シーズン1 第二章 センター 1~3
1
「……でかいですね」
ようやくのことでたどり着いた配送センターを前にして、僕がまず発したのが、この言葉だった。
「そりゃそうよ。全国あっちゃこっちゃから集まる荷物をえんやこら下ろして並べて積み直してって場所だもの。小さいわけないって」
運転席に座る安藤さんは、当たり前のように――いや、鼻をうごめかして、ちょっとだけ自慢げではあった――そう言うと、短く2回、クラクションを鳴らす。
と、トラックの助手席に乗った僕の目線よりも高くそびえ、幅も十メートル以上はあろうかというどでかい門扉がごろごろと内側に開き……僕らは、しずしずとセンター内部に――長方形の巨大な倉庫のような建物が3棟、数百メートル向こうにまで並び、その向こうには、これまた5階建て以上はあろうかというビルが鎮座するセンター内部へと――「でかいにもほどがあるだろ、どんだけコンビニに荷物運んでるんだよ」と、あきれ果てている僕を乗せて――入っていったのだった。
後から分かったのだけれど、この配送センター、ファミリーマーケットの系列店舗に荷物を運ぶためだけのものではなく、スーパーマーケット「オオイズミヤ」とか「ミニマムバリュー」とか、契約している数多くの店舗に食料品を運ぶ、大手物流会社が経営する拠点センターだったんだ(それで、コンビニチェーンに出荷するにしては、やけに大きな倉庫が建ち並んでいた、というわけ)。
安藤さんも、てっきりファミリーマーケット本社直属の配送員かと思っていたんだけど、実際は、コンビニの本社から店舗へのルート配送を請け負っている運送会社で働いている社員、ということになるらしい。
「だから、基本的にゃ、コンビニ十数件回るルート配送してっけど、ちょっと他のドライバーの都合がつかない時なんか、スーパー回ったりとかする時もあるよ。時には、どうしてもって頼み込まれて、高速乗って、那護野あたりまで走ったりしたこともあるしね」
と、これは安藤さんに聞いた話。ただ毎日、決まった店舗に荷物を配送するだけの、簡単な――そして、退屈なお仕事だと思っていたのだが、なかなかどうして、配送員さんも大変らしい。
んで、そういう配送員さんたちや、あるいは、長距離トラックを運転し、はるか遠くから荷物を運んでくるドライバーさんたちが根城にしているのが、配送センターなんだそうだ。
センターでは、長距離トラックから荷物を下ろし、整理して、ルート配送のトラックに積み直す、という仕事をしているだけでなく、トラックの駐車場所を提供し、ドライバーさんが食事を取ったり、仮眠できるようにしたりといったサービスも実施してる。だから、どの時間でも、そこそこ多くの人たちで賑わっているとか。
センター長代理が、今回の災厄に当たり、このセンターなら、かなり大勢の人間をしばらくの間救援することができる、と考えたのも、大量の食料品が集積されている上に、それらを長期保存できる冷蔵設備があり、さらには、食堂やベッドルームはもとより、停電が起きたとしてもしばらくの間は持ちこたえられるだけの自家発電装置まで備えた、日本でも有数の設備を誇る近代的配送センターだったからなんだ。
近所にこれほど頼りがいのある施設があり、しかも、そこへ早い時期から避難することができて、僕らは本当に幸運だったのだけれども、そのことにはっきり気づくのは、しばらく時間がたってからになる。というのも、この時僕らは皆、ヘトヘトに疲れ切っていたし……それに、この後しばらく、問題が立て続けに起き、しばらくは緊張した状態が続くことになるからなんだ……。
「いやー、それにしても、疲れた、疲れた」
倉庫棟の一番奥まった場所にそびえ立つ巨大なビル――センター全体の「管理棟」らしい――まで歩いてすぐのところにトラックを駐車し、地面に降り立ったところで、安藤さんが「うーん」と大きく伸びをした。
「運転、お疲れ様でした」
