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15話 お別れがあれば、生まれたことを祝福されることもあります

 その報告が飛び込んできたのは、アンナ様が18才の誕生日を迎える――そう、私もその日が誕生日だと言われていた――丁度二週間前の深夜だった。新たな王の誕生日を祝うため、城で働く者が皆昼間に慌ただしく動いていたので、夜はしんと静まり返るように静かになる。巡回警備の騎士たち以外は、皆泥のように眠っている。そのはずだった。

 アンナ様の部屋のドアが強く叩かれ、アンナ様も私も飛び起きた。寝間着のままでドアを開けると、いつも綺麗にオールバックをしている白髪の執事長が息を切らしている。


「どうしましたの!?」


 アンナ様がそう言い、執事長の肩を掴む。私も慌てて部屋を出て駆け寄った。


「前王様の容態が……!」


 そう言われて、アンナ様の顔が蒼白になる。慌てて前王の寝室でもある私室に駆けていくアンナ様を、私も追った。私なんかよりずっと足が遅いはずのアンナ様なのに、その時はなぜかなかなか追いつけないくらいに速かった。


「お父様!」


 アンナ様が前王様の寝室のドアを開ける。アンナ様の息は絶え絶えで、私は息を乱す程でもなかったけれど、けれど、もっと取り乱している人がいた。艷やかな黒髪に少し白髪の混ざったその人は、アンナ様のお母様だった。涙でぐしゃぐしゃになったハンカチを投げ捨てて、アンナ様に抱きついてくる。


「お母様、落ち着いてください……」

「けれど、けれど、アンナ。せっかく家族四人が揃ったのに、こんなに早くまたお別れが来るなんて……!」


 前王様の呼吸は非常に弱く、今まさに息絶えようとしている。私はどんな顔をすればいいのかわからなかった。本当の両親の片方が今まさに死を迎えようとしているのに、呆然と立ち尽くすことしかできない。


「アンナ……アンヌ……」


 前王様が私達に気がついたのか、かすれた声で呼ぶ。差し出された手に飛びつくようにアンナ様が駆け寄った。


「アンナ……私の可愛い我が子……。お前は……神に選ばれた王……。この国を、頼む。それ……とアンヌ」


 私も前王様に駆け寄った。温かい手が私の頬を撫でるが、その力はとても弱々しい。


「アンナを……頼む。おまえたちは……ふた……で……ひと……のだか……」


 もう、声も跡切れ跡切れで、何を伝えたいのかわからない。けれど、何を伝えたいのかは、理解できた。


「お父さん、安心してください。アンナ様は、私が必ずお守りします。私は王たるアンナ様をお守りする為に二人に分かたれて生まれたんだと思いますから」


 それを聞き届け、前王様は安心したように微笑んだ。そして前后であるクロエ様を呼ぶ。クロエ様は私とアンナ様を押しのけ、前王様の痩せた身体に抱きついた。


「クロエ……そんなに、泣くな……」

「嫌です! あなた、逝かないで、あなた……!」


 若さを失ってもなお美しい顔をぐしゃぐしゃにして涙を流すクロエ様の頬を優しく撫でる。


「お前は……わ、たしに、よく尽くしてくれ……た。み、民間から后になり……ふたりの娘を……授けてくれた、のに……すぐに我が子を、ひとり失って……辛いことも多かったろう……。だが、お前は……もう……自由になっても……いいのだよ……。新たに愛する男を見つけても……」


 クロエ様は大きく首を振る。同時に涙が宝石のように散った。


「そんなこと、そんなことあるものですか! クロエが愛するのは、生涯ジスラン様だけです!」

「ありがとう……クロエ。ありがとう……アンナ。アンヌ……アンナを……頼ん……」


 静かに、ジスラン様の呼吸が止まっていく。メイドたちからすすり泣きの声が聞こえてくる。私はそこで初めて涙を零すことが出来た。それでも、泣きわめいたりしない。そんな身分に、私はいない。例え、死んだのが本当のお父さんでも、私の命は、アンナ様のものなのだから。前王様の心臓が止まったのは、それから数分後のことだった。窓の外を見ると雨が降っていて、まるで天まで優しい王であったであろう彼の死を嘆いているようだった。


