シーズン1 第二章 センター 4~5
4
「うははははは、そりゃすげえ、さすがレアちゃん、やるね!いやー、オレも見たかったな、なんで呼びに来なかったんだよ、うははははは……」
食堂での一部始終を話して聞かせると、林田さんは手を叩いて大喜びした。
「笑い事じゃないですよ。本当にもう、ひどい目にあったんですから……」
涙目で訴えかけているのは、食堂で連訪愛から一方的に責められていた、例の作業着姿の男性(丸手さんというらしい)。林田さんの向こうに腰かけ、ニヤニヤ笑いながらうなずいている厳つい男性――僕がはじめ、センター長代理だと勘違いした人だ――は、平さん。この二人が、代理の両腕というか、事務と実務を実質仕切っているらしい。
食堂を追い出された僕らは、そのまま管理棟を出たのだけれど、そこで、戻ってきた林田さんとばったり出会った。ちょうどよかったとばかり、道々状況を説明しつつ、倉庫棟の方へと行き、平さんと合流、食堂で食べ損ねたご飯の代わりに、コンビニ弁当を分けてもらい、ここ――倉庫棟の前、安藤さんがトラックを置いたすぐ横に車座になり、皆でありついているところなのである。
「それにしても、びっくりっすよ。まさか、助けてもらった立場だというのに、あんな図々しいことを堂々と主張する人がいるなんて」
それまで腹にご飯を詰め込むのに夢中で、言葉を発する暇など全くなかったのが、弁当を二つ平らげることで、ようやく人心地がつき、僕は、おそるおそる口を挟む。と、林田さんが渋い顔になった。
「まあ、仕方ねえな。現状がまだよく分かってねえんだろ。そこんとこしっかり説明すれば、いくらなんだって……」
「いえいえいえいえ!代理、それは甘い!あの方たちは、そういう人じゃありません!もう、日本語が通じないというか、なんというか……」
今回一番の被害者だった丸手さんが、再び連さんの恐怖を訴え始めたところで、倉庫のビニールカーテンがばさりと開き、中から若い男の人が一人、顔を出した。
「あ、いたいた!代理、これ、管理棟の人が、責任者に渡してくれって」
倉庫棟から道路まで、かなりの高さのある段差を身軽に飛び降りると、真新しい包帯の巻かれた指先でポケットから封筒を取り出し、林田さんに手渡す。
「じゃ、確かに渡しましたからね」
若い男性が再び軽々と段差を上り、倉庫の中に姿を消すのとほぼ同時に、くしゃくしゃになった封筒から取り出した紙に目を通した林田さんが「なんじゃ、こりゃ!」と大声を上げた。
「どうかしましたか?」
橋江さんが、気遣わしげな声をかけると、
「いや、これ……」
林田さんが、この上なく困った表情で、手にした紙を渡してくる。
そこには、どれだけ力を込めて書いたんだ、と思うほどぶっとい字で、こう書いてあった。
宣言
私たち往坂中央配送センター避難民一同は、自分たちの生命の安全を守るため、管理棟4階食堂及び5階仮眠室を占拠いたします。このたび流行が確認された疾病を発症した患者さんと濃厚接触したおそれのある方々との接触を避けるためのやむを得ぬ措置です。あしからずご了承ください。
角間と盛具知の市民の命を守る会代表 連 訪愛
(ああ、さすがに『角間と盛具知の女性と子弟を守る市民ネットワークの会』――『カモ女子しねの会』って名前を使う気にはなれなかったんだ……)
一読して僕が抱いたのは、そんな――おそらく連さんが意図したのとは全く違う、あさっての方向にずれた――感想だった。
もちろん、そんなのんきなことを考えていたのは僕一人で、他の人たちは皆、大困惑。というのも、太陽光パネルを使った照明や医療設備、プロパンガス使用の食堂やベッド、温水シャワーといった、センターご自慢の施設は、管理棟の4、5階に集中しているそうで、それらが使えないとなると、生活環境が野宿と大して変わらない程度にまで悪化してしまうからだ。
「ね?ね?ね?だから言ったじゃないですか、話の通じる相手じゃないんです、いきなりこういうことをしでかす人たちなんですよ!」
どこか嬉しそうに泣き言をわめく丸手さんを「わかった、わかった。マルさんの言うとおりだったって」とあやしつつ、林田さんが難しい顔で腕を組んだ。
