シーズン1 第五章 同盟 5
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「……いやあ、あの先生には本当に参ったな。まさかあんな、若いお嬢さんのケツを思い切りひっぱたくなんて……」
「本当ですよね。あんな風にスカートめくって、お尻をぱあん、ですからね」
「真っ白い生足で、尻も真っ白だったよな。あれってやっぱり、あんまり血が巡ってないからなのかな?」
「あんなにお尻をぱあんって叩いて、手形になったりしないんですかね?いやいやあの勢いですし、手形どころか青あざになったりとか」
「あれは、コンプライアンス的にまずいですね。若い女性のお尻に触れるだけでセクハラになるというのに、あんな風に尻を叩くなんて……」
「叩かれた瞬間、ぶるん、って震えてたぜ!」
「あ、見た見た、オレも見た!ゾンビになっても、やっぱり尻は柔らかいままなんだ、って思ったよ!」
「あんだけ細身なのに、意外にボリュームありましたよね。あれは運動してるお尻ですよねえ……」
同盟会議の会場から、駐車場に向かって歩いていた時である。
加花さんのエキセントリックぶりを批評しているはずが、僕らの話題はいつの間にか、ただ一つのことに集中し……気がつけば、尻について熱く語り合っていた。なんてことはない、僕を含めて、男たちは皆、スカートがめくられた瞬間から、辺見さんの尻にばかり興味が集中していたのである。
熱心に話し込んでいるうちにさらに話は脱線し、今度は「人生で見た中で一番印象深い尻は誰の尻で、どんな感じだったか」「ぼってりと大きい尻と、きゅっと引き締まった尻では、どちらの方がよいか」など、尻全般に関して、皆が持論を熱心に語りはじめた。
林田さんや加呂さんら女性陣は、そんなおバカで本能に忠実な男たちを、あきれたような目つきで眺めつつ、歩を進めていたのだが……。
「あの!」
そこで突然、皆の「わいわい」を鋭く断ち切る、甲高い声が上がった。
加須さんである。彼女、僕らとの連絡係として、会議会場の教室から駐車場まで、僕らを見送りに来ていてくれていたのである。
「ん?」という感じで男たちが目線を一斉に向ける中、彼女は、決然と眉をつり上げた。
「あの……加花先生がいきなりあんなことしたんで、皆さん驚いたと思うんです!でも、あの、ちがうんです!皆さん誤解してらっしゃるかもしれないんで一応いっておきますけど、あの、先生は、なにもしてないんです」
「……え?」
「ですからその、辺見さんが発病してしまったのをいいことに、あんなことしたりこんなことしたり、凌辱の限りを尽くすとか、そういうのは一切なくて!」
「あ、はあ……」
僕らの気の抜けた返事に業を煮やしたのか、それとも、ただでさえ緊張していたところへ、コノコハイッタイナニヲイイダスノカ、といわんばかりの熱い困惑の視線を浴び、わけわかんなくなってしまったのか、加須さんは、あせった顔で、さらに加速した。
「あの、本当なんです!そりゃ、スカートめくるだけじゃなくて、服を全部脱がしてすっぽんぽんにしたりもしてましたけど、それは辺見さんの体拭いたりとか実験行ったりとかのためだけで、犯したり穢したり辱めたりとか、そういうの全然ないんです!あ、そりゃ、辺見さんがああなる前、お二人は長いことつきあっていらっしゃいましたから、その頃だったら確かに、熱くお互いを貪ったり、ねっとりと肉体を絡め合ったり、いんぐりもんぐりといろんなところを……」
「ちょ、ちょっと加須さん、落ち着いて!」
パニクったあまりなのか、うら若い女性が男の前で口走ってはいけないことを大声で叫びはじめたところで、加呂さんが、慌てて大きく手を振り、その声をさえぎった。
それでようやく我に返ったのか、
「はっ!あ、あたし、なに言ってるんだろう!ご、ごめんなさい!その、あの、慌てて、必死で、うにゅうう……」
真っ赤な顔で、アニメキャラさながらのうめき声を出しつつ、加須さんは、膝に頭がつくほどの勢いで、ぺこりっと頭を下げた。
僕ら男衆は、というと、「え」「ああ」「いやいや」などとよく意味の分からない言葉を発しつつ、互いに目を見交わし、
(この子、かなり、そういうの詳しい?)
(見かけと違って、相当いろいろ抱え込んでる?)
