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9話 運命の糸は蜘蛛の糸だそうです

 私とアンナ様との間には友人としての約束が一つだけあった。それは、昼食を私の部屋で取るということ。その時の給仕はエミリーがしてくれていた。初めこそ本物のお姫様であるアンナ様をお世話することに緊張していたらしいエミリーだけど、徐々に慣れて、今ではアンナ様もエミリーとは気さくに話しかけるようになって、エミリーも少しずつ私と同じような態度で振る舞えるようになっていった。


 そんなある日の昼食の時だった。メニューは鴨肉のステーキとサラダ、それに小さな全粒粉のパン。この国の主食はお米だけど、朝や昼はパンや麺類を出されることも少なくなかった。


「そういえば、最近あのトマト男との関係はどうなりましたの」


 鴨肉のステーキを小さく切りながら口に運んでいたアンナ様が唐突に切り出したので、私は持っていた全粒粉のパンを落としそうになる。


「ど、どう、って……」

「だって、少なくともあなたはあの男を好いていたでしょう? 少しは進展があったのかと気になりましてよ」


 私は千切ったパンを口に放り込み。咀嚼しながらどう言おうかと悩む。その様子を見ながら、アンナ様も残ったパンの欠片で皿に残ったソースをつけて口に含み、満足げに微笑んだ。


「その様子ですと、うまく行ったようですわね。ふふふ、可愛らしいこと」


 私はキラキラのグラスに入った水を飲んでパンを喉の奥に流し込み、言う。


「……別に、なにが変わったって訳じゃないですからね。街の恋人同士みたいに振る舞えるわけでもないですし、その……恋人である前に仕事仲間で、彼は私を護衛するのが仕事ですから」


 それに反論するかのように、アンナ様も水を一息に飲み干し、言った。


「ですけれど、護衛してくださる方が恋人なら、守ってもらう安心感も違うというものですわ。それで、どこまで進みましたの?」

「どっ、どこにも進んでいません! エミリー、給仕ありがとう。もう片付けていいよ」


 そう言われたエミリーがくすくす笑いながらワゴンに皿を乗せて片付けていく。


「アンヌ様に先に恋人ができるなんて思いませんでした。私の方が年上なのに。だから、羨ましいです」

「エミリーまで何を言うの……。私とラマトゥはお互いがお互いを好きだって確認できただけで、恋人なんて言える甘い関係じゃないんだから……」


 それを聞き、アンナ様が笑いながら言う。


「あら、とても素敵なことじゃないの。私、あのトマト男には興味ありませんけれど、恋愛の叙事詩なんかは大好きでしてよ」

「私もです、アンナ姫。人から語られる恋の話、聞いてて楽しいですよね。特にアンヌ様みたいな照れ屋さんだと、特に」

「エミリー、あなたもよくわかってらっしゃるわ。そう、照れ屋さんから恋の話を聞き出すのが楽しいのよ、アンヌ」

「……ふたりとも、悪趣味です……」


 私は真っ赤になって俯くと、アンナ様とエミリーは声を上げて笑った。


 実際、私とラマトゥは何が変わった訳でもない。普段どおりに訓練して、普段どおりに一緒に仕事をしているだけ。……唯一変わったといえば、ふたりっきりの時だけ、お互いの本名で呼び合うようになったくらいだ。でも、それだけ。


 私はまだ子供だし、アンナ様が戴冠されるまでは秘密の存在でいなくてはいけない。だから、普通の恋人たちのように出かけたりすることもできない。そんな関係でも恋人同士と言えるのか不安なくらいなのに。

 でも、それをふたりに告げてもノロケ話として受け止められるだけだろう。


 私は食後のお茶を振る舞われながら、悟られぬように小さくため息をつく。


 恋人同士って、何をもってして恋人同士と言えるのだろう。


 その問いに答えてくれたのはどやどやと部屋に入ってきたビビだった。


「やぁ、アンヌ、久しぶりじゃあないか! 僕からすれば一年の時の流れなんてあっという間だけれど、ヒュームはあっという間ではないのだろう? ならば僕も久しぶりというのが当然だね! 聞いたよ、アンヌ、君にも恋人が出来たそうじゃあないか! これはとても素晴らしいことだよ! 恋は人生のスパイスのひとつだからね! さあ、喜びの歌を歌おうじゃないか!!」


 私は大慌てでビビの口を塞ぐ。さっきのアンナ様の部屋のノックの主はビビだったということは話し声でわかっていたけど、まさか自室にノックもなしに入ってこられるとは思わなかった。