「しかし困ったな、食堂はともかく、仮眠室まで占拠されちゃ、ドライバーや、あんたたちに寝てもらう場所が……」
「とにかく、様子を見ないとどうしようもねえな。ちょっと俺、みてくるよ」
管理棟へ向かって歩き出そうとした安藤さんを、慌ててみんなで止め――彼を行かせたら最後、間違いなくもう一悶着起きるに決まってる――代わりに、加呂さんに様子を見に行ってもらう。
とそこで、それまでじっと黙り込んでいた平さんが、ぼそりとつぶやいた。
「……ん~、でもな。あの人たちの気持ち、分からんでもねえんだよな」
「どういうことだ?」
林田さんが、下から見上げるようにして、平さんの顔をのぞき込む。
「いや……誰だって、あの、ゾンビみたいなやつにゃなりたかねえだろ」
「そりゃ、まあ」
「でも、政府とかからの発表が全然ねえし、マスコミも気をつけろしか言わねえから、どうやったらゾンビになるのか、今のところ、全然分からねえ。」
「そうだな」
「もしああなるのが病気だとしたら、ゾンビ野郎と触れ合ったり、近づいたりすると、感染るうつるのかもしれねえ。映画じゃゲームなんかじゃ、そういうの多いしな」
「ふむ」
「だったら……せっかく無傷で避難できたんだし、この先無事で過ごすためにも、他の――ゾンビと濃厚接触とやらをしでかしたかもしれねえやつと、一緒に寝たりしたくねえ、と思うんじゃねえかな……奴らのやり方は、あまりいい方法だとは思わないけどよ」
「ふーむ……」
林田さんが腕組みをして考えこみ――僕らもそれぞれ、難しい顔になった。
「確かに、寝てるうちに、ゾンビ野郎に襲われたかねえよな」
「そうですね。いつ、誰が、どんな原因でゾンビになるのかさっぱり分からないのですから、誰でもゾンビ化する可能性はありますし」
と、これは橋江さん。またもや皆が「ふーむ」と考えこんだとき、突然、
「あの、俺!……俺、ゾンビにちょっと噛まれました!だから……」
それまでずっと浮かない顔で塞ぎ込んでいた漣が、叫んだ。
皆が――特に、センター側の人たちが――注目する中、漣はさらに、言葉を絞り出していく。
「あの……ゾンビになる可能性が一番高いとしたら、俺です。だから、あの、俺が邪魔だったら、その、今のうちに……」
そうだった。漣は、通学途中だった真木ちゃんを助けるため、制服の上からとはいえ、ゾンビに噛まれている。この中では、ゾンビ化する可能性が一番高い。
(でも、そんなことわざわざ言わなければ分からないのに……)
僕は、この時の漣をよく覚えている。やつは、少々うつむいて、細かく震えながら、それでもぎゅっ唇を結び、皆の審判を待っていた。
せっかく安全なところに逃げ込めたというのに、その立場を自分から放り出すようなことを言い出すのは、さぞ恐ろしかっただろうと思う。それでも漣は、自分が誰かを傷つけることになるぐらいならば、今のうちに閉じ込めるか、追放されるかした方がいい、と決心し……その決心を口にしたんだ。
大人でも、なかなかできることじゃないのに、まだまだ子供っぽい高校生が、勇気ある決断をしたその姿に、僕は、すごく心打たれ……そしてつい、口を開いていた。
「あの、それを言うなら、僕も、店舗でゾンビ化した人を取り押さえたとき、ちょっと腕をひっかかれてます。だから、僕だって……」
「私も同じです。引っかかれて、ミミズ腫れができてしまいました。ですから、リスクを回避するためにも、私たちを……」
と、それまで難しい顔をしていた林田さんが、その表情を和らげ、ふっ、と笑顔になった。
「あのな。自分の身が多少危なくなるかもしれねえからって、わざわざ苦労して助けてきた人たちを放り出すなんて不人情なやつ、このセンターにはいねえよ。それだったら、端から助けになんぞ行ってねえよ」
「そうそう、そうです!」 、
「人間として、そんなこたあできねえよ」
林田さんも丸手さんも平さんも、バカなことを言うな、と言う顔で、僕らの懸念を一蹴してくれる。その様子を見た漣は、一瞬、救われた、という顔をしてから、すぐに再び顔を曇らせた。
「いや、でも、俺、自分が皆さんを襲ったりすんの、絶対イヤなんで!だから……」
