001
ミラは牢屋の中でこれまでの人生を思い返していた。
彼女は王都から遠く離れた辺境にあるが、比較的平和な村に暮らしていた。
たまに翼を生やした大きな蜥蜴と出くわすこともあったが、それなりに平和で明るい人生を過ごしてきたと思う。
そんなある日、祖父がぎっくり腰になった。それによって、彼女は満足に食事が取れなくなったのだ。
このとき、彼女はこれまでいかに自分が祖父に頼って生きてきたのかを知った。
そして、——自分もお金を稼がなくちゃ! と思い立った彼女は冒険者ギルドの門を叩いた。
ギルドには見た目はいかつくて、怖い人がいっぱいいて少し怖かったが、それなりにやさしい先輩方だった。蜥蜴をぶちのめすくらいの力はあった彼女もそれなりに仕事ができるようになった。
彼女が翼が生えた少し大きめな蜥蜴を鍬で退治していたとき、先輩たちに微笑みを浮かべながら手を振ると、彼女を見る先輩たちの怯えているような目が少し気になった。
だが、彼女の育った村ではこれくらい当然のことだったため、彼女は大して気に留めなかった。
——二日や三日寝ていたなら分からないけど、今日も先輩方と仲良くゴブリン退治をしていた、と思う。それなのに、どうして私は捕まっているのだろうか?
これまで彼女はゴブリンを退治するのは犯罪どころか、村の人ににこやかな笑みで頭をなでてもらえるくらい良いことだし、翼の生えた蜥蜴を倒すと偉い人にほめたたえられて、お金やご馳走をたくさんもらえたのだ。
——そう。自分は悪いことをしていない。
——なのに、どうして私は捕まっているのだろう?
——ひょっとして、酒場のミルクをツケにしちゃっていること? それは、酒場のご飯が美味しいからであって、払おうと思えば払えるけどついつい食べすぎて、泣く泣くツケにしていただけ。それに、おじいさんから「お前は女の子だからせめていい宿に泊まりなさい!」と言われた通りに上等な宿に泊まっていたのに。これはしょうがないことじゃない!
なお、普通の宿にすれば余裕で払える額なのだが、彼女の思う良い宿はかなりお金のかかる宿のことなのだ。
まぁ、おじいさんも借金までして良い宿に泊まりなさいと言ったわけではないと思うのだが、彼女がこれまで安全に生きて来れたのだからいいことなのだろう。
ただし、今の現状はまったくいいことではない。
彼女はなぜか捕まっているのだ。
そう。気づいたら、彼女は牢屋の中に居たのだ。
——どうして、ここに居るのだろう? ツケはまだそんなに貯めていないし、どこかに迷惑をかけた覚えはない。宿の備品は少しばかり壊したかもしれないけど、それもすぐに弁償したし問題ない。それなら、どう「ねぇねぇねぇねぇ。君ってさぁ、ひょっとしていいとこのお嬢さんかな?「ギャー!」」
彼女が振り向くとそこには紫色の髪で背が低く、隈の深くて舌の長い男が立っていた。暗い牢屋の中で彼を見ると、どう考えても化け物の類にしか見えなかった。
怯える彼女に男は溜息をついた。
「人をアカナメを見たような顔しないでくれないかなぁ?」
「アカナメって何ですか?」
「あれぇ? 君ってそんなことも知らないのぉ?」
「私が生まれた村の近くにある大きな龍の巣についての言い伝えなら知っていますが、アカナメは知りません!」
彼女がきっぱりとそう言うと、男はげんなりとした。
「世間知らずってことかぁ。ならいいよぉ。なんか東の方ではボクみたいな人はアカナメって呼ばれるたしいんだよぉ。別にボクは人の体を舐め回すような変態じゃないのにねぇ。——ねぇ、そこで端の方に行くのはやめてほしいなぁ」
「——だって、人の体を舐めたがる変態なんでしょ?」
「だから違うって言ってんだろうがぁ、このアマ!」
「そんなことよりも、どうして私はここに居るんですか?」
「ボクの顔を見てぇ、垢舐め呼ばわりすることの方が重大さぁ!」
「——だって、あなたは私の体を舐めたいほどの変態じゃないんでしょ?」
