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ワーキングデッド  作者: 柴野独楽
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シーズン1 第五章 同盟 4

     4

 「井関さん、ありがとうございました。それにしても、自衛隊をはじめ現場の公務員の方々は、今回の災害にあたり、大変な苦労をなさったのですね。今までに一体どれほど多くの方々が病魔に倒れたのかと思うと、本当に頭が下がります。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました」

 下壇した井関さんに代わって再び前に出た加花さんは、流れるような口調でそういうと、深々と自衛官の皆さんの方へ向かい、頭を下げた。

 慌てて僕らも――そして、どうやら事前になにも聞いていなかったらしい、学生代表の面々も――彼らが座っている方に体を向け、頭を下げる。

(加花さん、本当に唐突なんだよな……やれやれ、びっくりした……)

などと思いつつ、正面へと向き直ると、もう既に体を起こし、いかにも嬉しそうににまにまと笑っている加花さんが目に映った。

 両手を忙しくこすり合わせ、教卓の後ろから目をらんらんと光らせながら僕らを見渡しているその姿は、「さあここからが本番だ!」とでも言わんばかりで、そのやる気に満ちあふれた姿に、なんだか少し退()いてしまう。

(人前で発表するって、僕の中では「生きてるうちにできればやりたくないことリスト」の中でもかなり上位に位置するんだけど、それをこんなに楽しみにしてる人もいるんだ……それとも、なにかよっぽど僕らの度肝を抜くようなネタを持ってて、早くそれを言いたくてたまらない、とかなのかな……)

 そっと周囲を見回すと、林田さんをはじめとした「仲間うち」はもちろん、自衛隊の方々も、学生さんたちさえ、そんな加花さんをややあきれた様子で眺めている。それを見て僕は、よかった、自分だけが異常に引っ込み思案てわけじゃないみたいだと、ちょっと安心した。

 が、当の加花さんは、会場のそんな空気などものともせず、観衆の視線が自分に集まったことを確認するやいなや、教卓に両手をついて、のしかかってきそうなほど前のめりになり、この上なく嬉しげな表情で、口を開いた。

「それでは最後に、僕の方から、この追沙加大学におけるこれまでの状況の報告とこれからの展望、及びパンデモニック再生公社並び自衛隊の方々へのお願いと協力体制の樹立についてお話しさせていただきます。改めて自己紹介しますと、僕は、この追沙加大学理工学部応用生物工学科環境生物工学教室で講師を務めている、加花という者です。一応、この大学と学生諸君のリーダー――というか、とりまとめ役ということになっています。よろしくお願いします」

 相変わらずの流暢な――というか、しゃべり出したら止まらない勢いで――あいさつの言葉がその口から流れ出す。が、その内容はごくごく一般的で、別段驚くようなものではなかった。

(なんだ、あれだけ楽しそうな顔をしてた割には、ごくごく普通じゃん。加須さんが「うちの先生がなに言いだしてもびっくりしないでくださいね」なんて言うから、ちょっと身構えてたけど、よかった……)

と、ほっとすると同時に、ちょっと拍子抜けもしていたのだが……。

 次の言葉で、僕は――いや、僕に限らずその場に居合わせた人間は、一人残らず――呆然とした。

「さて、我々のグループでは、今回のこの危機的状況から脱却し、崩壊しかかっている現代文明を復興させる有効な手段を模索してきました。その一環として、私自身の研究テーマである『生物の持続可能な有効活用』という視点から現状を捉えたところ、即効性があり、かつ長期にわたって運用可能な方向性を見出すに至りました。それこそが、『発病者の労働力としての有効活用』――名付けて、ワーキングデッド計画です!」

 ……へ?ゾンビさんの、労働力としての有効活用?ワーキングデッド計画?

 あまりに予想外なその言葉に、僕ら――公社の仲間のみならず、自衛隊の方々も、さらには、大学の学生諸君まで――目を丸くし、ひたすら呆然と壇上を見つめる。

 と、加花さんは「想定通りの反応だ」といわんばかりににやりと笑うと、

「論より証拠、まずは具体例をお目にかけましょう!」

と言うが早いか、くるりと顔を真横に向け、

「おーい、彼女を連れてきてくれ!」

 教壇の真横、控え室的なところで待機していた――と思われる――助手の学生に、声をかけた。

 一体なにが現れるんだ、と皆が注目している中、男子大学生二人に導かれるようにしてしずしずと階段を上ったのは……きれいなストレートの黒髪をツインテールにし、よくあるメイド服――メイド喫茶なる場所で、店内に一歩足を踏み入れた瞬間「お帰りなさいませ、ご主人様!」ととってつけたような笑顔を浮かべる、ふくよかすぎるJKやカマキリのようなJDが着てる、あのゴシックメイドのコスプレそのままの――に身を包んだ女の子だった(あ、いや、壇上に上った女の子は、そういった子らとは違って、すらりと伸びた足の上に、形のいいお尻と引き締まったウエストとが服の上からでも見て取れる、極上スタイルの子だったんだけどね)。

 だが、そんな彼女の体型の印象など、階段を上りきった彼女が演壇に近づこうと、それまで背中を向けていた状態から向き直り、横顔をさらした途端に、吹っ飛んでしまった。

(え!?うそ!あれ、サルグツワだよね!?え、じゃあ、あの子、ひょっとして……)

 ざわ……ざわ……と教室内に張り詰めた喧噪が響く中、その騒音を押しつぶすほどの声量で、

「辺見君!こっちこっち!僕の横に来て、皆さんにあいさつしなさい!」

 加花さんが壇上の女の子――というか、メイド服ゾンビさん――に声をかけた。

 すると、ゾンビさんは、あくまで無表情なまま、言われたとおり、しずしずと加花さんに近づくと、教卓の真横まで来たところでくるりと僕らの方に向き直り、そのまま――よくしつけられた犬のように、というより、あらかじめプログラムされたとおりの行動をなぞるロボットのように――深々と頭を下げたのである。

 再び、教室内のざわめきがごうごうと高まった。

 その喧噪を十二分に楽しむかのように、加花さんはしばらく、満足げな笑みを浮かべながら僕らを見下ろしていた。が、やがて、

「お静かに!どうかお静かに願います!」

 おもむろに両手を肩の高さに差し上げ、手のひらを何度かゆっくり押し下げるという、やや芝居がかった動作でもって、教室内のざわめきを静寂へと押し戻す。

 再び教室内が冬の湖のように静まったところで、

「ご紹介します。彼女は辺見玲香くん。パンデモニック以前は僕の研究室の研究生――大学院博士課程、いわゆるドクターの一年生で、僕の秘書的な仕事もしてくれていました。非常に優秀な学生であり、また将来きっと名の知れた研究者として活躍してくれるだろうと、僕をはじめ、皆が将来を嘱望していた女性でした」

 加花さんが意気揚々と彼女を紹介する。

 メイド姿の辺見さんのきれいな目――ただし、その瞳には何らの感情も見受けられない――や引き締まった腰、そしてなにより、服の上からでもはっきり「でかい!」って分かる胸に目を奪われながら――僕だって、健康な、若い男なのだ――加花さんの話を聞き流していたのだけど……。

(ああ、そうなんだ、低身長でちょっと童顔だから幼く見えるけど、ドクター課程の年上お姉さんなんですね……え?でも、ちょっと待って。それじゃ、あの人最低でも24歳だよね?そんな、そろそろ大人の女の仲間入りかな、って年齢の女の人に、メイド服にツインテールって、JKみたいな格好させてるってこと!?)