と、林田さんが苦笑したまま、ばさばさと手を左右に振った。
「だから、分かってるって!絶対そんなことはさせねえよ!あんた方を追い出したりせず、しかも、みんなが無事に夜を過ごすにゃどうしたらいいか、考えてんじゃねえか!」
「ええ、ええ、そうですそうです!疑わしい人も含めて、なるべく多くの人の無事を確保しないとですよ」
「おれたちの仲間やドライバーの中にも、噛まれたり、引っかかれたりしたやつがいたかもしれねえ。夜の過ごし方は、あんた方だけじゃなく、おれたちみんなの問題だよ」
そう言うと、平さんは、仁王のように厳つい顔をゆがめ、にっかりと笑った。
それをきっかけに、みんなが、どこか照れくさそうな――初めて心が通じ合ったもの同士特有の――笑顔になる。
その笑顔に勇気をもらい、僕は、おずおずと手を上げていた。
「あの……みんなが無事に夜を過ごすのに、こんな方法はどうかって思うんですけど……」
5
センターには、三棟ならんだ巨大な倉庫棟のさらに向こう、「三」の字の上についた点のような感じで、備品倉庫がある。そこから、両腕一杯の毛布を受け取り、僕と橋江さんは、駐車場へと向かって歩いていた。
「それにしても、こんなにたくさんの毛布がストックしてあるとはね。それも、ほぼ新品のものばかり」
「ええ、僕も驚きました。すごいですよね、」
「おかげで、腰を痛めずに眠れそうだよ」
長年コンビニで立ち仕事を続けてきたせいで、橋江さんは少し腰が悪いのである。
「それにしても、よく思いついたね。陸君、時々びっくりするようないいアイデア出してくれる」
「いや、そんなたいしたもんじゃないっすよ。誰かがゾンビ化しても被害を出さないようにするんなら、一人一人別々で寝るのが一番だろうなって思って。それで、そんな場所、ここにあったかなって考えてたら、たまたま、思い出して……」
「……トラックで寝るっていうのは、だめですかね?」
夜の過ごし方をみんなで相談していたとき、僕が提案した方法というのが、それだった。
「トラック?4トンロングとか10トンとかのでかいトラックなら、運転席の後ろに寝台がついてるのもあるけど、うちは近距離配送メインだから、大型はそんなにたくさん……」
林田さんが腕組みしながらしかめっ面で――この人の「お仕事ごっこスタイル」にも、大分慣れてきた――言いかけたところで、僕は慌てて、両手を左右に振った。
「あ、いえ、違うんです。僕が言いたいのは、大きなトラックじゃなくてですね……」
その時僕の頭には、センターへ最初に入ってきたときに見た光景が思い浮かんでいた。
長々と続く倉庫棟の横を入っている途中、ふと反対側を見ると、何十台というトラックが――荷台が箱形で、「ファミリーマッケット」のロゴが左右にある、おなじみの配送トラックだ――整然と並んでいたのである。
それを見た時には、ああ、近場のコンビニ店舗全てに配送するには、やっぱりこれくらいの数のトラックが必要なんだろうなあ、なんてぼんやり思っただけだったが……。
「あの、配送に使うトラックがたくさんあるじゃないですか。あの荷台を、寝床として使えないかなあって思ったんです」
おそるおそる提案すると、林田さんの眉毛が、くい、と持ち上がった。
「2トンの荷台の中で寝るってことか。確かに、2トン車ならたくさんあるし、それだったら、人数分の寝床は確保できるな」
「けど、この季節だろ?扉閉めて寝たら、暑くて息苦しくて寝れたもんじゃねえぞ」
平さんのやや責めるような口調に萎縮して、僕はちょっと首をすくめた。
「あの、扉は開けっぱなしじゃだめですかね?幸いこの季節だから寒くはないし、荷台の奥の方で寝れば、雨に降られても大丈夫だろうし」
「ああ?でも開けっぱなしのままじゃ、誰かがゾンビ化して、襲ってきたときに防げねえんじゃねえか?」
「あ、ですからそれは……」
と僕が答えでかけたところで、林田さんが、組んでいた腕をほどき、右拳を左手の平に力強く打ち付けた。
「なるほど!扉は開けて、後ろのリフトだけ上げとこうっていうんだな!」
「ですです!配送用のトラックって、あの、荷物の上げ下ろしするリフトって、確か扉開けたままでも上に持ち上げておけましたよね?その状態にしておけば……」
