17話 恋の話をしましょう
年が明け、私も無事に成人の儀式を済ませることができた。それは本当に簡易的なもので……。
「アンヌ・エトワル・ルジャースを成人したとここに認め、神の与えられた清き米より作られた酒を与える」
ルクトォさんのそんな宣言と同時に、ショットグラスに入るくらい少ない清酒を飲み、それでおしまい。
「本来なら領主様のお屋敷でちょっとしたパーティーがあるんだが、俺たちは出ても仕方ねぇしな……」
そう言ってルクトォさんは頭を掻く。確かにずっとこちらで育ってきて、真っ当に学院で学び、青春を共にしてきた友達がいるならちょっとした同窓会にもなるだろうけど、オーブルとしてずっと過ごしてきた私にはそんな人間もいない。それに、誕生日パーティーをしてもらえただけでも私は幸せ者だと思う。
「そういえば、ラマトゥの誕生日はいつになってるの?」
私の成人の儀式を遠巻きに見つめていたラマトゥに訊ねると、けろっとした顔で答える。
「俺は春先に拾われたらしいからな。乾いてもないへその緒もついたまま捨てられてたらしいから、その日を誕生日ってことにされてる」
「そうなんだ……」
ラマトゥのお父さんとお母さんはどんな人なんだろう。どうしてラマトゥを……ジャンを育てることが出来なかったんだろう。ラマトゥはルジャとどこかの国の人のハーフらしいけど、望まれない子だったのは間違いないのだろう。暗い顔をしているのを察知されたのか、ルクトォさんが私とラマトゥをまとめて羽交い締めにする。
「うわっ」
「ひゃ!?」
私達が驚きの声を上げる前に、纏めて抱きしめるルクトォさんがケラケラ笑って言う。
「ルジャース・オーブルの長として言わせてもらうぞ、ラマトゥ、アンヌ。オーブルはただの組織じゃねぇ、家族みたいなもんだ。俺はラマトゥが小さい頃から知ってるし、弟みたいに思ってる。アンヌ、お前もそうだ。本当のご両親がわかったとしても、お前はその人達とあまり交流はできなかったろう? お前達は俺の家族だよ。つまんねぇ過去を嘆くんじゃねぇ。使い捨てられるだけの俺達の命だがな、俺は俺が死んで、次のルクトォ……まぁ、おそらくラマトゥが就任するだろうが、次のルクトォが決まるまでお前らの家族だからな!」
ルクトォさんの慰めは乱暴で少し強引だったが、無骨なそれが何よりも嬉しかった。
「お前らが結婚すると決まったら、兄ちゃん泣いちまうかもなぁ?」
「ルクトォ、それは気が早すぎる……」
「そ、そうですよ、ルクトォさん! そんな先のこと、わかんないですよ!?」
「そんな先のことでも、決まってるようなもんじゃねぇか。なぁ、ご両人?」
けらけらと笑い続けるルクトォさんに、私もラマトゥもそれ以上何も言えなかった。そもそも私の命はアンナ様の物だと誓ったのだ。アンナ様が許してくれないと、そんな事は決して認められない。決して。
そう思っていた、ある日。昼食の最中にぽつりとアンナ様が言った。
「私、婚約しようかと思っていますの」
私は焼かれた白魚の切り身を口に運ぼうとした姿勢のまま固まってしまった。
……婚約? アンナ様が?