 あんまり本筋には関係かもしれない――いや、間違いなくまるっきり関係ないけど、若くて健康なヲタク男子なら、誰もが当然持つはずの疑問を――持つよね?――抱いた僕は、思わずいぶかしげな表情をして、加花さんを見つめた。

 同じようなことを思った人間は僕だけではなかったようで――というか、教室内に居合わせた学生以外の若手男子ほぼ全員が、同じような疑念に満ちた視線を壇上に送っていたので――うん、やっぱりみんな、男ならそう考えるものなんだよ――加花さんは、さすがにちょっと居心地が悪かったのか、ふっと苦笑いめいた笑みを浮かべた。

「え~、先程からやや痛い視線を感じますので、一応説明させていただきますと、発病以前の彼女は、まったく化粧気が無く、せっかくのストレートロングヘア―も無造作にポニーテールにまとめるだけ、服装も基本、男物のカッターシャツにチノパンかジーンズという、色気のかけらもないものでした。僕は、女性男性問わず、服装や髪形などは、自分に最も似合うものを選ぶべきだ、というのが持論ですので、再三再四、彼女に対し、年頃の女性として、もう少し自分の魅力を引き立たせるような恰好をするべきではないかと忠告していたのですが、彼女は(がん)として聞き入れなかったのです。それが、今回のパンデモニックで発病したことにより、彼女の頑固な「女性らしさ拒否症」は消え去り、僕の勧めるものならばなんでも素直に着てくれるようになりました。そこで、かねてから小柄で童顔の彼女に最も似合うのではないか、とひそかに思っていたメイドコスプレを、今回のお披露目にあたり、着用してもらうことにしたのです!」

 いかにも嬉しそうに、いかにも満足げにそう言い切った加花さんの表情に、いぶかしげな表情を浮かべていた男たちの半分は、納得と共感の表情へと変わり、そしてもう半分は、いぶかしさを取り越し、「な、なに言ってるの?この人、ヤバいって!あかんヤツやって!」といわんばかりの目つきで加花さんを見つめはじめた。

 あ、一応いっておくと、もちろん僕自身は後者の反応だった。だって、いくらおとなしくいうことを聞くからと言って、本人の生前の――ゾンビ化前の趣味嗜好を尊重せず、「ご主人様」の好き勝手な服装をさせるのは、さすがにちょっとひどいと思ったからだ(会場の女性陣は、はなからそのように感じていたらしく、とくとくとしてメイドコスプレの理由を説明する加花さんを、蛇かムカデでも見るような感じでにらんでいた)。

 けど、居合わせた男性の半分ほどが賛成派だったところをみると、かなりの数の男が「好きな女には、自分好みの格好をさせたい!」と思っているらしい(いや、その気落ちも分からないではないけれども!)。中でも、すごく意外だったのは、マッチョな男を気取っている漣や安藤さんはまだしも、いつでも冷静な態度を崩さない橋江さんまでが、加花さんの言葉に100パーセントの賛意を示し、何度も何度も、深くうなずいていたことだった(ひょっとすると橋江さん、見かけは冷静だけれど、心の奥では、好みのリアル女子で着せ替え人形遊びをしたい、という熱い願望が煮えたぎっている、ムッツリスケベタイプの人だったのだろうか?)。

 会場がそんなふうに、賛否両論真っ二つの反応も示し、ざわついているというのに、当の加花さんはどこ吹く風。で、さらに言葉を張り上げた。

「とはいえ、今回彼女をこのような服装で披露したことは――多少は彼女の素直さのアピールにはなったかもしれませんが――ほとんどのところ、僕の趣味であり、今回皆さんにご理解いただきたい発表の趣旨からは、やや外れたところにあります。よって、このことに関する話はこれまでとし、本題に戻らせていただきます。今回皆さんにまずご理解いただきたいのは、パンデモニック以降「発病者」とひとくくりにされている気の毒な方々は、実のところ、ざっくり2種類に大別できる、ということです。そのことをご理解いただくために、もうお一方、壇上にお呼びしたい方がいらっしゃいます。おーい、例の方を連れてきてくれる?」

 かなりの力業で話を無理矢理本題に戻され、ようやく教室内が静まりつつある中、加花さんの呼びかけに応えた学生さん二人が、両側からその腕を支えるようにして、一人の人物――頭のてっぺんからつま先まで隙なくコーディネイトされた辺見さんとは対照的に、服とぼろきれの中間という感じのやや薄汚れた身なりをし、ぎこちない足取りでぎくしゃくと歩く、「ザ・ゾンビさん!」という感じの、典型的な発病者――を、えっちらおっちら登壇させ、辺見さんの隣に立たせた。

(あれ……?見たところ、そこらでよく見かけるような、どこにも特別感がないゾンビさんだけど……なんか変わった特徴でもあるのかな?)

