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2話 トマト顔の先輩ができました

 こちらに来てから一週間経った。私の世界では私の捜索が行われているのだろうか。それとも時間が止まっているのだろうか。

 どちらにせよ、こちらの世界に来て、目が覚めても夢なんかじゃなくて、城の離れにある客間で生活すること一週間。みっちり勉強漬けだった私はどうにか言葉を普通程度には喋られるようになって、敬語や良くない言葉遣いも聞き分けられるようになった。

 この世界のこともだいたいわかった。

 この国の名前はルジャということ、世界地図は私の世界と同じで、ルジャは日本と同じ場所にある島国であること、この世界には魔法(マジー)があることを知った。

 ……だから科学がそれほど発展していないのだ。科学が必要とされていないから。

 それでも科学を研究する人もいるけど、貴族の道楽だったりする学問なのだと聞かされた。確かに、科学なんかより魔法の方がずっと便利だ。


「……では、今日はここまでです。お疲れ様でした、アンヌさん」

「はい……」


 いつからか、私は『アンヌ』と呼ばれるようになっていた。お姫様のアンナが「同じ顔のアンナがふたりもいると紛らわしい」と言ったから、その区別の為らしい。

 ……物書きを教わるようになり、数字と簡単な読み書きもどうにかこうにか出来るようになったその日。普段は街の中心部にある大きな教会の夕方の鐘が鳴るまでみっちり勉強させるコーム先生が、その日は昼の鐘が鳴って切り上げた。

 初めは無骨で怖いと思っていたコーム先生だけど、聞き慣れると丁寧な言葉遣いで教えてくれていた事がわかった。それを告げると、コーム先生は少し恥じらったように笑い、「私はずっとこうしゃべっていましたよ。あなたに単語を教えていた時は簡単な言葉しか使っていなかったので、そう見えたかもしれませんね」と言った。


「コーム先生、今日は随分早く終わりなんですね」

「えぇ、今日から午後は別の勉強をしてもらうので」

「別の勉強……ですか?」


 教科書代わりの本を片付けながら、コーム先生は言う。


「はい。アンヌさんは姫君の影となる為に神に使わされたのですから、今日から午後は『オーブル』で戦闘訓練を行ってもらいます」

「せ、戦闘ですか!?」

「せっかくの使いがあっさり殺されては勿体ないから、護身に、と姫君が仰られました。頑張って下さい」


 狼狽える私を見て、コーム先生は不思議そうにそう言った。帰ろうとする先生の服の裾を掴んで引き止め、更に訊ねる。


「ま、待って下さい。オーブルとはなんですか?」

「……あぁ、教えていませんでしたね。この国家を守る、騎士団と同じですが……少し違う隠し組織……ええと、なんと言えばいいのでしょうね。あまり綺麗ではない仕事をする組織の名前です」

「綺麗じゃない……? こ、殺しとか、そういう……?」

「そうですね、公にできない殺しをしたりもします。ですが、騎士団よりも優秀な人間が多いですから、あなたもオーブルに入ることになるでしょう」


 手から力が抜けた。……オーブル。人を秘密裏に殺す組織。つまり、暗殺集団。その組織に、私も入る? 人を殴ったこともない私が?

 コーム先生が立ち去っても、私はその場を動けなかった。控えめなノックが聞こえてくる。


「アンヌ様、昼食の準備が整いました。今お持ちしましょうか? アンナ姫は自室で取られましたので、食堂に向かいますか?」


 私の世話係のメイドさんのエミリーの声だ。しかし、私は動けない。反応がないことに訝しんだのか、エミリーがドアを開けて私の顔を見ると、血相を変えて飛んできた。うずくまって動けない私の肩を掴み、頬を優しく撫でてくる。


「アンヌ様、どうされたのですか? 顔色が真っ青ですよ!? どこか体調が悪いのですか? お医者様を……」

「大丈夫。……大丈夫だよ、エミリー」


 エミリーは十六才で、比較的年も近い。いつからか、私はエミリーを友人のように思っていて、エミリーも恐縮しながらも、それを許してくれた。食堂に向かう最中、エミリーにぽつりぽつりと事情を話すと、エミリーも少し暗い顔をして言った。