僕も助手席からよろよろと下りて、疲れた笑顔を安藤さんに向ける。
「いやいや、陸君も大変だったっしょ、ずっとさすまた使いっぱなしで」
「いやいや、ドライバーさんほどじゃなかったっすよ」
互いにねぎらいながら――いかにも日本人らしく――照れくさそうに笑い合う。
実際、ここまでの道のりは、本当に大変だった。
真木ちゃんの家に寄り道するのに、ちょっと遠回りしたとはいえ、僕らのいた店舗から配送センターまで、直線距離にすればほんの数キロしか離れていない。けれど、多重追突事故や乗り捨てられた車のせいで、至る所で道路が分断されており、それを迂回して走らなければならなかったし、そこらをうろうろほっつき歩いているゾンビ化した人たちを、なるべく刺激しないよう、行きすぎるのを辛抱強く待ったり、時には、細心の注意を払いつつ、さすまたでそっと歩道の方に押しのけたりで、たかだか数キロの道のりを走破するのに、4時間以上かかってしまったのだ。
「さすまた使うんで、窓開けっぱなしにしなきゃいけなかったのが、つらかったよね。日差しはもう、真夏と変わらないっていうのに」
「いや、皆はまだいいって。俺、荷台の中っすよ。暑いわ、一人で寂しいわ、本当にどうしようかと。ま、ずっとスマホいじってたからいいすけど……」
運転席の横に乗ってた加呂さんが、「一番若いから」という理由で、気の毒にもただ一人に荷台に乗せられた漣を連れ出し、合流する。やはり、二人とも暑さにやられて相当疲れているようだ。
が、そんなときでも、加呂さんは、やっぱり気遣いを忘れない。
「真木ちゃんの弟さん、あの時間で家にいたってことは、病気かなんかで学校休んでたんだよね。この暑さの中、長時間車で過ごして、体弱ってないといいけど……」
言われてみれば、確かにその通りだ。まだ小さいのに、一人で留守番している時にこんなひどいことになり、その上、姉が一緒とはいえ、見知らぬ大人の車に乗せられ、長時間我慢させられて……僕なら、あまりにつらくてしんどくて、泣きわめくか、気絶するかしているところだ。
(弟君が出てきたら、みんなで一杯慰めて、褒めてあげないとな……)
そんなふうに思っているところへ、橋江さんの青いリッターカーも到着し、トラックの横へ、ゆっくりと停車した。
大きなため息をつきながら下りてくる橋江さんに、
「お疲れ様です!あの、真木ちゃんの弟さん、大丈夫ですか?」
気遣わしげに声をかけたのだが、橋江さんは、何やら複雑な顔で、
「ん?ああ、うん……それなんだけどね」
と、煮え切らない返事をする。
つられて、僕らも不審げな顔になったところで、
「ご心配おかけしました!弟、全然大丈夫でした!」
後部扉が開き、中から真木ちゃんが満面の笑みで、飛び跳ねるように出てくる。
弟を助けられた喜びのためか、疲れなど吹き飛び、相当ハイになっているようで、僕を含めたトラック組が、皆気遣わしげな――と見えなくもない不審げな――表情を浮かべているのに気がつくと、彼女、くるりときびすを返した。
「ほら、おいで!心配してくださってる皆さんに、「元気だよ」って、きちんとあいさつして!」
後部座席に半身を突っ込み、なにやらごそごそしていたかと思うと……。
真木ちゃんが身を翻した途端、座席から茶色いなにかが弾丸のような勢いで飛び出し、中腰になっていた僕の頭に、思い切りぶつかってきた。
「ほぐわっ!」
あまりの勢いよくぶつかられたせいで、思わず尻餅をつく。が、茶色い塊はそれにも構わず、それどころか、さらに上半身を地面に押し倒す勢いで――ハアハアとものすごく荒い息を、僕の顔一面にかけながら――のしかかってくる。
「こら!カール、やめなさい!」
真木ちゃんが叫ぶが……茶色い塊は全くいうことを聞かず、僕にのしかかったまま、いかにも嬉しそうに、口といわず鼻といわず頬といわずあごといわず、僕の顔中をぺぺぺぺぺぺぺっと激しくなめ始めた。
(……犬!?)
