4話 初仕事はドキドキでした
午後、いつもと同じ動きやすいパンツスタイルの服装で、いつもと同じように走っていると、詰め所の近くでルクトォさんと鎧を着た人……――あれは、アンナ様の護衛の騎士団の人だ。私のことも知っている……――が話しているのを見かけた。その時はそれ程気にしていなかったけど、走り終わった私はルクトォさんに呼び止められた。
「アンヌ、初仕事だ」
「仕事?」
鸚鵡返しをしてから、気がついた。……影武者としての仕事なのだ。私の、初めての。
「明日の午前から、アンナ姫がサイタ領に視察と施しに向かう。お前はそれに同行しろとのことだ」
「……同行するだけでいいんですか?」
「何も起こらなけりゃあ、な」
翌日、私は朝からエミリーにいい香りのするハーブ湯に浸からされて、髪を丁寧の梳かれて、アンナ様とおそろいのドレスを着せられて、オーブルが身に着けるなめし革のマントを渡された。ルクトォさんの言葉を思い出す。
「お前はオーブルとして同行しろ。だから、姫とは付かず離れず、このマントを羽織って、ラマトゥの言われたとおりに動け。姫に危険が及んだ時は、ラマトゥがうまいこと陽動してお前さんとすれ代われるように導いてやるように言ってある。初めての仕事なんだ。無理はするなよ」
私は豪華なドレスの上からマントを羽織る。マントは大きすぎるくらいに大きくて、体全部をすっぽりと隠し、ドレスの裾すら見えやしない。顔を隠すようにマスクをつけて、私の準備は完了した。エミリーはそれを不安げな顔で見つめている。
「アンヌ様、どうかご無事で」
「ありがとう、エミリー。私、頑張るね」
控えめなノックの音がして、エミリーが対応に出る。そこに立っていたのは私と同じマントを羽織ったラマトゥだった。
「アンヌ、準備は出来たか?」
「うん、大丈夫」
「じゃあ行こう。俺たちは姫の馬車の後ろについていく施しの食料を詰んだ幌馬車に隠れて移動する。腰が痛くなるから、覚悟しとけ」
「……わかったよ」
ラマトゥの声はいつもより冷たく感じた。これがオーブルとしてのラマトゥの姿なのだろう。確かにずっとこんな態度を取られていたら、アンナ様と理解し合える筈もない。
幌馬車は既に用意されていた。アンナ様の乗る綺麗な馬車も前に用意されている。周囲にはアンナ様をひと目見ようと市民が集まり、それを騎士団の人が遮っていた。
私達は素早く幌馬車に乗り込み、出発の時間を待つ。
「……魔法で転移もできるはずなのに、どうしてわざわざ馬車で移動するの?」
私がラマトゥにそう訊ねる。馬車には大きな鍋や、芋や人参、米なんかが山のようにどっさり置かれていて、私達はその隙間に潜り込むように座っている。私の向かい側に座っていたラマトゥは吐き捨てるように言った。
「王都の人間に見せつける為だ。お優しい姫君はわざわざサイタの田舎の貧民街まで、食事を施しに行かれるような方なんだって示したいんだよ。王の命令さ。あの傲慢な姫君だってまだ、王の言いなりになるしかないんだよ」
「そっか……」
それ以上、私とラマトゥが話すことはなかった。私が話しかけようとしても、ラマトゥは張り詰めた空気を崩さなくて、話しかけることをはばかられた。それから数十分経った頃だろうか。私がマントの下に着ているドレスと同じドレスを着たアンナ様が門から出てきて、歓声が上がった。
「わぁ……、アンナ様、すごい人気だ」
私が思わずそう言うと、ラマトゥがぼそりと言う。
「アンナ王女殿下は国一番の美貌だと評判だからな。……俺はそう思わないが」
「あ、じゃあ私も綺麗だって思われるのかな!?」
「黙ってろ。馬車が動く。下手なお喋りをしてると舌を噛むぞ」
言われたとおり、馬車が動き出すと体をまっすぐ保つことも困難なくらいぐらりと揺れた。
「あ、うわ、ほんと、に、ゆれっ、るね!?」
「姫様の丁寧に整備された馬車と違って、オンボロの荷馬車ならこんなもんだ。こっちは車輪がボロボロだからな」
体が揺れる。倒れそうになるのを必死で堪える。ラマトゥは慣れているのか平然としていた。しばらくはガラガラ音を立てながらもなんとか走っていたが、徐々にスピードを上げていく。そして、大きな石に乗り上げたのか、荷馬車がぐらりと傾いだ。
「ひゃ!?」
私の隣の荷物がぐらりと揺れて、崩れかける。潰されるかと思って身構えたが、ラマトゥが私に覆いかぶさるように荷物を手で支えてくれていた。
「大丈夫か」
「う、うん。大丈夫」
ラマトゥは荷物を支えたまま、体を反転させると私の後ろに座り込んだ。私の体はラマトゥの膝の間にすっぽりと収まり、揺れも少し軽減された気がした。
「これなら多少揺れても大丈夫だろ」
「あ、ありがとう……」
ラマトゥは崩れそうになる野菜の詰まった荷袋を置き直し、私を後ろから抱きしめるように揺れから庇ってくれた。胸が高鳴る。こんなに男の子と近づくなんて、初めての経験だった。恐る恐るラマトゥの顔を伺うが、ラマトゥはなんでもないように荷物を手で抑えている。
……それからしばらく走り続け、どのくらいの時間が経ったのかわからない。ものすごく長かった気がする。ようやく馬車がゆっくり止まり、再び荷物が崩れかけたが、ラマトゥが支えてくれていたのでそんなことにはならなかった。私がそっと外を覗いてみる。けれど、太陽はまだ真上にも登っていなかった。昼の鐘もまだ鳴っていない。