「そうか。中もそれほど暑くならねえし、ゾンビに襲われることもねえってことだな」
「はい。それでももし心配なら、誰かがリフトを倒したら崩れるよう、わざと不安定に荷物を置いておけば……」
「不用意にリフトを開ければ、荷物の下敷きになるってわけか。まともな人間はまず引っかからねえだろうけど、ゾンビ化したやつなら……」
「ええ。きっと、引っかかると思うんです」
「確かに、奴ら力は強いけど、すげえ動きは鈍いものな」
平さんが納得したようにうなずいたところで、今度は丸手さんが、
「あのですね、それでしたら、運搬カートを使えばいいと思いますよ。なにしろここは配送センターですから、そこら中にたくさんありますし、片側の車輪の下に板切れでもかましてやれば、すぐに不安定になります、はい。そのカートに、そうですね、缶詰の段ボールあたりを積み上げておけば、リフトを下げた瞬間、ごろごろ、ガシャンですよ、ええ!」
と、頼もしい助言をくれる。
そこでもう一度、林田さんが力強く、拳を掌に打ち付けた。
「よおし!それで行こう!丸さん、確か備品倉庫に、予備の毛布たくさんあったよな?」
「はい、はい!この間新しく購入したばかりですから、まだかなりあったと思いますよ」
「んじゃ、床にその毛布敷いて、寝床にもらうと。配送に使ってたトラックだから、運が悪いと、なにかをこぼした匂いとかが染みついてっかもしれねえが、安全には代えられねえ、我慢してもらうか」
「じゃあ、俺は若いもん何人か連れて、倉庫棟で適当なカートと荷物、準備しておくわ」
と平さんが倉庫棟に向かってのしのし歩き出したところで、漣も、
「あ、俺、手伝ってきます!荷物積みとか得意なんで!」
とその後を追う。
「じゃあ、俺はドライバー仲間たちと順にトラック動かして、中にカート積み込んでくな」と、安藤さんが、ドライバーさんが固まっている方へと歩き出すと、
「では、私は備品倉庫へ行って、鍵開けてきますね。どなたか運び出しを手伝ってくださると助かります」
と、笑顔でいうので、僕と橋江さんが、
「じゃあ、僕らが」
と一緒について行くことにする。
「よし、皆頼んだ。オレは、トラックをどう配置したらいいか、駐車場行って考えてくる。真木ちゃん、一緒に来て手伝ってくれるか?」
「はい、喜んで!」
と、最後に林田さんと、カールを連れた真木ちゃんが動き出し……そして、今現在、着々と「トラック宿泊所」計画が進行中なのである。
「いやあ、それにしても長い一日だね。今朝、店舗で仕事上がりを待ちながらレジ打ちしてたなんて、信じられないよ」
腰に負担をかけないよう、何度も何度毛布を持ち直しながら――はじめは軽々運べるような気がするのに、歩いて行くごとにだんだん重くなっていくように感じるんだ、これが――橋江さんは、大きくあくびをした。
僕も橋江さんも、夜勤明けから今までずっと、起きて行動し続けている。ついさっき、遅い遅い昼飯を食べ、空腹はどうにか収まったが、そのせいで今度は、抑えきれない眠気が差し、意識がどろんと濁って、何も考えられなくなってくる。
(ああ、ゾンビのことも何もかも忘れて、早く寝たい。今日はもうこれ以上、なにもしたくないよ……)
座り込んでしくしく泣き出したいような気分で――寝不足のせいで、かなりナーバスになっていただけだと思いたい――とぼとぼと歩き、ようやく駐車場の入り口にさしかかった時のことだ。
「ぷーぷぷ~、ぷーぷぷ~、ぷーぷぷーぷぷ~」
と、どこかからドヴォルザーク「新世界より」の中の一曲「家路」の一節が聞こえてきた。
といっても、どこかから忽然と現れたフルオーケストラが突然演奏を始めたわけではなく、午後五時になったので、そこらの小学校なんかに設置してあるスピーカーから、安っぽい電子音で作られた自動放送が流れ始めたのだ。
「お、五時だね。ああいう放送って、今みたいな大災害が起こったとき、緊急連絡が無事に流れるかどうか確かめるために、毎日定時に流してるらしいんだ。だから、本当はあれ、緊急放送になってなきゃいけないはずなんだよ。なのに、のんきに音楽が流れてたままってことは、役所も、それすら手が回らない、本当に切羽詰まった状態なのだろうね。どうなっちゃうのかな、この先……」