 ややいぶかしい目線を――自衛官の皆さんと、僕らの仲間全員で――加花さんに送る。と、壇上の生物学研究者は、にっこりと満面の笑みを浮かべた。

「えー、今教壇に上ってもらったこの初老の男性発病者氏ですが、見ての通り、何の変哲もない普通の、そこら辺を徘徊しているのと全く変わらない発病者さんです(この言葉に、いぶかしさの中に若干の期待をもって壇上を見つめていた聴衆の何人かが、机についていた肘を外し、上体をやや傾ける「コケ」のリアクションで反応した。こういう、どんなときでもツッコミを忘れないところ、禁忌地区の人間の特徴だよな、としみじみ思う)。ただ一点、他の発病者が違う点があるとすれば、この方の名字が分かっている、ということです。発病前のこの方のことは僕もよく存じ上げておりませんが、どうやら大学付属病院で何らかの仕事についていらっしゃったらしく、捕獲時に、今着てらっしゃる病院服の――あ、今は見る影もありませんが、これ、もともと病院服だったんですよ――の胸元についていた名札には「犬田」とありました。ですのでおそらく――この方が何らかの事情で他人の服やネームプレートを奪ったのではない限り――それが、この方の名字で間違いないと思われます。で、この犬田氏にこれから名前と、してほしい動作とを命じ、反応を見たいと思います!」

 加花さんは、そこでいったん言葉を打ち切ると、二体目のゾンビさん――犬田さんの方へと向き直り、辺見さんに命じた時よりもさらにゆっくり、はっきりした口調で、

「犬田さん、皆さんにあいさつしてください!」

 と呼びかけた。

 が、犬田さんは、なんの反応も見せない。いかにも攻撃性を失ったゾンビさんらしく、あらぬところを見つめたまま、じっと立ち尽くしているだけだ(安藤さん曰く「サルグツワゾンビは、水族館のペンギンそっくり」であるらしい。さすが安藤さん、言い得て妙だ)。

 犬田さんの反応――無反応?――を確かめた上で、加花さんは再度、先ほどよりもやや大きな声で、

「犬田さん、皆さんに向かってお辞儀してください!」

と呼びかける。

 が、犬田さんは、やはり虚空に目をさまよわせたまま、ただひたすら、じっとたたずんでいるだけ。

 その反応を皆が確認するだけの時間を取った後で、加花さんはゆっくり、僕ら聴衆の方へ振り返った。

「本来ならばもっと厳密に、捕獲した時から両者を同じ条件で――例えば、同じ部屋で寝起きさせて同じメイド服を着させ、1日の決まった時間に同じように呼びかけるとか――した方が、対照実験としては厳密なものになるのですが、ま、この簡略化した実験でも、大筋のところは理解していただけるのではないかと思います。つまり、辺見くんはこちらの呼びかけに反応し、簡単な命令であれば言われたとおり行動するのに対し、一方の犬田さんは全くの無反応。普段はただ呆然と立ち尽くすだけで、自らの存続が危機に陥った時に限り、その危機を排除しようと――例えば、攻撃的な発病者が襲撃してきた時に、集団で攻撃者に抱きつき、その攻撃を防ごうする、などですね――半ば反射的と思われる反応のみ示します。この違いは、どこから生まれるのか、皆さん、おわかりになりますか?」

 加花さんは、ここでいったん言葉を切ると、「先生」といわれる人特有の「さあ、誰か、分かる子はいないかな?」的笑顔を浮かべ、教室をゆっくり見回した。

 が、僕らはげんなりした顔で、講演者をうつろに見返すばかり(いや、別に話に積極的に参加しようとしていなかったわけじゃなくて、話を聞いていた人のほとんどが、僕と同じく「同じメイド服着せるって……この人まさか、本気であの初老のオッサンゾンビに、そんな格好させるつもりだったの!?」と、うっかりメイド服姿の犬田さんを想像し、ちょっと吐き気を催していたんだと思う)。そんな中で、ただ一人だけ、オッサンメイドを想像する余地もないほど、真剣に加花さんの話に集中していた林田さんが、

「そりゃあ、その子――辺見さんだっけ?――が、中途半端ゾンビになる特別な体質だったとか、そういうことじゃないのか?他に、そんなゾンビさん、見たことないし」

 難しい顔で、そう答えを返した。

 と、講演者は、その答えを待っていたんですよ、と言わんばかり、大きくうなずく。

「僕たちも、最初はそのように考えていました。発病すると犬田さんのようになってしまうのが普通であり、辺見さんは何らかの理由で一部発症が抑えられた特殊例なのだ、とね。ですが、どれほど辺見さんの診断データをあさってみても――幸い私は彼女の指導教官という立場であり、研究室に入室してもらう際、他の様々なデータとともに、健康診断のデータも入手していたのです――注目すべき体質や病歴は見当たらない。標準に比べ、やや体重が軽く、少々貧血気味な以外は至って健康で、常時服用していた薬もなく、サプリもなく、目立った偏食すら見当たらなかったのです。ここで私は、行き詰まってしまいました。考察が一向に進まないまま数日が過ぎ、イライラしながら、一体、なにが彼女を特別な患者にした原因なのかと頭を悩ませていた時……ふと、ある考えが思い浮かびました。ひょっとして、彼女が特別だ、という前提自体が間違っていたのではないか。そうではなくて、彼女に対する我々の対応が他の患者に対する者と違っていたために、彼女が際立って見えていただけで、実際は、彼女のような患者は結構ありふれた存在なのではないか、とね」

「……申し訳ありませんが、ちょっと抽象的すぎて、よく分かりません。一体どういうことなのでしょうか?」

 加花さんの話に興味を聞かれ、いち早く「オッサンメイドショック」から抜け出したらしい橋江さんが、メガネを持ち上げることも忘れ、性急な調子で尋ねる。と、加花さんはややはにかんでいるような苦笑を浮かべた。

「三週間ほど前になりますか、その晩僕は、研究の進展のなさに煮詰まって、辺見くんにお酌をさせつつ、ヤケ酒を飲んでいたんです。ソファにだらしなく体を引っかけるように座り、イライラのあまり、「おい、酒がなくなったぞ。さっさと継ぎ足さないか」なんて、彼女に八つ当たりしたりしてたんですよ――我ながら、恥ずかしいことに。と、普段ならおとなしく言うことを聞く辺見くんが、虚空を見つめたまま、微動だにしないんです。かっとなって、「ほら、何をしてるんだ、酒だよ酒!」と声を荒げても、やはり同じ。そこで、酔った頭でふっと思い出しまして。ああ、そうか、ただ命令するんじゃなくて、名前でまず呼びかけてからじゃないと、命令を聞かないんだったな、全く面倒なことだ……なんてね。と、そこで、はっと天啓が下りてきたんです。あれ、そういえば、僕は辺見くん以外の発病者に、名前で呼びかけたことなんかないぞ、ひょっとして、まず名前で呼びかけて、それから命令すれば、辺見くんと同じく命令を聞く人が、他にもいるのではないか、とね」

 おお、と嘆息をもらす一同。

 その反応を確認する数秒間だけ間を取っただけで、せっかちな発表者さんはすぐに言葉を継ぐ。

「次の朝、僕は早速無害化した発病者を大勢集めました。そして、名前が判明している人は元の名前で、そして、名前の分からない方に対しては、『いいか、これから僕は君をAくんと呼ぶ。いいか、これから君はAくんだ。分かったね、Aくん!』と、片端から呼びかけていったのです。すると、驚くなかれ、呼びかけたうち半数以上の発病者が僕の言葉に反応してうなずき、以後、名前+命令の形で話しかけることで、辺見さん同様、作業させることが可能になったのです!」