「そうでしたか、オーブルに……。ですが、アンヌ様の立場を考えるのなら、仕方ないのかもしれませんね……」

「私も人を殺さなきゃいけないのかな……」

「……窮地に立たされれば、そうしないといけない場面もあるかもしれません。ですが、アンヌ様はアンナ姫の代理として危険な場所に行かなければいけないのですから、それこそオーブルの護衛が付くと思いますよ? ですから、大丈夫ですよ」

「そうかな……?」

「はい。私はオーブルには詳しくないですが……いい先生に教えてもらえるようになればいいですね」


 食事は豪華なものではなく、簡単なものに変えてくれた。今の私には、お米をゆっくりと煮詰めたお粥を一杯と、保存食の漬物を食べるのが精一杯だった。


 そして、午後。私が用意された運動できる服に着替え、自分に与えられた部屋で待っていると、乱雑なノックの音がして、思わず飛び上がった。


「は、はい!?」


 ひっくり返った声で応対すると、扉の向こうからまだ若そうな男の人の声が聞こえてくる。


「オーブルの者だ。これから訓練を行う。動きやすい格好をして出てこい」


 ぶっきらぼうに言われ、私は恐る恐るドアを開ける。そこには私よりも随分背の高い、首を隠す程度の長さの赤茶の髪と同じくらい長い前髪で顔の左半分を隠した男の人が立っていた。じろりと見下され、思わず体が硬直する。……半分しかわからないけど、目鼻立ちのはっきりした、格好良い男の人だと思った。胸が少しドキドキする。私が見とれているのを知ってか知らずか、男の人は呟くように言った。


「……本当にそっくりだな、姫君に」

「……あ、あの。私は……」

「アンナだろう? アンヌの方の」

「は、はい。よろしくお願いします……。あなたが、先生ですか?」

「知らねぇ。呼んでこいって言われただけだ。行くぞ。こっちだ」


 男の人は名乗ろうともせずにずんずん進んでいく。私は置いていかれてはたまらないと慌ててそれを追った。


 連れてこられたのは誰も普段来ないような城の裏側の薄暗い廊下の先にある、小さなグラウンド程度の広さの中庭のような場所だった。訓練用であろう、木偶人形や、暗器らしい刃物なんかが落ちていて、ぞっとした。砂地の広場の中心に、短い髪で頬に傷のある細身の体格の男の人が立っている。……三十才になるか、ならないかという年だろうか。


「来たか、神の使いさんとやら」


 男の人がにっと笑うと、頬の傷も引き攣れるように歪む。


「……そんな、すごい人間じゃないですけど、そう呼ばれています」

「ジョークだ、アンヌ嬢。俺はルクトォと呼ばれてる。一応、オーブルのリーダーだ。アンタの上役になるんだろうな」

ナイフ(ルクトォ)、ですか?」


 私が不思議そうに言うと、彼はけらけらとおかしそうに笑って言う。


秘密の名前(コードネーム)って奴だ。ここじゃ本名を明かす人間の方が少ないんでね。あんたがアンヌって呼ばれてるのと同じさ、アンナさん。ルクトォと名乗るのはリーダーの習慣で、俺は五年前にルクトォって呼ばれるようになったんだがね。さあ、ご苦労だったな、ラマトゥ。お前は詰め所で待ってな」


 そう言われると、ラマトゥと呼ばれた私をここまで案内してくれた人は両肩に交差するように拳をつけてぺこりと頭を下げた。そして入り口付近に建てられた粗末な小屋に入っていった。あれが『詰め所』らしい。


トマト(ラマトゥ)……が、あの人のコードネームですか?」


 私が呟くように言うと、ルクトォさんが言った。


「あいつは元は孤児でな。生まれもわからねぇ。髪の色も黒じゃないだろう? 混ざり子なのかもしれねぇが、それも定かじゃねぇ。三つかそこらの頃にここに寄越されて、初めから人を殺す為に育てられた。元々は教会の孤児院にいたそうだが、乱暴すぎて手に負えねぇってな。あいつの髪の下の顔を見たか? そこには潰れたトマトみたいに真っ赤な痣がある。それを誂われる度に暴れてたんだとよ。だから、ここでもそう呼ばれてるんだ。ラマトゥ(トマト野郎)ってな」