僕に聞かせているのか、それとも独り言なのか分からないような口調で、橋江さんが垂れ流すうんちくを、聞くともなく聞きながら、ぼんやりフェンスの外を眺める。
と、そこには相変わらず、両腕を不自然に前に突き出し、大けがした後のリハビリでもしてるのかという、よろよろ、よちよちした足取りで、ゾンビさんが数人、歩いていらっしゃる。
と……「家路」のメロディーが終わり、自動放送が「下校の時刻になりましたんあんあんあんあん……」と思い切りエコーのかかった「音声」を流し始めた途端、ゾンビの皆さんの様子が一変した。
ぼんやりしていた顔つきが険しく、うつろだった目が鋭くなり、音声の聞こえてくる方をがっとにらみつけたかと思うと、「ヴォオオオオオ――!」と奇声を発してのたのた走り出したのだ――それも一人や二人ではなく、目につく限りのゾンビさんが全員、一斉に。
「……見たかい、今の?」
「ええ、見ました。音に反応していましたよね?」
橋江さんがうなずく。
「正確には、ただの音ではなく、人間の声――音声に反応していたようだね。それも、肉声ではなく、スピーカー越しの、録音された音声に」
「ああやって、声で人間の居場所を見つけているんですかね?」
「うーん、声だけに頼って探しているんじゃないとは思うけどね。人の姿を見て襲いかかったりもしてたし。他にも匂いとか、いろいろな感覚に頼っているんじゃないかな」
「遠くの人間は、声を頼りに探す、とかなんですかね?」
僕が首をひねると、橋江さんが小さく、にやりと笑った。
「試してみればいいじゃないか。ゾンビさんたちの背後で、大声で叫んでみればいい。振り向いて、追いかけてきたら、声を頼りに探してるってことだ」
「なにいってるんですか!そんなことしたら、捕まっちゃいますって!」
「自分の仮説が真実だと証明されるんだ、本望だろ?」
「いやいや、勘弁してくださいよ……」
僕らは顔を向き合い、ヘラヘラと力なく笑い……そして、再び歩き始めたのだった。
今考えれば、家族や知り合いがゾンビ化してしまい、悲しみの極致にいる人や、安全な場所を見つけられず、いつ見つけられて襲われるかとおびえきっている人たちも多いはずの状況下で、こんな軽口をたたき合っているんだから、我ながらなんとも不謹慎だったなあと思わないではない。でも、疲れ切って、神経がすり減り、いろいろ麻痺していた僕らにとって、たとえどんなに不謹慎なネタであっても、笑うことができるというのは、すごくありがたいことで……おかげで、その夜を乗り切り、次の朝に控えていたあの大騒ぎも乗り切るところができたんじゃないか、っていう気もする。
まあ、それはともかく。
ようやくのことで「宿泊所予定地」までたどり着くと、トラックがエンジン音もやかましく整列している片隅で、林田さんと加呂さんが、深刻な顔で話し合っているところだった(身長おそらく140センチ前半の林田さんと、150センチそこそこの加呂さんがそんなところに立っていると、トラックが余計に大きく恐ろしく見え、今にも二人がアリのように踏み潰されそうで、すごくはらはらした)。
「ああ、お帰り。ご苦労様。毛布はその辺置いといてくれればいいから」
めざとく僕らを見つけた林田さんの指示で、ようやく毛布を下ろし、やれやれと肩をもむ。
「結構重くて大変だろ、運ぶの?なんなら、フォークリフト使うか?倉庫内にたくさんあるからよ」
「運転できませんよ。それより、どうしたんです、難しい顔で?」
林田さんの、冗談なのか真面目な助言なのか、よく分からない一言を軽く流し、二人の話の方へと水を向けると、加呂さんが、なんとも情けない顔になった。
「それがさあ、聞いてよ陸君!あの、管理棟に立てこもった人たちときたらね……」
皆に頼まれ、管理棟の様子を見に行ってからというもの、加呂さんは度々管理棟四階に足を運んでは、なんとか話し合いの機会を作ろうとしたらしい。
「はじめはね、それでもまだましだったの。食堂と仮眠室の入り口に見張りの人を立てて、中に入ってこられないようにしてるだけだったから。ま、それでもどうかとは思うんだけどね……」