 おおおお~っと先ほどよりも大きな嘆声をあげた僕らに、加花さんは、「すごいでしょ、もっと感心してくれてもいいんですよ」と言わんばかりの得意げな笑顔を振りまいた。

 そして、おもむろに咳払いを一つ。

「今では、発病者のおよそ七割、67%にも及ぶ方々が、こちらの言葉に反応し、命令に従ってくれることが分かっています。また、これは、きちんと根気よく教え込めば、という条件付きなのですが、ただ言うとおりに道を歩いたり、お辞儀したりといったごくごく単純な行動だけでなく、コーヒーメーカーを操作してコーヒーを入れたり、洗い物や洗濯をしたりといった、いくつかの手順を踏まえて行わねばならない複雑なこともできるようになる、といったことも実証済みです。さらに、いちいち話しかけて反応を見るまでもなく、どういった発病者がこちらの言うことを理解できるのか、見かけの情報からある程度判断する方法も分かってきています。そうですね、まずは、その発病者の判別方法から、お教えいたしましょうか」

 自分が知っていることを他人と分かち合うのがよほど楽しいのか――それとも、僕らが彼の思ったとおりに感心しているのがよほど嬉しいのか――加花さん、スキップでもしそうな程軽やかな足取りで辺見さんのすぐ横までやってくると、

「辺見くん、袖をまくりなさい!」

 大きな声で命令した。

 と、その声に反応し、辺見さんは、ゆっくりとメイド服の両袖を――なんと、袖口のボタンをきちんと外して!――ゆっくりめくっていく。

 やがて、元々の肌の上にゾンビさん特有の茶色と緑の大きな斑点がそこここに浮き出した痛々しい両腕が――普段、そこらのゾンビさんが色彩豊かな肌をさらして歩いている時は、汚いな、とか不気味だな、としか思わないのに、辺見さんのような、きゃしゃでおとなしい美人の腕がまだらになっているのを見ると、ああ、なんて気の毒に、なんて思ってしまうのは、我ながらなんとも現金な話だ――あらわになった。

 その辺見さんの動きに合わせ、加花さんは、自らもう一人のゾンビさん――犬田さんの袖を自らめくりあげていく。

 そして、再びこちらを見、にっこりと笑った。

「まずご注目いただきたいのは、お二人の肌の色と、肌を覆う病痕の違いです。二人とも元々の肌の上に、緑色や茶色のシミのような斑紋が広がっているのが見て取れると思いますが、辺見くんの方は、健康的な肌色の上に茶色と緑色が半々ぐらいの割合なのに対し、犬田さんの方はほとんどが緑色で、茶色のシミはほんのわずかであり、その上、元々の肌の色も灰色に近い色になっているのが見て取れると思います」

 両人の肌に目をこらすと、なるほど辺見さんの方は、シミの縁が茶色になり、中の方が緑になっていて、その緑の中央部にもポツポツと茶色が広がっているのに対し、犬田さんの方は腕全体がろうそくのような灰色になっているところへ、全体が緑色に見えるシミがべったりと広がり、茶色はほんのわずか、差し色のようにこびりついているだけだ。

(今までゾンビさんはゾンビさんで、なんの違いもないもんだとばかり思っていたけど、比べてみるとこんなにはっきり違っていたのか……)

と、僕はいたく感心した。

 皆が納得した表情に変わったところで、加花さんが再び口を開く。

「おわかりいただけましたでしょうか?肌色の違いは外気温の違い等でなかなかわかりにくいことがあるかもしれませんが、シミの色の割合の違いは気温に関係なく、一目瞭然に出ますので、見た目でかなりはっきりと区別できるかと……」

「いやいや、でもよ、いくら外を徘徊してるゾンビさんだからって、上半身ハダカなんてヤツは滅多に見ねえぞ?ほとんどはいまだにしっかり服着てやがるのを、いちいち袖口とかはぎ取って確認するのって、余計に手間なんじゃないのか?」

 身を乗り出し、大声で再び反論したのは、僕の隣に座った林田さんだ。なるほど、こちらの意見も言われてみれば至極もっとも、確かに、ゾンビさんみんなが服着ている中、いちいちそれを剥ぎ取りまでしなくとも、めくってみるのはかなりな手間になる。

 と、その反論を予期していたのか、加花さんは大きくうなずいた。

「確かに、いちいち服をめくってみるのでは、選別に大変な手間がかかってしまいます。ですが、そのことについてはあまり心配しなくてもいいと思います。というのも、今でこそ辺見さんも犬田さんも、こんなきれいな顔をしておりますが、確保当初は、顔にまで同じような斑紋が浮き出していたからです。その後、室内で、身の回りを世話をする時にあまりに人間離れした、パンクロックバンドのメンバーみたいな色合いの顔色だと落ち着かない、ということで、薬液で顔を拭い、今のようにきれいな――未発病者と変わらない顔色になったのです。が、記録のため、捕獲当初に撮影していた写真を確認する限りでは、腕と同様、顔の斑紋にも辺見くんと犬田さんでは、はっきりとした違いが見受けられます。ですから、皆さんが発病者を選別する時には、顔に浮き出た斑紋を手がかりにしていただければよいかと」

 理路整然とした加花さんの説明に納得したのか、林田さんは腕を組み、うんうんとうなずいて、再び座席にそっくりかえる。

 続いて声を上げたのは、林田さんの向こうに座った平さん。机の上に右肘をつき、頬杖をついてしきりにあごをなでながら、ゆっくりと言葉を押し出していく。

「その……なんだ。あんたは、顔で判断すれば、っていうけどよ。それって、厳密に区別可能なのか?そこに立ってる二人ぐらいはっきりと差があるんならいいが、そうじゃねえのだっているんじゃねえか?選別の仕事してると、二つにはっきり分かれるっていっても、必ずその中間ぐらいの変なのが混じるよな?顔に表れてる限りじゃ緑が勝ってるように見えるが、全身見たら茶色ばかりだったとか、なんか茶色が多いように感じるけど、はっきりそうとは言えねえとか……そういうのを確実に見分ける方法ってのは……」

 なるほど、確かにこれもその通りだ。見た目で選別と言うだけでは、どうしたって限界がある。きっと、見ただけではどちらともつかない、というゾンビさんだって、中にはいるはずだ。そういうのでも、はっきり区別しなきゃいけない場合、一体どうするのか。

