3話 同じ顔のお姫様は高飛車な人でした
午前は勉強。午後はオーブルの訓練場でランニングと、ラマトゥに教わりながらの蹴り技の訓練。そんな日々を続けている。
ラマトゥとも随分話をするようになってた。でも、ラマトゥは決まって私とアンナ姫を比べるような事を言う。
「姫君も俺達の護衛対象ではある。けど、俺はあの方にあまりいい感情は持てないな。高飛車で、傲慢で、俺のことだって嫌ってる。歪な顔のトマト男だってな」
いつだったかの休憩の時に、私に水をくれながら不満そうに、そんなことを言っていた。
こちらに来て二週間が経とうとしていたある日、アンナ姫が食堂で昼食を取っていたので、仮の自室でとされている客間で昼食を食べていた私にエミリーが言った。
「アンヌ様、今日の午後はお部屋で待機なさっているように、とアンナ姫からの言いつけがあるのです。なので、そのようになさっていて下さい」
私は食べていたサンドイッチを思わず落としそうになる。アンナ姫と会うのは、あの、私がこちらに来た時以来のことだった。
「……な、なんで?」
私が思わずそう言うと、エミリーも首を傾げた。
「私は姫様のお付きの執事長から言付けをされただけなので……。ですが、アンヌ様はアンナ姫の影なのですから、その件について何かお話があるのでは?」
そうだった。私はアンナ姫の影武者としてこの城に置かれているだけなのだった。改めて自分の役割を突きつけられた気持ちになって、少し気分が落ち込む。
「……アンナ姫、怖い人?」
「私もあまりお目通りしたことがないので……。お立場もあり、職務以外では堂々と表には出られない方ですから」
「そっか……」
ここに来た日の事を思い出す。アンナ姫は何者かに追い詰められていた。多分、アンナ姫には敵が多いのだろう。それが立場のせいなのか、なんなのかは知らないけれど……。だって、私はこの国の政治についてはまだ何も教わっていないのだ。
食事を終え、私はコーム先生がくれた本を読みながら待っていた。突如、カツカツと乱暴な足音が聞こえたかと思うと、ノックもなくドアが開かれた。そこに立っていたのは、私とよく似た顔、よく似た姿、しかし、絢爛豪華なドレスに身に纏ったこの国の姫君――……アンナだった。それを追って、数人のメイドも入ってくる。
「お久しぶりね、ミス・アンナ……いえ、アンヌ。もうひとりの私。そろそろ礼儀作法も身についたと聞いて、私自ら訪れてさしあげましたわ。……あら、随分子供っぽい本を読んでらっしゃるのね? そんな本、私は六才の頃に読み終わりましてよ?」
……まくし立てられ、私は唖然としてしまった。姫の言ったとおりに、私が読んでいるのは文字の簡単な子供向けの民話集だ。私は我を取り戻すと、咄嗟に騎士敬礼を取る。
「あ、アンナ様。本日は……ええと、ご足労させて申し訳ありませんでした。姫様の護衛をさせて頂く、アンヌです」
アンナ姫は手を私に翳し、騎士敬礼を解かせる。そして不敵に笑い、言う。
「立場を弁えていらっしゃるようで結構。ですが、そこまで畏まることはなくってよ、アンヌ。あなたは神が私に与えてくれた貢物なのですから。皆もよくお聞き。彼女には私と相当の待遇を与えること。影と言えど、私の代理でもあるのですからね」
そう言い、姫は私の座った椅子の向かい側の椅子の側に立つ。するとメイドたちは素早くその椅子を引き、姫のドレスを恭しく少し持ち上げ、座りやすいように整えた。姫はさも当たり前かのように椅子の前に立つ。そして椅子を前に押されるのと同時に静かに着席した。その動作全てが洗練されていて、まるで儀式めいたものすら感じる。
そして姫は手を叩き、メイドにティーセットを一式用意させると、優雅に入れられた紅茶を口にした。私の前にも紅茶が注がれ、ゆらゆら揺れる赤いお茶から立ち上る湯気の香りにまたも呆然としてしまう。全てが一瞬の出来事のようだった。そして姫がメイドたちを部屋の外に出るように告げると、私と姫のふたりきりになってしまった。
「さて、アンヌ。ここからはふたりきりの内緒話よ。あなたには、何故私が命を狙われているのか知っていてもらわないといけませんわ。そうでないと、あなただって死に損になってしまいかねないですもの」
「は、はい」