加呂さんは、調理器具の揃っている設備は、センターでもここだけなのだし、あなたたち以外の避難民や、もともとここにいた職員やドライバーさんたちにも、温かい食事を提供してやりたい、だから、せめて食堂だけでも使わせてほしいと、連訪愛率いる立てこもり勢にむかって、丁寧に頼み込んだらしい。
「ところがね、全然聞く耳持たないのよ、あの人たち。私たちは、日本国民として憲法に保障された当然の権利を守ろうとしているだけだ、って繰り返すだけで、全然話し合いにならないの」
その場をいったん後にし、林田さんに報告・相談した後、再び加呂さんは、管理棟四階へと向かった。
食堂と仮眠室は渡すから、その代わり、せめて余った寝具と、ストックしてある生鮮食材を分けてもらえないだろうか、と頼みに行ったのである。
「そしたら、びっくりしたわよ。あの人たち、「防火扉」っていうの?四階と五階のエレベーター前と、非常階段の前にある大きな鉄の扉を閉めて、鍵までかけて。誰も、出入りできないようにしちゃってたの。そればかりか、怪我して、医務室で寝てた人たちまで追い出して……」
配送センターでゾンビ騒ぎが起きたとき、負傷した人は三人いた。
一人は、休憩室で同僚のドライバーに噛みつかれた、ツルツルのオヤジ。残り二人は、管理室でゾンビ化した仲間を取り押さえようとして逆襲された、新人社員とセンター長だった。
そのうち、新人社員はちょっと指先をかまれたぐらいだったので、消毒し、包帯を巻いただけで仕事に復帰。今も倉庫で、缶詰の箱が積まれた運搬カートを、トラックに積み込んでいる(林田さんに管理棟立てこもり組の宣言書を持ってきてくれたあの若い男性が、その当人だ)。
だが、残る二人、年配のドライバーとセンター長は、あいにくどちらも頭や首をがっぷりかまれ、傷跡からかなり出血してる状態だった。
慌ててセンター四階、食堂の隣にある医務室に運び込み、あり合わせの医薬品で応急手当。なんとか出血は止まったものの、本来ならばすぐさま病院へ運び込みたいところだが、救急車は出払い、道路は麻痺して、けが人を運べる状態じゃない。その上、けが人二人がどちらも頑固で、意識朦朧としながらも、病院なんて大げさだ、ちょっと血が出ただけだ、このまま寝てれば治る、いいからここで昼寝させろと声を揃えて主張する。
なので仕方なく、医務室のベッドのそのまま寝させておいたのだが……連さんたち避難民は「ゾンビに濃厚接触した方を、そばに置いておくことはできない!国民の利益に反する!」とかで、医務室から運び出し、エレベータの前に放置した、というのである。
「仕方ねえから、鉄管とブルーシートで即席の担架をこしらえて、若いもんに頼んで、運んでもらった。こんなことになるなら、オヤジどものいうことなんか無視して、さっさと病院に運んどくんだったよ、ちくしょう」
と、これは林田さん。なんだかやけに憎々しげな調子だったので、どうしたのだろうと、後から安藤さんにこっそり聞いたところ、けが人の一人であるセンター長は、なんと林田さんの実の伯父さんなのだという。
林田さん、昔からああいう男っぽくてがさつな――いやいや、ボーイッシュでおおらかな性格で、学校では孤立し、ご家族ともぎくしゃくしており、唯一心を開いて話せる相手が、伯父さん――センター長だけだったそうだ。
不登校気味だった中学生の頃から、伯父さんを慕ってこのセンターに出入りし、ぶっきらぼうだが飾らない雰囲気がすっかり気に入った。それで、成績は悪くなかったのに工業高校へと進学。センターでバイトしながら、作業に必要な資格を片っ端から取得し、卒業後は当然のようにそのまま正社員として就職、今に至るのだそうだ。