 が、この質問も、有能な研究者である加花さんにとって、想定の範囲内だったようだ。

「確実な見分け方についてなのですが、それは、ここにいる辺見さんと犬田さんの本質的な違いは何か、ということにもかかわってくる問題です。今質問された方……平さんでしたっけ?この、辺見さんと犬田さんのお二人の病状が、なぜこれほど異なっているか、おわかりになりますか?」

「いや……分からねえな。俺には、どっちのゾンビさんも同じように見える」

「そうですよね。見かけ上、このお二人に大きな違いはありません……違いといえば、先ほど申し上げた斑紋の色の割合の違いのみです。そこで、もう一つお聞きしたいのですが、この地球上にあるもので、緑色と茶色が主体となって構成されているもの、といえば、一体なにをご想像になりますか?」

「おいおい、勘弁してくれよ、俺、クイズは苦手なんだよ……」

「そうおっしゃらずに。それほど難しい問題ではありませんから」

 困った顔になった平さんに、加花さんはあくまで笑顔で、でも粘り強く問いかける。

「いかがでしょう?緑と茶色といえば?」

「あ~……そうだなあ、まあ、植物かな」

 加花さんは、にっこりと笑った。

「そうですよね。この地球上で緑と茶色といえば植物です。しかも、人体表面のような平面の上に繁茂するとなれば、樹木ではなく、草本かコケ類ということになってきます。幹を持たないこれらの植物は基本緑色。茶色を呈するのは……」

「……枯れた時か?」

「まさにその通りです!ということは、緑色と茶色の割合に差が出るのは、人体に付着した、おそらくは病原生物と思われるこの植物体にとっての「生きやすさ」の違いを表しているのではないか、という仮説が成立します。つまり、この植物体が病原性を獲得する以前、もともと生存してした環境に近いのが犬田さんであり、より生きにくい環境に適応したものの、まだその適応が十分ではなく、相当無理をして寄生している状態なのが辺見くんなのではないかと、そう考えられるわけです」

「なるほどな。で、その生きやすさの違いってのは、なにから生まれてくるんだ?」

「はい。植物体の生育にとって、なにより大事なのは、十分な日光と水、適度な肥料、そして、生育に適した温度です。もともと岩や土の上で繁茂するのが前提である植物体にとって、最適な生育温度は、地温と同じ、3度からせいぜい十数度といったところ。他の条件がなにも変わらない以上、犬田さんと辺見くんの違いは、その温度の違いにある、と考えるのが妥当なところです。そう思って実際に二種の発病者について計測を行ったところ、やはり、明白な違いが見受けられました。犬田さん的な発病者――受動的発病者とでも呼びましょうか――の方の体温は、外気温とほぼ変わらぬ10度から20度。それに対し、辺見くん的発病者――能動的発病者の方は、35度から37度。これがなにを意味するか、分かりますよね?」

「……まさかとは思うが、生きているかどうかってんじゃねえよな?」

 平さんが思いきり眉をしかめながらそういうと、加花さんは大きくうなずいた。

「いえいえ、まさにその通り!犬田さんの方は、心臓が停止し、瞳孔も広がり、体温も、ほぼ外気温と変わらない温度にまで低下しています。いわば、典型的な死体反応を示しているといっていいかと思われます。それに対して、辺見くんの方は、心臓は動いているし、体温は我々とほぼ変わりません。つまり、彼女の肉体は、我々同様、生きているのです!」

「するとなにか?ゾンビさんの中には、生きてるヤツと死んでるヤツがいて、命令を聞くのは、そのうち生きてるヤツだけ、ってことか?」

「はい、そういうことになります。どうやらこの病原体は、生者にとりつき、思考能力を奪い、体を乗っ取って思うままに動かすのみならず、その肉体が死亡した後も操ることが可能であり、さらには、死体にとりついて、その死体をあたかも生きているかのように動き回らせることすら可能なのです!」

 そうか。襲われたんじゃなく、事故とかで死んでしまった人も、死んだ後でみんなゾンビ化してたんだ。だから、救急とかのシステムが崩壊した後も、道ばたに死体がゴロゴロ転がってることがなかったのか……!

 それってある意味助かったのかもしれないな、道ばたとかであちこち人が死んで、腐ってたりしたら、片付けるのすげー大変だったもの、などと僕が不謹慎なことを考えているうちにも、

「ということで、捕獲し、無力化した発病者が能動的発病者か、受動的発病者かを見分けるためには、その体温を計測すればいい、ということになります。外気温が高く、体温で判別できない場合は、胸に手を当てて心拍を確認するか、手首で脈拍をとるかしていただければ、間違いなく判別可能です!」

 加花さんはそれまでの説明をとりまとめ、どうです、これなら問題なく見分けられますよね、といわんばかりに、平さんに笑いかける。

 子供かよ、と言いたくなるようなその様子に苦笑しながらも、

「わかったよ。確かに、その方法なら間違いねえよな。それじゃあれだな、ゾンビにサルグツワをかませておとなしくさせるチームの奴らに聴診器かなんか持たせといて、できあがったサルゾンビをいちいち調べるようにすりゃいいよな」

と、平さんは早速、今後の作業の改良案を提案する。

「ええ、それならば確実に選別できると思います!さすが、公社の方々は反応が早いですね!」

 いかにも嬉しそうな加花さんに手放しで褒められ、平さんはまんざらでもなさそうな様子で、

「いや、そんなこたあねえよ。ただ、思いついたこといったまでだ。とはいえ、あれだな、早速どっかから聴診器を調達しねえとな……」

 照れた様子でツルツル頭を自らペチペチと叩きながら、独り言のような言葉を発する。

それを見届けたところで、

「さて、他に質問はありませんか?ないようでしたら……」

 加花さんが言いかけたところで、右隣に座る橋江さんが、すっと手を挙げた。

 真打ち登場だ。

「はい、どうぞ」

 加花さんがうなずきかけると、橋江さんは――例によって「くい」と眼鏡を押し上げた後で――ひょっとして橋江さん、眼鏡のフレームが顔に合ってないんじゃないだろうか――ゆっくりと口を開いた。

「公社メンバーの橋江です。まずは、今回こうして情報交換及び顔合わせの会合を主催していただいたこと、そして、パンデモニック発生からこれまでのほんの短期間にもかかわらず、精力的な調査活動を行い、その結果を惜しげもなく私たちと共有してくださったことに対し、代表ともどもお礼申し上げます。どうもありがとうございました」

 深々と頭を下げる橋江さんに合わせ、僕も慌てて立ち上がり、まったく、僕も巻き込んでお辞儀させたいなら、あらかじめ言っておいてくれなきゃ、などと思いつつ、ぺこぺこと頭を下げる。