アンナ様の護衛隊である騎士団の人がやってきて、荷物を下ろし始めたので、私達は邪魔にならないように端に寄る。すると、ますますラマトゥとの距離が近くなって、心臓の音が聞こえてしまうのではないかと気が気じゃなかった。荷物が全て下ろされ、ようやく広々とした空間になり、私はようやく心臓の高鳴りから開放された。
「大丈夫か、アンヌ? 息が荒いぞ。疲れたか?」
「だ、大丈夫大丈夫。私達の仕事はこれからだもんね」
「……あぁ、そうだな」
幌馬車に小さくつけられた小窓から、テントが張られ、騎士団の人が手早く調理していくのが見える。その間、アンナ様はボロボロの服を着た人たちと握手を交わし、にっこり笑いかけている。
「……偽善者が」
ラマトゥが言う。
「知ってるか、アンヌ。アンナ姫はああして誰とでも親しく接するけどな、それが終わって城に帰ったら真っ先に風呂へ直行するんだぜ。本心では嫌で嫌で仕方ないのに、やってんだよ。優しく美しい姫君は、王家は、貧民にも平等だってアピールする為にな」
アンナ様は優しい笑顔を崩さないまま、いろいろな人の手を取っていく。
「ラマトゥ。でも、私の世界では言われてたよ。やらない善よりやる偽善だって。ああして、誰か一人のお腹を満たせるのなら、誰かの心を癒せるなら、アンナ様だって立派に仕事してるんじゃないかな……」
それを聞き、ラマトゥは鼻で笑う。
「……かもな。……あぁ、アンヌが本物の姫様なら、あそこに並んでる奴らだってもっと幸せかもしれないな」
「どういう事?」
「……なんでもな……」
ラマトゥの一瞬、目が見開かれた。そして目を閉じてなにかぶつぶつと詠唱すると、こう言った。
「……緊急。オーブル・アンヌよりオーブル・アンナに通達。姫を一旦こちらへ下げさせろ。貧民の列の後ろの方、オーブル・ディディエらしき人間が紛れている」
魔法の念話、という奴だろうか。ラマトゥが目を開くと私に言った。
「アンヌ、お前の仕事だ。マントを脱げ」
「あっ、えっ、は、はい!」
マントを脱ぎながら様子を伺う。遠巻きにアンナ様を見守っていたアンナ様のオーブルから騎士団のひとりへ、そして騎士団の人がアンナ様に何か耳打ちされると、アンナ様は貧民街の皆に申し訳無さそうに手を振ってこちらにゆっくりと歩いてくる。そしてそそくさと幌馬車に乗り込むと、一番奥に置かれた箱を指差した。
「アンヌ。あの箱の中にビスケットが入っていますわ。子供たちに配るお菓子が尽きたから取りに行ってくる、と言って来ました。後はあなたに任せます。私の身代わり、しっかり果たしてくださいまし」
「で、でも、私まだアンナ様の喋り方を真似るなんて……」
慌てる私に、アンナ様は私が脱ぎ捨てたマントを被り、言う。マスクはつけなかった。
「丁寧に喋っていれば大丈夫ですわ。では、私はこれからアンヌとして振る舞わさせていただきます。……相変わらずオーブルのマントは汚いですわね」
不満げにマントの匂いを嗅ぐアンナ様に、ラマトゥが言う。
「我慢なさって下さい、姫君。この手が使えるのは今回ただ一回でしょう。次からは最初からアンヌが施しに回ることになるでしょうから」
「気安く話しかけないで、このトマト男。今日は仕方なく一緒に座ってさしあげるのですから、あしからず」
「……申し訳ありません。これより口をつぐみます」
……二人の間にバチバチと見えない火花が散っているように見えた。私は髪の毛を手櫛で整えてから、ビスケットの詰まった箱を持って、幌馬車を下りる。地面に降りた私にアンナ様が耳打ちした。
「いいこと、アンヌ。子供たちに、欲しがる者にビスケット一枚。笑顔は絶やさないこと。あとは丁寧に喋っていれば大丈夫ですわ。……気をつけて」
「わかりました、アンナ様。……行ってきます」
私は小走りで騎士団の張られたテントに向かう。小さな子供たちがわぁ、と近寄ってきた。笑顔。笑顔を絶やさずに……。
「お待たせして申し訳ありませんでした。さぁ、ビスケットを配ります。たくさんありますから、皆に行き渡りますよ。欲しい子は一列に並んでくださいね」
そして私はビスケットを配っては、子供たちに握手する。笑顔。笑顔を絶やさないように……。
子供たちがビスケットを頬張り、にこにこと笑って食べているのを見ると、それだけで笑顔になれた。……今度は大人を相手にしないと。騎士団が注いだスープの器を受け取っては、大人たちに配って回る。
「熱いので気をつけてください」
「あぁ、姫様はなんとお優しいのでしょう」
「その絹のように艷やかな手に触れてもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
握手をし、スープを配る。その繰り返し。……なかなか疲れる。こんなことを繰り返しているのだから、やっぱりアンナ様は立派な方だ。
やがて、スープが尽きかけた頃、マスクをつけた一際みすぼらしい格好の男の人がそろそろと近寄ってきた。
「お優しい姫様、自分にも一杯、恵んでいただけるでしょうか」
「もちろんです。この方にスープを一杯……」
そう言って背を向けた瞬間だった。男から殺気を感じ、私は咄嗟に男から身を遠ざけた。……この人が、敵のオーブルか!
