に堪えないといわんばかりに頭を振りながら、橋江さんがたたみかけるように質問を投げかける。それに対し林田さんは、こともなげな感じで
「どうやってって、フォーク使ったんだよ」
と返事を返したのだが…僕は、その言葉を聞いて、思わず眉根にしわを寄せていた。
(はて、フォーク?あの、スパゲティーとか食べる時に使う?あんなもので、どうやって車を?ひょっとして、ものすごく巨大なフォークでもって、車を串刺しにして持ち上げたとか……)
あまりのわけのわからなさに、想像があらぬ方に行きかけたところで、
「すごいですね、フォークリフトって、車をそのまま持ち上げたりもできるですね!」
という橋江さんの言葉で、フォークとは「フォークリフト」のことだとようやく気づき、ああ、なるほど、そういうことかと、僕は遅ればせながら納得できたのだった(直後、なんてバカな想像をしたのかと恥ずかしくなり、変な質問をして、恥をかくことにならなくてよかったと、ひそかに胸をなで下ろしたのだけど……おそらく頬が赤くなっていたに違いない)。
「軽作業用の小さいヤツじゃ無理だけど、大型の、座席に座って動かすフォークだったら、乗用車ぐらい、簡単に持ち上がるんだ。それぐらいのパワーないと、飲み物のケースとか運べねえしな。……さ、着いたぜ」
交差点にたどり着いたところで、林田さんがトラックを止め、素早く外に出る。続いて僕らも外へ出ると、ぐるぐる巻きゾンビを積み込んだ後ろのトラックから、平さん、加呂さん、漣の三人が、ちょうど下りてきたところだった。
「きっちり積んだから、多分ゾンビが入り込んだりはないと思うけど、油断しねえようにな」
林田さんの言葉にうなずくと、僕らは早速作業にかかることにした。
交差点の直前、「外部」への出口を塞ぐ形で止めてあるトラックの運転席に林田さんが乗り込み、スタンバイしている間に、僕らはまず、ゾンビホイホイトラックの後部扉を開けた。
加呂さんの指示で、トラップのベニヤとベニヤをつないでいるゴム紐を外す。と、ベニヤが「バタン」と大きな音を立てて開き、中に閉じ込めていたゾンビさんが、
「ヴォア?」
と、こちらを振り向いた。
慌てて荷台から飛び降り、貨物ゲートを垂直に立てて、ゾンビさんが出てこられないようにする。
「はい、準備オッケーです!」
そう声をかけると、運転席の平さんがトラックを切り返し、林田さんが待つ「扉代わり」トラックに向けて、ゆっくりとバックしていく。
間もなく、平さんのトラックの尻が、林田さんのトラックの横腹に接しそうになったところで、今度は林田さんが、ゆっくりトラックを前進させた。
バリケードのど真ん中に徐々に隙間が空き、トラックが通れるぐらいの隙間になったところで、再び平さんがトラックをバックさせ――要は、車を十文字に入れ違えてやるわけだ――荷台が完全にバリケードの外に出たところで、貨物ゲートを水平に戻す。
それを待って、バリケードに乗っていた橋江さんが、手にしたスマホの音楽アプリをスイッチオン。歌声が爆音で流れ出したところで、それを、主要幹線道路の高架下、アスファルトが途切れ、土が露出しているところめがけて、思い切り投げる。
着地の衝撃でスマホが壊れるんじゃないか、とはらはらしたが、ねらい通りに土の上に着地したからか、それとも、メイドインジャパンの技術の勝利なのか、スマホの音楽は途切れることなく流れ続け、
「ヴォオオアアアアアアアーー!」
ゾンビさんたちは、争うにようにして荷台から下り、脇目も振らず、スマホへと突進した。
すかさず、平さんがトラックを前進させ、その穴を塞ぐように、林田さんが「扉」トラックを元の位置に戻し、「ゾンビ放流」一台目終了。
二台目の、テープぐるぐる巻きゾンビ三体の放流は、もっと簡単だった。
荷台から下ろし、なんとか歩けるよう、脚の部分のテープだけ取り外してやると、後はそのまま、バリケードの外に放り出したののである。