私は畏まって背筋を伸ばす。反対に姫は肘をテーブルに付き、スプーンでティーカップの縁を撫でるように紅茶をかき混ぜていた。それすら絵画のように絵になるのだから、やはりこの人は自分とは違う、高貴な人なのだと思ってしまう。
「アンヌ。私はこの国の第一王位後継者。現国王の血を引く、唯一の存在。でも、それを快く思わない人間も多いの。私が女だから、王位を女が継ぐなんてとんでもないと思う人間が多いのよ。例えば、第二王位後継者である叔父様だとかね」
少し砕けた口調で姫は語りだす。私も疑問を口にした。
「……姫には、ご兄弟はいらっしゃらないのですか?」
「えぇ。父には前の妻……前王妃の間にも子はできなかったのよ。前王妃は肺の病で亡くなったわ。それで、今の若い王妃……私のお母様ね。お母様を妻に娶った。そして、一年後、お父様が五十一の時に私が生まれたの。でも、お父様にはもうそれ以上、子供を作る能力は備わっていなかった。……衰えてしまったのね。だから、お父様の血を引くのは、私ひとり。それでも母に疑いの目を向ける者も多かった。愛人を作って、その愛人との子が私なんじゃないかと言う噂も立っていたみたいね」
「そんな……!?」
私が思わず立ち上がると、姫は私をちらりと見る。まるで睨まれているように感じて、言葉が引っ込んでしまった。おとなしく座り直すと、姫は紅茶をまた一口飲み、言う。
「えぇ、そんな事ありえない。父と母は確かに年が離れているけれど、私から見ても、母が愛しているのは父ひとりよ。愛人なんて影も形もないのに、不貞なんて働くはずもない。それに、私は王家の血を継ぐ者しか使えない、特殊な魔法も使えるもの。これは立派な証よ」
……そんな魔法もあるのか。私が唾を飲むのを見て、姫はいたずらっぽく笑った。
「これは血に刻まれた魔法。王家の証であると示す為だけの魔法。見てらっしゃい」
そう言うと、姫は懐に仕舞ってあった小さなナイフで小指を少し切りつけた。一雫の血が滴るが、それはどこを汚す訳でもなく、空中に留まったまま、何か小さな図形を描き出す。血が描いたのは三本足の鳥が太陽を握っている姿だった。
「これが王家の紋章よ。王の血を継ぐ者しか、この魔法は使えない」
「……サッカーの、日本代表のマークみたい」
「あら、見覚えがあって?」
「あ、はい。スポーツの大会の、私の国の紋章に似てるなって……」
私がそう言うと、姫はつまらなさそうにカップの縁を撫でながら呟く。
「あら、この国の紋章がそんなものに似ているの? やっぱり私の世界とあなたの世界はどこかで繋がっているのかもしれないわね。これからも見覚えのあるものがあるかもしれないわ。けれど、今みたいに驚いた顔をしてはいけなくてよ。あなたはこの国の姫なのだから、何があっても当然であるように振る舞わないと」
「あ、は、はい。そうですね……」
そう私に釘を刺しながら姫が空中に描かれた図形を握りつぶすと、血は霧のように散り、再びその指先の傷口に吸収されていった。そして姫は甘いクリームでも舐め取るように、傷ついた指を口に運ぶ。
「あなたがどんなに努力しても、この魔法だけは使えない。そもそも、各国の首脳が集うような場面で王家であると自分の身分を証明する為に使うだけの魔法だから、あなたが使う必要はなくてよ。……でも、王位を継承する儀式を行えば、使えるようになる。この世界はそういう風になっているのよ。だから、叔父は私が疎ましいの。あなたが空中から落ちてきたあの日、私を追い詰めていたのも叔父が使うオーブルよ。湯浴みの直前、メイドが支度をしている間の、私がひとりになった瞬間を狙われたの」
「そうだったんですか……」
「これからも私は狙われ続けるでしょうね。でも、同じ顔の人間がふたりいれば、どちらを狙えばいいかわからなくなる。だから、私はあなたをこの城に留めるように言ったの。神が私が王になれるように、このそっくりな女の子を使わせたのだと思ったわ」
姫はそこまで言い切ると、口直しと言わんばかりに、少し冷めた紅茶をまた一口飲む。
「……本当に、そうなのかもしれません。私がこっちに来る直前、なにかに追われていると感じたんです。何かに殺されるって」
「……あなたがどこの世界から来たのかなんて興味はないわ。けれど、その瞬間、あなたの意識と私の意識がシンクロしていたのかもしれないわね」
「……多分、そうなのだと思います」
俯いて言う私に、姫は鬱陶しそうに手を振って暗い空気を払うような仕草をする。そして、話を元に戻した。