「び、ビビ、私の部屋に入る時もノックくらいして……! それに、その話誰に聞いたの!」


 ビビは優雅な手付きで私が抑える口の手を剥がし、両手を広げて歌うように語りだす。


「勿論、アンナさ! 君に恋しい人がいるなんてこと、君に会った瞬間に気がついたけれど、まったく、こんなに若いのに恋人が出来るなんて、おませさんだ! しかし、小さな恋というのも素晴らしいことだよ! 淡い恋心が叶うというのは、若い今でこそ経験できる稀有な体験さ! さあ、歌おうじゃないか!」


 そう言って耳慣れない言語でビビは歌い出す。あぁ、本当に歌いだしてしまった、このヒト。しかし、これはなんという歌なのだろう。


「ビビ、その言葉はどこの言葉?」

「エルフの言葉さ! 春の芽吹きを祝う歌だよ! しかし不思議だ。アンヌ、君は恋が叶ったというのに、幸せそうには見えないね。何か誰にも言えない悩みがあるのかい? 僕で良ければ相談に乗るよ。こう見えても五百のヒュームやエルフと恋に落ちた達人さ! そして五百の恋に破れた敗北者でもあるのだがね!」


 そう言ってビビは自分の部屋であるかのように椅子に颯爽と腰掛ける。何故このヒトは全ての行動が芝居じみて見えるのだろう。私はビビ以外のエルフを知らないのだが、エルフとは皆こんなものなのだろうか。


「……恋に破れたら、ダメなんじゃないの?」


 そう言いながら私も椅子に腰掛ける。しかしビビは指を立てて小さく振る。


「ノン、ノン。それは違うさ、アンヌ。僕は五百の恋人、皆平等に愛していた。けれど相手が死んでしまったり、変わらぬ僕に飽きて心変わりを起こしたりしてしまったのだよ、悲しいことにね。けれど、僕は今までの恋人たちを恨んだり悲しんだりはしない。皆、まだ僕は愛しているからね!」

「……それ、同時進行だったこともあったりする?」

「そんなこともあったかもしれないね! けれど、誰かを愛するという気持ちは捨てられないんだ。これはきっと僕の性分だろうね! 恋人がひとりでいなくてはいけないとは、どんな法律書にも憲法書にも書かれてはいないよ! 妻とするのはひとりでなくてはいけないとは書いてあるけれどね!」


 あっけらかんと言うビビに、私は呆れて声も出ない。しかしビビは語り続ける。


「さぁ、秘密の多いもうひとりの姫君? 僕に君の悩みを聞かせておくれ。安心したまえ、これでも秘密を言いふらしたりはしないさ! 君が表沙汰になっていないのがその証だろう?」


 ……確かに、ビビと出会って二年近く経つが、市民は誰も私の存在を知らない。口が堅いのは本当なのだろう。……ビビになら、言ってもいいだろうか。


「……私」

「うん、なんだい、アンヌ?」

「不安なんです」

「不安?」


 不思議そうな顔でビビが首をかしげる。


「私はあの人が……多分、皆が恋人だっていうあの人が、とても好きなの。大切なの。あの人も私を大切にしてくれてるのがわかる。態度でも、仕事でだって、それを証明してくれるから。でも、それだけ。私たちの繋がりは、糸みたいに細いの。今にも千切れそうなくらいに」

「ふむ。言葉でしか繋がっていない今の状況が不安なのかい?」


 ビビの言葉に小さく頷く。ビビは胸の前で腕を組み、言う。


「アンヌ、蜘蛛の糸はどれほど丈夫か知っているかい?」

「蜘蛛の糸?」

「そうとも。八本足の、あの不気味な姿をした蜘蛛さ。僕は森で過ごしていた頃に、彼らの糸の強さは鉄の何倍も強いと森の古いエルフたちに習ったよ。エルフの職人には彼らの糸を紡ぎ、布にして身を守る防具にする者たちもいる程さ。これは、そんじょそこらの武具では両断することも難しい物だよ。自然界の神秘をエルフの技術で加工しているんだ、当然だね。僕が思うに、君が今にも切れそうだと不安に思うその糸は、蜘蛛の糸より強いと思うよ。見た目には細く、透き通るような細い糸だけどね」


