表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/19

18話 愛の形はたくさんあるそうです

 アンナ様とジュール様の婚約の報道はあっという間にルジャの各地に伝わり、毎日のように祝福の手紙が届く。アンナ様はその一通一通に魔法で印字された定型文の書かれた返信ハガキにサインをしていく。それを見ながら私はぼんやりと言った。


「その定型文、全部魔法で写し取ったんですよね。でも、サインは自分でしなきゃいけないんですね……」


 アンナ様は立派な鷹の尾羽根で作られた高級な羽根ペンを置き、傍らに置かれた冷めた紅茶を飲み、言う。


「そのくらいの誠意は見せなくてはいけませんわ。これは各地の領主様や貴族の方、それにエルフやドワーフ、ハーフリングの宰相の方から届いたものへのお返事ですもの。失礼があってはいけないでしょう?」

「そうですけど……」


 そこまで言って気がついた。エルフの宰相……ビビからも手紙が届いているのだ。けれど、アンナ様はそれにも事務的に魔法で印字された手紙にサインを済ませるだけ。


 ……ビビはどう思っているんだろう。アンナ様が結婚することを。もう心変わりしたと思っているのだろうか。それでも、顔を合わせれば魂の色で恋心は隠せない。


「……ビビ、なんて書いてたんですか。手紙に」

「手紙なんて立派なものじゃありませんでしたわよ。ドライフラワーの花束に小さなメッセージカードがついていただけ。ただ一言、『おめでとう』と」

「そうですか……」


 ビビはきっと、これまでもこうして何度も恋に敗れてきたのだろう。けれど、ビビは優しい人だから、それを責めることもない。……けれど、ビビの気持ちは? 私はその時初めてビビがアンナ様をどう思っているのか知らないことに気がついた。


「アンナ様、少し席を外してもいいでしょうか?」


 アンナ様は再びハガキのサインに取り掛かり、インクのついたペンを小さく振る。


「護衛なら騎士団がいるから構わなくてよ。あのトマト男にでも会いに行かれるのかしら?」

「違います!」


 クスクス笑うアンナ様を見ていると、恋心なんてもう吹っ切ったようにも見えた。けれど、これは魂の色が見えない私だからだ。ビビが見たらそうじゃないと一目瞭然だろう。私は長い廊下を歩き、小さな塔を登っていく。その先にあるのは、魔法使い達が集う魔法による通信所だった。


「アンナ……いや、アンヌ様ですか? どうされたのです、こんな埃臭い場所に」


 塔の外で煙草を吸っていた魔法使いの青年に驚いた顔で言われ、私はぺこりと礼をする。確かにここに来るのは連絡を頼まれたメイドばかりで、仮にもアンナ様の妹姫でもある私が来るような場所ではない。


「ズオカの森のビビに通信をとってもらいたいんです。アンヌから秘密の話があるから、時間があれば城に来てもらいたいって伝えて下さい」

「わかりました、ズオカの森のビビールェクト宰相ですね。すぐに連絡をさせておきます」

「お願いします」


 この世界の連絡手段は、手紙と魔法による念話。距離が遠いと念話が届かないので、各地に常駐する専門の魔法使いたちが通信魔法を使ってくれる。秘密の話はなかなか出来ない不便さはあるが、この世界に来て六年以上が経とうとしている今となってはもう慣れたものだった。


 数日後、「今日こちらに来る」と連絡の返事を貰えた私は、相変わらずサインに追われるアンナ様の目を盗んで休憩と称して自室に籠もり、待っていた。

 私の部屋のドアがノックされる。ドアを開けるとエミリーがビビを連れて立っていた。


「アンヌ様、ビビ様をお連れしました」

「ありがとう、エミリー。お茶はいいから、下がってもいいよ」

「わかりました。何かありましたらベルを鳴らして下さい」


 そう言ってエミリーはアンナ様の部屋を通り抜け、出ていく。


「やぁやぁ、アンヌ! 突然の連絡に驚いたよ! 僕に秘密の話っていうのはなんだい? アンナには聞かせられないことなのだから、さぞ重要なことなのだろう?」

「うん、とりあえず部屋に入って。なんのお構いもできないけど」

「あぁ、失礼させてもらうよ!」


 ビビは相変わらず芝居かかった大げさな仕草で椅子に腰掛ける。私もそれに続いて椅子に座った。


「それでね、ビビ。話なんだけど……」


 私が切り出す前にビビは私の目の前で指を立てて横に振る。


「ノン、ノン。言われなくても、君の顔を見ればなんとなく理解できるさ。今の君の魂の色は少し濁っているね。憂鬱な悩みなのだろう? ラマトゥとうまくいってないのかな?」


 そういうビビはいたずらな微笑みを浮かべている。きっと茶化したくて仕方ないのだろう。けれど、私はきっぱり否定した。


「ラマトゥの話じゃなくて……ビビの話なの」

「僕?」


 意外そうな、不思議そうな顔をするビビに、私は声を潜めて訊ねた。


「ビビ、ビビはアンナ様の結婚についてどう思ってるの?」


 言われ、ビビはきょとんとした顔をする。そして穏やかに微笑み、背もたれに身体を預けて言った。


「喜ばしいことじゃないか。王配が決まって、どうして僕が悲観することがあるんだい?」

「だって、ビビは知っているでしょう? アンナ様がビビを愛してること」


 ビビは「あぁ」と嘆きとも諦めともつかない声を上げる。そして、ぽつりぽつりと語りだした。


「……あぁ、僕はアンナが僕を男として見ていること、知っているよ。けれど、こればかりはどうしようもないことさ。僕はエルフの宰相になることを目的にこのヤマト領へ留学に来た。城の門の前で王にお目通りをと頼む僕を見て、支援してくれたアンナには感謝してもしきれない。僕が無事にアカデミーを卒業して、宰相になれたのも彼女のおかげさ。でも、だからこそ、なおさら僕は彼女を本当に愛してはいけなかった。彼女はヒュームの王だ。僕はエルフを導く立場にいることを目標にしていた男だ。もしも僕がまだアカデミーにいた頃に彼女に愛の告白をされても、軽い遊びで交際はできても、本当に愛することは許されない。僕が愛してきた他のヒューム達と違ってね」