ようやく、自分がなにに襲われているのか分かったところで、僕は両腕を犬の前足の付け根に伸ばし、なおも必死で僕の顔をなめ続けている犬を、抱き上げるようにして引っぺがした。
改めて見ると、かわいらしいが、いかにもやんちゃでいたずら者っぽい笑顔を浮かべた、柴犬である。
「お前は……え?」
思わず声をかけると、それがまた嬉しかったのか、
「うわん!」
至近距離で思い切り吠えられ、耳がキーンとなる。
「カール!もう、だめでしょ!いい加減にしなさい!」
ここでようやく、真木ちゃんがカールを僕からもぎ離し――手渡す時に、ちょっとだけ彼女の指が僕の手に触れ、嬉しかったのは内緒だ――首輪にリードをつける。その間に、僕も頭をふりふり、ヒョロヒョロと立ち上がった。
「すみません陸さん。この子、若いお兄さんが大好きなんです。それで、テンション上がり過ぎちゃったみたいで……」
真木ちゃんがしょんぼりと頭を下げる。僕は慌てて両手を左右に振った。
「いやいや、別に構わないって、僕、動物全般、大好きだし。それより、その、真木ちゃんの弟って……」
「はい!この子です!カールっていいます!もうすぐ7歳になります!」
なにが嬉しいのか、カールは真木ちゃんの横で、千切れるように尻尾を振っている。
「いや、でも真木ちゃん、弟って、これ……」
「一人で留守番は寂しいだろうからって、お父さんが飼うのを許してくれてから、ずっと一緒に暮らしてきたんです!」
実に天真爛漫な声で、真木ちゃんがハキハキと答える。
(いや……そりゃあ、君にとって、カールは弟かもしれないけど……)
真木ちゃん以外のほとんどの人間にとって、犬は犬、ケダモノでしかない。多くの人間が避難している場所へ、生きた動物を持ちこむことが――それも、管理者の許可も取らずに――許されるのかどうか、ちょっと微妙な気がする。
「これ、きっとまずいよね……」
「うーん、ですよね……」
僕と橋江さんは、互いに目を交わし、揃って難しい顔になった。
そこへ、
「へええ、まさか犬だったとはね!そりゃびっくりだ!」
安藤さんが、実にあっけらかんとした声を出した。
センターの事情に一番詳しいのだから、てっきり、食品を扱うセンター内では動物は絶対連れ込めないんだ、とかなんとか、真木ちゃんを説得してくれるものとばかり思っていたのに、
「まあ、連れてきちゃったもの、今更外に追い出すのもどーよだし、どうしたらいいか、代理に聞きゃいいんじゃね?最悪、建物に入れるのはNGでも、車ん中とか、どっか外につないどくならいいと思うし」
なんとものんきなことを言う。
ところが、それを聞いて、真木ちゃんは喜ぶどころか、逆に悲鳴のような声を上げた。
「ええっ!外なんて、かわいそうです!うちではずっと、私と一緒に寝てるんですよ!」
「いや、まあ、そうかもしれないけどね、あたしたちは助けてもらった側だし、あまりわがまま言っても……」
「避難させてもらってる立場だし、あんまりわがままも言えねえだろ?ここは……」
「いや、絶対嫌です!カールがかわいそう!」
漣と加呂さんが二人がかりで説得にかかるも、真木ちゃんは頑固に言い張る。
(頭のいい、素直な子だと思っていたけど、結構地雷なところもあるんだな、真木ちゃん……)
目に涙をため、下唇を突き出して言い張る真木ちゃんを見ていると、先ほどまでの漣に対する悪感情はすうっと消え去り、代わりに、大変な女の子を選んじゃったんだな、気の毒に、なんて彼に同情する気持ちがわいてくる。
「やれやれ、この調子じゃ、私の車が犬小屋になりそうだな。勘弁してくれよ……」
僕と同じく、様子をうかがっていた橋江さんが、ぼそっとつぶやくのを聞いて、僕は、彼にも深く同情したのだった。