 ビビがそこまで言い切った瞬間、部屋のドアがノックされる。私が応対に出ると、そこにはティーセットを用意したエミリーが立っていた。


「お茶を用意しました。ビビールェクト様のお好きなハーブ茶です」

「やぁ、アンヌお付きの使用人だね! 君も一緒にどうだい? 君もアンヌの友人なのだろう?」

「いえ、とんでもないです。アンヌ様、御用がお有りでしたら、いつもと同様にベルを鳴らしてくださいませ」


 ティーセットの横には金色のベルが置かれている。これもマジックアイテムで、鳴らしても音は出ず、エミリーの耳にだけ音が届く物だ。


「やぁ、これは風声の鈴だね! 僕の森では作られていなかったけれど、ヤーガタの森の職人がよく作る代物だよ」

「これ、エルフが作ってたんだ。ビビの森では何か作ってたの?」


 ビビは入れられたお茶を一口飲むと笑って言う。


「僕の森には職人らしい職人がいなくてね。元々ズオカの森の者とマナスの森の者とギーフの森の者は霊峰の取り合いをしていざこざが耐えないのさ。それに、マナスの森は広大な木々の海が広がっていてね。入ると二度と出られないと言われている。自ら命を絶とうとする哀れなヒュームを諭し、それでもヒュームとして生きるのを拒み、死を求める者を受け入れているので、その結果生まれる混ざり子……ハーフエルフも多いんだ。ハーフエルフは職人になる者が多いんだけれど、純血のエルフは職人より神官の方が多いのさ。霊峰を信奉する神官になれるのは純血のエルフだけだからね。ズオカの森にはそんなヒュームが訪れることは少ないから、特に排他的で頭の固い神官ばかりだ。そんな森に嫌気が差した僕はヒュームの都に出て学問を学んでいる。だから、エルフの恋人も多いし、その倍以上はヒュームの恋人もいたって訳さ!」


 私はそれを聞いて合点がいった。マナスの森は富士の樹海なのか。いや、それよりも。


「ビビはヒュームの里に降りてどのくらい経つの?」

「三代前の王がご健在だった頃だね。五十年はズオカの里で働きながら言葉を学び、百年くらい前にこのヤマトの都に来たんだけれど、アカデミーが門を開けてくれなくてね。今の王の代になってアンナが十才になった頃、ようやく彼女の援助と後ろ盾でアカデミーに通うことを許された。今はアカデミーの最高学部で学んでいるよ。来年は卒業試験があるから大忙しだけど、彼女は僕の恩人さ! だから、彼女を守るアンヌも僕の恩人でもある。僕はすぐにでもエルフの宰相を定める試験と受けて、選挙に出るつもりだよ。その為に学んでいるのだからね。そして恩義あるアンナを支えたいのさ。だから、アンヌ、君の悩みもどんな些細なものでも払ってあげたいんだ」


 綺麗な顔のビビがにっこりと微笑まれて言うものだから、私は思わず顔を赤くしてしまう。


「アンヌ、僕のアドバイスは君の役に立てたかい?」


 その言葉で我に返り、私は頬をぺちぺちと叩く。ビビは言った。この細い糸は、蜘蛛の糸のように丈夫なのだと。


「……うん、何も不安に思うことはないんだね」

「そうとも! さぁ、君の恋路に乾杯しよう! 歌おうじゃないか!」

「……あはは。じゃあ、歌おうか!」

「お、珍しく乗り気だね! じゃあ、君の故郷の歌を教えておくれ。君の好きな歌を歌おう!」


 言われて、私は自分の故郷を思い出す。もう離れて随分経つ、あの世界。鉄の車が走り、高い建物が立ち並ぶ、こっちより少し汚れた空気の、あの世界。


「……ううん、ルジャの歌を歌おう。私の故郷はルジャなんだって、今はそう思ってるから」

「そうかい? じゃあ、恋の歌を歌おう! 愛を喜ぶ歌があっただろう?」


 そして甘いテノールで歌い出すビビに続くように、私も歌い出す。


 聞こえる? ジャン。ここからオーブルの広間までは少し遠いから難しいかな。でも、聞こえたらいいなって思う。


 私は身が千切れそうなくらい、あなたを愛している。


 ……そんな歌詞には、私の幼い恋心は、多分まだ遠く及ばないけれど、あなたを好きだって気持ちは変わらない。

 蜘蛛の糸みたいに細いつながりだけど、この気持ちが続く限り、糸は千切れない。

 だって、蜘蛛の糸は鉄よりずっと強いんだから。

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