(ただのアニメオタクさんかと思っていたら、実は「ただのアニメオタク」じゃなくて、そっち系の……)
なんていう感じの心の声を、ひそかに交換、共感し合う。
その過程で、ちょっとオタク系だけど、真面目でひたむきなお嬢さん、という感じだった加須さんの印象が、真面目そうな様子はしているものの、実はけっこうヤバ目で、心の中に何やらドロドロしたものを抱え込んでいそうな不気味系女子、というイメージに徐々に変化していき……いつの間にか、僕ら男たちは、彼女からさりげなく距離を取り、やや困惑げに立ち尽くしていた。
そんな中、当の本人はというと、林田さんや加呂さんになにやら元気づけられたからか、それまでずっとうつむきっぱなしだった顔をようやく上げる。
「えと、あの……すいません、取り乱してしまって。今のは、どうか、お願いですから忘れてください!」
「ああ……」
「おお……」
「うん、まあ……」
うつむいて、煮え切らない返事をする男性陣たち(まあ、あんな爆弾発言をいきなりかましておきながら、「忘れろ」と言われてもね)。
が、加須さんはそんな中途半端な答えでも満足したのか、すぐにまた、言葉を継いだ。
「あの、それで、とにかく、なにが言いたかったかって言うと、加花先生はすごい人だ、ってことなんです!あんな風な人なんで誤解されやすいんですけど、研究に関しては本当に真面目で熱心で……」
「ああ、はい、大丈夫ですよ。そのことはみんな、分かってますから」
なおも言葉を必死で紡ごうとする加須さんをなだめるように――いや、本当は、それ以上加須さんの不気味な面を見たくなかっただけかもしれないけれど――丸手さんが優しい声を出した。
それを受け、
「そうそう、大丈夫、あの先生がすごい人だってのは、十分分かったって。ただ、あのお姉ちゃんの尻があんまりきれいだったんで、ちょっとそっちに気を取られちまったってだけなんだ。悪かったね、なんか、気を使わせちまって」
と、平さんがツルツルの頭をかきかき、済まなそうな様子になる。
「いえ、あの、私の方こそ、先走って、余計なこと言ってしまって。そうですよね、女の私だって、あんな美人の、形のいいお尻見せられたらドキドキしちゃうんだから、健全な男性が普通でいられるわけないですよね!」
笑顔の戻った加須さんが、途端に再び雲行きの怪しくなりそうなことを言い始めたところで、
「いやー、全くしょうがねえよな、男ってやつは!」
「ねえ、本当に。いい年して、頭の中身は若い女の子のことしか詰まってないんだから!」
慌てて林田さんと加呂さんが割って入り、さらに、
「いやー、本当に面目ねえ!」
と平さんが大仰に、深々と頭を下げて笑いを誘い……なんとかその場は収まった(後から仲間内で――それも男限定で――ぜひとも検証しなければならない「加須さんの正体について」という、新たな問題を残しはしたけれど)。
「それじゃ、オレ達は帰るわ。これからもいろいろあると思うけど、よろしくな」
停めてある車のところまできたところで、振り向いた林田さんが加須さんにそういうと、
「こちらこそです!あの、私、皆さんとの連絡係を仰せつかってますので、そちらにおうかがいすることも多いかと思います!どうか、これからもよろしくお願いします!」
ぺこりと頭を下げられる。
慌てて僕らも頭を下げ……そして、林田さんご自慢のド派手なワンボックスカーで、帰途についたのだった。
「……いやあ、それにしても、あのセンセイには最初から最後までやられっぱなしだったよな」
角間まで続くホットラインに向けて、車をとろとろと走らせながら――バリケードを作ってあるとはいえ、どこからかゾンビさんが迷い込み、うろうろしてることもあるので、油断がならないのだ――林田さんが、ぼそっとつぶやく。
「まあ、仕方ねえだろうな。どうやらあのセンセイ、かなり時間かけて発表の準備してたみたいだし。仕事の後で、飲みながらちょこちょこっと打ち合わせしてただけ俺たちとは、意気込みが違うよ」
と、平さんが腕組みをし、眉間にしわを寄せる。と、そこへ、
「だよな。ゾンビの有効活用とやらも、結局押し切られちまったし。やだな、ゾンビが職場の同僚で、おつかれ~とかあいさつしたら、ヴォオオオ、とか答えるんだろ、やってらんねえよな」
安藤さんが、お得意の本気なんだかどうなんだか分からないボヤキをかました。
教室で、加花さんが辺見さんの尻をひっぱたいた後、一同は、そのあまりの出来事に気をのまれてしまい、加花さんの提案通り、ゾンビさんを労働力として活用する方向でなんとなく同意してしまったのだが……そんな中ただ一人、「あんなのがその辺うろうろしているだなんて、絶対ヤダ!」と最後まで頑強に抵抗していたのが安藤さんだったのである。
「まあまあ、あんまりぶうぶう言うなって。あのセンセイの言うとおり、ゾンビをこき使わなきゃ俺たちの仕事が増えて手が回らなくなっちまうのは本当だからな」