元は連さんだったゾンビは、顔も腕もぐるぐる巻きのままなのに、他のゾンビたちを圧するほどの甲高い雄叫びを上げ、今だ音楽を鳴らし続けているスマホへと突進していった(あの元気なら、いずれそのうち、ゾンビたちの総大将に収まり、『角間と盛具知のゾンビ権を守る会』でも立ち上げて、他の地域のゾンビさんたちに、文字通り「食ってかかる」活動をしていくに違いない)。
これで、全て終了。
ものの30分もしないうちに、ゾンビの「廃棄処理」を終えた僕らは、
「さあ、帰ろうか。いろいろあって、腹が空いたよ!」
という林田さんのかけ声を合図に、行きと同じくトラックに分乗し、センターへと向かったのだった。
その夜。
安藤さんらによって荷台に穴をぼこぼこ開けられ、見事に「監禁用個室」に生まれ変わった荷台をトラックに、逃げ出してきた男と、救出した親子連れの母親を収容し――母親は、「もしもゾンビ化したら、あなたの子供も悲惨な運命をたどることになるのだから」の一言で陥落し、おとなしく中に入ったのだが、逃げ出してきた男の方は、まあ大変だった。どれほど言葉を尽くして説得しても頑としていうことを聞かず、しまいには「近づいたら噛みついてやる」とまで言い出したので、やむを得ずさすまたで引っ捕らえ、もがいているところをガムテープでひっくくり、ゾンビさながらの姿にして、個室にぶち込まなければならなかったのだ――ようやく一日の仕事を全て終えた僕らは、昨日と同じく、疲れ切ってたき火の周りに集まっていた。
「やれやれ、また冷たい弁当か。なんか、温かいもんでも食いてえな……」
「あ、たき火で、肉や魚でもあぶって食べますか?冷凍してあるんで、溶けるまでしばらく時間がかかりますが……」
丸手さんが腰を浮かしかけたところで、愚痴った当の本人の漣が、慌てて両手を振った。
「いや、丸手さん、大丈夫ですって!ちょっと言ってみたかっただけだから!」
「そうですか?」
「そうそう。それに、食べたいのはそういうバーベキューみたいなのじゃなくてさ、もっとこう、なんていうの?炊きたてご飯とか、温かいみそ汁とか、できたてのハンバーグとか……」
「贅沢言わないの。食堂と厨房が、立てこもり組に占拠されたままなんだから。料理しようにもできないでしょ」
加呂さんにもたしなめられ、漣は頬を赤くした。
「分かってるって!ただちょっと、愚痴言いたかっただけだよ!」
「はいはい。もう、これだからお子ちゃまは困るんだよね」
「だから、違うって言ってんじゃん……」
漣が世にも情けなさそうな顔になり、皆の疲れた頬にちょっとだけ笑顔が浮かんで、雰囲気が少し――ほんの少し和んだ。
と、そこで、真顔になった林田さんが、ガリガリと頭をかく。
「ま、でも、漣ちゃんの言うことも分かるよな。いつまでも弁当ばっかじゃ、体が保たねえ。オレだって、温かいもん食いたいし」
「ですよね!」
普段、「漣ちゃん」などと呼ばれようものなら、明らかに不機嫌な顔になり、そんなふうに呼ぶのはやめてくれ、と強い口調で言い立てるのだが、今は味方ができたことがよっぽど嬉しかったのか、林田さんに満面の笑みを見せる。
そんな漣に疲れた笑顔を向けた後で、林田さんは再び渋い顔になった。
「けどなあ。なかなか難しいよな。電気も電話もネットも全てつながんねえ。かろうじて水道とガスは生きてるけど、それもいつまで保つか。厨房が使えるようになっても、ガスが死んじまったら、どうしようもないしな」
「テレビもラジオも「緊急事態です」をバカみたいに繰り返すだけですし、警察も消防も、役所の人も来ません。これはどうやら、本格的にまずいことになっているんだと思います」
橋江さんが沈んだ声を出すと、林田さんは、ますます渋い顔になった。
「そうなんだよな。オレさ、今回のこのゾンビ騒動が持ち上がった時、まさかこんな、とてつもない大事になるとは思ってなくて。ほんの2、3日、長くて一週間ぐらいここで持ちこたえてりゃ、きっと助けが来ると思ってたんだ。自分の手が届くところにいる人たちをできるだけ助けて、しばらくの間頑張ってりゃ、それでなんとかなるだろって。それが……」
「そうはいかないようですね……少なくとも、一週間とか一ヶ月とか、それぐらいの期間では、どうにもならないのではないかと」