「そうなんですか……」


 私の世界でも、そんな痣のある人がいた。レーザー手術なんかで治したりするらしいけれど、ここではそこまで大掛かりな外科手術はできないのかもしれない。魔法で隠すこともできるのかもしれないけれど、それを続けるのも困難なのだろう。魔法は使い続けると気絶してしまうのだと教わった。


「さて、じゃあお嬢ちゃんの得意な殺しがなにか見定めようか」


 ルクトォさんはそう言うと、私にナイフを投げさせたり、木刀を持たせて振るわせたりした。けれど、どれもうまくできない。ナイフはまず的に届かないし、木刀には振り回されてしまう。


「んー……。お前さん、何にもできねぇんだな。本当に神様の贈り物か?」

「だから……そんな……すごいものじゃないんですってば……」


 息も絶え絶えにそう言うと、ルクトォさんは肩をすくめる。


「まぁ、いい。何も出来ないんだったら、基礎訓練からだ。まず、この広間を五十周、走ってこい」

「は、はい……」


 言われるまま、私は肩の痛みを堪えながらふらふらと丸くラインの引かれた位置に立つ。あぁ、やっと慣れたことをさせてもらえる。

 私は強く足を踏み込み、走り出す。くくってもいないから、髪が靡いて邪魔だ。でも、走ることならいくらだってできる。


 それをぼんやりと見ていたルクトォさんはやがて目を丸くする。少し息切れをさせ、五十周走り終えるとルクトォさんの所へ歩いていく。


「何もできねぇ、って訳じゃねぇらしいな。この広場を五十周っていやぁ、懲罰で走らされる距離だぞ? しかも、うちのメンバーよりずっと速い」

「そう、なんですか?」


 私が肩で汗を拭い、そう言うと、ルクトォさんは言った。


「何周目からか数えていたが、一周だいたい三十秒ってところか。お前さんの才能はその足らしいな。……なら、……ラマトゥ!」


 広間の片隅にある小さな小屋からラマトゥさんが顔を出す。


「この嬢ちゃんに靴をやんな」

「……あの靴ですか?」

「使い方も教えてやれ。この子にゃそれで事足りる」

「俺が?」

「お前の方が先に居るんだからな。しっかり面倒見てやんな」

「……はい」


 そう言うと、ルクトォさんは私の肩をぽんと叩く。


「あとはあいつに教わるといい。足を鈍らせるなよ。午後は好きなだけここで走ればいい。夕方の鐘が鳴るまでなら、自由に使え」

「は、はい」


 ラマトゥさんは詰め所に戻ると、ブーツを一足持ってこちらにやってくる。入れ違いにルクトォさんは詰め所に入っていった。


「ほら、今の靴を脱いで、こいつを履け」

「は、はい」


 ブーツは大きくてぶかぶかだったが、私が履くと肌に沿うようにぴったりの大きさになった。


「すごい! マジックアイテムですか?」

「あぁ。強く地面を踏みつけてみろ」


 言われるままに、たん、と地面を踏みつける。しかし、何も起こらない。


「もっとだ。膝を高く上げて、地面を踏み殺すつもりでやれ。できなかったら、ジャンプしてもいい」

「は、はい!」


 私は今度は右膝を高く、大きく上げ、だん、と強く地面を踏みつけた。同時に右足の裏に衝撃が走る。驚いて足を持ち上げて靴の裏を見ると、靴底に半透明の剣山のような針がたくさん出ていた。


「それは蹴り技の時に使う靴。強烈な衝撃を受けると肉だけを裂く魔法の針が飛び出る仕組みになっている。強く蹴れば、その分相手にダメージが強く出る」

「へぇ……!」

「全速力で走る程度じゃ針は出ない。強く全面に力がかかると、針が出る。針を出したかったら平面で蹴れ。地面や自然物には害はない。体温のあるものだけを傷つける」

「なるほど、だからジャンプでもいいんですね!」

「もう一度同じ衝撃を与えれば針は引っ込む。やってみろ」


 今度は右足だけでジャンプしてみた。地面に着地すると、針はなにもなかったように消え失せていた。底になにか仕掛けがあるようには見えない。あえて言えば、ソールに魔法陣のようなものが彫られていることだろうか。私が感心して何度もジャンプして針を出したり引っ込めたりしていると、微かな笑い声が聞こえてきた。