「そうそう。それに、代表のおかげで、「ゾンビが街中うろうろ状態」だけは、なんとか阻止できそうなんだからさ。その辺で手を打っておきな」
「ああ、まあな。それについちゃ本当に感謝してる。代表、ありがとうな」
急に、真面目な口調で礼を言われてしまい、それまでにやにや笑いながらみんなのやりとりを聞いていた僕は、思わずビクッと背筋を伸ばしてしまった。
「あ、いや、そんな、ただ思いついたことを言っただけで、そんなたいしたことは」
「いやいや、そう言いながら、オレ達じゃ思いもつかねえようなこと言ってくれるからな、うちの代表は。本当に頼りになるよ」
にやにや笑いながら大仰にほめたたえてくる林田さん。その冷やかしに耐えられず、
「もう、やめてくださいって!」
助手席から肩口の辺りを軽く叩く。と、
「お、おい!なにすんだよ!運転中だぞ!」
今度はマジであせった声が飛んできた。
「あ、ごめんなさい……」
ちょっと舞い上がりすぎたかな、と肩を縮める僕。
そこへ、
「でも、本当によく言ってくれたよね。あのままじゃ、こっちの鼻面引き回されて終わって、今後もなにかと頭上がらなくなりそうだったもの」
加呂さんが、ゆったり、しみじみとつぶやくと、
「本当にそうだよな。あの一言のおかげで、かろうじて対等の立場を維持できたようなもんだ。本当に助かったぜ」
と、これは平さん。
「いえ、本当に、ただの思いつきで……」
みんなから褒められまくり、僕は伸びた背筋を再び丸めつつ、苦笑いすることしかできない。
それなのに、最後のとどめとばかり、林田さんが、再びしみじみした口調でつぶやく(つぶやく、といっても、荒っぽい職場で鍛えられてきた人のつぶやきだからか、車内全部に十分響く声量なんだけど)。
「『襲われた人の気持ちも、考えなきゃいけないと思うんです』か。本当によく言ってくれたよな……」
辺見さんの尻をひっぱたいた後、加花さんはおもむろに彼女のスカートを元通りに下ろした。そして、度肝を抜かれ、呆然とする聴衆相手に、
「これまで文明的な生活に慣れきっていた僕らが、いきなり原始的な生活に逆戻りすることはできません!一刻でも早くインフラを復興し、再稼働させないと、人類は……少なくとも我々日本人は、滅びをただ待つのみとなってしまいます!ここはぜひとも、石油に代わる代わる新エネルギーとして、能動的発病者を利用するべきなのです!」
と、より一層熱心に、自説を訴え続けたのである。
(いや……ダメだって……ちょっと待って!)
ますます加速し、僕らをあらぬ方向へと引っ張っていこうとする、その気鋭の研究者に本能的な危機感を抱き、僕は、思わず手を挙げた。
加花さんは、その僕を視界の端に捕らえたのだろう、ぐるりと顔をこちらに向けると、「ん?はい、質問ですか?」と問いかけてくる。
中途半端なうなずきで肯定の意を示すと、僕は――なにを自分が言おうとしているのかもはっきりしないままに――おずおずと立ち上がった。
「あ、えーと、あの、まずはお礼を言わせてください。加花先生、素晴らしいアイデアを本当にありがとうございました。先生がおっしゃる通り、労働力不足は深刻な問題ですし、それを補うために、ゾンビさん……能動的発病者を利用するという計画は画期的で、素晴らしいものだと思います」
とりあえず、まごつき、迷いながら、そんな言葉を口にする(橋江さんが先ほど、自分の言いたいことを切り出す前にまずは相手の功績をたたえ、認めていたのを取り入れてみたのだ)。
自分の主張を全面肯定したこの言葉に、加花さんは「我が意を得たり!」といわんばかりの、やや傲慢にも見える笑み――勝利を確信した笑みでもって顔をいっぱいにし、うなずいた。
(ここだ!)
加花さんの表情に油断を見て取り、僕はすかさず言葉を継いだ。
「……ですが、たとえそれがゾンビさんに可能であったとしても、家事をさせたり、居住区域の清掃に従事させたりなんかは、難しいんじゃないかと。それはむしろ、生産効率の低下につながってしまうんじゃないかと思うんです!」
加花さんの余裕たっぷりの笑顔が、わずかにこわばった。
「……と、おっしゃいますと?」
こわばったままの笑顔をじっと見つめ、僕は軽くうなずいた。
「はい。あの、今でこそこうして、僕ら、バリケードで囲い込んだ土地の中で、比較的安全に暮らしてます。けど、つい一月ほど前まで、そうじゃありませんでした。どっかから入り込んでくるかもしれないゾンビさんに常々おびえ、夜もろくに眠れない生活を送っていたんです。僕もそうですが、あのパンデモニック発生当日、実際にゾンビさんに襲われ、もう少しで発症してしまうってところまで追い詰められた経験のある人も多いでしょうし、運悪くかまれてしまった家族や親戚や知人がゾンビ化してしまうのを目にした方は、それ以上に多いんじゃないかと思います」
「それは……まあ、確かにそうでしょうね、はい……」