2
外につなぐなんて絶対だめ、絶対カールと一緒でなきゃいや、と泣きながら言い張る真木ちゃんをなだめすかし、とりあえず、センター長代理にお伺いを立ててみよう、その結果によって、どうするか決めようね、と幼稚園児に言い聞かせるようにして、ようやく納得させた――まだ目に涙をため、ふくれっ面をしてはいたけれど――僕らは、車を降りた時よりさらに数倍疲れたように感じる体を引きずり、遅ればせながら、代理にあいさつにうかがうことにした。
代理は管理棟のほうにいるはずだから、というので、総勢6人と1匹が連れ立って、倉庫の角を回り込み、奥にそびえる大きな建物の入り口へと向かって足を運ぶ。
と、入り口の方から、作業着と安全靴で武装した、いかにも倉庫作業のエキスパートです、といった感じの厳つい中年男性が、数人の若い衆を引き連れ、こちらへと歩いてきた。
(あ、この人がセンター長代理だな。醸し出してる雰囲気がまるで違うもの)
一目で、僕はそう直観した。それとほぼ同時に
「あ、代理~!ちょうどよかった!」
安藤さんが、大声で――しかしなんだか、変に気安げに――叫ぶ。
あれ、おかしいな、あんな怖そうなおじさんに、そんな気安く声かけていいのかな、なんて疑問が心をよぎった時。厳つそうなおじさんを、ずい、と横に押しのけると、野球帽をかぶった中学生ぐらいに見える女の子が、ずんずんこちらにやってきて、いきなり安藤さんに肩パンを食らわした。
「その呼び方やめろっつっただろ!」
「や、でも、代理は代理じゃん」
女の子がかなり本気で怒っているように見えるのに対し、安藤さんは相変わらず、どこか面白がっているような口調だ。
「誰かが襲われたセンター長の代わりをしなきゃ、ってんで、お前らが勝手に押しつけたんだろ!その上面白がって、代理代理って!」
「んじゃ、お代理様」
「誰がひな祭りなんだよ!いい加減にしろよ!そうやってからかうってんなら、オレにも考えがあるぞ」
「なんだよ」
ここで代理は、にやりと笑った。
「おかえり、レアちゃん!」
と、今度は安藤さんが、世にも情けない顔になる。
「その呼び方は反則だって!」
「なんでだよ。レアちゃんはレアちゃんじゃん。れ~~~あちゃん!」
「だから、やめてくれって!」
「お前がやめたら、オレもやめてやるよ」
「分かったよ、じゃあ、もう代理って呼ばねえから」
「うんうん」
「まったく、ルリちゃんはうるせえからな」
「だ~か~ら!それもやめろっつっただろ!ここは職場だぞ!ちゃんと名字で呼べよ!」
「はいはい、分かりましたよ、リンダちゃん」
「……わかった。もう一生れあちゃんと呼んでやる。死んでもそれ以外の呼び方、してやんないからな!」
「んだよ、かわいく呼んでやってるだけだろ!」
「オレだって、かわいく呼んでやってるだけだ!」
「それとこれとは……」
「あの~、そろそろいいでしょうかね?」
いきなり始まったキャッキャウフフな会話――ちょっと言葉遣いが乱暴だけど――に毒気を抜かれ、僕らはしばらくの間、ただひたすら黙って二人のやりとりを見守ることしかできなかった。なのだが……いつになっても会話が途切れず、終わらない。作業着姿の人たちは、居心地悪そうにもじもじしてるし、僕らは僕らで、さっさと相談すべきことを相談し、疲れた体をどこかで休めたい気持ちで一杯だ。
要は、キャッキャウフフの二人以外、軽くイライラした感じになっており、その雰囲気を代表して、仕方なく、僕が会話に割り込んだ、というわけなのである。
「あ、え~と。あんたらが、安藤君が連れてきた、コンビニの人たちだね。無事でよかった。とりあえず、ゆっくりするといい。オレは、林田ルリってもんだ。よろしく」