「ラマトゥさん?」


 私が不思議そうにラマトゥさんを見上げると、口元に手を当てて笑いを堪えていた。


「……悪い。お前があんまり素直そうに反応するもんだから……」

「だって、不思議なんですもん!」

「そうか……」


 とうとう堪えきれなくなったのか、くっくっくと声がこぼれてくる。屈んだ顔の向こう側、髪に隠れた左側にちらりと浮腫んだような赤い痣が見えた。ひとしきり笑って気が済んだのか、目尻に溜まった涙を拭い、ラマトゥさんは言った。


「……お前は、あのお姫様と随分違うな。あのお姫様みたいに、もっと高慢ちきで、嫌な女かと思っていた」

「当たり前じゃないですか。私、お姫様なんかじゃないですもん。……お姫様、そんな人なんですか?」

「そうだな。少なくとも俺達みたいな人間に対してはそうだと思うぜ。ともかく、愛想の無い態度ですまなかった、アンヌ」

「いいですよ。気にしてないですから」


 詰め所からルクトォさんが出てきて、ニヤニヤと笑いながらこっちに歩いてくる。


「気は済んだか、お二人さん?」


 ルクトォさんがそう言うと、ラマトゥさんはバツが悪そうに顔を伏せる。


「ラマトゥ。お前には今任務は与えられていなかったな?」

「はい」

「お前に任務を与える。アンナ姫の影である、アンヌ嬢の護衛だ。やれるな?」

「……命令とあらば」


 そして、再びあの不思議な敬礼のようなポーズを取る。


「よし。じゃあ、アンヌ」

「は、はい!」


 ルクトォさんがこちらを見て、言う。


「お前も今日からオーブルの一員だ。騎士敬礼を覚えろ。両肩に交差するように拳を付け、頭を下げる。首を晒して、自分に害はないと証明するんだ。出来るか?」

「は、はい!」


 私は慌ててラマトゥさんの真似をして両肩に拳を交差させて当て、お辞儀をした。長い髪が横に垂れる。


「それでいい。姫君の前でもそれを忘れるな。騎士敬礼は守る盾であり、剣である印だ。じゃあ、今日はこれで解散。訓練するなり、おしゃべりするなり、好きにしな」


 そして、笑いながら詰め所に戻っていった。

 それを見送り、私は思わずその場にへたり込む。それを見て、慌てたラマトゥさんが私の背中をさすってくれる。


「大丈夫か、アンヌ。疲れたか?」

「ううん……気が抜けただけ。オーブルの人、あまり怖い人じゃなくてよかった……」

「隊長はあれでも仕事となると人が変わったように冷酷になれる人だぞ。だからルクトォを名乗ることを許されているんだよ」

「……でしょうけど……いい人だと思いますよ」

「あぁ、俺もそう思うよ。……それと」

「はい?」

「俺のことはラマトゥで構わない。同僚なんだから」

「でも、私の方が後から来たのに。それに、年だって下ですよね?」

「そんなに変わらないさ。お前は姫と同じ、十二だろう? 俺は十五だ。だから、もっと気楽に話してくれていい。その方が俺も嬉しいし、気が楽だしな」

「……わかったよ。よろしく、ラマトゥ」

「よろしくな、アンヌ」


 ラマトゥはそう言って右手を出してきた。恐る恐る、その手を同じ手で握る。こちらにも握手の文化があるのか。


「これは信頼の証だよ。覚えておけ」

「これは、私の世界と同じだね。信頼の証」


 そう言うと、ラマトゥは少しきょとんとしていたが、優しい笑みを見せてくれた。そして、そのまま手の握り方を変えると、手を引かれて立ち上がらせてくれた。


 ……ラマトゥは言われるほど乱暴な人じゃない。

 何故か、顔を隠す髪が靡き、(あら)わになった左側を覆う赤い痣に潰された笑顔を見た時に確信した。

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