僕の言葉に一応うなずきながら、加花さんは「それが一体どうしたっていうんです?」といわんばかりに小首をかしげた。
どうやら、本当に僕のいいたいことに見当がついていないようだ。思った通り、この加花さんという人、素晴らしく頭のいい研究者ではあるのだけれど、その分「普通の人の感覚」というものに疎いところがあるように思える。
(SFとかホラーとかだと、こういうマッドサイエンティスト的な研究者ってけっこう登場するけど、本当に実在するとは思わなかったな……世の中知らないことだらけだ……)
そんなことをしみじみ感じつつ、僕は、再び口を開いた。
「ええ、ですから、そういった辛い経験をなさった方々の多くは、ゾンビ化した人たちに対し、ものすごく大きな恐怖感とか嫌悪感みたいなものを感じているんじゃないかと思うんです。実際今でも、他のことはなんでもするから、ゾンビ清掃だけは勘弁してほしい、っていう人も、かなりの数いますしね。そういう人たちも多く暮らしてる街中に、いかに安全ではあるとはいえ、ゾンビさんたちを好き勝手にうろうろさせたりすれば、まず間違いなく、騒動の元になるんじゃないかと思うんです」
「なるほど……安全とは分かっていても、いきなり街中で出くわしたりすれば、驚きのあまりパニックになる人ができるかもしれない、ということですね?」
僕は、大きくうなずく。
「そうなんです!恐怖に駆られて闇雲に逃げ出し、どこかにぶつかって怪我をする、というぐらいならまだしも、車の運転を間違って歩道に突っ込んだり、ゾンビさんを攻撃した弾みで猿ぐつわが取れてしまったりとかしたら、ものすごい騒ぎになってしまいます。それを防ぐためにも、少なくとも初めのうちは、ゾンビさんとの同居を考えるのではなく、例えば農作業や物資の整理作業限定にするとかして、人間との棲み分けを図った方がいいんじゃないかと思うんです」
「なるほど。それは……そうかもしれませんね。しかし、これから先の復旧作業を考えると……」
「ええ、そのうちいつかは、ゾンビさんを労働力としてさまざまな方面に活用していく必要が出てくると思います。ですから、まずは棲み分けをし、ゾンビさんにトラウマのある人には、回り持ちでそのゾンビさんの作業監督をしてもらうとかで、少しずつ慣れていってもらい、ある程度免疫ができてから、人間とゾンビさんの雑居を考えていけばいいんじゃないかと思うんです」
「なるほどなるほど。しかし、そうなると、どこか発病者を隔離する施設が必要になりますよ。それも、相当広大な面積が必要です。なにしろ今現在、未発病者よりも確実に発病者の方が多い状況ですからね。彼らを全て収容し、適切に管理できる場所があればいいんですが、そんなところ、ありますか?」
「ええ、それがあるんです」
「ですよね。だだっ広いだけ広く、しかも当面の使い道がない土地なんて、日本の都市部には、まず存在しません。僕の同居計画は、そういった発病者管理のための土地を不要にする目論見もあるんですよ。初めは確かに、多少の軋轢は生じるかもしれませんが、しかしこの方法ならば、都市部であっても、比較的安全に、事故の犠牲者が少ない形で……」
自説をとうとうと垂れ流し続ける加花さんに、僕は少々慌てながら、より大きな声で、彼の言説をさえぎった。
「いえ、加花さん、よく聞いてください!あるんですよ!広大な上平坦で、その上僕らの確保してる土地のすぐ近くにあり、しかも、当面なにかに使用する予定のない土地が!」
「え……?」
都会に空いた土地などあるはずがないという思い込みの元――まあ、追沙加は、他の都会に比べても公園や緑地の少ない町だから、そんなふうに決めつけたくなるのも分かるけど――自説の素晴らしさを力説していた加花さんは、ここでようやく、自説を支える前提が根底から崩れ去っていることを理解したのか、なんともあやふやな、知らないうちにとんでもないことをしでかしそうになっていたのを見つかった子供のような、心細げな顔で、こちらを向いた。
そこで、今度は僕の方がかんで含めるように、角間にはもともと大きな家電メーカーの本社と工場があり、駅チカの広大な土地を占めていたこと、それらが移転――本社は追沙加の中心へ、工場は地方や海外へ――した後、残った広大な土地の利用法が決まらず、長らくフェンスで囲まれただけの「空き地」であったこと、それがようやく再開発されることとなり、中にあった建物が一通り壊され、ほぼ更地になったところで、このパンデモニックが来襲したこと……等々を説明していく。