「ジュールも十六でしょう? それでも私への婚約の誘いは変わらず続いていますわ。……きっと、他に素敵な女性が現れなかったのだと思いますの。もしもこの先ジュールに愛する人ができたとしても、妾として城に置いても構いませんし。まぁ、私に世継ぎが産まれて、血の魔法が受け継がれるまでは許しませんけどね」
先に食事を終えたアンナ様はナプキンで口を拭い、水を一口飲む。
「……アンナ様は、それでいいんですか?」
私が思わず声に出すと、アンナ様は怪訝な顔をする。
「それでいい、って。それ以外に選べる立場にいるとでも?」
私は残っていた魚の切り身を全て口に含み、咀嚼する。白いご飯を食べきり、スープで流し込んで食べきると、アンナ様に言った。
「アンナ様、恋バナしましょう!」
「コイバナ?」
「恋の話です。いつか約束したじゃないですか。お互いの好きな人の話をしよう、って。今夜しましょう!」
「でも、私に好きな殿方なんて」
「いるでしょう? だから支援していたんでしょう? 少しでも自分の地位に近い場所にいてもらいたくて、支援していたんでしょう? ……ビビを」
私が言うと、アンナ様は驚いたような顔で私を見る。
「……いつから気がついていましたの」
「……結構前から……。でも、だから、今しかチャンスはないと思うんです」
私はアンナ様の手を取った。
「アンナ。恋バナしよう。約束」
友人としての私の言葉を聞いて、アンナ様は困ったような笑顔を浮かべる。
「……あなたがそこまで言うなら、付き合って差し上げてもよろしくてよ。可愛いアンヌ。でも、もう私たちも子供じゃないんですから、お酒で楽しみましょう?」
こうして、その夜、私たちは女子会の約束を取り付けた。
謁見の時間が終わり、アンナ様は短い休息を、私は訓練をして、お風呂に入って、夜も更けきった頃。エミリーがグラスとシャンパンを持ってアンナ様の部屋へやってきた。おつまみはクラッカーにクリームチーズを乗せた簡単なものだ。金色の呼び鈴を置くと、小さく一礼して部屋を出ていってしまった。……エミリーも混ざればいいのに。少しそう思ったが、エミリーには好きな相手がいないらしい。
「じゃあ乾杯しましょうか」
「うん、しようしよう。乾杯!」
軽く薄いフルートグラスに注がれたシャンパンを掲げ、私とアンナ様は一息に飲み切る。私は喉を通り過ぎる泡の混ざったアルコールの熱に思わず顔をしかめてしまった。
「……うーん。お酒の美味しさはまだちょっとわからないかも」
「あらあら、アンヌったら口がお子様なのね」
「アンナ様が飲み慣れすぎてるんですよ!」
軽口を叩きながらクラッカーを口に運ぶ。ざらついた口をシャンパンの泡で洗い流す。そして意を決したように私は口火を切った。
「それで、アンナ様はいつからビビが好きだったんです?」
「そうですわねぇ……。ビビがアカデミーに入りたいと城の者に直談判しているのを見た時かしら。初めからだから、一目惚れですわね」
「……おお、私と同じだぁ」
「アンヌも一目惚れでしたの? あの醜いトマト男を?」
「ラマトゥは格好良いですよ?」
「ええ? 理解できませんわぁ……」
「私からすれば、ビビのあの性格を知っても好きなままでいられたアンナ様の方が信じられませんよ」
お酒を注ぎ直し、私たちはぐいぐいと飲み進める。
「そもそもビビは少しお喋りが過ぎるだけで、実際はとても賢くてよ。アカデミーだって主席で卒業したんですから。それに、ちゃんと宰相になりましたでしょう? 実績が伴っていますわ」
「まぁ、それは確かに。きっとエルフの選挙……に演説があるかどうかは知りませんけど、そこでも雄弁に語り通したんでしょうねぇ」
「そうですわね、簡単に想像がつきますわ」
「『僕らはもっと社会に出るべきだと思わないかい、諸君! 僕はヒュームの社会に出て学び、実感した! エルフはもっと社会進出すべきだと! ただ、僕らの能力をヒュームに提供し続けるだけでは、エルフの文化はいつか滅んでしまうだろう! だからこそ、僕らは僕らの力をもっと知らしめるべきなのだ!』……みたいな」