 それから、国は喪に服した。善王であったジスラン・エトワル・ルジャースの死は、国中に悲しみを落とした。だが、そのジスラン様がそれを許さなかった。震えた文字で書かれた遺言書には「たとえ自分が死んでも喪に服すのは一日に止め、それ以降は普段どおりに過ごすように」と書かれていた。現在の王たるアンナ様が、国に平穏と笑みを絶やさないであろうことも書かれていた。


 ジスラン様の埋葬が終わり、黒いドレスを着たアンナ様はいつもどおり凛としていた。国葬の最後、アンナ様は前王の死を悼む為にテラスの前に集う国民たちにこう言った。


「父であるジスラン前王の意思は、このアンナ・エトワル・ルジャースが継ぎました。ジスラン父様が愛したこの国に、栄光あれ! ジスラン父様が安らかにお休みできるよう、そうするのが私の使命です。父様を愛してくださった国民を守るため、この生涯を使いましょう! ルジャ王国に栄光あれ!」


 涙をこらえながら気丈にもそう叫ぶ、まだ年若い、しかし美しく気高い女王陛下に、国民はまた涙した。


 クロエ様はそれから、華美なドレスを纏うことはなくなった。常に黒いドレスを纏い、顔を黒いベールで覆い、全権をアンナ様に託した。ジスラン様が亡くなっても、本当に誰も愛することはないのだと誇示するように、毎日質素な黒いドレスを着て過ごしたらしい。

 ……らしい、というのは、クロエ様が数人のメイドを連れて王宮を去り、ガノ領の別宅に隠居してしまったからで、時々会いに行くアンナ様から様子を聞くことしかできないからだ。

 こうしてアンナ様は名実ともに、完全にルジャの国の王となった。それから、また慌ただしい日々が始まる。王の成人を記念し、今度は国中がお祭り騒ぎのように賑やかになった。

 アンナ様もいつもどおり。王の成人は国民とは別に式典が行われる。その準備で大忙しだ。

 それを私はまるで他人事のように見つめていた。私はアンナ様の双子の妹かもしれないけれど、姫として育ったわけでもなく、あくまで影であるオーブルだ。ジャンと同じように、成人の日に秘密裏に成人の儀式は行われる。普段と変わらない日々を取り戻し、アンナ様が休息を取る短い時間に私はオーブルの訓練場を走っていた。それをぼんやりと見つめていたラマトゥがぼそりと言う。


「なぁ、アンヌ。お前もとうとう成人するんだな」

「うん、そうだね。年明けの成人の日に、ラマトゥと同じようにルクトォさんにお酒を振る舞われて、それでおしまい」


 息を切らせながら走る私がそう答えると、ラマトゥは……ジャンは、呟くように言った。


「そしたら、俺もお前にプロポーズしても許されるな」

「はっ!?」


 私は驚き、足を止めた。ジャンは大げさな身振りで続けるように言う。


「わかってるさ、アンヌ。お前の命はあの高慢ちきな女王様のものだ。女王様に許されなかったら、俺たちは結婚なんてできやしない。でも、それなら俺はその時が来るまで待つだけだからな」


 ジャンが意地悪そうに笑う。私は顔を赤くしてジャンに蹴りを入れてやった。

 ジャン自身が鍛え上げた、私の水平蹴りの脛は、ジャンの背中を見事に捕らえ、ジャンは痛みに苦しみながらも笑うことは止めなかった。


「照れるなよ、安奈」

「照れてない!」


 顔を赤くして再び走り出す私を見ながら、ジャンは声を上げて笑った。


 アンナ様の成人記念祭は豪華に執り行われ、各国の要人も呼ばれ、三日間に渡る舞踏会と晩餐会が行われた。勿論、その場にはディディエ伯爵もいて、表向きは笑顔で接していた。