「やれやれ、長期戦かよ。そろそろ、その覚悟をしなくちゃいけねえのかな」
「そうですねえ。今のままじゃ、そのうちみんな、体が参ってしまうでしょうし」
「だよな。やっぱ、温かいメシ、食いたいしな。丸さん、倉庫に食材はどれくらい……」
林田さんが問いかけると、
「そうですね、冷凍の弁当はまだかなり残ってますし、他にも、肉や魚、野菜、冷凍食品もかなりのストックがあります。当分は、食べ物の心配はしなくていいと思います」
打てば響くように、丸手さんが即答する。
林田さんはゆっくりうなずいた。
「とすると……問題は、厨房とガスだな。プロパンが使えるといいんだけど……」
「寝床も問題だよな。いつまでもトラックの荷台じゃ、俺みたいなおっさんは参っちまう。昨日一晩寝ただけであちこち体が痛えんだから。ちゃんとしたベッドと、できれば冷暖房完備の部屋があるとありがてえな」
と、これは平さん。
「医務室が使えないんだから、医療品も問題ですよね。きちんとした医療設備と医薬品が揃ってないと、ちょっと病気になっただけでお手上げですから」
「あ、それなら、衣服ももっとほしいです。これからもきっと、ゾンビさんを捕まえなきゃいけなくなると思うんですけど、万が一捕まって、噛まれても大丈夫なように、分厚い作業着みたいな服と手袋、それにフルフェイスのヘルメットもほしいですよね」
橋江さんと僕が相次いで発言し、しまいに真木ちゃんが、
「あの、それなら、わんこも増やしてもらえませんか?うちのカールだけじゃ、大勢のゾンビさんに対抗できるかどうかわかんないし……」
ダメ押しでつけ加える。
それら全てを聞いた上で、林田さんは大きくため息をついた。
「寝床の確保、ガス水道電気の確保、医療設備と医薬品の確保、衣服やらヘルメットやらの確保に、イヌ増量……目が回るようだな」
「そうですね。全部揃えるには、町一つぐらい必要かも」
そう言ったのは、ほんの冗談のつもりだった。
だから、言い終わった後で、あはは、と笑い飛ばそうとしたのだけれど……気がつくと、みんな妙に真面目な顔で僕を注視している。
(……え?)
笑いかけた顔がこわばり、泣いているような笑っているような変な顔で固まったまま、僕は、おそるおそる皆の顔をゆっくり眺め渡した。
「おいおい、町一つ確保するなんて、ものすごいこと言い出すな。どうやってそんなことやろうっていうんだよ」
「え、どうやってって……」
ただの冗談ですよ、できっこないじゃないですか……と言いかけたところで、不意に、僕の頭の奥深くで、ぱっと火花が瞬いた。
「……要は、町の周りを全部バリケードで囲って、そこからゾンビさんを追い出しちゃえばいいんですよね?それならまず、今朝、林田さんたちがやったように……」
「車か!町をぐるっと取り囲むように、車を道路の端に積んで……」
「でも、そこからゾンビを追い出すのは、一体どうやって……」
「ええと……スピーカーの付いた車って、ありましたよね?それで、町中を走って……」
「ああ!音に反応する習性を利用して、まずはゾンビさんを遠くへ追い払うんだ!なあるほど!」
「でもよ、絶対かなりの数、ゾンビが取り残されるぜ?そいつらを掃除しないと……あ、そうか、掃除か!」
「ええ。今日僕らがやったみたいに、あらかた片付いた後で、一軒一軒家々を回り、残ってるゾンビさんを捕まえていけば……!」
「ヤバいって!なんか、できそうな気がしてきた!町一つ、取り戻せそうな気がしてきちゃったって!」
漣が興奮しきった声を出したところで、僕ら――漣、真木ちゃん、林田さん、丸手さん、平さん、橋江さん、加呂さん、そして僕は、目を丸くし、お互いの顔をゆっくりと見回した。
「……まずなにから手をつけるべきか、いくつの班をつくり、どのように進めていくべきか、もう少し、きちんと計画を練る必要がありますね」
眼鏡を、くい、と鼻の上に押し上げながら――あまりの興奮のせいか、指が細かく震えていた――橋江さんがゆっくりとうなずく。
僕らの「角間奪還作戦」は、こうして始まったのだった。