「……というわけで、今現在その跡地というか、巨大ショッピングセンター建設予定地は、工事用のフェンスに囲われたまま、全く手をつけずに放ったらかしてあるんです。僕たちも、そこを何かに利用できないかって考えたんですが、とりあえず今のところ、衣食住エネルギーの確保には何の役にも立たないからってことで、後回しにしてまして。ですから、ゾンビさんを隔離するなら、そこを利用すればいいかなって。あ、もちろん、フェンスの壊れてるところがあるかもしれませんし、一応更地になっているとはいえ、どこかに穴とか空いてるかもしれません。その辺しっかり調べなきゃいけませんから、今すぐそこを使うっていうのは、ちょっとつらいかもです。でも、そうですね……一週間もあれば、そこでゾンビさんを管理できるようになるかと」
「え……そんなに早くですか!」
「そりゃあ、だって、もうすぐ自衛隊の駐屯地の方から3000人もの方々がいらっしゃるんですし、そうなったら、今度は食糧確保に動き出さなきゃなりませんから。そんなにゆっくりはしていられないじゃないですか」
「ああ……はい、そうですね」
「あ、そうだ!そのゾンビさん管理施設を作るついでに、その隣あたりに、ゾンビさんの無力化施設も作っちゃえば、スムースですよね?それと、ついでに丈夫でそうそう外れない、できれば鉄かなにかでできたサルグツワも、その近くで作るようにすれば、手間がかかりませんし」
「え、ああ……」
先ほどまでの勢いはどこへ消し飛んだのか、いきなり生返事しか返してこなくなった加花さんに代わり、僕の座席のすぐ近くから、野太い声が飛んでくる。
「それじゃ代表、あの辺に鉄工所がないか、公社に戻ったら、地図で確認してみようぜ。あの辺町工場多いから、多分あるとは思うけどな」
「あ、配送の途中、あの辺のどこかで見かけたと思う。どこだったかはっきりとは覚えてないし、多分あの辺だったと思うんだけど、ひょっとしたら違うところかもしれないけど、まあ、きっと、多分あの辺」
平さんと安藤さんの力強いバックアップに――安藤さんの言葉は、あんまりにもぼんやりし過ぎていて、「なんだよそれ、なんの情報にもなってないじゃないですか」とむしろ苦笑してしまったのだけれど――僕は二人の方を向いて、
「はい、そうしましょう。お願いします」
こくこくとうなずいた。
それから、再び加花さんに向き直る。
「そういうことで、もしよろしければ、今まで僕たちがやってきた、野良ゾンビさんの捕獲と無力化に加え、ゾンビさんの管理施設の建設とその運営、そして、住民の人たちに少しずつゾンビさんに慣れてもらうための作業ローテーション作りなんかも、僕らに任せてもらえないでしょうか?万が一にも事故が起こったりしないよう、細心の注意を払って計画を立てますので、どうか、お願いします!」
目をじっと見つめて懇願した後、深々と頭を下げる。
と、その後頭部に、加花さんの、まだ少しあやふやな響きの残る声が、ふわりと落ちてきた。
「そりゃあ……僕らとしても、実務能力の高い皆さんにそれらの仕事を引く受けてもらえるなら、大変ありがたいと思うのですが……」
僕はパッと顔を上げ、満面の笑みを浮かべる。
「本当ですか!?ありがとうございます!いやあ、これで、この先どうしようかって皆で悩んでいた問題が、一挙に解決できるかもです!ゾンビさんを労働力として使うなんて、僕ら全く思いつきませんでした!もしこれで安定して食糧が手に入るようになれば、皆がさらに安心して暮らせるようになるのはもちろん、さらに多くの人を助けられるようになるかもです!いやあ、本当によかった!ありがとうございます!」
再び僕が深々と頭を下げると、加花さんはどう反応したらいいのか戸惑っているようで、手で髪の毛を触ったり、腕のあたりをかいたり、顔をこすったりを、何度も繰り返す。そのあげく、
「いえまあ、僕としても、自分の研究が皆さんのお役に立つのであれば、これ以上嬉しいことはありませんから……」
先ほどとは打って変わった自信なさげな口調で、ぼそぼそとつぶやく。
なんでまた、急にこんな、おとなしくなってしまったのかと首をかしげないではなかったけれど、同意を得られたことには違いない。
「これからも、どうかさまざまなアドバイスをいただければと思います!今回は本当に勉強になりました!ありがとうございました!」
精一杯の気持ちを込めてそういうと、ようやく加花さんの顔にも笑顔が――いたずらを見つかり、先生にたしなめられたいたずら小僧的な表情が濃厚に混じる笑顔が、晴れやかに浮かんだのだった。
「……あれは、本当に小気味よかったよな。今すぐにゾンビさんを労働力として街中に放り込むのが正解で、それ以外の道はない、あり得るはずがない、って感じだったあのお偉い先生が、しなしなとなってたし」
「ほんとほんと。あの先生、なんだか俺たちを見下してたよね。あんだけでかい、有名な大学の先生だから、頭いいのは分かるんだけど、でも、だからって、あんなに人を小馬鹿にした、えらそうな態度取らなくてもって思った」
安藤さんと漣が――漣は、あの独特の雰囲気に飲まれたのか、大学にいる間中、借りてきた猫のようにおとなしく、黙りこくっていたのが、帰り道になってようやく息を吹き返したらしい――ここぞとばかりに二人で大いに盛り上がる。