「……まぁ、そんなことはどうだっていいわ。そんな訳で、私は命を狙われているの。お父様ももうご高齢だし、叔父も焦っているのかもしれないわ。私が王位を継いでしまえば、王の命を狙ったと言われるだけでどんな身分の者だって死罪は免れないもの。爵位を持つ叔父には秘密裏にでも殺すなら今しかチャンスはないの。だから、アンヌ。私を守って。私が王になるその日まで」
姫は私の手を取った。その手は少し冷たく、震えている。
……怖いのだろう。そりゃあ、命を脅かされる日々なんて、怖いに決まっている。どんなに気丈に振る舞っていたって、彼女だって十二才の女の子なのだ。私が知らない世界で不安なように、彼女もいつ殺されるかわからない状況に怯えている。
……私はこの時初めて決心した。手を強く握り返し、強い口調で言う。
「……アンナ様。私にどれだけのことが出来るかわかりません。でも、あなたの身に危険が迫ったら、その時は誰かにこっそり、足の速くなる魔法をかけてもらって下さい。そして私の所へ急いで来て下さい。もしも今後私の存在が公になれば……私には足の速さしか取り柄はありませんから、足の速い姫がいれば、それは私だと勘違いされるはずです」
私がそう言うと、姫は少し不満げに言った。
「何故私があなたに合わせなくてはいけないの?」
「私は足の遅いふりをします。演技には自信はないですが、頑張って姫であるように振る舞います。そして、相手が私を姫だと勘違いして狙ってくれれば……」
私はドレスの裾を少し持ち上げた。そこにはあのマジックアイテムであるブーツが履かれている。長いドレスの裾の奥に隠された、私の武器であるブーツ。
「……これで、その者を撃退しましょう。その為に、私はオーブルに入ったのですから」
笑って言う私に、姫もぎこちなく、少しだけ笑った。
「じゃあ、これからは毎日ドレスも揃いのものにしなくてはいけないわね。私、そんな質素なドレスは好きじゃありませんもの。それに髪は綺麗に整えること。乱暴にくくったりして傷めないように。この国では流れるように黒く、長い、真っ直ぐの髪が美とされているの。私やあなたみたいなね」
「……私も豪華なドレスなんて慣れませんが、姫を守れるのなら、従います。私は姫の影なのですから」
姫は私の手を両手で握る。私も握り返した。儀式のように、アンナ様が呟く。
「自己紹介をちゃんとしていなかったわ。私はアンナ。アンナ・エトワル・ルジャース。この国を導く存在。あなたは?」
「私は平田安奈。こちらではアンヌと呼ばれています。この国を導くアンナ様を守る為に、この世界に呼ばれた存在です」
「……これから、よろしくお願いしますわ、アンヌ」
「はい、アンナ様」
私ともうひとりの私は、私達だけの誓いを立てた。そして、小さく笑い合う。いたずらの約束をした幼い子供のように。
そして、アンナ様は毅然とした態度を取り戻すと、小さく息を零して言う。
「紅茶がすっかり冷めてしまったわ。入れ直させましょう」
そう言って、アンナ様は手を叩く。また、メイドたちが入ってきた。冷めた紅茶を下げさせ、新しいカップに紅茶を注がせる。
「そういえば、アンヌ。あなたにも護衛をつけなくてはならないわね」
「あ、ご心配には及びません。もう、オーブルの方が護衛になってくれているので」
「あら、そうでしたの。どんな方?」
「赤茶の髪の毛の、男の人です。左側に長い髪を流した……」
そこまで言うと、アンナ様は呆れたような口調でこう吐き捨てた。
「あら、あのトマト男があなたの護衛なの? まぁ、見てくれはともかく、腕は確かですものね。せいぜい上手に扱いなさいな。ですけれど、私の前にはあまり見せないでくださいまし。私、醜いものを見ると鳥肌が立ちますの」
……今日、私は少しだけ、アンナ様と打ち解けられたような気がした。
けれど……ラマトゥの言うことも間違ってはいないらしい。
アンナ様は高飛車で、傲慢。でも、そう振る舞っているだけのような気がした。……ラマトゥのことを嫌っているのは事実みたいだけれど。
邪険に思い合う二人の感情の間で、私は苦笑いしか返すことしか出来なかった。
新しく入れられた紅茶を、自分も口に運ぶ。香りは良いのに苦く感じたのは、多分飲み慣れていないせいだろう。少しだけ眉をしかめて慌てて砂糖を入れる私を、アンナ様はおかしそうに笑った。