「ちぃっ、すばしっこい姫様だ」
男の手にはナイフが握られていた。なにか塗られているのか、てらてらと光っている。……もしかして、毒? かすりでもしたら、危なかった。周囲に悲鳴が木霊し、民衆は散り散りになっていった。
「騎士団、姫を護衛しろ!」
指揮官であろう年重の騎士の号令で私は後ろに控えさせられる。しかし、次の瞬間。
「んむっ……!!」
何者かに口を抑えらた。敵のオーブルはひとりじゃなかった。アンナ様のオーブルも気が付かなかったらしい。背後から狙っていたもうひとりのオーブルの手で口に布が当てられる。不思議な匂いがする。薬だろうか? 私は慌てて呼吸を止めて、膝を高く掲げて地面を踏みつけ、体をひねると背後の男に向かって足を振り抜く。肉の裂ける感覚が足に伝わってきた。それでオーブルは怯んだのか、私から身を離す。
「ちっ、護身を習いやがったか!!」
私は地面を蹴ってその場を離れる。騎士団が周囲を囲って、剣を抜いた。
「姫様に傷を負わそうとする、ならず者め! この我らの剣の錆になりたいか!」
敵のオーブルたちは即座に捕らえられた。私はそのまま綺麗な馬車に連れて行かれそうになる。いけない。アンナ様をあのボロボロの馬車で帰すなんて出来ない。戻らないと……!
「ま、待ってくださいませ。私、荷馬車にビスケットを取りに行った時にハンカチを落としてしまったようなのです。取りに行かせてくださいませ」
「そのようなもの、我々が取りに向かいます」
騎士のひとりにそう言われ、私は慌てて荷馬車に戻る言い訳を探す。
「お、お父さんに貰った大事なもの……なので、人に触ってもらいたくな……くてですわ!」
しどろもどろにそう言って、騎士団からすり抜けて逃げ出し、慌てて幌馬車に戻った。中では心配そうなアンナ様と、ラマトゥが待っていた。
「アンヌ、大丈夫でして?」
「アンヌ、大丈夫か?」
アンナ様とラマトゥは同時にそう言い、お互い睨み合う。私は幌馬車に乗り込み、ふたりの間に座って息を整える。
「どうしよう、アンナ様。私、最後、変な言い方してきちゃったかもしれない……!」
それを聞き、アンナ様はマントを脱ぎ、青ざめた私の頬を撫でて言う。
「そんなもの、なんてことありませんわ。ありがとう、アンヌ。ご苦労さまでした。こちらに来る言い訳は、なんて言ってきましたの?」
「お父さんから貰った大事なハンカチを落としたって……」
「わかりました。話は合わせておきます。では、私はあちらの馬車に戻りますわね」
そう言ってアンナ様は荷馬車を下りると、すたすたと馬車に向かって歩いていく。なにやら騎士団の人と話をしていたが、やがて馬車に乗り込んだ。それを見届けると、私はどっと疲れが出て、ぜぇぜぇと肩で息をした。
「ご苦労だったな、アンヌ。……大丈夫か?」
「だ、だいじょう……ぶ。でも、は、初めて人を傷つけて……、びっくりして……、怖くて……」
呼吸の為の肩の上下は、いつの間にか震えに変わっていた。それを見て、ラマトゥはマントを羽織らせて抱きしめてくれる。
「……大丈夫だ。そのうち慣れる」
「……それも、嫌だなぁ……」
「……そうだよな。……お前は普通の女の子だもんな。……疲れただろう。ゆっくり休め」
配給に使われた鍋が積まれ、幌馬車が走り出しても、ラマトゥは私の身を隠すように抱きしめたままだった。
ラマトゥの腕の中はただ暖かくて、私は堪えていた涙を隠せなくなり、声を殺し、ひたすら泣いた。
それでも、ラマトゥは私を抱きしめてくれたままだった。
私の初めての仕事は、こうして終わった。