「いえ、とんでもありません。そもそも今回の会合の趣旨は、生き残ったそれぞれの集団が何をしてきたのか、なにができるのかをはっきりさせ、その上で可能な限り緊密な協力態勢を作り上げることです。僕らは研究者と学生の集まりで、実務に関しては正直な話、からっきしです。この先僕らが生き残るためには、実務に長けた皆さんに対し、有用な助言と提案が可能であることを示し、それによって皆さんの助力を仰ぐより他にありません。そのためには、これまで僕らが積み上げてきた研究成果を余さず皆さんにお伝えするべきだ、と考えたのです」

 この質問……というかあいさつ?――もあらかじめ想定してあったのか、流れるように返答した加花さんに対し、橋江さんは大きくうなずいた。

「なるほど。そちらの考えていらっしゃることはよく分かりました。僕自身、ゾンビの行動に対しなんとなく違和感というか、しっくりしないものを感じていたのですが、今回のゾンビは実は二種類いる、という説明をお聞きして、だいぶ納得できたように思います。それで、私が疑問に思ったのは、その調査結果をこの先いかに活用することを考えていらっしゃるのか、なんです。ゾンビには、肉体的に生きている者と死んでいる者がいる。ということは生きているものは治療できる可能性がある。その治療法を模索するために、死んでいる者に対して解剖やら実験やらを行いたい、そのために生きている者と死んでいる者とを見分け、死んでいる者を「実験体」として、ここまで運んできてほしい。そういった意味合いで、この判別法を利用なさるおつもりなんでしょうか?」

 加花さんは、橋江さんの言葉にいちいちうなずきながら、ようやくしっかり話のできる相手が見つかった、といわんばかり、徐々に笑みを濃くしていった。

「ご質問の趣旨は、今僕らが手にしている調査結果を、この先どのように利用するつもりか、ということですね?それでしたら、はい、あなた――橋江さん、でしたっけ?すいません、お名前を覚えたりするのが少し苦手なもので――橋江さんがおっしゃる通り、もはや回復の見込みのない発病者――正確に言うと、発病死亡体ですか――を、疫病治療の研究材料として活用させていただくことは、もちろん考えております。ですが、それだけではありません」

 加花さんは、一度言葉を切り、意味ありげに教室に座った一同を見回すと、

「私は、この先我々未発病者の生活を安定させるために、発病者たちの持続的、継続的な利用が必要だと考えております。すなわち、発病者を単純軽作業等に従事させることで、未発病者の負担を減らし、より早く文明的生活の再建を目指す。これこそが、私の構想している『ワーキングデッド』計画です!」

 またしてもどよめきが教室内に響き渡った。

 そりゃそうだろう。これまで、僕らにとってゾンビさんは、生活を脅かす「敵」であり、文明を崩壊させた「害悪」だった。加花さんのおかげで無害化する方法が分かった後も、せいぜいゾンビ狩りの盾として利用するだけで、基本的には何の役にも立たない、そこらでぼんやり立ち尽くしているだけの「場所ふさぎ」に過ぎなかったのだ。それを、加花さんはむしろ積極的に利用していこうと提案しているんだから、驚かない方がどうかしている。

(利用するったって、ゾンビさんだぞ!?もし、なんかの拍子に狂暴化でもしたら……)

 頭にそんな言葉と思い浮かぶと同時に、一月前、コンビニでゾンビさんに襲われた時に記憶が、生々しくよみがえった。あの時のゾンビ化したお客さんの血走った目、ものすごい力、そしてなにより、言葉が通じない猛獣が、いきなり怒り狂って襲いかかってくる恐怖……あんな思いは、二度としたくない。加花さんは、そのゾンビさんを労働力にと提案しているが、いくら無害化に成功したからといって、いつまた凶暴化するか分からないゾンビさんを身近に置くということは、常に襲撃の危険にさらされるということになるんじゃないだろうか。

 さすがにそれは、ちょっとまずい。ゾンビさんが作り、盛り付け、「ヴォオオオオ……」とかいいながら運んできたカレーライスとか、たとえそれがどんなにうまくても、喉を通る気がしない。

 ゾンビさんを労働力として利用するのは、ちょっと時期尚早なんじゃないでしょうか、せめてもう少し案税制を確認してからの方が……と発言しようとした矢先、

「危険ではないですか?ゾンビさんを身近において働かせたりして、もし何かの拍子に襲われたりしたら……」

 加呂さんである。僕ら公社の「お母さん」的な存在だけあって、安全性やら安定性やらといった問題に関しては、常に神経をとがらせていてくれるのだ。

 彼女の言葉に、僕らはうんうんうなずきながら、加花さんを見つめる。と、このややエキセントリックな研究者は、ご心配なく、といわんばかり、余裕たっぷりな笑みを浮かべた。

「もちろん、安全性については万全の配慮をする必要があると考えています。ちなみに現在までほぼ1ヶ月間、僕はここにいる辺見くんと同じ空間で生活していますが、その間、彼女は僕の襲いかかることはなかった上、1回の例外もなく僕の命令に従順にしたがってくれました。もっともこれは、僕が無理のない命令ばかりを彼女に発していたからかもしれません。例えば、この建物の屋上から飛び降りろとか、彼女の身に危険が降りかかるような命令を発した場合、どのように反応するのかは、今後の研究課題となりますが……ともあれ、この1ヶ月間、辺見くんに全く攻撃性が見られなかったことは報告させていただきます」

「でも、だからって……」

「はい。彼女の例を全ての発病者に適用していいのかどうかはデータ不足ですし、たかが一ヶ月の観察では、本当に彼女の攻撃性が消失しているのかどうかの確認も、十分とはいえません。最低一年間は、観察を継続していく必要があると考えております」

「だったら、ゾンビさんの利用はその後でも……」

「はい、それも考えました。しかしです」

 加花さんは、ちょっと表情を曇らせる。

「ご存じの通り、僕たちの生活基盤はまだまだ脆弱な上、問題は山積みです。パンデモニックによって社会経済が崩壊してしまった今、なにより問題なのがエネルギー、及び食糧です。この先発病者を捕獲し、国土を回復していくには多大なる資材が必要となりますが、その資材を加工、運搬するためのエネルギーをどこから手に入れるのか。トラックを走らせるにも、発電所を再起動し、安定して稼働させるためにも化石燃料が必要ですが、産油国からの輸入が途絶えてしまった今、備蓄している石油だけで、どれだけの期間、持ちこたえられるのか。あるいは、化石燃料に代わる代替エネルギーをどのようにして入手するのか」