男は彼女にそう言われ、彼女の体を見回した。
短く不格好に切った髪だが、少し日に焼けているがニキビやあばた一つない均整の取れた美しい顔に、胸も尻も出るところは出ているという男なら、だれしも見惚れてしまうようなプロポーション。
彼は赤面して、咄嗟に彼女から視線をそらした。
「——ま、まぁ、そうだけどねぇ」
「ちょっとどこ見ているんですか?」
彼女は自分の体を男の視線から守るかのように抱きしめ、男をじーっと睨みつけた。
「見てないから! 見てないから!」
男は焦りながら、こう答えた。
「そんなことよりも、どうして私を捕まえたのか早く話してくれませんかね?」
男は彼女が急に話を変えたことに一瞬、面食らったが、すぐに正気を取り戻して憤慨した。
「それはさっき言ったでしょうが! 君が高貴な生まれかって聞いたでしょうが!」
「まぁ、そうですね。わたし、言っておきますが、王都から真反対の田舎村の生まれですよ」
「——なら、違うかぁ。身代金も手に入るかなぁって、期待したけどぉ、ざぁんねぇんだなぁ」
男はそう言って、牢屋から離れようとした。
「ちょっとどこに行くんですか! いい加減、早く教えてくださいよ!」
「商談相手の情報はいちいち語らないんだよねぇ。だってぇ、ボク、信頼第一の人攫いだからねぇ」
「人攫いに信頼もクソもありますか?」
「あるよ! どうして、君はそんなことを言うんだ!」
「だって、人攫いって悪いことじゃないですか! そんなことしている人が信頼なんて語れますか?」
男はしばらく思いをめぐらした。
そして、こう反論した。
「ボクはこの仕事でようやく食っていけるんだよぉ。君なら、分かるだろぉ? 辺境に暮らす魔法紋持ちがどんなに苦しい生活を送っているかぁ? ボクたちは騎士に登用されなかったら、冒険者かこういう商売に手を染めるしかないんだよ」
「いえまったく。——って、ちょっとなんで私が魔法紋を持っていることを知っているんですか? ひょっとして、見たんですか? 見たんですよね?」
彼女は咄嗟にお腹の方を隠して、赤面しながら怒った。
「そんなわけないでしょ! ボクには女性の部下がいて、彼女に見てもらったんだ」
彼は赤面して、彼女から視線を逸らした。
——この人ってなんかいい人みたいな感じがする。本当に悪い人なの?
彼女は少し彼に対する評価を変えてしまったが、すぐに自分を捕まえた張本人であることを思い出して、こう尋ねた。
「そういえば、どうして私を捕まえられたんですか? 腕っぷしは自慢があるんですが?」
「ボクは付加魔法が得意でねぇ。一応、魔法使いの魔法紋があるのさ。だから、君を捕まえられたってわけ」
「そうですか。なら、これもかなり頑丈な付与が掛かっているわけですか」
彼女はそう言って、金属製の手枷を強く握りしめた。すると、飴細工のようにあっさりと手枷が割れてしまった。
「「……」」
彼女はにこやかな笑みを浮かべて、牢屋の檻に手をかけ、それを捻じ曲げようとした。
男は慌てて、「こら! 勝手にこじ開けようとするんじゃない!」と言って、付与魔法をかけ始めた。
「だって、この手枷が簡単に壊れたってことは多分、この檻も弱いってことですよね」
「だからと言って、開けようとしていいもんじゃないよ! ——あぁ、ハードネスゥ。ハードネスゥ」
「もっと強くかけられないんですか? もう開けられますよ」
彼女が焦る男を煽っていると、牢屋の前の壁に大きな穴が空いた。
すると、そこには黒髪で隈のある背の低い少年が立っていた。
「——外れか」
【補足】
・魔法紋
人の力を強める紋章のこと。その昔、下界に魔物が蔓延っているのを憂いた神様が、強い戦士たちに下賜したものだと言われている。
・魔法使いの魔法紋
杖状の紋章。この魔法紋があれば、魔法が使えるようになると言われている。だからと言って簡単に魔法を使えるようになるものではなく、努力は必要。
・ハードネス
付与魔法の一種である硬化魔法の呪文。ほぼ初級。