とげとげしい反感のこもったその言葉に、僕は慌てて、後ろを振り向いた。
「いや、でも、加花さん、間違ったことは言ってませんでしたよ。ゾンビさんを労働力として、ありとあらゆるところに投入するべきだっていうのは、全く正しいと思いますし」
「えぇ~!」
「でもさあ~!」
二人が揃って不満げな声を上げたところへ、
「ですね。それまで考えてもみなかったアイデアですが、非常に合理的な考えだと思います。加花先生の頭の良さは、本物だと思いますよ」
橋江さんが、さらりと同意してくれる。
「いや、でも、それにしたってさあ~!」
「そうだよ、あんな言い方はさあ~!」
それでもなお不満げな安藤さんと漣に、僕は苦笑をむける。
「あの人別に、自分がえらいと思ってるとか、そういうんじゃないと思う。ただ、とんでもない努力家で、しかも、ものすごく頭のいい人だから、これまで自分の意見を否定されたことがあまりないってだけなんじゃないかと。だから、ほら、もっといい方法があるっていうことを、きちんと示したら、すぐに納得して、同意してくれたじゃないですか」
「いや、まあね、だけどお~」
「そうだけどさあ~」
「まあ、聞きようによっては、確かにちょっと、えらそうに思えてしまう感じなところはあるよね。でも、加花さんがいろんなアイデアを出してくれたおかげで、どうにかこの先の方針も立てられたし、そこは、きちんと感謝しないと」
「まあ、な……」
「うん……」
「変に反感持っちゃったりしたら、この先、また行き詰まりそうになった時とか、意見を聞きにくくなるじゃないですか。あんだけ頭のいい人の、オリジナルな意見が聞けないのって、もったいないし。多少言い方に引っかかるところがあったとしても、あまり気にせずにつきあった方が、いいんじゃないかと思うんだけど……」
「……分かったよ。もうごしゃごしゃ言わないって!」
「こまっしゃくれた子供かなにかがとくとくとしゃべってる、って思うことにするよ!それでいいんだろ?」
とうとう二人が白旗を揚げたところで、僕はにっこりと笑った。
「うん、それでいいと思います。分かってくれて、二人ともありがとう」
しぶしぶながらも二人がうなずいたのを見届け、これでよし、と満足しつつ前へ向き直ろうとしたところへ、それまでずっと、面白そうな顔で僕らのやりとりを聞いていた平さんが、
「その調子で、これからも意見調整頼むぜ、同・盟・代・表」
と、冷やかすように言う。
途端に、どっと車中が笑い声で満ち……僕の顔は、世にも情けない表情へと、自然に変化していた。
そうなのだ。一通り意見交換が終わった後、僕ら公社と、加花さんがとりまとめる大学の一派、そして井関さんら自衛隊は、これから先も緊密に協力し、生き残りと文明の復興を目標に努力していくことを確認。そのために、新たに「再生同盟」として協調態勢を作っていくことを、全会一致で決議したのだけれど……どういうわけだか、その同盟の代表に、僕が就任することになってしまったのである……。
「……無事再生同盟の結成を決議できましたので、次は、とりあえずきちんとした方法で代表を決めるまでの間、どなたに代表を任せるべきか、決めておきたいのですが……」
語尾を濁した加花さんに導かれるように、僕は、井関さんの方を見た。
(ここは、やはり井関さんだよな。大勢の人を統率するのに慣れているし、緊急時の訓練だってきちんと受けてる。人柄も良さそうだし、あの人に任せておけば……)
ところが、井関さんは、あっさり首を横に振る。
「いえ、私は副官の経験しかありませんし、性格上、人の上に立つのはあまり向いていないと自覚しております。それに、我々のような立場のものが民間人の方を導くとなると、どうしてもやり方が軍事的な……(ここで井関さんは、やや気まずそうな顔になり、口に手を当てて咳払いをした)……自衛隊独特の、やや強引な論理に従って、ということになり、結果、多くの方々に反感を覚えさせてしまうのではないかと思います。ここはやはり、パンデモニック以前と同じく、シビリアンコントロールの原則に従い、我々は行動するべきだと思います」
ああ、なるほど、確かに、軍服を着た人にあれこれ命令されるとなると、それだけで反感を持つ人がいるかもしれない、それはちょっとまずいか……。じゃあ、仕方ない。ここは、ちょっとエキセントリックな性格ではあるけれど、頭脳明晰で独創的なアイデアの持ち主である加花さんに……と思ってそちらに目を向ける。
と、加花さんもやはり、ゆっくりと首を振った。
「僕はリーダー向きではありませんよ。それでも、正直言うと、考えないわけではなかったんですよ?僕は一介の研究者で、井関さんと同じく、人の上に立つのには全く向いていないと自覚しているのですが、他に適当な人材がいないのであれば、致し方ないのではないか、とね。井関さんが辞退なさるであろうことは予想がついていましたし、となると、残るは公社の代表がどういう方か、それ次第だ、とは思っていたんですが、無線で聞くと、やたら若い、二十歳そこそこの人が代表だと言われる。あ、これは、経験豊富な大人がいないか、いたとしても職人気質の人ばかりとかで、あれこれすったもんだしたあげく、暫定的に決まったリーダーなんじゃないかと、そう思っていたんですよ。今日こうしてお会いするまではね」