まだ25歳の若手ながら――中高生にしか見えないけれど、実は彼女、僕よりも年上らしい――センターでの経験は十分。頭の回転は速く、度胸もすわっているし、くせ者が多いドライバー連中からの信頼も厚い。ということで、センター長が負傷した後、ほぼ全員一致でセンター長代理に選ばれたのだが、本人ははじめ「絶対イヤ」と拒否。けれど、伯父さんの「お前以外に任せられるやついねえんだ、頼む」という言葉でしぶしぶ引き受けることになった、というぐらい、林田さんの伯父さんへの信頼と感謝の思いは厚いのだと語った後で、「そんな人をベッドから放り出して放置するとかってぞんざいな扱いをされて、すげえムカついたんだと思う。ま、当然だよな」と、安藤さんは苦々しい顔で話を締めくくり――僕も、なるほどそりゃあ、連さんたち「市民」に悪感情を抱くのも無理はないよな、と深く納得したのだった。
と、話がちょっとずれてしまった。元に戻して……。
「防火扉の鍵ってないんですか?」
「いや、あるよ。センター入り口の事務所にスペアがあったはずだ」
「それなら、いざとなれば強制退去もできますね」
「ああ。ただ、あまり事を荒立てるのはな。向こうもそれなりに人数いるし、全面衝突となると、またけが人が出るかもしれねえし」
林田さんが、口をへの字にして考えこむ。つられて僕も、渋い顔になった。
「それじゃあ……今のところは静観するしかないかもしれないですね。もう夕方だし、夜になって、ゾンビさんたちがどうなるのか、まだ分かりませんし」
「そうだなあ……今晩のところはそれしかねえか。奴らも、頭に血が上ってるだろうしな」
はっきりした思惑や計画があったわけではなく、今日はもう、これ以上のいざこざはごめんだという、ただそれだけの理由で、僕は林田さんに、問題を先延ばしにするよう提案してしまった。疲れてヘトヘトで、とにかく今日はもう、早く休みたいという気持ちばかりが頭の中を占め、つい面倒でそう言ってしまったのだけど……僕は後々、この自分の提案を、長く後悔することになる。
「明日また、私説得に行ってみますね。陸君、その時、一緒に付き合ってよ」
ため息とともに加呂さんが言ったところで、この話はお開きとなった。
「それじゃあ、ま、ぼちぼちトラックの方も準備できてきたし、夕食の準備にかかるか。といっても、また昼飯と同じコンビニ弁当だけどな」
いうが早いか、林田さん、すたすたと倉庫棟へと歩き出し……僕らもその後ろに従ったのだった。
それから、数時間後。
「トラック宿泊所」は完成した。
後部扉を開けたまま、駐車場の中央に尻を向け、左右に整然と並んだトラック。
その真ん中のスペースにはドラム缶がいくつか置かれ、中にいくつも突っ込まれた端材から、高く炎が上がっている。そのあちらこちらに数人ずつ人がまとまり――寒いからじゃなく、明かりがそれしかないのだ――地べたに腰かけて、もそもそと弁当をつついている。
その中に混じって、僕らもコンクリートの地べたに座り、ペットボトルのお茶を片手に、倉庫から出して間がない、固いコンビニ弁当をつついていた。
(ドラム缶の明かりに、あちらこちらに集まる人々。こういう場面、ゲームで見たぞ。赤いドラム缶をピストルで撃つと、大爆発して周り中のゾンビが吹っ飛ぶんだ……)
などと、ぼんやりバカなことを考えていると、
「停電だねえ。どこかで電線が切れたか、それとも、発電所か、変電所かで不具合が起きたか。まあ、どちらもありうるねえ……」
橋江さんが、言っても言わなくてもいいようなことを、ぼんやりと口にする。
僕ら二人とも、疲労と睡眠不足とでふらふら、割り当てられたコンビニ弁当を食べ終わったらすぐ寝床にもぐり込むつもりでいたのだけれど、いざ食べ始めてみると、なかなか箸が進まず――コチコチに凍った弁当が溶けるのを待ちながら食べなきゃいけないっていうのもある――ぼんやり周囲を眺めていたのである。
意外なことに、ゾンビさんたち、夜になるとなんだかおとなしくなったようだった。
映画やゲームでは「注意!暗闇はゾンビの世界です」みたいな感じで、日が暮れてからの方が皆さん活動的になる。中には日の光に当たるのを嫌がり、昼間は建物の奥深くに隠れているっていう設定のゾンビさんまでいるくらい。けれど、僕らの周りにいるリアルゾンビさんたちは、陽光が輝いているうちは活発にあちこちうろうろしていらっしゃったのに、日が暮れた途端、ぴたっと立ち止まってしまわれた。あれほど元気よく振り動かしていた腕も、だらりと力なく垂れ下がり、うつむいて、その場に根が生えたようにじっと立ち尽くしていらっしゃる。中にはわずかに動いてるゾンビさんもいるが、それも、昼間に比べるとずっと動きが鈍く、ビデオのスロー再生でもされてるんじゃないかっていうぐらい、あらゆる動きが緩慢なのである。