安藤さんとじゃれ合う姿をたっぷり見られたせいだろう、代理――林田さんは、少々恥ずかしそうだ。
(目の前で散々いちゃついてくれたんだから、それぐらいの羞恥プレイには耐えてもらわないとね)
先ほどの漣と真木ちゃんに続いて、目の前で仲のよいところを見せつけられ、かなりイライラいしていた僕は(完全に八つ当たりだけど)、そんなことを思いつつ、
「すいません、よろしく」
と、言葉少なに頭を下げる。
そこへいくと、橋江さんはさすがに大人だった。
「お招きいただいて、ありがとうございます。あのまま店舗にいたら、どうなっていたことか。本当に助かりました」
「お、おう」
「ですが、ちょっと困ったことがありまして……」
「ああ……なんだ?」
橋江さん得意の「べらぼうに丁寧な敬語攻撃」にちょっと戸惑いながらも、林田さんは真剣な様子で、話に耳を傾ける。
一通り聞き終わったところで、彼女は口をへの字に曲げて、腕組みをした(野球帽にぶかぶかの作業ジャンパー、裾を折り返した作業ズボン姿でそんな格好をされると、小さい女の子が「お仕事ごっこ」をしているようにしか見えず、僕は危うく、噴き出しそうになった)
「犬かあ。そうか、考えてなかったな。困ったな」
「すいません、お忙しいところに余計な問題を持ち込んで」
「ああ、いや、いいって。これから避難する人たちを受け入れりゃ、そういう問題も出て来て当然だし。さて、どうするか。食品扱う場所だから、管理棟や倉庫棟には、さすがに入れられねえし。とすると……」
「やはり、車中泊ですか」
他の誰も気づかなかったようだが、一瞬、橋江さんの顔がどよんと曇ったのを、僕は見逃さなかった(ああ、気の毒に)。
「うーん、それでもいいが、若い女の子に車中泊はちょっとかわいそうだしな。よし、わかった。オレが寝泊まりするのに建てたプレハブがあるんだけど、そこに泊まってもらう、っていうのでどうだ?狭くて汚ねえところだが、ベッドもあるし、車中泊よりは快適だと思うぜ」
林田さんが真木ちゃんに向かって問いかける。
「え……でも……お邪魔なんじゃ……」
あれほど外はヤダ、カールと一緒でなきゃヤダ、とだだをこねていたのに、大人を大勢困らせてまでそのわがままを押し通すのは、さすがに申し訳ないと思ったのか、真木ちゃんは、殊勝な様子だ。
が、彼女の心配を吹き飛ばすかのように、林田さんはバサバサと手を振る。
「いいって、いいって、そんな心配しなくて。女の子一人と犬一匹ぐらい増えたところで、オレは気になんねえし。アンタが嫌だってんなら、オレが車中泊してもいいしよ」
「それは、さすがに申し訳なさ過ぎます!」
「いいからいいから。その代わり、本当に狭いし、同僚とかドライバーとかと酒盛りするのにも使ったりしてて汚ねえし、たばこのにおいもすると思うぜ」
「あ、大丈夫です!お父さんもたばこ吸うんで、気になりませんから!」
「よおし、そんじゃ、これから案内するよ。他の人たちは、管理棟の食堂に行っといて。食事の用意もしてあるし、しばらくくつろいでくれよ」
言うが早いか、林田さん、大股ですたすたと――傍目には、ちょこちょことした見えないけど――歩き出す。その背中に向かって橋江さんが、
「何から何まで、お気遣い、ありがとうございます!」
深々とお辞儀すると、林田さん、こちらを振り向きもせず片手を上げ、「いいって」と言わんばかりに、バサッと大きく振ってみせる。
(言葉遣いは乱暴だけど、なんだか気持ちのいい人だなあ……)
そんなところを思いながら、僕はその後ろ姿をじっと見送る。
林田さんと、その後ろをついて行く真木ちゃんとカールが、倉庫棟の角を曲がったところで、
「それじゃあ、僕らもいこっか」