「それは、確かにそうだけど、でも、それはもっと先の……」

「確かに、今は、そんな先のことを考えている余裕はあまりないのかもしれません。しかし、石油の備蓄がなくなってしまってからでは、どうしようもなくなってしまう。こういったことは、できうる限り先を見据え、早いうちから考えていかなければなりません」

「ええ、まあ、それは分かるんだけど……」

「それに加えて、もっと喫緊の問題として、食糧問題があります」

「食糧問題?食べ物のこと?でも、それだって、今は……」

「はい。公社のみなさんのおかげで、「今は」まだ、潤沢な食糧が備蓄されています。そのことについては、本当に感謝しております。しかしです」

 加花さんは、僕ら「公社組」をぐるっと見回した。

「どなたか、資材管理を担当していらっしゃる方は……ああ、あなたですか。ええと……」

 加花さんの呼びかけにこたえ、おずおず手を挙げた丸手さんは、いつも通りの、どこかすまなそうな態度で「あ、丸手です」と小声で答えた。

「では、丸手さん。あなたにお聞きしたいのですが、今回、自衛隊の駐屯地に避難していらっしゃる方々を、新たに三千人ほど、そちらに引き受けていただくことになりました。さらに、この先都市部の浄化を進めていけば、ますます多くの避難民がそちらに流入することになると思います。そうなった時、現在の食糧備蓄で、どれほどの期間持ちこたえられるでしょうか?」

 と、お得意の分野の質問をされたせいか、丸手さんの表情から気の弱さが消え失せ、「頼りがいのある男」バージョンの彼が、むっくりと現れてくる。

「そうですね……現状だと、どの程度の速度で人口が増加するか、まるで推測できていないので、なんとも言えませんが、仮に、この先一月で人口が倍の一万人に増え、食糧の発見と備蓄量が現状のペースからそう変わらないとするならば……長めに見積もって、大体1年から2年、といったところだと思います」

「生鮮食料品も、それぐらいもちますか?」

「あ、いえ、それはダメですね。特に葉物野菜なんかは日もちがしませんから、運良く冷凍保存されていたほうれん草なんかを除くと、もう後半月もしないうちに底をつくはずです」

「ビタミン不足が心配ですね」

「ええ。ある程度はサプリメントとかでしのぐとしても、食糧の確保は、この先大きな問題となると思います」

「ありがとうございました。ええと……そちらの魅力的な女性の方。今の話は、ご存じでしたでしょうか?」

「いえ……はじめて聞きました」

 加呂さんは、ショックを隠せない顔で、でも、どこかちょっと嬉しげに――きっと、加花さんに「魅力的な女性」なんていわれたからだ――答えた。

 対する加花さんは、いかにも深刻げな表情で、ゆっくりとうなずく。

「そうですよね。僕もある程度予想はしていたとはいえ、ここまで状況が逼迫しているとは、思いもしませんでした。早速……」

「そうだな、どっかに畑でも作って、野菜を育てなきゃだ。学校のグラウンドとかほっくり返せばいいかな?」

と、珍しく安藤さんがギャグなしで口を挟む。

「そうですね、そういうことも必要になってくるかと思います」

「よし、じゃあ、俺に任せてくれよ!大丈夫、ヘッドブックの動画で、畑の作り方とか見たことあるんだよ!だから……」

 平さんがはしゃいだ声を出すと――それにしても、一体なんだってこの人は、自分の「専門の仕事」以外のことをこうもやりたがるのだろう――慌てた調子で林田さんが「いやいやいやいや、ちょっと待て!」とさえぎる。

「なんだよ、待てって。」

「いや、畑は作るけどよ。でも、それをするとなると……参ったな……」

 難しい顔で、ガリガリと頭をかく林田さんを、加花さんは、したり顔で見つめた。

「そこのかわいらしい女性の方。何か気になることでもありましたか?」

 と、先ほどの加呂さんと違い、こちらは明らかにむっとした顔になる。

「オレは別にかわいくなんかねえよ。そんなふうに呼ぶのはやめてくれ」

「これは失礼しました。それでは……」

「林田だ。一応、公社ではセンター長代理ってことになってるけど……」

「そうですか。それではセンター長代理、何か気になることでも……」

 せき立てるような勢いで割って入った加花さんに、林田さんは、ついに怒りを爆発させた。

「オレは、林田だ!俺自身納得できてねえ役職名なんかで呼ぶんじゃねえ!今そう言おうとしてたところなのに、なんだってあんたは、話の腰をブチ折るんだ!人の話は最後まで聞けって、学校で教わらなかったのかよ!」

 ふんがふんがと荒い鼻息を吐き出してにらみつける林田さん。その剣幕に、加花さんはこの日はじめて戸惑った顔を見せ「え、あ、そうですか、そうですね、はい、気をつけます……」としょぼしょぼした、捨てられた子犬的尻すぼみな声を出した(きっと加花さん、本質的には人付き合いが苦手な人で、基本マニュアル的な応対で人付き合いをこなしているんだけど、そのマニュアルに当てはまらない人だと、途端にどう対応していいか分からなくなってしまうんだと思う)。

 その様子があまりに頼りなげなのを見て取り、林田さんは再びガリガリと頭をかいた。

「ああ、いや、いきなり怒鳴りつけたりして、オレも悪かったよ。ちょっと神経逆なでされるようなこと言われたんで、つい頭に血が上っちまってさ」

「いえ、こちらこそ、久々の発表が楽しくて、つい舞い上がっていたようです。配慮が足らず、申し訳ありませんでした、センター長だ……いえ、林田さん」

「いや、ああ、うん……ま、好きに呼んでくれよ。それでさ、話戻すけど……」

 相手のあまりにしおらしい態度にいたたまれなくなったのか、林田さんは、口調と態度を一気に改めて、本題に入る。

「オレがさっき「参った」って言ったのは、人員の割り振りのことなんだ。ただでさえ人手不足で、どの仕事に何人割り振ったらいいかで、毎日頭を悩ませてるってのに、この上野菜作りにまで人手を割かなきゃいけねえってなると……」

「それなら、新しく引き受けることになる予定の、避難民の人たちに手伝ってもらえばいいんじゃねえか?3000人からいるんだから、人手不足はすぐにでも……」

「いや、そうなんだけど、そういうことじゃねえんだよ。人数が5000人超えるってことは、その分余計に食料も作らなきゃいけねえってことだろ?てなると、それだけ余計に多くの人数を割り振らなきゃいけなくなるから……」