にっこり笑いかけてくる加花さんに、僕は大きくうなずきを返した。
「そうなんです!すったもんだはしませんでしたけど、なんだかよく分からないうちに、リーダーをやりたがらない皆さんから押しつけられたんで、僕は、まさにその、暫定的に決まったリーダーなんです。ですからここはぜひ、加花さんが……」
と、不審そうな顔で僕の話を聞いていた大学のリーダーは、ここでいきなり、ぱっと表情を明るくすると、いきなりくつくつと笑い出した。
「まさか、栗田くん……あなた、本気で皆さんに、代表を押しつけられたと思ってるんですか?」
「え、だって、実際にそうですから」
僕が唇をとがらせてそう言うと、教室内に、苦笑と、変に和やかなささめき声が、さわさわと広がっていく。
僕がなにかの代表を辞退しようとすると、いつもこういうおかしな雰囲気になる。一体皆さん、なにを考えているんだろう、と困惑しながら突っ立っていると、
「なるほど、よく分かりました。栗田さん……いや、陸くん。君は確かに今まで、力不足だ、分不相応だと自分で感じるような大役を、他になり手がいないから、という理由で、皆さんに押しつけられてきたようですね」
「そう、そうなんです!ですから今度は……」
「では、やはり今度も、代表の座はあなたに押しつけてしまうとしましょうか」
「……は?あの、加花先生、聞いてらっしゃいましたか?僕はですね……」
必死で抗弁しようとしたのだが、加花さんはいきなり僕から目線を外し、
「いかがでしょう、皆さん?他にどなたか適役が見つかるまで、暫定的にこの陸くんに我々の同盟の代表を務めてもらうというのは?」
教室内を見回しながら、豊かな低音を響かせた。
次の瞬間、盛大な拍手がいずこともなく湧き上がり、
「異議なし!」
「よろしくお願いします!」
「これからもよろしくな、代表!」
「こうなると思ってたけど、やっぱりこうなったな!」
「よ、陸ちゃんカッコイイ!」
などなど、好意的な声が――最後の林田さんの声は、どう考えても単なる冷やかしだけど――飛んでくる。
あまりのことに呆然としている僕を置いてけぼりに、ひとしきり騒ぎが続いた後、メイドゾンビの辺見さん登場の時と同様、加花さんが「お静かに、お静かに!」と大仰な身振りを交えて場を鎮める。
場内がしんと静まりかえったところで、加花さんは、ゆっくりとその目をこちらに向けた。
「今の反応で、今日この場にいる皆さん――公社とこの大学、そして自衛隊の皆さんの総意は理解していただけましたね?それを踏まえた上で、陸くん、どうしますか?」
にっこりと笑いかけられた僕に、もはや逃げ道はなかった。
「……暫定的に、ですよね?」
「ええ、もちろん」
「他にもっと、リーダーにふさわしい人が現れたら、即座にやめますからね!」
「はい、その時はまた考えましょう」
「……分かりました。それじゃあ、とりあえずしばらくの間、引き受けます……皆さんの代表を」
ぼそぼそとつぶやくようにそう言うと、再び拍手と歓声が教室内を席巻し……「あくまで暫定的に、暫定的にですからね!」という、僕の必死の叫び声は、あえなくかき消されてしまったのだった……。
「……代表っていっても、あくまで暫定的にですから!そのうち選挙かなんかで、もっとちゃんとした人が代表になるまでの、単なるつなぎですから!」
不機嫌にそう言うと、平さんがにやにやしながら、
「はいはい、分かってるって。しかしまあ、暫定とはいえ、今んとこ、代表は代表だ。これから先の行動指針立てて、明日から早速動き出さねえとな」
「ええ、そうですね。やらなきゃいけないことが山積みです。まずは自衛隊駐屯地の避難民受け入れ計画を立てて、食糧を手に入れるための農地を確保して、その間にも確保した土地の清掃はしなきゃいけないし、安定した電力確保も考えなきゃだし、ゾンビさん無力化のための設備を作るのもあるし、学校とかもそろそろ考えなきゃいけないし……本当に、どれから手をつけたらいいか……」
途方に暮れた声を出すと、横でハンドルを握ったまま、
「まあ、あせらず一つ一つやっていこうぜ。そうすりゃ、きっとうまくいくって」
林田さんが、落ち着き払った、頼もしい声を出す。
そんなに簡単にはいかないだろうけど……と思わないではなかったけれど、僕を思いやってくれるその気持ちが嬉しくて、思わず頬に、だらしない笑みを浮かべてしまう。
「ええ、そうですね。あせらず一つ一つこなしていけば、きっとうまくいきますよね」
彼女の言葉をかみしめるように繰り返し、僕は、座席の背もたれにゆったりと身を預けたのだった。