 私は革のマントに包まり、アンナ様のお邪魔にならない位置からそれを見つめる。

 ……何度も何度も、アンナ様を殺そうとしたくせに、今更親族を気取って傲慢に振る舞うあの男。内心面白くないに決まっているのに。彼が前王の弟君でも、神が血の魔法を授けたのはアンナ様に他ならないのだ。

 私がそう心の中で毒を吐いたことも気が付かず、他の領主たちと祝の盃を分かち合う。

 ……今度は実子の王配を狙っているのだろう。我が子が王の父になることを狙っているのだろう。ジュール様が本当にアンナ様を愛していたとしても、アンナ様がジュール様の子を宿したとしても、アンナ様がジュール様を心から愛することは決してない。

 アンナ様のビビへの恋心は告げられることもなく消えていく。私はそれが悲しくて、マスクの向こう側で静かに涙を零した。


 三日間の宴の後、夜も更けきり、全てを終えたとばかりに疲れ切り、ベッドに倒れ込むアンナ様はただの少女のように見えた。


「アンナ、聞こえる?」


 自室で寝間着に着替えていた私は呼ばれ、慌てて騎士敬礼を取ってアンナ様の部屋へ入った。それを見てアンナ様がくすくすと笑う。


「おかしなアンヌ。私は双子の妹としてのあなたを呼びましたのよ」

「え……?」


 アンナ様が手を叩くと、エミリーがワゴンに綺麗にデコレーションされたケーキとワインを持ってやってきた。


「あのトマト男も呼びなさい。まだ下の訓練場にいるのでしょう?」

「わ、わかりました……?」


 言われて、私は寝間着姿のままで訓練場へと下りる。ドアを開けると、そこには剣を丹念に手入れするラマトゥがいた。


「ラマトゥ、ちょっといい?」

「……アンヌ? どうした、こんな時間に」

「アンナ様がラマトゥを連れてこいって……」

「陛下が? ……どういう風の吹き回しだ?」


 剣を鞘に収め、壁に立てかけるとラマトゥは身体の埃を払って私に続いて階段を登る。


「アンナ様、連れてきました……けど……」


 私はアンナ様の部屋を見て息を呑んだ。テーブルに絹のクロスが張られ、その真ん中にケーキが置かれている。ワイングラスは五人分用意されていて、よく冷えたデザートワインが注がれていた。


「ようこそ、秘密のパーティー会場へ」


 アンナ様がいたずらっぽく微笑んでいる。その脇には笑顔のエミリーがいた。椅子には悠々と腰掛けるビビがいる。ビビはエルフ族の宰相としてアンナ様のパーティーに呼ばれ、城に留まっているのは知っていたが、なぜ今ここにいるのだろう。


「なっ……えっ? なんです、これ?」


 戸惑う私にビビが言った。


「やれやれ、察しが悪いね、アンヌ! 昨日は君の誕生日でもあるだろう? 少し遅れたが、友人たちだけで集ってパーティーをしようというアンナの提案だよ! さぁ、ラマトゥ、アンヌの愛しい人。君も座りたまえ!」

「お、俺も?」

「そうですわよ、このトマト男。私はあなたが嫌いですけれど、アンヌの恋人なんですから、あなたも招いて差し上げたのよ」


 グラスは五つ。数少ない、私の友人や、愛する人の分まで、きちんとアンナ様は用意してくれたのだ。


「さぁ、エミリー。あなたもお掛けになって。私がケーキを切り分けて差し上げますわ」

「そんな! 陛下にそのようなことをさせては……!」

「主催者のいうことは聞くべきだよ、エミリー。ここはアンナに任せようじゃあないか!」


 そう言うビビに椅子を引かれ、エミリーも恐る恐る席に座る。ラマトゥも座り、私もそれに続いて席についた。

 アンナ様の切り分けたケーキは少し歪んでいて、それでも一番大きな部分を私に渡してくる。それを受け取り、目の前に置いた。次に大きなケーキはラマトゥの目の前に置かれる。一番小さなケーキはアンナ様の目の前に置かれた。