 私はビビの言葉を遮って言った。


「ビビ。私が聞きたいのはそんな上辺の話じゃない。立場がどうとか、種族がどうとか、関係ない。ビビはアンナ様をどう思っているのか、それだけなの」


 ビビはらしくなく真面目な顔をして言う。


「それを言葉にすることは出来ない。……これじゃ、答えにはならないかい?」


 私はそれを聞いて、深く息を吐き出した。……つまり、言葉にしては、許されないこと。どんな形かはわからないけれど、ビビもアンナ様を愛しているのだ。


「……ビビ、ビビは悲しくなかった? アンナが結婚するって知って」

「もちろん悲しかったさ。だから僕はドライフラワーを贈ったんだ。君はドライフラワーの花言葉を知っているかい?」


 私は首を横に振った。


「『永遠』さ。朽ちることのない花には、そんな意味がある。僕は彼女の永遠の友人であり続け、彼女が僕を想い続けてくれる限り、永遠の片思いの相手であり続けるよ。そして、宰相としてはエルフとヒュームの関係も仲良く、永遠であるように。そう願って、あの花を贈った。……アンヌ、僕はこれまでたくさんの恋に敗れてきた。そして、またそれにひとつ数が増えた。これも神の定めた運命さ。ヒュームを愛する変わり者だと言われても、僕だって仮にもエルフだ。エルフは信心深いからね。そんな風に思うだけだよ」


 ビビは少しだけ微笑み、私の顔を覗き込んでくる。


「アンヌ、悲しまないで。僕らはこれでいいのさ。何十年先になるかもわからないけど、僕だっていつか妻を娶る日が来る。その頃には、きっとアンナの片想いも終わっている。真に夫になるジュールを愛するようになっている。ヒュームではそれを情と呼ぶのかもしれないけれど、それだって立派な愛のひとつだよ」


 私はいつの間にかぽろぽろと涙を零していた。ビビは幼い子供にするように、私の頭をゆっくりと撫でる。


「ヒュームは不思議なイキモノだね。誰かのために涙を流すことが出来るんだから。アカデミーで心理学も学んだけれど、これだけはどうしても理解できなかったのは、僕たちエルフが植物に等しいイキモノだからかな?」


 そう言ってビビはすくっと立ち上がり、両手を広げて歌うように語りだす。


「だからこそ、僕らエルフはヒュームと友好的な関係でありたいよ。アンヌ、君が花を慈しむように、寿命の短い生命を慈しむように、僕らエルフはヒュームを慈しみたい。愛には色々な形がある。アンナが僕に惹かれているのは、僕が鮮やかに花をつける木を慈しんでいるようなものだと思えばいいんだ。嘆くことはなにもないよ!」


 私は鼻をすすりながら、涙を拭う。そして小さく反論した。


「でも、アンナ様はビビを愛しているわ。ひとりの、男の人として」


 ビビはにっこりと笑うと、マントを翻して言った。


「あぁ、知っている。僕だってそうさ。許されるなら、アンナを女性として愛したかったさ。けれど、言っただろう? 愛には色々な形がある。恋慕、情愛、慈愛。ジュールとアンナの間にはいつか情愛が芽生えるだろう。けれど、僕とアンナの間の愛に名前はつけられていないだけさ。君とラマトゥと違ってね。この愛に名前をつけられる日が来るとすれば、それはきっと僕が朽ちて死ぬ時だろう。だから、アンヌ。このことは僕らの間の秘密だよ?」


 ビビが金のベルを振る。マジックアイテムのそれは音も立たないけれど、素早くエミリーがやってきた。


「今日はこれで失礼させてもらうよ、アンヌ。君を悲しませて申し訳なかったね。けれど、僕らはこれで納得していることは理解してもらいたいんだ」

「うん……わかったよ。今日はありがとう、ビビ。……エミリー、送ってさしあげて」

「わかりました……?」


 エミリーは不思議そうな顔をして、ビビを魔法転移の陣の敷かれた転移場へ向かっていった。

 そして、ビビがエミリーに連れられて立ち去り、私はひとり、部屋に取り残された。

 愛。

 アンナ様とビビの間の愛に名前をつけることはできない。


 私は無性にジャンに会いたくなって、床の扉を開けて階段を下りる。

 オーブルの練習場の真ん中。ジャンはそこで木刀を振っていた。

 私はそれを遠巻きに見つめていた。ジャンが木刀を振る度に、汗が散る。

 私とジャンの間の愛には名前をつけることが出来ると、ビビは言った。それはきっと恋慕というものなのだろう。胸が苦しくなるような、甘く痛みを伴う愛。

 ビビを愛するアンナ様もきっと同じ痛みを持っているに違いない。けれど、ビビの愛は……感情は、きっと少し違うのだろう。

 それがなんだかとても悲しくて、私は人目も気にせずに愛する彼の胸に飛び込みたい衝動を必死に堪えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