「はい!」
安藤さんの呼びかけに元気よく答え――さっきまでヘロヘロだったのに、食事があると聞いて、急に元気が出てきたのだ――僕らは、管理棟の中へと歩き始めたのだった。
が。
残念ながら、僕らが食事にありつくのは、もう少し後のことになる。
というのも、管理棟の食堂には、煮ても焼いても食えない「難題」が、手ぐすね引いて待ち受けていたのだ……。
3
管理棟の四階へとエレベーターで上がり、すぐ目の前のにある食堂の扉をくぐろうとしたところで、中から大声で言い争う男女の声が――というより、一方的に男性を責める女性の金切り声が――鳴り響いてきた。
「ですから!私は!当然の権利を主張しているだけです!」
「いや、しかしですね……」
「しかしもなにもない!私たちには!自分と家族の!身の安全を守る権利が!」
「いや、まあ、それはそうでしょうが……」
なにごとかと驚きながら、おそるおそる食堂内に入る。と、そこでは、この暑いのにスーツをカチッと着こなした中年の女性が、今にも噛みつかんばかりの勢いで、作業姿の気の弱そうな男性に詰め寄っているところだった。
「よろしいですか!これは、ここにいる全ての方々の健康を守るために!絶対に必要な措置です!それを理解できないとは……あなた方は、だれです!」
女性のあまりの剣幕に、自分たちが責められているのではないと分かっていながら、思わず入り口付近で立ちすくみ……結果、僕らは否応なく、女性と、その後ろに集まっている一団と対峙する形になってしまっていた。
作業着の男性を責めるのに夢中だった女性は、最初のうち、僕らのことなどまるで目に入っていなかったようなのだが、さすがに5人もの集団が突っ立ってると、多少は目にうつるのか、僕らの必死の願いもむなしく、見とがめられてしまったのである。
「誰って……なあ?」
運悪く先頭に立っていた安藤さんが、困ったような顔で振り向く。その視線の先にいた橋江さんが、
「ねえ?」とまた困った顔で振り向き、そこにいた加呂さんが「うん……」と漣を振り向くと、漣は漣で「だから……」と言いつつ振り向き……。
気がつけば、仲間全員の視線が、僕に集中していた。
(ええっ!また僕?……もう、面倒ごとばかりみんなで押しつけて……)
大きくため息でもつきたいところだったけれど、なにせ目の前にはカミツキガメめいた表情でこちらをにらんでいる女性が、立ちはだかっている。ここでため息などつこうものなら、たちまち火だるまにされるのは、間違いなさそうだ。
とりあえず僕は、店舗で鍛えた「面倒な客対応用笑顔」を頬に貼り付け、口を開いた。
「あの、初めまして。僕らは、こちらのセンター長代理さんの好意で、こちらに避難させていただいた、ファミリーマッケットコスモス通り二丁目店の……」
「んまあああああああああっ!また避難民ですか!一体どうなってるんです!」
あいさつを最後まで言い終える間もなく、女性は、大声で――文字通り――吠えた。
そのおそろしいまでの声量と迫力とに圧倒され、呆然とする僕を「ぎっ!」と一瞬、目で威嚇すると、女性はさっと矛先を変え、再び作業着の男性をにらみ据えた(男性が「ひっ!」と小さく悲鳴を上げるのが耳に入り……僕は、深く深く同情した)。
「いいですか!先ほど申し上げた通り、ここの設備は、これまで避難してきた私たちだけで、すでに定員に達してしまっています!それなのに!なぜ!この期に及んで!さらに多くの人を!避難!させるのですか!」
目を見開き、つばを飛ばし、指を突きつけつつ、大声で一言一言区切って怒鳴るものだから、その姿ときたら、バンダナとノースリーブシャツがトレードマークのお笑い芸人「ムーンライト沼沢」そっくり。