公社の根城である団地にたどり着き、妙に疲れた体を引き起こすようにして車から降りた僕は、元気よく前を歩いて行く一同に続いて――今宵は一つ、長い会議でウニウニになった脳みそをビールでほぐさなきゃいけない、集会所に集まって、まずは乾杯だな、と車内で皆盛り上がっていたのだ――のたのたと歩を進めていた。
(さあて……まずはやっぱり、避難民受け入れ計画だな……とりあえず皆さんの体に傷がないか確認して、1日どこかに隔離しなきゃいけないけど、なんてったって三千人だからな。まあ、隔離は、その後住んでもらう住居の、鍵つきの部屋に1日こもってもらう形で何とかするとして、検査場だよな。それだけの人をいっぺんに検査できる場所っていうと……) ぼんやりと明日以降のことを考えていたところへ、
「なあ……陸ちゃん」
いきなり、背後から声をかけられた。
はっと振り向くと、皆を下ろした後、車を止めにいっていた林田さんが、いつの間にか追いついてきている。
「ああ、ルリさん。お疲れ様でした」
にっこり笑って声をかける。ふだんなら、「おう、陸ちゃんもお疲れ!いやあ、それにしてもあのセンセイ、よくしゃべる人だったよなあ!」とかなんとか、威勢のいい言葉が返ってくるはずなのだが……その時の林田さんは、
「ああ、うん……お疲れ様」
と、妙に歯切れが悪かった。
「どうしたんです?なにか、気になることでもありましたか?」
やや真面目な声でそう問いかけると、
「うん……」
ワンテンポおいた後、思い切ったように、
「なあ、陸ちゃんも、あれか?女の子のケツ触りたいとか、そういうの思ったりするのか?」
いきなり、とんでもないことを口にする。
「え?は?う?え?ルリさん、一体なにを……」
「いや、だって、陸ちゃんもさ、あの、辺見さんだっけ?あのゾンビさんのケツ、まじまじと見てただろ?だからさ、そういうこと思ったりするのかなって……」
「え、いやその、はい?そんなまじまじとって、いや、えっと、それは……」
「それならさ、今晩こっそり、俺の部屋に来いよ。触らせてやるから」
ひたすら慌てふためくだけで、なにひとつ返事もできないでいるうち、そんな言葉が耳に飛び込んで……僕は、硬直した(いや、体の一部が、ということではないよ!?体全体が、金縛りに遭ったかのように、身動き取れなくなった、ってことだから!)。
濃い夕闇と、目深にかぶったキャップのせいで、林田さんがどんな表情をしているのか、まるで分からない。だが、変に肩を怒らせ、力が入っているようにも見える。
(え……なに?まさか、本気で言ってる!?)
だが、僕はすぐに、その思いを打ち消した。
ちっちゃくてかわいいのに、女の子扱いされるのがなにより嫌いで、ついうっかりそういう態度を取ろうものなら、途端に不機嫌になる林田さん。そんな彼女が、本気でこんな、それも僕のような年下の、頼りない男なんかに、声をかけるはずがない。
それに……。
(林田さんは、安藤さんが……)
僕の脳裏に、彼女と一番最初に出会った時の、安藤さんと嬉しげにキャッキャウフフな会話をする姿が、鮮やかによみがえる。
(そんな彼女が、本気でそんなこと言うはずない!……いや、そう、思い切り断言できちゃうのも、我ながら残念だけど……)
そこではじめて、僕の全身から緊張が抜け、顔に疲れたような笑みを浮かべることができた。
「やだなあ代理。からかわないでくださいよ。危うく本気にしちゃうところだったじゃないですか」
と……なにやら不自然な間が空いた後で、林田さんも、ふふっと力ない笑い声をもらした。
「あ、ああ……うん。そう、もちろん、冗談だ。冗談だって!そう、そうか。惜しいな、もう少しで引っかけられそうだったのに」
「いやいや、そうはいきませんよ」
「どうかなあ。陸ちゃん、ちょっとワキが甘いところがあるから」
「それより、早くいかないと、みんな待ってますよ」
「そうだな。さ、ビール、ビール!いこうか!」
その言葉を吐き出すやいなや、林田さんは、僕の背中を平手で「ばあん!」と叩いた。
その勢いが、いつもにもまして激しく、強かったため、僕は思わず「はう!」と声を上げ、背中を引っ込ませる。
「なんだよ、大げさなヤツだな!」
「いや、大げさって、今のは絶対いつもより……」
「いいからいいから!さ、いくぞ!」
カラカラと笑いながら先に立って歩く林田さんを涙目で見送りつつ、びりびり痛む背中をおそるおそるまっすぐにし、僕も後に続く。
(絶対、いつもよりずっと力がこもっていたって!本当に林田さん、乱暴なんだから……!)
そんなことを思いながら。
恋愛経験ゼロだったから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど、それにしても、その頃の僕は、我ながらあきれるほどに、バカで鈍くて、うぶな童貞野郎だったのだ……。