「あ、そうか!どれだけ人数が増えても、その中から常に一定の割合、農作業に割り振らなきゃいけなくなる、ってことか……」

 口を挟んだ平さんが納得した表情になったところを見計らって、後を引き継ぐように、加花さんが再び口を開く。

「そうなんです。有史以来、食糧生産は人類の大きな問題であり続けました。たとえどれほど耕作に適した土地があろうと、それらを耕し、種を植え、雑草を抜き、害虫を取り去るといった、日々の世話をする人がいなければ、作物は育たない。ある人数を養おうと思えば、その中の一定の割合の人間が――それも、七割から九割という、少なからぬ割合の人間が、農業に従事しなければならないのです。これはなかなかに深刻な問題で、初期の人類の文明がなかなか進歩の兆しを見せなかったのも、一つには……」

「え、でもさ、今現在――ってか、パンデモになる前は、そんなことなかったんじゃね?世の中サラリーマンばっかで、農業やってる奴なんて、ほんの一握りだった。それでも、食べ物に困ることなんかなかったぜ?オレ達の配送トラックはいつでも満杯、コンビニでもスーパーでも、好きなもんが買えるし、外食がよけりゃ、牛丼でもハンバーガーでもうどんでもピザでも、選び放題だったしさ」

と、ここで首をかしげたのは、安藤さんだった。

 外食先が牛丼にハンバーガーにうどんにピザって、「そういう店」ばかりいってたんですね……と、親近感と若干の哀しさを同時に感じ、苦笑しながら……しかし、僕は小さく首を横に振った(その辺りのこと、大学の授業で、ある程度習っていたのだ)。

 見ると、加花さんも僕と同様、苦笑しながら首を横に振っている。

「確かに、現代では食糧生産に携わる人は人口比にしてほんのわずかになりました。なぜそれが可能だったかというと、農業機械と肥料、農薬を導入したことにより、農作業が大幅に合理化できたからなのです。簡単に言えば、人手の代わりに大量のエネルギーを投入することで、かかわる人間を減らしていた、ということなんです」

 その言葉に安藤さんがうなずいたのを確認してから、加花さんはさらに言葉を継ぐ。

「ところが、今回のパンデモニックにより、これまで世界を支えてきた全てのシステムは崩壊してしまいました。近代農業にはエネルギー源として石油が必須なのですが、産油国とのつながりが絶たれてしまった今、農機を動かすには、国内にわずかに備蓄されている石油を利用して行うより他ありません。しかし、それを行えば……」

「あっという間に石油が底をついてしまうかもしれない、ってことか」

「そうなんです。もちろん、石油の代替エネルギーとして作物から燃料を作る方法はありますが、それにしても、安定した供給が可能になるまでには、おそらく数年の時間がかかります。その間、限りある石油をジャバジャバと使ってしまうわけにはいきません。そうかといって、食糧生産に多大なる人的資源を投入すれば、復興はますます遠のくことになります。どうすればいいかと考えた末にたどり着いたのが……」

「ゾンビさんを働かさせりゃいい、ってことだったってワケか……」

 林田さんが腕組みし、難しい顔のまま、重々しくうなずいた。

「まさにその通りです!人類は、有史以来ずっと、大型動物を家畜として使役したり、戦争捕虜などを奴隷にしたりなど、生命体を動力源として用いてきました。が、蒸気機関の発明により、化石燃料を効果的に動力として使用できるようになったことで、その方策は時代遅れとなります。奴隷制はほとんどの国で廃止され、家畜はペット、あるいは食料源としてのみ考えられるようになりました。が、その化石燃料の供給が途絶え、近い将来枯渇することが明らかである今、早急に何らかの手を打つ必要があります。具体的に言えば、機械化していた労働を有史以前のように全てを人力で行う形にするか、でなければ、それらに代わる動力源を模索するか、しなければならないのです」

「そうですね。その通りです。しかも、現状では……」

と、橋江さん。

「ええ。発病者の捕獲、住環境やインフラの再整備、安全地帯の確保などなど、人間でなければできない仕事が他に盛りだくさんである以上、それ以外の、ある程度機械的な動作により可能である作業は、人力以外のなにかに肩代わりさせたい。現状で、それが可能になるものというと……」

「なるほどな。ゾンビさん以外にあり得ないと」

と、今度は平さんがうなずく。それに力を得たのか、加花さん、大きく身を乗り出した。

「そもそもが植物体であり、光合成か、あるいはそれに似た方法で栄養を補給しているため、発病者は食物を必要としません。適度な水と日光さえ与えておけば、行動することが可能です。しかも、辺見くんの例で明らかなように、簡単な命令ならそれを理解する知能と、素直に命令に従う従順さとを備えている。これはまさに、使役動物としてうってつけの資質です。数少ない人的資源を補ってあまりある労働力を供給してくれるに違いありません!」

 力強く宣言する講演者の姿に同調して、その場に居合わせた多くのものがうなずいた。

 けれど、そんな中でもまだ、

「けどな、ゾンビさんだろ?そんな奴らが同じ街中をうろうろして、あちこちで仕事してたりするのは、なんかちょっと。見かけるたびにぎょっとして、心臓飛びでそうにあるんじゃね?」

 安藤さんは難色を示す(その気持ちも、いきなりゾンビさんに襲われ、あやうくお仲間にされかかった経験のある僕には、よく分かった)。

 と、この反応に、加花さんは大きく首を横に振った。

「それは、単なるイメージに過ぎません。発病者があちこちでさまざまな作業の従事するようになれば、それがいつの間にか日常の光景となっていくはずです。なにより……」

 と、ここで加花さんは、なにを思ったか、

「辺見くん!その場で後ろを向きなさい!」

 と、いまだ壇上でおとなしく立っているメイドゾンビさんに声をかけた。

 命令に反応し、辺見さんがゆっくり背後を向くのを待って、加花さんはおもむろに、そのフリルがいっぱいついたスカートを、がばっとめくりあげた。

 辺見さんの、ゾンビさんとは思えないほど白い肌と、すっきりと伸びた脚、そして、純白のパンツにその半分ほどが隠された、意外なほどにボリュームのある尻が、むき出しになる。

「おおっ!」

 教室内にいた男性陣は全て、そして女性陣のほとんども、そのあらわにされた部分に、思わず目を吸い寄せられる(もちろん、男たちと女性たちでは、目が吸い寄せられた理由は全く違っていたけれど)。

「見てください、このよく発達した下半身を!これほどのポテンシャルを秘めた肉体を、どこかに閉じ込め、ただ放っておくなど、まさしく資源の無駄遣いです!この未曾有の災害を乗り切り、この先生きのこるためには、発病者の有効利用こそが鍵なのです!」

 言い放つが早いか、加花さんは大きく振りかぶった手を素晴らしい速さで辺見さんの尻めがけて振り下ろし、「ぱあああん!」と、なんとも小気味よい音を教室中に響き渡らせたのだった。


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