思わず僕は「んふっ」と、軽く噴き出してしまったのだけれど……その途端。
「誰だ今笑ったのは!」
女性は、武闘派でならす野党の重鎮女性議員もかくや、という勢いで怒鳴り声を上げ――それまでよりもさらに声量を上げて怒鳴ったのだから、すごい――こちらをにらみつけた。
僕は慌てて、真面目な顔を取り繕った。
鼻息荒く、僕をしばらくにらみつけることで、十分僕を萎縮、屈服させたと感じたのだろう。女性は満足げな表情で、作業着の男性に視線を戻そうとし……そこで再び、般若のようなものすごい形相へと変わった。
男性が、女性に背を向け、こそっと食堂を出て行こうとしていたことに気づいたのである(もう少しで逃げ出せたのに、なんて気の毒に)。
「どこへ行くんだあああっ!まだ話は終わってないだろうがああああっ!」
びくっと身を縮め、男性は泣き笑いのような表情で――「泣き」8割、「笑い」2割ぐらいの、なんとも情けない顔だった――おそるおそる振り向いた。
「あの、代理に、責任者に、その、話を……」
「ここの食堂の責任者はアンタだろう!」
「いえ、ですから、その、もっと上の、私ではその、判断が……」
「いいか、私は、『角間と盛具知の女性と子弟を守る市民ネットワークの会』の代表、連訪愛として、つまり、ここにいらっしゃる市民の皆さんの代表として話をさせていただいている!」
「はい、ですが、その……」
「私は、そもそもはじめにあなたに会談を申し込んだとき、『角間と盛具知の女性と子弟を守る市民ネットワークの会』の代表、連訪愛ですが、代表者はあなたか、と尋ねたはずだ!そしてあなたは、そうですが、と答えた!そうだな!」
「いえ、まあ、確かにその、食堂の責任者という意味では、その……」
かわいそうに、男性は肩をすぼめ、両手を胸の前で握りしめて、ほとんど泣き出しそうな表情だ。なのに、女性――連さんは、追及の手を休めるどころか、かさにかかって言い立てる。
「確かに、あなたは責任者だと言った!なら、だから、私はあなたに話をしたんだ!それを!いまさら!責任者は別にいるとは!どういうことですか!」
「いや、その、ですから、その……」
「いいか!私は別に、難しいことを頼んでいるわけじゃない!市民の皆さんの安全と快適性を考えると!これ以上の人員受け入れは不可能だと言っているだけだ!いくらベッド数に余裕があろうと!快適さを確保するためには!これ以上の受け入れは無理!食料も!この先どれだけの期間、ここにいなければならないか考えると!全く余裕はないんだ!よって!この管理棟は!私と!ここにいる市民の皆さんだけで!管理させてもらうと!ただそれだけの、当然の、簡単なお願いをしているだけだ!それなのに!なぜ!さっさと許可を出さないんだ!」
連さんが、目をむき、唇をとがらせて言い立てている間、彼女の後ろにいる男女は、真面目な顔でしきりにうなずき、時折「そうだ」「その通りだ」などと小声で加勢する。だけど……僕には、彼らの主張が当然のものでも、簡単なものであるとも思えなかった。
どうやら彼女たちは、僕らと同じ、このセンターに避難させてもらった人たちのようだ。ということは、いわば、ここの人たちの好意で「いさせてもらっている」立場だ、ということになる。なのに、センターの人たちの好意につけ込んで、自分たちが快適な生活を送るために、他の人たちを閉め出そうとするのは、どうにもこうにも図々しいと感じてしまうのだ。
(「困ったときはお互い様」だろうに。いや、まあ、なるべく快適に避難生活を送りたいっていうのは分かるけど、それにしても、ちょっと欲張りすぎじゃ……)
見るに見かねて、男性に加勢しようと――このおばちゃんの舌鋒の前に立ちはだかるのは、ものすごく気が進まなかったけど――口を開きかけた、その時。