「さぁ、ささやかだけど、始めましょう。アンヌの生誕を祝って、乾杯!」


 そう言ってアンナ様はグラスを掲げる。皆習ってグラスを掲げた。チン、という小さな音が部屋に響く。


「うん、いいワインだ! さすが僕の生まれたズオカ産の葡萄を使っているだけあるね!」


 ワインを飲み干し、満足げにビビが言う。


「ケーキは僭越ながら、厨房を借りて、私が焼かせてもらいました。あの、デコレーションは少し失敗しちゃいましたけど」


 恥ずかしそうにエミリーが言う。


「あら、とても綺麗ですわよ? このタンポポの装飾なんて可愛らしくてよ?」

「あ、陛下……申し訳ありません、バラなんですそれ」

「あら失礼! でも、気持ちのこもった美味しいケーキですわよ、エミリー」


 部屋を笑い声が満たす。私はそれを見ているだけで胸が熱くなって、ぽろぽろと涙を零した。


「……アンヌ?」


 ラマトゥが私の顔を覗き込んでくる。私は涙を拭い、笑顔を作って言った。


「ごめんなさい。泣いたりして。こっちに来てから、自分の誕生日を祝われるなんて初めてだったから」


 それを聞き、アンナ様が私の頭を抱きしめてきた。


「そうね……あなたにはずっと我慢をさせていたもの。いいのよ、今の主役はあなたなんだから。泣いたって、笑ったって、好きにしていいの」

「アンナ様……アンナ、ありがとう……」

「そうとも、今はアンヌの為の宴だ! さぁ、皆、歌おうじゃないか!」

「黙れ、オルゴールエルフ! 少しは感傷にひたらせてやれ!」


 歌いだそうと立ち上がるビビに対するラマトゥの怒声に、くすくすとエミリーが笑う。アンナ様も私を解放してワインとケーキを楽しんだ。

 私も続くようにケーキを頬張る。ブルーベリーのジャムを染み込ませたしっとりとしたスポンジ生地と生クリームが甘酸っぱく美味しい。ワインもそれによく合う、甘く飲みやすいものだった。


 ……ささやかなパーティーは三十分も絶たずに終わった。エミリーが食器と絹のクロスを片付け、人一倍飲んでいたビビはけろりとした顔で客室へ戻っていった。私もアンナ様におやすみなさいの挨拶をして、ラマトゥと一緒に部屋に戻る。隠し階段への扉を持ち上げ、ラマトゥが降りようとしたその時だった。


「安奈」


 私は手招きされ、ラマトゥ……ジャンに近寄ろうと膝を付く。その瞬間に唇を奪われた。ジャンは片手で扉を持ち上げたまま、もう片方の手で私の頭を抱え、私は身動きが取れない。

 そのままケーキの生クリームを舐め取るように唇を吸われ、まるでワインの酔いが回るかのような感覚が私を襲う。

 ……充分に堪能して満足したのか、ジャンは私を解放すると、にっと笑う。


「誕生日おめでとう。……おやすみ、安奈」


 そしてカツカツと階段を降りていき、扉は閉められた。残されたのは呆然とする私だけ。


 ……とんでもない誕生日プレゼントを貰ってしまった。やっぱりジャンは天然のジゴロだ。


 私は真っ赤になる顔を隠すようにベッドに潜り込んだ。

 ……初めて飲んだワインで酔っ払っているはずなのに、今夜は眠れそうにない。

 こちらに来てから初めてのバースデーパーティーは、そのまま静かに幕を下ろした。

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