(へええ……ゾンビといえば、闇の中に巣くう邪悪な怪物のイメージだけど、実は暗闇は苦手なのかも。案外、日の当たる暖かい場所が好きだったりして……)
不意に、頭の中に、さんさんと陽光が降り注ぐ広い野原で遊び戯れるゾンビの映像が鮮明に現れ、そのあまりのミスマッチに、僕は思わず、ニヤニヤと笑ってしまった(何度も言うが、ヘトヘトに疲れて、いい加減頭のいろんな回路が鈍っていたんだ)。
だから、
「今日は本当にいろいろあったねえ……それも、しんどくてイヤなことばかり……」
と橋江さんが心底疲れ果てた調子で顔を上げたときも、僕の顔にはにやけた表情がはりついたままで、変な顔をされてしまう。
慌てて疲れた深刻な表情を作ろうとしながら――焦れば焦るほど、野原で輪になって踊るゾンビたちの姿が鮮明に見えてきて、ますますにやけてくる頬を、両手で力一杯ごしごしこすりつつ――僕は何度も深くうなずいた。
「ええ、ほんとに、疲れましたね……でも、ほら、最後に一つだけ」
「ああ……あれか。そうだね。一つだけは、いいことがあったか」
橋江さんの顔が、やんわりとほころぶ。
朝バイト先のコンビニで襲われてからというもの、本当に今日は一日、ろくなことがなかった。唯一朗報があったとすれば、日が暮れてかなりたった頃、真木ちゃんのお父さんが、無事センターにたどり着いたことだ。
真木ちゃんのお父さん――テルさんは、電気工事の会社に勤めており、この日もいつものように、仕事用具一式を乗せた社用車で会社に出かけたのだが、すぐに渋滞に捕まり、動けなくなってしまったらしい。その場で車を捨てて逃げようかとも思ったのだが、外には何やら恐ろしげな表情をした人たちがうろうろ歩き回っていて、逃げる人々に襲いかかっている。これは下手に動かない方がいいと判断し、車の中に置いてあった弁当――真木ちゃんの手作りだそうだ。うらやましい――と水筒のお茶でなんとか体力を維持しながら、逃げ出す隙を狙っていた。
が、午後になってもゾンビさんたちは一向に数が減る様子もなく、頼みの綱の警察も消防も、自衛隊も現れない。こうなれば、危険を覚悟で外に飛び出すしかないか、と思ったときに、例の公共放送が鳴り響き、道を歩いていたゾンビさんたちが、一斉にスピーカーの方向へと移動し始めた。今だ、と道へ飛び出し、自分たちの住むアパートまでの道をダッシュで走りきり、そこで貼り紙を見つけ……後は、そこら辺に放置してあった自転車にまたがり、夕闇が広がり、ゾンビさんたちの動きが鈍くなる中、その群れを突っ切るようにして、ようやくセンターにたどり着いたのだ。
疲れ切ったテルさんと再会したときの真木ちゃんとカールの喜びようといったら、そりゃもうものすごいものだった。真木ちゃんはテルさんにすがりついたまま号泣するし、カールは飛びついて顔中なめ回しながら、うれしさのあまり小便を漏らしてテルさんに思い切り引っかけるしで、騒動が一段落した後、テルさんは外の水道で体を洗い流し、センターの人に借りた作業着に着替えなくてはならぬ羽目になった。
それでもテルさんはずっと笑顔で――一部始終を見ていた僕らもセンターの人たちも、みんな微笑みを浮かべていたのだった。
(あの出来事がなかったら、明日への希望も一切持つことすらできず、ひたすらどよんとした気分で眠らなきゃだった。最後の最後に、一つだけでもいいことがあって、本当によかったよ……)
先ほどゾンビお遊戯を創造していたときとは違う、ほっこりとした微笑が、いつの間にか僕らの頬に再び浮かんでいる。
「さあ、それじゃあ、そろそろ寝ましょうか」
「そうだね。いつまでも起きていても仕方ない。さっさと休んだ漣君を見習って、僕らも休もうか」
うん、と大きく伸びをするようにして立ち上がり、割り当てられたトラックの荷台へ這い上がると、リフトを立て、念のため搬出カートでバリケードを築き……ようやく、僕らは長い、長い一日と別れを告げたのだった。