「えーと、あんた、『カモ女子しね』の人だっけ?」
安藤さんが、一言口を挟んだ瞬間、おばちゃん――いや、連さんは、目を見開き、唇をとがらせた表情のまま、ピタリと動きを止め……目玉だけをぎょろりと動かし、彼を見つめた。
「あのさあ、確かにね、『カモ女子しね』の人の言うことも分かるよ?けどさあ、ほら、今って非常時なわけだしさあ、ちょっと冷静に……」
「今、なんつった?」
連さんが、喉から絞り出すようにして――小さな目をまん丸に見開き、唇をとがらした、見れば見るほど鳥のカモそっくりの顔つきのまま――ささやく。
「え?だから、非常時だからって……」
「……その前だ」
「『カモ女子しね』?」
「……なんだ、それは?」
「あんた自分で言ってたじゃん。『角間と盛具知の女性と子弟を守る市民ネットワークの会』の者だって。だから、『カモ女子しね』だろ、略して」
「……なぜ、勝手に、そんな、変な、省略を……」
だが、安藤さんは、カモの――いやいや、連さんの態度をよほど腹に据えかねていたのか、彼女の様子がおかしいことにも一切気づかず、さらに爆薬を積み上げていく。
「だからさあ、さっきも言ったけど『カモ女子しね』の人の言うことも分かるって。けどさあ、今そういうときじゃないじゃん。だからさあ、『カモ女子しね』の人もさあ、があがあがあがあ言うのはやめて、もう少し落ち着いて……」
安藤さんがしゃべっている間、連さんは、唇をとがらせたまま、ずっと無言で口をパクパクさせていた(あ、エサついばんでる、と思ったのは内緒だ)。すごいのはその顔色で、はじめ、真っ白だった顔からさらに血の気がなくなり、真っ青になったと思うや、そこからぐんぐん赤みが増していき、真っ赤になって……「があがあ」のくだりにさしかかったあたりで、赤を通り越してどす黒く見えるほどまでになった。
(すごいな、髪の毛が全部逆立って、額に静脈がくっきり浮き出してる。マンガなんかの表現だと、怒りが頂点に達すると、静脈から血が噴き出してくるけど、現実じゃ、やっぱりそうそう血管切れないんだな……)
爆薬につながれた導火線がどんどん短くなっていくのを目の当たりにして、僕はとんでもなくあせっていた。なんとかしなきゃいけないと思うのだけれど、人間とは不思議なもので、焦れば焦るほど、どうすればよいか全く分からなくなり、呆然とのんきなことを考えてしまったりするようなんだ……。
安藤さんを除いて、その場に居合わせた誰もが「これはヤバい」と思っている中、再び連さんが、肺から絞り出すような声を出した。
「……貴様……いい加減に……」
「え、なんだよ、自分の主張はあんだけしてたのに、人の言うことは聞かねえの?それってどうよ、『カモ女子しね』!」
点火。
「出て行けええええええええええっ!出・て・行・けええええええええええええええええっ!!!」
連さん、両目から滂沱のごとく涙を流しながら、体中の穴を開いて全身で大合唱したんじゃないか、というほどの大声で、それだけを口にすると、床にぺたんと座り込み、ぐおおおお、ぎゃおおおおと大号泣し始める。
彼女の背後で合いの手を入れていた人たちが慌てて周囲に駆け寄り、背中をさすったり、励ましの声をかけたりしている中、僕は、なんでこんなことになったのか、さっぱりわけが分からない、という顔の安藤さんの袖をそっと引っ張り、
「ここは、とりあえず出ましょう」
と声をかけた。
そして、首をひねったままの彼と、一緒に来た仲間、それともちろん、ほっとした表情の――幾分、意地悪な喜びも混じっているように見えた――作業着姿の男性と連れだって、そそくさと食堂を後にしたのだった。