「あはは、そっくりですわ、アンヌ」
夜も更け、お酒も無くなり、すっかり酔っ払ってしまった私はアンナ様に訊ねる。
「そもそもぉ。不公平だとおもいませんかぁ、アンナ様ァ。爵位を持った男の人は妾を作ることを許されて、なんで女の人は許されないんですかぁ?」
「愛人を作る女性もいなくてはなくてよ、アンヌ。でも、もし万が一私とビビがそんなことになって、子を孕みでもしたら、一大事でしょう?」
「ハーフエルフだから、言い訳が立たない?」
「簡単に言えばそういうことですわね。ヒューム同士でしたらどうとでも言い訳できますわ。ビビのように魂を見ることが出来る存在だと、夫婦間の子じゃないと察知するでしょうけど。……実はね、私がお父様とお母様の子であると確信できたのも、ビビがそう断言してくれたからなの。彼は嘘がつけないから」
残ったクラッカーを頬張り、指についた粉を払いながらアンナ様が言う。
「……うぅ、アンナ様可哀想。好きな人がいるのに、想いを告げることも許されないなんて……」
「そうでもなくてよ。ビビには私の想いなんて筒抜けですもの」
けろりとした顔で言うアンナ様に、私は驚き言葉が出ない。
「ビビには魂の色が見えますでしょう? 恋しい相手を前にすると独特の光り方をするのだと、幼い頃に教えてもらいましたわ。だから、彼の前で隠し事なんて無意味ですわ」
「……じゃあ、ビビは、アンナ様の気持ちを利用してたんですか? アカデミーに入るために……?」
私は初めてビビを憎いと思った。なんて残酷なことをするんだろう。けれど、アンナ様は笑って言う。
「逆ですわ、アンヌ。ビビは私がビビを愛しいと思う気持ちを許してくれたのよ。それでも友人でありたいというワガママも許してくれましたの。私は彼に恋してからの八年間、幸せでしたわ。彼は私の友人であり続けながら、私の恋心も許してくれた。いつだったか、言われましたの。『君の恋を叶えてやれるならどれほどよかったか』って。でも、私にとってビビは、恋しい相手である前に友人だったから、それ以上になりたいとは思わないと言いました。それをもビビは許してくれましたの。言わば私はビビにとって、五百一人目の恋の勝者にしてくださったのよ。彼はきっと、私が想いを告げれば受け止めてくれたでしょうから。……それが子供の気まぐれだったとしても」
そう言うアンナ様は、普段より大人びて見えた。
「……でも、アンナ様はきまぐれなんかじゃなくて、今でもビビを好きでしょう?」
アンナ様は複雑そうに笑っていた。
「さぁ、お酒もおつまみもなくなりました。お話はこれでおしまい。楽しかったわ、アンヌ」
「アンナ様……」
「私に世継ぎが産まれるまで、辛抱してくださいまし、アンヌ。そうすればあなたとあのトマト男の結婚を認めてさしあげられますから」
そう言って優雅に微笑まれてしまい、私はそれ以上何も言えなかった。
ビビはアンナ様の気持ちを知っていた。受け止める準備もできていた。エルフとヒュームは寿命がまったく違うから、アンナ様が十才の頃に告白していても、きっと受け止めていただろう。エルフからすれば、ヒュームなんて瞬きをする間に大人になるんだから。それでもアンナ様が友人であれればいいと言ったから、友人であり続けた。
……酷い男。優しい男。残酷な男。慈愛のある男。ビビはそんなエルフだと、私は思った。そして、そんな男を好きになってしまったのが、アンナ様の過ちであり、王という立場すら利用して、少しでもビビを側に置きたかったが為に宰相にまで持ち上げたエゴでもあるのだ。
……どっちもどっち、か。
私は自分の中でそう結論付けることにした。
数日後、新聞にアンナ様とジュール様の婚約の記事が載り、国は再びお祝いムードに包まれた。
私はそれを複雑な気持ちで見つめていた。アンナ様はジュール様が成人されるのを待ち、正式に結婚する。そして王家の血を継いだ子を産むのだろう。本当に愛する人の子ではなく、王として生きる為の子供を。
王として定められたアンナ様の人生を思い、お祝いムードで好景気に沸く町並みをテラスから見下ろしていた。